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十体論
9 巣窟体

生命の多次元共振


巣窟体とは、一言で言えば多次元共振を体現しているからだである。
土方巽の「静かな家」における
「目の巣だ、森の巣だ、板の上に置かれた蛾」
が、巣窟体の非二元かつ多次元の重層的共振を端的に表している。
生命が無数の見えない背後世界と共振している微細なクオリアを
全て背負い着込んだ舞踏体である。

巣窟体へ変成するには、まず、

長く静かな生命の呼吸で静寂体になることからはじめる。
内と外に等価に半分ずつ開く。
内にも外にも囚われない透明なからだ(心身状態)になる。
(長く経験をつんできた産婆コースの人は、
さらに主なチャンネルのそれぞれで透明になるよう制御する。
これが透明体につながる坑道である)

そして、背後世界の微細なクオリアに耳を澄ませながら、灰柱を運ぶ。
背後世界とは、単なる物理的な背後ではない。
他界、過去の世界、人間以前だった世界、海洋生物や単細胞だったころの世界、生命誕生時の原生世界、
地底の世界、死の世界、地殻変動の世界、マグマ、天上の世界、無数の元型の棲む世界、真空の宇宙空間、
ほかの星、銀河、ブラックホール、宇宙創成時の時空、ストリング共振の世界など、ありとあらゆる異次元、異界を指す。
これら異界との間で微細に震えている命のゆらぎに聴きこむ。
そして、異界からくるクオリアをまとう。
からだの各部、秘膜や秘腔、秘液の各層に、それらのクオリアが巣喰う。
からだ中が外に出たがっているサブボディの胎児の巣となる。
それら外に出たがっているサブボディたちの動きを最小限のサイズに留め、
無数の異次元と重層的に共振する巣窟体に変成する。
記憶や夢、からだの闇の原生体や異貌体の息吹、背後世界のクオリア、死者の呟きなどが
無限に重層化した異界とのクオリア共振を運ぶ巣窟のからだに変成する。

その巣窟と背後の世界を運びながら、命に聴く。
巣喰っているサブボディたちにたずねる。
誰だい、今日サブボディとなって出たがっているのは?
そのサブボディがからだの形を決める。
形が決まればそこで長い生命の呼吸を感じ、各種のサブボディになりこむ。


2010年5月28日

「虫の歩行」最終行の秘密

今まで10年以上、毎年「虫の歩行」の練習と授業をやってきた。
だが、昨日の晩まで私は、その最終行の意味を深くつかむことがてきていなかった。

「虫の歩行」

1.右手の甲に一匹の虫
2.左首筋からうしろへ降りる二匹目の虫
3.右の内ももから上がってくる三匹目の虫
4.左肩から胸を降りる四匹目の虫
5.五匹目 自分で知覚
6.あっちも こっちもかゆい その場にいられない かゆさに押し出される
7.あごの下 耳のうしろ ひじのうしろ 膝のうしろ ベルトのところ に
五百匹の虫
8.目のまわり 口のまわり 耳の中 指の間 すべての粘膜に五千匹の虫
9.髪の毛に虫
10.毛穴という毛穴に虫
11.その毛穴から 内臓に虫が喰う 三万匹
12.さらに侵食し 毛穴を通って外に出る虫 身体のまわり 空間を虫が喰う
13.さらに空間の虫を喰う虫
14.その状態に虫が喰う
15.(樹木に五億匹の虫――中身がなくなる)
16.ご臨終です (意志即虫/物質感)」


第16行は次の二文からなる。
「ご臨終です。(意志即虫/物質感)」
”It's your end. (The will is bug, or sense of matte)"

私にはその括弧内の文が、不必要な蛇足に思え、
詩としての美を損ねていると感じて、受け取ろうとせずにどちらかというと無視していたのだ。

だが、今週水曜日に育子のガイドで虫の歩行の授業を行い、
翌木曜日は近くのカングラ・フォートという古い遺跡に行くことにしていた。
その前夜、夜中の3時頃、突然その最終行が光を放って輝き始めた。
そうか、そうだったのか。
そこに「虫の歩行」第二ステージへの扉を開ける秘密のカギが隠されていたのだ。
(意志は虫、あるいは物質感)
という一行には、次のような土方巽の遺志が秘められていた。
「後世の舞踏を学ぶ生徒諸君、
最初はまず、この虫の歩行をテキスト通り学びたまえ。
君は君の遺志で歩くのではなく、
からだを這う虫が君を動かすままに動きたまえ。
それが第一段階だ。
そして、それに習熟したら、つぎは第二段階に進むのだ。
第二段階では、テキストの虫の位置に、任意の
物質感覚を代入して行いたまえ。」


第二段階の練習は、具体的には次のように行う。
カングラフォートは、古い石造の遺跡が崩れかけ、
古い樹が茂り、複雑な地形と布置を形作っている。
その中に気になる地形が見つかったら、
その地形にゆっくりと歩み入る。
そして、右手の甲が布置の中の何らかのクオリアと微細に共振し始めるのを感じる。
石の模様や陰り具合と共振して、震え始めたり。揺らぎ始めたりする。
何がが起こるかは命に任せればよい。
次に首すじから背中にかけて、布置のなかのなにかのクオリアとの共振が始まる。
ゾクッとしたり、背後世界から死者が話しかけてきたり、と命に任せる。
次は内腿を地中に潜んでいたクオリアが這い上ってくる。
・・・
このように、土方の虫の歩行のテキストの序破急に沿って、
1行目から最終行まで、虫を何らかの物質感との共振に置き換え、
それによって動かされるからだに変成していく。
ここで土方が述べている物質感とは、正しく生命が感じているクオリアそのものだ。
だから、物質・非物質に関わらず、あらゆるクオリアとの共振を開けばよい。
記憶や夢や情動や妄想が、ところかまわず発生してそれによって動かされる。
これはもう、これから学ぼうとしている土方の最終的な境位である巣窟体そのものだ。
別の言葉で言えば多次元微細共振体だ。
なんと、虫を物質感に置き換えるだけで、
これまで初心者向けのテキストとばかり捉えていた「虫の歩行」が、
土方の最終境地にまで至る普遍的な奥義を秘めている舞踏譜に変貌したではないか。
余分なものだと私の狭い美意識によって今まで受け取ることができなかった最終行に
なんとこのテキストを単純な初心者用の舞踏テキストから、
普遍的な生命の舞踏のための多次元微細共振体になるテキストへと
ジャンプさせる秘密が隠されていたのだ。
それを解くのに十年かかったことになる。
余計だったのは私の狭い美意識の方だったわけだ。

かつてニーチェは言った。
「深淵を秘めよ。どこに?
表層に深淵を秘めるのだ!」
まさしく誰に眼にも触れうる表層に、
深淵への鍵が秘められていたのだ。

本当はこれ以外にも、私がなんとなく忌み嫌って遠ざけてきたものの中に、
こんな大事な鍵がいくつも秘められていたのに、
私はそれらをことごとく見失ってきたのかもしれない。
十分に考えられることだ。
舞踏を暗いからと遠ざけてしまう人は生涯その深みに触れることができない。
中島みゆきや山崎ハコの歌を同じ理由で遠ざけてきた人が
命の深みから遠ざけられてしまうようなものだ。
しばらく、自分が苦手としてきたものの中に
潜んでいるかもしれないものを探ってみよう。




2010年5月22日

量子的泡と土方の巣窟体

図1 相対性理論までの空間概念
図2 量子論以後の空間概念


まず、上の図をごらんいただきたい。
量子論以前の科学では,空間は一様であると信じられていた(図1)。
細分化していっても一様に静かな空間が広がっているだけである。
だが、量子物理学が登場して以降、空間を微細化して,量子論的レベルを超えた途端
天変地変のようなとんでもない変化をしているという驚くべき事態に遭遇することになった(図2)。
「空間は泡立ち,荒れ狂って、ねじれた形をとる。
ジョン・ホイーラーはこれを量子的泡と名付けた。
この空間では、左右、前後、上下という馴染み深い概念が(さらには,過去と未来の概念さえ)意味を失う。」
(ブライアン・グリーン『エレガントな宇宙』)



生命もまた,この多次元的に量子的に泡立つクオリア共振を生きている。
土方巽の最後の衰弱体は、自分の人体でこの多次元微細共振している生命の
量子的泡の領域に入っていこうとした最初の試みだった。
からだを鎮め、灰柱の境地まで持っていく。
そのからだをできるだけ静かに運ぶ。
凡庸な眼で見ている限りは、かれのからだはただ不規則ランダムに揺らいでいるだけかのように見える。
だが、その実態は、時空を超えて超複雑なクオリア共振を行っている。
土方の遺した寸法の歩行や虫の歩行、静かな家の舞踏譜の世界にからだで入っていけば
彼がどんな世界でゆらいでいたのかが体得できる。
その内容の一端は、舞踏論17章以降をご覧頂きたい。
これをなんと呼べばいいのか。
わたしは土方の愛用する巣(目の巣、森の巣・・・)が無数にからだじゅうに満ちた状態として
巣窟体と呼ぶことにした。
あるいは無粋だが多次元共振体ということもできる。
巣窟体は、絶えず多次元的に無数のクオリアと共振している
生命の実相に近づこうとするときに編み出された。
からだじゅうの10兆個の細胞が多次元的に呼吸し、
新たなクオリア共振パターンを創発し、夢をみている。
実技ガイドで述べた「多次元微細呼吸」技法が必要になるのはここから先だ。
土方のからだも無限の異界と共振し、異様なクオリアをはらんで量子論的に泡立っている。
それは奇しくも,極微細な時空で量子的に泡立っている世界のありさまとそっくりな様相を示している。

量子的に泡立つ空間も、生命もクオリアも、
11次元のカラビヤウ時空で共振しているひもによって生み出されているからだ。



2010年3月11日

からだの闇の仮の見取り図

1998年にはじめて来て以来、ヒマラヤも12年になった。
瞑想していると、これまでに盲滅法、手当たり次第に掘り進んできたからだの闇の坑道が、
ずいぶん透けて見えるようになっているのに気づく。
これまでのあらゆる苦し紛れの試行錯誤を統合し、
ひとつのパースペクティブの中に位置づけることが出来そうだ。
いままで出来なかった、学期のはじめにこれから一年間のざっとしたオリエンテーションが
できるようになってきたこともこれと関係している。
そう、いつの間にか、ずいぶんと透明度が増している。
いままで、段階論に囚われるのがいやで、採らなかった伝統的な瞑想法の中の
粗大身(グロスボディ)、微細身(サトルボディ)というような区分けも、
それを仮の見取り図とはっきりさせれば採用できるよい方便であることにも気づいた。
あらゆる見やすい見取り図はトリックでもある。
これに囚われて、からだの闇が実際に今見えているようなものだと錯覚してはならない。
非二元かつ多次元時空は、例えてみれば次の図のように、入り組んでいる。



前だと進んでいるといつの間にか後ろに向かっている。
上だと思ってよじ登っていると、着いたのは地獄の底だったというようなことがしょっちゅう起こる。
だが、なんの当てもなしに歩くよりは、仮のものであるにせよ
何らかの見取り図がある方が歩きやすい。
それを非二元かつ多次元世界を歩くための仮の地図だとわきまえてさえいればいいのだ。
からだの闇にはどんな見知った段階的構造も、上下の階層制もない。
そのことをはっきり押さえておくこと。
歩き始めのときには、これらの坑口のありかや、歩き方をガイドした導きが役に立つ。
だが、それを信じないことが大事だ。
とくに創造のなかでは一切の理論や図式を潔く忘れ去ること。
それを忘れないで欲しい。

三界トラベル

からだの闇を歩くとき、三つの異なる世界を横断するのだと承知していることは役に立つ。
三つの世界というのは比喩のようなものだ。
実際には非二元かつ多次元なのだから数え用もない世界だから。
三つというのは二元論の囚われから脱出するための必須の通り道だ。
古来からの伝統的な瞑想の世界でも、三つの世界として捉えてきた。

1 日常界 
私たちが人間として生活している日常世界だ。
古来、
粗大身(グロスボディ)の世界と呼ばれてきた。
微細身と比べれば、はるかに粗大(荒っぽくて粗雑なこと)な動きや判断からなる。
それら粗大な動きや感覚、判断、思考をすべて止めることによって
微細なものに耳をすますことができるようになる。
調体(コンディショニング)とは、呼吸やゆらぎ瞑想などによって
この粗大な日常体と日常思考を脱ぎ捨て、微細界へ降りていくことだ。

2 微細界
伝統的な瞑想技法では
微細身(サトルボディ)と呼ばれてきた。
日常体の粗大な動きや思考をすべて止めると、
日常界では見過ごしてしまうほどかすかなクオリアのゆらぎに気づくことができるようになる。
どれくらいかすかかというと、何億何兆倍もかすかで微細な、あるかなきほどのものだ。
日常体はそんなものが存在することすら知らない。
わたしも12年前ヒマラヤへ来て、ダライラマの書を通じてはじめて微細身のことを知った。
サブボディは、通常下意識のからだ(サブコンシャスボディ)のことだと
説明しているが、もうひとつの隠れた意味は、サトルボディのことでもある。
サブボディとサトルボディ(微細身)はほとんど同義である。
ただ、サブボディ技法では、伝統的な瞑想法では使わない動きのチャンネルを開き、
動く微細身である衰弱体になりこむ修練を通して、からだの闇を縦横に旅する。
伝統的な技法では開かない体感や動きのチャンネルをはじめ、
映像・音像・情動・関係・世界などのあらゆるチャンネルを開いていく。
その点だけが異なる。
衰弱体を、動く微細身であると位置づけるのは、今年が初めてである。
これによって、いままで闡明できなかった伝統的な瞑想法の世界と、
土方舞踏の世界とのつながりを明らかにすることができるようになった。

3 非二元界

三つ目の世界は、名づけにくい。
非二元かつ多次元の誰も見たこともない世界だからだ。
昔は融即界と呼んでいた。
日常世界の論理とはまったく異なる論理によって動いている。
生命の感じるクオリアの世界だ。
神話的な世界や伝統技法の中では、神や仏が動き、変容する世界として捉えられてきた。
サブボディ技法では自分のからだをさまざまな十体に変成させて、
この世界をからだで縦横に歩きまわり、動きまわり、踊り、旅をする。
変容する十体にみずから成り込むのが
伝統技法にはないサブボディ技法の特徴である。

ともあれ、これが三界の簡単な仮の見取り図だ。
くれぐれも旅の指針としてだけ、参考にして欲しい。
実体ではない。
三つの世界は縦横に絡み合い、浸透しあっている。
日常体の粗大な神経や感覚では気づかないだけだ。

以前に作成した図解ツアーも、それが仮の見取り図だと了解しながらたどれば、
役に立つかもしれない。
図解ツアーにはじめにというページを付け加えて、
それが仮のパースペクティブを与えるものであることを強調した。
いまではあまり使わない古い概念や技法も含んでいるが、
すべて試行錯誤の中の実験だった。
これからも実験は続く。
サボボディ技法を学んだ生徒たちによっても、
世界中でからだの闇を旅する様々な実験が続けられている。
それらの実験はすべて遠くで共振しあっている。
もう誰にも全容は捉えられない多次元リゾームになった。
ただ、これらを通じて世界が限りない多様性と共振に満ちた豊かなものになっていけばいい。