舞踏論   土方巽に捧げる
第3部 21世紀の「病める舞姫」

 
 『病める舞姫」は都合4種類出版されている。
ここでは全集版による。

第301章 あなたのからだの闇の「病める舞姫」

(舞踏論の構成が複雑化してきた。
章分けの整理が必要だ。
舞踏全般にわたる第一部は1章からはじめ、
『静かな家』の深層を探る第二部は201章から、
『病める舞姫』に取り組む第三部は301章からはじめることにする。)


土方巽の主著、『病める舞姫』とはなにか。
難解な書である。
どんな謎と秘密が込められているのか。
ほとんど主語述語の文法規則を無視し、
命が無規則に多次元共振している
非二元世界をそのまま描き出そうとしている。
十数年かかったが、ようやくそこに描かれているものの
本質が何であるのかが透けて見えるようになってきた。
この書は頭で読んでも何のことか見当もつかない。
土方巽の最後のソロ「静かな家のための覚書き」に
取り組んだここ数年の共振塾ヒマラヤでの
死にものぐるいの実践によってその闇が少しずつ透明になってきたのだ。
静かな家における「赤い神様」と「癇の花」という
2つの重要なキーワードを解くことによって、
『病める舞姫』に描かれてものの本質をつかむことができる。

土方は、彼の思いだせない記憶を掘り返し、
吹雪の中で、台所の暗がりで、奥座敷で寝たきりの
さまざまな癇のからだに凝り固まった人間群像を彫りだした。
病める舞姫とはそれらの癇に凝り固まり、
奇形化した人間原像の総称なのだ。

誰がいったいこんなからだにしたのか。
前近代東北の村に住む人々をとりまく
分厚い禁制や黙契、重苦しい人間関係のむすぼれ、
戦争を遂行する国家の餌食になって死んだ土方の兄弟姉妹たちを含む
無数の死者もまた主人公の一部だ。

土方はそれら、国家―村―家族―個人を包囲し縛り付ける
分厚い共同幻想の暴暴の嵐、
人間を翻弄し変形する力を総称して「赤い神様」と名付けた。
みんなその見えない魔王のしわざによって、
とんでもないからだになってしまった。
その癇のからだを、無限肯定し、癇の花に転化しようとしたのが
土方の壮大な舞踏マジックだった。

その壮大なこの世と冥界を統合する背後世界という
舞台装置の構造をつかむことによって、
いよいよ共振塾では来年度より、『病める舞姫』を
からだで読み解く実践的共同研究をはじめることができそうだ。
若い外国人がほとんどを占める共振塾では、
いや、現代の21世紀社会では、土方が取り出した19世紀―20世紀東北の
癇のからだの現実をあるがままに理解することは至難の技である。
ほぼ百年、一世紀のギャップがある。
だが、人間の脳心身に癇をもたらす社会の不可視の力は変わってはいない。
それが前近代の戦争国家や、村の前近代的人間関係から
現代的な高度情報国家社会に姿を変えただけだ。
相変わらず、現代の国家も人間の脳心身を締め付け続けている。
高度に調合されたマス情報の洪水の中で、
生きた生命共振はますます忘れ去られ、
21世紀特有の奇形化された人間群が生産されている。
人の情操を持たないヒューマノイドのような人々が
世界中の都会を彷徨している。
その真っただ中に、21世紀の癇のからだを掘り出し、
無限肯定し、それを癇の花に転化する技を編み出すことが
今世紀の舞踏家の仕事である。

自分のからだの闇を深く深く掘り探るだけでよい。
その仕方を知らない人々が多いが、
方法さえつかめば、国境や文化の違いを超え、
誰のからだの闇も無限の創造の宝庫である。

そう。あなたのからだの闇の底に、
21世紀の病める舞姫は潜んでいるのだ。

いかにからだで読むか

この本は頭で読んではなんにもならないと書いた。
ではなんで読むのか。
からだで読むのだ。
からだ(註:「からだ」というとき、脳心身全体を指している)ごと、
どっぷり『病める舞姫』の世界に飛び込み、
からだで泳ぐことによってのみ、
この非二元かつ多次元の生命共振世界を旅する術を身につけることができる。
そこはすぐれて高次な世界なのだ。
日常の低次な二元論的言語で分析したり、解説しようとするような試みは
この世界独特の非二元かつ多次元共振性を破壊し、
低次元化することにしかならない。

では、まず準備体操を始めよう。

 

思考を止める

このサイトの「実技ガイド」を開き、調体法一番の「ゆらぎ瞑想」か二番の「ふるえ瞑想」をはじめてください。
簡単だ。
静かな場所を選んで、からだを落ち着かせ、静かに骨盤を回す。
あるいは上下左右前後にごく小さな振動を起こす。
その体感に耳を澄まし続ける。

生命に聴く。
「何が一番したいことだい?」
もちろん言葉での答えなどない。
生命は言葉を使わない。
そのかわり、からだの闇を流れているさまざまなクオリアが
ごく微細な変化を示すだろう。

からだのどこかが伸びたくなったらそれにしたがう。
忘れていた記憶や夢を思い出したら、それを味わう。
とにかく、からだの闇でおこっているごくごくかすかなクオリアに
耳を澄まし続ける。
いろいろなクオリアを味わえるようになるまで続ける。

これが『病める舞姫』を読むにあたってもっとも大事な準備だ。

 

からだに耳を澄まし続ける

この状態を続けながら一語一語ゆっくり読みはじめます。
ひとつの言葉に対してからだの闇にどんな反応が起こるか、
しずかに耳を澄まし続けてください。
生命はかならず、なんらかの共振反応を示すはずです。
それをからだ(全脳心身)で味わうことが、
この本を生きた舞踏譜として読むことなのだ。

もし、なんの生命共振クオリアも感じられなければ、
それは調体不足を示している。
もっと長時間腑抜けになるまで、
ゆらぎやふるえを精密に味わい続けてください。

 

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