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十体論
1 衰弱体
2010年10月1日

衰弱体

衰弱体は、舞踏にとってもっとも大事なものだ。
それは、異界へ通り抜けるための必須の体だ。
粗雑な人間の体のままでは、異界へ入ることも、異界からのシグナルを受け取ることもできない。
衰弱体が、ありきたりの三次元的な日常世界で踊るダンスと、舞踏とを分かつものだといってよい。
Butohと名乗っていても、衰弱体を知らず、粗大な三次元世界で踊っているものがほとんどだ。
Butohの第二世代や第三世代と呼ばれる人々のButohの薄さに絶望してわたしはヒマラヤに引き籠った。
そして、意識の止め方を学んだ。
人間の意識のままで踊ってはならないのだ。
自我だの自己だの、国籍だの、人格だの、性別だの、年齢だのという
人間の条件をすべて脱ぐことを学ばなければならない。
そして、物質的なからだから抜け出す気化体の技法を身につけることだ。
命は物質ではない。
物質を脱いではじめてあらゆるものと微細に共振している命になることができる。
時を超えて共振する命のクオリアそのものになるのだ。
それらが衰弱体になる必須事項だ。
生命の呼称で呼ばれる舞踏とは、衰弱体で踊られる舞踏である。



土方巽 "少女 part 2" 1973

2010年10月25日

衰弱体のかぎりない深さ


土方巽の衰弱体舞踏をはじめて見た人は、だれもが何が起こっているのか分からない。

私もそうだった。土方のビデオを何度繰り返しみても、

ただ体の各部がランダムにあさっての方向にゆらいでいることしか捉えることができなかった。

ただ、訳がわからないがなんとなく引っかかって通り過ぎることのできない深い謎を感じとっていた。

20歳の時はじめて土方の踊りに接して以来、40年余りがあっという間に過ぎた。

ここ一二年のことだ。我慢して土方の残した『「静かな家ソロ」覚書き』を読み込んでいくうちに

おぼろげにかれがどんな豊かなものを踊っていたのかが腑に落ちてきた。

 

今年の後期は長期生とともに、土方の舞踏譜の解読を進めてきた。

日本語で読んでもまるでロゼッタストーンのような謎に満ちた難解な文章を

どの国の人にも読めるベーシック英語に翻訳する作業を進めてきた。

その作業がようやくほぼ完了した今月、

私は長期生に、「この舞踏譜をもとに独自の練習法を編み出すように」

という課題を出した。

Ikukoは、花や顔や、女、男などいくつかの点に絞って関連ある箇所を搾り出し、

それをからだで読み解いていく練習法を編み出した。

その一つが「ふるえ」であった。

彼女は下記のように震えに関係する箇所をテキストから切り出した。

 

○鏡をこするとゆれる花影があった (1)―数字は節番号

 

○納屋の中でもろい物音がくずれた (1)

 

鳥のおびえ、虫のおびえ      (5) 

 

密度を運ぶ自在さの中には、めまいや震えや花影のゆれがひそんでいる。 (9)

 

指さきの尖たんにメスカリン注射がうたれる。

そこには小さな花や小さな顔が生まれる。         (10) 

 

叫びと少女―くずれてゆく前のふるえ           (12)

 

手ぼけの羅漢に虫がつく                 (17)

 

背後からも内部からも襲われて、路上の花を摘む

ふるえて、床にも、空にも、そのはもんは、拡がってゆく。 (21)

 

耐えるもの―それはめくるめく節度の別の顔であった    (22)

 

まつ毛でほこりを飼育する                (23) 

 

嵐がくる事を予感した子犬や、スプーンやホタル      (23)

 

(ふるえている)

 

鏡をこするとゆれる花影があった

 1、耐え忍ぶ剥製のとほうもないきたならしさ

 2、牛と木のワルツがふるえている

 3、鏡をこすると背後からゆれる花影があった

 4、ふるえている

 5、路上の花摘―歩く盲―犬

 6、スプーン―老婆 

 7、ふるえている

 8、方眼紙の網目に小さな花や小さな顔がかかっている

 9、ふるえている

 10、床にも空にも                  (24)

 

助けてくれと嘆願する手                 (25)

 

額の風、額はとらわれている               (26) 

 

 

ふるえの多彩さを列挙した24節以外にも、じつに多様なふるえがある。

土方はこれらの微細な差異を踊り分けていたのだ。

ひとことで衰弱体といっても、その内容が実に多岐に渡っていることが分かる。

じつはこれまで紹介してきたあらゆる十体もまた、

衰弱体のなかのバリエーションに過ぎなかったとさえ言える。

眼には見えない微細なふるえの差異の中に、

命の多様な共振をすべて埋め込み、秘めてしまうこと。

これが衰弱体を謎で包まれた技法にしていた秘密であった。

 

読者の方にも強くおすすめする。

これらの微小な差異はあまりに微細なので、頭で読んだだけでは分からない。

からだで読むこと。

これらの微細な差異を踊り分けることのできる身体技法を磨くこと。

命の微細なふるえは、実に多彩なふるえ方をしている。

その無限の深さにからだごと跳び込むこと。

虫や鳥や子犬のふるえに学ぶこと。

ヨイヨイの人の手に学ぶこと。

木の葉のそよぎ、そよふく風の多彩さに学ぶこと。

生命にたどり着くにはこの狭い道を通る以外ないのだ。

 

命は情報ではない。

頭や言葉でバッサリ規定したり否定したりする乱暴なやりかたでは

命から遠ざかるばかりなのだ。