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十体論
8 憑依体

2010年10月5日

憑依体

あれから43年にもなるのか。
1967年10月8日、羽田弁天橋の上で、
大阪府立大手前高校の同級だった京大生山崎博昭が倒れた。
1960年6月15日の安保反対闘争で、東大生樺美智子さんが虐殺されて以来
学生運動で出た二番目の死者だった。
それ以来、私たちの闘いは過激さを増していった。
そして、次々と死者が出た。
京大の後輩辻敏明、高校時代の盟友橋本憲二が、内ゲバで命を落とした。
高校時代、「死地へ!」という詩を書いて自分を鼓舞した私は死ぬことができず、
わたしのすぐとなりにいた友人が命を落とした。
20代、30代とわたしの眠りの中に彼ら死者が頻繁に訪れた。
40代で踊りをはじめて京都に戻ったとき、かれらは一斉に殺到して
わたしから眠りを奪った。
じょじょにわたしは彼らがわたしのからだを通じて踊りだしたがっていることに気づいた。
よっしゃ、自由に使いな、
好きなように踊ってくれい!
それからだ、彼らがどんどん踊りを創り始めたのは。
俺の処女作「伝染熱」の真の作者は山崎博昭だ。
翌年の「夢魔熱」は辻敏明が踊りまくり、
「暗黒熱」には橋本憲二も出てきて俺のからだは大賑わいだった。
わたしのからだを若くして死んだかれらがのっとったかのように
世界中を疲れを知らずに踊り続けた。
各国で踊るたび、俺たちは各地の死者と共振した。
インド・ダラムサラでは、中国の支配に抗って死んだ200万人のチベットの死者たちと、
ブダペストでは1956年のハンガリア革命の死者たちと、
パリやストラスブール、ヨーロッパの各地で第二次世界大戦の死者たちと、
東欧各地のユダヤ教会・シナゴーグで踊ったときは、
戦後50年ぶりに開かれた堆くホコリが積もった教会の空間を
無数のアウシュビッツの死者たちが飛び交っていた。
生命の舞踏の中では生者も死者もない。
まして不遇の死を遂げたクオリアほど共振しやすいものはない。
憑依という現象は、生命にとっては何ら珍しいものではない。
生命は生死を超え、時を超えて無数のクオリアと共振している。
ただ、そんなことが起こっていることを理解することができるまでに
十年以上かかった。
利己的な自我に毒された意識を脱ぐには時間がかかる。
だが、生命は世界中の人が、人間や自我を脱ぎ去る日まで踊り続けるだろう。
自我や権力に替わって、生命共振だけで世界がうまくやっていける日まで
生命の舞踏は止むことがないだろう。
長いデモクラシーの幻想に支えられた国家が、
生命のリゾクラシーにとってかわる日がいつかは来る。
それは確実だ。
国家を支えてきた人間の利己的自我への囚われも、たかだかここ数世紀のことだ。
こんな馬鹿げた状態への囚われを命が脱ぎさる日が来るのは目に見えている。
奴隷制社会が消え、封建制社会が消えたように、
資本制社会もやがては消え去る。
山崎博昭よ、辻敏明よ、橋本憲二よ、
俺達の望んだ国家なき未来はきっとくる。
安らかに眠れ。
俺もあと少しで人間のからだという借り着を脱いで生命に帰る。