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第6章 衰弱十体

 

●もっともか弱いみすぼらしい動きを探せ

からだの闇に潜り、もっとも人間から遠い、もっともみすぼらしいサブボディのクオリアを探す。そして<序破急>を聴きながらそのサブボディになりこんで踊る。もっともみすぼらしい動きに最高の<序破急>を与えることで、それが世界で一つの美に転生する。サブボディは、世界の果ての不幸と共振することができるからだに変成する。

からだの闇に耳を澄ますと、じつにさまざまなクオリアが聴こえる。そのほとんどのシグナルは一瞬かすめて去っていく。さっとよぎる体感、なにものかの気配、ふとかすめる感情、かすかな思い、ひとりでに動き出すかすかな振るえ、などなどだ。その中からもっとも人間から遠いもの、人間的でない動きを探る。胎児の頃に見ていた下等動物の動きの夢を思い出す。自分の奥底に潜んでいるできそこないの影の人格、弱弱しく、みっともないもの、見苦しいもの、ほとんど死に瀕しているものであればあるほどいい。

そういう一見もっともみずぼらしいサブボディこそ、最強の共振力をもっている。これがわたしの発見だ。地球の裏側の不幸とさえ共振する力をもつ。

思えばわたしが衝撃を受けた1970年の土方巽の舞踏は、水俣病で苦しみつつ死んでいった多くの死者と共振していた。その共振力がわたしをここまで運んできた。その衝撃波は今なお生きて続いているのだ。踊るならばそういう踊りを踊れ。5000年も続く衝撃波を生み出せ。これがサブボディメソッドの本懐だ世界で最深の舞踏技法だと、自認するゆえんだ。

ここに来たいがために何十年も暗がりをさまよってきた。長い道のりだった。だが、自分が抱えた疑問や問題を強く握り締め、たゆまず探究し続けていればいつかは自分の本当にやりたいことに達することができる。若い人にもそのことを伝えたい。

 

いいかい、ここが肝腎な点だからもう一度言う。サブボディ舞踏はきみの自我や自己の表現ではない。40億年の命が君のからだを借りて生と死の間で踊るのだ。動きは最も人間から遠い、みすぼらしいものであればあるほどいい。ダンスにはわかっていない点だが、かっこいいすばらしい動き、強い動きは、動けない弱者を威嚇する。世界との共振はそこで断たれる。健康者以外は排除された近代という井の中の社会の見世物だ。この世の醜悪な不幸をすべて切り捨て、醜いものと共振することを拒否した偏狭で利己的な美だ。世界と共振するためには、最も強い共振力をもつ、もっとも弱く瀕死寸前の動きをからだの闇からつかみ出さねばならない。そして、それを最高の<序破急>で見せる。一言で言えば、それがサブボディ舞踏の極意だ。

 

 衰弱体から衰弱十体へ

十年ほど前に自分の十体を創り始めた。

静寂体から始まって、粘菌体、原初体、獣体、伸縮体、傀儡体、異貌体、憑依体、風雲体、透明体の十体が始まりだった。

その後十年の間に、それらは三十体ほどに増えた。だが、いま、それらの多くはダンスの十体だったのだと気づいた。動きの健康な気持ちよさに掬われると危ない。それは動けない弱者を威嚇し、放逐する西洋近代の人間概念に加担してしまうのだ。

舞踏には舞踏の衰弱体がある。土方が収集し続けた衰弱体は、私のからだの中で十年かけて微分増幅され、いつのまにか衰弱十体に増殖した。衰弱体とは死界と生界の間でゆらぐからだに変成することだ。人間崩壊のプロセスを、腑抜けになる寸前の精密さで味わい続けること。生と死の間のかすかなゆらぎの中に衰弱十体は無数に潜んで、閉ざされた異次元から開畳したがっている。

 

変成体

わたしたちが胎児の頃、まだ自分が人間だったと知らなかった頃には、多くの下等動物のクオリアで動く夢を見ていた。からだの闇の中のサブボディにはそれらの夢が封印されている。粘菌やアメーバ、水母や海星(ヒトデ)、石や風、これらのものにメタモルフォーゼ(変成)したいというクオリア胎像流が詰まっているのだ。

異貌体

眇めや白目をし、顔をゆがめていると自分のからだの闇の中に潜んでいる劣等人格、ユングの言う影の人格たちを呼び出すことができるようになる。はしっこいやつ、油断もすきもないやつ、とてつもなくずるいやつ、つぎつぎとありえない代替現実を考案するやつ、泣き続けているやつ、とびきりひょうきんなやつ、などなど次から次へと出てくる。彼らは皆異貌の自己である。彼らのすべてと友になることが自全(自分の全体)へ近づく道である。

・侏儒体

からだの関節をことごとく収縮させると一種異様な小人人格が出てくる。そして、異次元から妙なことを口走る。侏儒は時を越えたユングのいう元型的な存在で年齢がない。世阿弥の能における翁のような重要な役目を果たすことができる。

喪心体

私は感情の自由が利かない。幼い頃、母と祖母から相次いで捨てられ、悲しみの感情を出せなくなってしまった。感情が動かないと姿かたちは人間でも心のないヒューマノイドそっくりになってしまう。何者かに人としての神経とこころを盗まれたヒューマノイドとは私の宿命であり、また現代人が陥っている地獄を覗けば誰もが多かれ少なかれヒューマノイド化していることが見て取れる。ヒューマノイドは情報化社会特有の衰弱体である。日本や西欧社会の街を歩けば角ごとに無数のヒューマノイドに出会う。

傀儡体

フィジカルなからだを他人に操作されている。制度に食われた人間の壊れ方である。かつて土方が見出した傀儡の動きを、私は英語でワークショップを続けているうちに、BT(ベンド・ターン)と名づけた。ヒューマノイドに似るが、こころを失ったというよりは、むしろからだが制度に取られてしまった人なのだ。

妄想体

カナ火箸を持って金切り声を上げているのは、なにも戦前の東北に限らない。妄想に苦しめられることは人間特有の特権なのだ。インドにもチベットにも西洋にも、妄想に乗っ取られた人は無数にいる。被害妄想から自己卑下妄想、自我肥大妄想までさまざまある。妄想という人間特有の壊れ方をたどりつくすことこそ人間を果てまであじわいつくすことだ。

憑依体

自分のからだの闇で動くクオリア流を自分でコントロールできなくなった人は、外部からなにかの霊や力に憑依された状態になるときがある。逆にクオリア流を自分で自在に制御できれば、憑依状態になりこめるようになる。

私の祖母は死者の霊を憑依し呼び出すことのできる霊媒だった。近所の人に頼まれるとその家に行き、護摩を焚いておがみはじめ、やがて死者の霊が祖母に降りてくる。祖母の声音が一変し、生きた人へ死者からの言葉を伝える。5歳の私はそれをぽかんと間近でながめつつ、人間の秘密をじっくり味わっていた。いまようやく祖母の境地に少しだけ近づくことができるようになった。

修羅体

まさか自分の中に一人の修羅が棲んでいるなどとは50歳を超えるまで知らなかった。インドへ来てこの練習場を立てる中で、日本とインドの間に横たわる時間意識や美意識のあまりのギャップに思い切り蹴躓いて、俺の中から一匹の修羅が躍り出た。おそらく分娩体験前後に生まれ、50年間息を潜めていた生物学的怒りの持ち主だ。わたしはいまだにこの分身だけはうまく制御することができない。

崩壊体

生まれながらに壊れている人、生まれてから何らかの事情で壊れていった人、インドを始めアジアの町には道端に崩壊寸前の人が転がっている。東欧では生まれながらに遺伝子が一つ少ないために柔和になったダウン症の人々と何ヶ月か一緒に踊りを作った。いつのまにか彼ら独特の柔和に壊れた動きが私のからだに棲みつき、私の舞踏を代表する踊り手に育った。舞踏家に変成するとは、じぶんのからだに何人もの崩壊体を住まわせ続けることだ。

臨死体

若くして私の多くの友人たちは、反戦反政府闘争の中で命を落とした。山崎、辻、橋本、本多、望月……頭を割られて死んだ彼らが、私の夢枕に立ってまといつくことから解放されたくて私は踊りを始めた。私の踊りのからだの半分は彼らのものである。

致死体

死んだからだが冷えていく時間がある。臨死から致死にいたるわずかな時間の変化を味わいつくすこと。生と死の間で起こる最大の劇的な変化である。これを踊れない限り死を踊ることなどできない。死を踊れなければ生を踊れるわけがない。裏面のない硬貨を見せられて誰が納得できるだろう。

臨生体

舞踏とは死者に転生することである。死者の棲む他界から、死者としてこの生きた世界へまなざしを送ること。土方が終生を賭けた衰弱体の舞踏で行っていたのは、この他界からのまなざしを送り続けることであった。それを分っていない舞踏家が多い。20歳の私はそのまなざしに震撼してここまで来た。臨生のまなざしはときを超えて国境を超えて響く。そういう舞踏を踊れるようになれねば、舞踏をやる意味などない。だが、その道ははるかにはるかに遠いのだ。

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