第3章 非空非時


からだの闇で妖怪が泣いている

さて、これから舞踏の国に降りていこう。かつては土方一人が発見したからだの闇への坑道をいまでは誰でも降りていけるようになった。そこではきみの舞踏の精が待っていてくれるだろう。

舞踏が開く次元は、この日常世界ではない。日常世界は「合意的現実」という一種の共同幻想に囚われた意識にとってだけ成立している世界である。今日では学校教育を受けたすべての人がその共同幻想を信じているので、誰も疑わない。それ以外の現実があるなどと教えられもしなかったし、疑い方も教えられなかった。みんなで、そろって共同催眠にかかっているようなものだ。

その「合意的現実」という催眠から醒めるとき、私たちの前にもう一つの現実が開かれる。

舞踏が降りていくのはその非空非時の世界である。

そこは生者死者、人と獣、自と他が自在に入れ替わることのできる世界である。ありとあるクオリア(意識ではなく命が感じているものごとの質感、体感、実感の総称)が、多次元を変容流動している。

そんな世界がどこにあるかだって? 君も毎日夢に見ているじゃないか。夢は多次元を変容流動しているクオリアの海からのサブシグナルなのだ。あるいは下意識や無意識という言葉で呼ばれることの多い世界だ。それらの言葉はフロイド、ユングをはじめとする心理学者によって使い倒され無数の誤解と解釈が積み重ねられて、いまではほぼ無効な用語になった。ミンデルは二次プロセスと呼ぶ。中沢新一は流動的知性と呼ぶ。わたしは土方にならってからだの闇という言葉を使う。

からだの闇の中には、人間界に出て来れなかった妖怪が震えて泣いている。人間として育てられた者なら、誰のからだの闇にも窮屈に身を折り畳まれて封印されている妖怪がうずくまっている。

人間界からは妖怪あつかいされたが、それは人間の新しい可能性の芽じゃないか。産業社会の役に立たないからという理由で詰まれた芽が、からだの闇にくぐもりひしめいているのだ。

わたしはそれをサブボディと呼んだ。もうそろそろサブボディや解放してやろうじゃないか。きみのからだの底でむずむずうごめいている気配がしないか?

いったいどのようにしたら、サブボディの世界へ降りていけるのか。

その世界はとても微細なもののなかに折り畳まれている。

かそけきかそけき国へ

まず、日常の言語意識を止めることだ。言語意識がはたらく通常の意識状態は、左脳右脳のすべてが言語野とのつながりを活性化させた状態だ。その状態では言語意識の下層で流れているもうひとつのクオリア思考の流れを捉えることができない。それらは大きなエネルギーを持った言語思考にマスキングされて、気づくことができない。

多少訓練はいるが、呼吸法や瞑想や自己催眠によって言語意識を止めることができれば、いつも君のからだの闇を流れているクオリアの海の動きを感じとることができる。

そして、サブボディは、君が感じているクオリアのなかの、さらにほんのちいさなかげり、ふとしたふるえのような微細な世界に折り畳まれ封じこまれている。

その極小のクオリアのゆらぎに棲む舞踏の精の気配を見つけて、なりこんでいく。全脳心身で応援してやれば、そのちいさなふるえが、サブボディ舞踏に育っていく。

なぜ人間界に出てこれなかったのか。妖怪の声を聴いてやれ。といっても、その妖怪サブボディはきみが自分を人間だと知る以前に成立したものだから、人間の言葉をしゃべれない。サブボディとコミュニケートするには、全脳心身でその動きになりこむ以外道はない。サブボディがどう動きたがっているか、その通りに動いていくだけでいい。なにになりたいのか、なにをしたいのか、やっているだけで分かるものだ。

そこは、生と死の間で絶えず微妙にゆらぎ、変容している世界だ。固定したものはなにひとつない。生まれそうになってはすぐに消えかかる。無と有の間、死と生の間でゆらいでいる。

無限に微細な、ほんのゆらぎやかげりに過ぎないクオリアの中に、生死の間のあらゆる惨劇や途方もない事件が詰まっている。

舞踏が開畳するのはそのような異次元である。


●灰柱の歩行

自分の物理的な身体も意識もなにもかも燃え尽きてしまって、ただひとはしらの灰柱となって突っ立つ。「舞踏とは命がけで突っ立つ死体である」という土方のことばを待つまでもなく、まずはこれが舞踏の基本中の基本である。日々何回となく繰り返す。一尺四方の空間があればどこでも立てる。

灰柱は、少しでも粗大な生体の動きをすると一瞬にして崩れ落ちてしまう。灰柱を崩さないように、できるだけひっそりゆっくりと灰になった身を運ぶ。

その灰柱の灰の粒子と粒子の隙間に極小の異次元が折り畳まれている。歩くにつれ、灰と灰の間に折り畳まれていた異次元が開畳しようとうごめきだす。

それがサブボディの気配だ。かすかなうごめきの気配に集中する。灰を一粒崩してうごめきだす気配を捕まえる。


●異界との狭間でゆらぐ舞踏の巣

どんな妖怪が出てこようとしているのか、まだ分らない。ただ、微細な気配が聴こえてくるようになれば、灰柱のゆらぎには無数に多様で微細な気配が詰まっていることに気づくはずだ。

からだの闇の中の異界という異界が、炸裂して出てこようとするのだが、成功せず死産して費え去ってしまう。

見も知らぬ異界のいきもの、地霊、精霊、死霊、悪霊たちがからだの中のちいさな灰の粒子の間から炸裂して出たがっている。

そんな異界の芽や卵を無数にかかえみなぎらせたからだを運ぶ。それが異界ゆらぎ=舞踏の巣の歩行である。(詳しい練習法は、第9章「異界ゆらぎ」に書いた。参照してください。)

土方巽が1973年、彼自身が観客の前で踊ることを断念した最後の年、いわば舞踏の生死の頂点で見せた「静かな家」におけるほとんど動きのない歩行、だが、からだのすべてが一歩ごとに異界にずれ出ては戻ってくるという精妙至極な衰弱体は、このようなあふれる異界の気配に満ちた舞踏の巣を運ぶ技法によって成立している。

決して大きな動きに発展させてはいけない。異界の気配が、ちいさな粒や卵のまま無数に炸裂して費え去っていくに任せるのだ。

この、灰柱から舞踏の巣の歩行を日に何本か、全身全霊をこめて行うこと。これである。これを続けることが舞踏の世界に触れる、まず第一歩である。

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