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第5章 天地共振

土方巽 夏の嵐 1973(中島徹撮影8mmフィルムより)

 

●土方舞踏とサブボディ舞踏の違い

土方巽の舞踏と、50年後のサブボディ舞踏との違いは創造の方法論にある。

土方は自らが発見した舞踏を、言葉と写真や画集の切抜きによるイメージを与えることで、ほかの人に振付けた。主に、弟子の芦川羊子が動きをつくり、ほかの人に振り写しをした。当時はそれしか方法がなかったのだ。

サブボディ舞踏では、誰かが誰かに振り付けるという方法を一切取らない。舞踏は自分のからだの闇から自分でつかみ出す。

私は土方自身が見出した、からだの闇に馳せ降り、闇の中でくぐもっているものらと交信し、もっとも深いからだの闇から馳せ上がり、とんでもない舞踏を創造していく道筋を解明した。

35年間土方の舞踏をからだの中に飼って、すがりつき、とうとう解明しぬいたのだ。

だから、サブボディ舞踏メソッドに従えば、誰もが、ひとりひとり自分のからだの闇に潜り、自分の深いくぐもりと響きあう自分のサブボディのなかから、舞踏の種を探り当て、それを全脳心身で支援し、からだごとそれになりこみ、自分自身の美意識を開き、世界でただ一つの舞踏に磨き上げていくことができる。

とてもクリアだ。その方法を天地共振技法という。自分のからだの闇の底に棲む妖怪、サブボディの声を聴き、世界の果ての不幸、美の国の先っちょまでを共振させる技法だ。

 

●天地共振技法1―からだの闇を馳せ降りる

まず、日常意識を止める。呼吸法や瞑想やからだの体感クオリアに集中する無数の方法がある。

ここでは、そのひとつ、だれでも入りやすい、からだのゆらぎを聴く方法を紹介しよう。

1.静かな、人に邪魔されない環境を選び、楽な姿勢で座る

2.ゆっくりからだがゆらぐに任せる。自分が一番気持ちのいい速度や振幅で。

からだのゆらぎにもいろいろある。からだの脊髄に集中し、根元の尾てい骨からゆらぎがはじまり、じょじょに上に上げていく方法。からだを体液の詰まった水袋と捉えて、ドロッとした体液がゆらぎだすにまかせる粘菌技法。呼吸する体腔を意識し、腔腸動物のように体腔を膨らましたりすぼめたりしつつゆらぐ方法。その他無数にあるが割愛する。

3.灰柱になって歩行する

からだがそこそこ緩んできたら、立ち上がり、両足の間にこぶし一つ入る狭い歩幅で立つ。

自分の物理的からだも、意識も燃え尽きて灰になってしまったからだになる。

ゆっくり体重を片方の足に移動する。軽くなったほうの足を前に運ぶ。体重をその足に注ぎ込む。灰柱としてゆらぎつつできるだけゆっくり歩を進めていく。

4.からだの闇に自分固有の妙なクオリアを探る

歩くからだに耳を澄ましていると、やがて、かすかにさまざまなクオリアが立ち上ってくるのが感じられる。クオリアとは意識の下部で命が感じているものすべてを指す。意識を止めたときにだけそのかすかな気配を察知することができる。
体感や、思考、妄念、記憶、思いつき、映像、情動、なにかとの関係、世界像……さまざまなものが次から次へと出てくる。
とてもかすかな、しかも一瞬で消えていくものだ。
それらが出てくるに任せる。その中から、自分のからだの闇に潜んでいるとても変な体感クオリアが出てくるのを待つ。誰のからだにもとんでもなく奇妙なクオリアが潜んでいる。それは瞬間気配を見せてはすぐ消えていく。その一瞬を捉える。サブボディがサブシグナルを送って顔を見せる瞬間はとても短い。取り逃がしたら、またやってくるのを待たねばならない。だが、同じものはもう二度とやってこないかもしれない。意識と下意識のすれすれのところに耳を澄まし、細心の注意で待ち受ける。

5.固有クオリアにからだごと乗り込む

なにか、新鮮な感じがする奇妙なクオリアが浮かび上がる瞬間を捉えたら、すかさずそれを支援する。どこかの部位から始まるかすかなクオリアのゆらぎに、からだごと乗り込んで励ます。うごめきだす気配が震えであれば震えを、うねりであればうねりに乗り込む。

少しずつ、からだの感じが流動化してくるはずだ。

6.からだの闇に反転して降りていく

流動化してきたサブボディが、そのまま明るいほうへ、伸びやかなほうへ、気持ちがいいほうへ行きたがるのをこらえる。からだの闇にはそれだけではない、気持ちよさと反対のクオリアも、それと同様詰まっている。その両者を等しく味わい、二つのクオリアの間で微細にゆらぐ。

ここが、ダンスと舞踏の分岐点だ。

気持ちのよいクオリアだけではなく、命がそれと反対のクオリアとの間でゆらいでいるのを感じ取る。
生と死、動と静、快と不快、光と闇、……
あらゆるものが揺らぎ立つ非二元の初源のゆらぎを捉える。
近代に意識が見落とし、近代のダンスがまたぎこしたものはこれだ。
サブボディは、それら近代から置き去りにされたものらに会いに行くことができる。
流動変容しつつあるサブボディを、もう一度からだの闇の底にくぐらせる。闇の中に妖怪扱いされて、封印されて泣いている、あるいは泣きもできずにうずくまっている妖怪サブボディに会いに行く。

7.明るいほうへ言ってはアブナイ!

からだが伸びたり流動化していくのは気持ちがいいが、快感につられてはおしまいだ。快感につられると、伸びようとするものの中に微細に混じっている逆のものを見逃してしまうから。

大事なのは、生の中に死を聴き取る鋭敏な耳なのだ。そしてその微細な生死ゆらぎを増幅し、死に瀕しているもの、壊れかけていくもの、見る影もなくなっていくもの、そちらの側につくのが舞踏なのだ。弱い弱いもの、衰弱して、いまにも息を引き取って消え入りそうなものの側につく。

強者、健康者の側について踊ったら、弱者を威嚇する死神になるだけだ。

8.サブボディのくぐもりにつく

舞踏とは自分の中のもっとも弱いもの、壊れそうなもの、自分にも未知の、人間界に出てくることを妨げられて、からだの闇にうずくまるサブボディのくぐもりにつくことなのだ。

それは、抑えられた欲望の発露や表現といった健康なこととはまったく逆のものだ。サブボディにつくとは、禁じられたとんでもない妖怪そのものになりこんで、この世に住まわせることなのだ。

叫んだりすることの逆、自己表現の逆、エゴの逆。そんな見慣れたものではなく、もっと得体の知れぬものとなることだ。それらは、世界のすべての死者や不幸と共振している。そのかすかな共振を聴き取る耳を育てることなのだ。

ここまで降りてはじめて、踊りは世界の天地と共振するものとなる。

 

●天地共振技法2――からだの闇から馳せ昇る

9.サブボディの産婆となる

そこから、からだの闇を馳せ昇る。もちろんかんたんには動き出してくれない。長年からだの闇の底に閉じ込められ、妖怪扱いされて、人間界に出てくることを許されなかったのがサブボディだ。

ためしに、親身になってなにか語りかけてみる。

「どうしてこんなところにいるの?」「誰に閉じ込められたの?」、「何をしたから閉じ込められたの。いいから好きなふうにやってごらん」……何を語りかけてもサブボディは一言も答えない。身をよじり、身もだえするばかりだ。彼らの殆どは言葉など覚える前に生まれ、サブボディとしてここに封印されたものたちだ。言葉など使えない。中にはきみが胎内にいたころにできたのもいる。そういうサブボディは自分が人間であることも知らない。とんでもない動きが出てくるのはそういうサブボディからだ。

きみはただ、サブボディの産婆になる。全脳心身で共感して励まし続ける。

10.からだごと乗込んでサブボディと一体になる

サブボディから、すこしでも、かすかな兆しや震えが出始めたら、すかさずからだごと乗り込んでいく。言葉をつかわない彼らと共振するにはそれしか方法はない。心の中で以下のように励まし続ける。「そうそう、どんなふうに動きたいか、何と関わりたいか、どんな感じか、からだで見せてごらん。ここではなんでもありだ。なにをしてもいいから思い切っておやり」

その妖怪サブボディが、どんな奇妙なことを始めてもたじろがないで必死でからだごと付いていく。どんな突拍子もないことが出てくるかも知れない。なにしろ妖怪サブボディは、自分が人間であるなどとは思っていない。床をのたうつかもしれない。舌がけいれんするかもしれない。奇妙な声が出るかも、出そうとしても出ないかも知れない。なにかに?まれているクオリアかも知れない。不自由な動きかも知れない。それを腑抜けになる寸前の精密さでたどる。自分の中にこんな奇妙なやつが棲んでいたのか、と驚くに違いない。そう驚かされるとき、きみは正真正銘のサブボディに出会っているのだ。

11.サブボディが次元転換していくに任せる

すこしでも奇妙な動きを動き出せば、あとはサブボディの行くままに任せればいい。サブボディになりこんでいっしょに動く。「いいぞ、もっとやれ、どんどん好きなふうに動け。動きに飽きたら、好きなチャンネルに飛び移っていいぞ。」

サブボディは、下等動物の体感や動きの不自由さのチャンネルから、奇妙な映像、死者のささやく音像チャンネル、地霊にいたぶられる触像チャンネル、封印されていた感情チャンネル、世にも不思議な関係チャンネル、世界像の終わりのチャンネルを開くかも知れない。長年からだの闇でうずくまっていたあいだ、サブボディは世界の果ての不幸と共振して震えていた。妖怪はとりわけ不幸に共振する力が強いのだ。サブボディは人間界のしきたりを知らないから、とんでもない展開をしていくだろう。きみはただただ必死でからだでついていく。

12.舞踏の種から舞踏そのものへ

ついにきみのからだの闇から舞踏の妖怪、サブボディが立ち上がった。ここからさきは、舞踏の精にすがりつく。サブボディの踊りを、サブボディ自身の美意識にしたがって磨き上げていく。くれぐれも言うが、この世の規範に染め上げられた君自身の美意識ではない、サブボディにはサブボディの世界独特の美意識がある。それに耳を澄ます。

13.序破急を聴く

サブボディの世界は、多次元流動世界だ。3次元ぽっきりのこの世とは似ても似つかない。一つの次元から、別の次元へどんどん移り変わっていく。そこで起こるのは、一つの次元に小さく折り畳まれていた別の異次元が開く<異次元開畳>という、この世では見慣れない事態なのだ。その異次元開畳の序破急に耳を澄ます。

サブボディが、この世の次元で動いているとき、その向こうですでに別の異次元がうごめきだす気配が聴こえてくる。なにか異次元が出てきそうな兆しに耳を澄ましつつ、兆しを秘める。漏れ出そうになる間合いを、堪えに堪え、溜めに溜め、秘兆に徹する。それが<序>だ。

14.異次元を開畳する

舞踏手にとっても、見所にとっても、秘兆の限界に達し、耐えられなくなったとき、いよいよ異次元が開畳する。どんな異界なのか、出てくるまで分らない。一つの異界が出てくるにはたったひとつだけの最適の間合いがある。その間合いを見つけ、異界を開畳する。

それが<破>である。<序>における秘兆と溜めが十分であったときだけ、舞踏手が異界を開畳し踊り込むと同時に、見所もまた同時に開畳した異界に巻き込まれる。溜めや間合いが重要なのは、見所を引き連れて異次元を開畳するためなのだ。それが踊りの中で創造と伝達が一つになるということだ。

15.花と謎

一つの踊りで、<破>は一つに限らない。ひとつのチャンネルの踊りの中に、べつのチャンネルの異次元が開畳し、<破>を重ねていく。その度に、舞踏手は見所もまた異界に転生できているかを透明に離見する。そして、一つのチャンネルの踊りから別の次元への開畳を重ねていく。そのうちに、個別のチャンネルに分化しない、まるごとクオリアの踊りが開畳していく。最後の異次元はもうどこへも開かない。いわばそこで見所と舞踏手が一体になって異次元に転生し、成仏するのが、<急>だ。そこが、地獄のクオリアと天国のクオリアと共振する舞踏の花を開かせる場所だ。だが、花といっても異界の花だ。謎に包まれている。ひとつのくぐもりを解けば、さらに大きな謎に包まれる。花は深い謎に包まれて咲いてこそ花になる。

16.見舞一体の異界臨生

花と謎に満ちた<急>へ。天地共振の極へ。そこへ見舞一体となって、上り詰めるために舞踏手は「手数を尽くし、もみ寄せ」ていく。見所もまた舞踏手と同じ、天地共振する異界の住人へと幻容してはじめて、異界からこの世をみつめる臨生のまなざしを得ることができる。

天地共振の中で、見所舞踏手一体の異界臨生を果たすことが、舞踏の序破急成就となる。そこでひとつの舞踏は終わることができる。

天地共振技法の「天」とは、元型的な言い方をすれば、天国の天であり、地とは「地獄」の地だと捉えてもいい。天地共振とは、からだの闇の中の天国と地獄が共振しあうという意味だ。天国とは美の住まう世界。地獄は不美の極だ。
サブボディ舞踏はそれらの元型を打ち砕く。
二元的な元型世界を超えて、これまで対極的だと思われていた不美と美、最も醜いものが最も美しいものと響きあうことを垣間見させる。

そのときだけ世界は驚天動地して震えだす。


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