肯定論 



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第4章
生まれてきたものすべてを生かしめよ


この世に生まれてきたものはすべて等しく生かされねばならない。
生きる権利があるとかないとかという問題ではない。
生まれてきたものはとにかく生きているのだ。
生きている命には権利など関係ない。
誰にもそれを妨げることはできない。
もしそれを妨げる力があればその力こそなくならなければならない。
生まれてきた命にその社会の基準をあてはめて
身体障害者だとか、精神障害者だとか、遺伝子が一つ足りないダウン症児だとか、
解離性同一性障害者内の劣等人格だとかという
否定語で規定して生を制限しようとするような社会があるとすれば、
その社会は生まれてきたものすべてが生きうるような社会につくりかえる必要がある。
それは命にとって自明なことだ。
生まれてきた命には何の責任もない。
等しく果てまで可能性を追求して生きればいい。
何の遠慮もいらない。
身体障害者にとって出歩きにくい道しかなければ
出歩けるような道をつくらねばならない。
それは社会の側の責務だ。
精神病者や神経症者と呼ばれる人が、生きにくい社会制度があるとすれば
その制度は誰もが生きやすい制度に変更する必要がある。
それが出来ていないとすれば社会の側が恥じねばならない問題だ。
社会とは生命の共振体だ。
すべての成員の生命共振によって、そうすることが当たり前であるような
社会を実現しなければならない。
それを国家制度が妨げているとすれば、国家制度の方こそ死滅しなければならない。
それは生きるもの全員の責務なのだ。

生きとし生けるものを生かしめよ。
隠れ棲まなくてもいいような世界を実現しよう。

あなたがもし、障害者のことなど他人の問題だと感じるとすれば、
そのためには、まず、自分のからだの闇に隠れ棲んでいる人々がいることを
知ることから始めるのがいい。
このサイトの「実技ガイド」によって、
最初のゆらぎ瞑想あたりだけでも体験すると、
からだの闇のかすかな気配に耳を澄ますことができるようになる。
障害者と呼ばれていない誰もが、自分のからだの闇に隠れ棲んでいる
奇妙な人々を秘め持っていることに気づけば、この問題が他人ごとではないことがわかる。
彼らは<影>や<劣等人格>(ユング)や、<not-me>(サリバン)、
<副人格>(解離性同一性障害の場合)などさまざまな名で呼ばれてきた。
彼らはさまざまな来歴を持つ。
人生の初期に生まれたが、親や周りの大人達に承認のまなざしを向けてもらえないまま
からだの闇の奥深くにくぐもってしまった<くぐもり>たち、
あるいは、幼少期に出会った危機的状況を切り抜けるために生まれた<危機回避人格>たち、
彼らはみな自分の分身たちだ。
私たちが社会にこれが私だと顔を向けている<表人格>だけが自分なのではない。
多くの場合日常生活の中の意識はかれら隠れた人格要素に気づいていないが、
これらくぐもりや分身たちすべてが<自分の全体>を構成している。
自分の全体とは、意識や自我だけではなく、無意識やからだを含んだすべてを指す。
<自分の全体>を知らないまま、彼らの存在を無視し続けたり、
記憶から遮断したまま生き続ければ
いつかストレスや危機に出会ったときに神経症として噴出したり、
見えない力で自分の表人格をコントロールするようになる。
そのままでは自分が誰だか分からない不透明なまま生きることになる。
透明になろう。
まずは自分の全体と透明にコミュニケートできるようになろう。
私は、自分の、そして他の人のからだの闇にひそみ棲む、くぐもりたち、
影やnot meたちが劣等人格などと呼ばれ蔑まれてきた人たちが
隠れ棲まなくてもいいような世界を実現したいと思った。
障害を持って生まれてきた人も、くぐもりたちも
差別されることなく生きうるような世界を創りたいと思った。
誰のなかにもあるそういうくぐもりたちが全解放される世の中はどんなに楽しくなることか。

サブボディ共振塾では、彼ら自分の中の異貌たちを解放して生きる術を学ぶことができる。
その異貌体は、他の衰弱体、原生体、傀儡体、憑依体、などと並んで大きな重要性を持つ。
それらすべてを統合できてはじめて自分の全体を踊ることになる。
踊りの中に自分の全体をさらけ出して共振しあう。
それはとことん面白く楽しいことだ。
まったく人によって出てくるサブボディが違う。
世界で一つの独創が出現する。
くぐもりたちの奇橋奇怪な相貌を見て顔をそむける人々は、
それら異貌ののサブボディたちが自分の中にひそむ奇怪な存在に気付かされそうになるから
大急ぎで目を閉じ、見なかったことにしようとしている。
そうしなければ美しくつくろったうわべの顔を維持できないからだ。
だが、そんなことをしてなにがいいことがあるだろう。
だが、そういううわべだけの顔をつきあわすだけの社会がいかにうそ寒いことか。
きみもうすうす気づいているはずだ。
そのうそ寒さに気づいた人々がサブボディの道に入る。
そして、生まれてきたものすべてが、社会によって損なわれず
生きることができるような世界を実現しようとしている。
生命共振を原理とする世界だ。
きみもその仲間にならないか。
ヒマラヤはいつもきみに開かれています。




多重人格肯定日記
解離性同一性障害を肯定する日記



「多重日記」
に、この肯定論の作者について、短い文を書いた。
あわせてお読みいただければ幸いです。

2010年2月3日

「肯定論」のわたし

サブボディ十体のひとつである異貌体について、ノートを取っているとき、
これは肯定論の趣旨に共振していると気がついて、
それを元に、2年ぶりに
肯定論第4章(下記)を更新しました。
また、肯定論第2章に対する分裂病のサイトを運営する方から、
「あなたは分裂病について精確に把握していない。もっと勉強してほしい」
というお叱りと苦情があった。それについて第2章への追記を新たに書きました。
「肯定論」第1章〜3章をまだお読みになっていない方は
はじめからどうぞ。
わたしもまた、この機会に2年前に書いた「肯定論」を第1章から読み返してみた。
この文は私の中の多くの人格状態のうちの見知らぬ誰かが書いたようだ。
過激な山沢や今故に近しい人だ。
それも息急き切って全力で疾走しながら書いている。
独断と毒舌に満ちた文体がそれを語っている。
だが、誰が書こうとわたしが書いたことには違いない。
わたしはもう、わたしの中の多くの解離された人格を分別することはじょじょにやめていこうと思う。
わたしの中にはn人のわたしがいて、n個の文体を持つ。
それでいいと思う。

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