舞踏論   第3部
 21世紀の「病める舞姫」

 
 『病める舞姫」は都合4種類出版されている。
ここでは全集版による。

第300章 『病める舞姫』 原文 

(註 [カギカッコ内]の小見出しは、叙述との対応の便宜のためにリーが付加した。
一切の付加や変更なしのもとの原文(全集版)は、299章に掲載します。)


[1 そげた腰のけむり虫]


「そうらみろや、息がなくても虫は生きているよ。あれをみろ、そげた腰のけむり虫がこっちに歩いてくる。あれはきっと何かの生まれ変わりの途中の虫であろうな」。言いきかされたような観察にお裾分けされてゆくような体のくもらし方で、私は育てられてきた。

[ からだの無用さを知った老人の縮まりや気配り]

からだの無用さを知った老人の縮まりや気配りが、私のまわりを彷徨していたからであろう。

[ ただ生きているだけみたいな私の少年]

私の少年も、何の気もなくて急に馬鹿みたいになり、ただ生きているだけみたいな異様な明るさを保っていた。

[ 胡散臭いものや呪われたようなものに転んでいく視線]

そのくせ、胡散臭いものや呪われたようなものに視線が転んでいき、名もない鉛の玉や紐などに過剰な好奇心を持ったりした。鉛の玉や紐は休んだ振りをしているのだなどと、スパイのような目を働かすのであった。

[2 世界に呑まれるからだ]

私は魚の目玉に指を通したり、ゴムの鳩を抱いた少女に言い寄ったりして、それからそれと生きてきたが、いつも実のところ脈をとられているような気分で発育してきた。
私は雪にしょっちゅう食べられかかっていたし、秋になれば、ばったにも噛まれた。梅雨どきには鯰に切られ、春先にはざくらっと川に呑まれたりして、自然に視線が、そういうものに傾いていったのであろう。

[ 単調で不安なものが乱入してくるからだ]

塩鮭を板で叩いたり、炎天下のリヤカーを眺めたり、ガラスに凹凸のある薬瓶を懐かしがったり、いちぢく浣腸を使っている人を訝しがったりした。
梅雨どきの台所にある赤錆びた包丁の暗さを探っては、そういう所に立って、涙の拭き具合を真剣に練習したりしていた。
からだの中に単調で不安なものが乱入してくるから、からだに霞をかけて、かすかに事物を捏造する機会を狙っていたのかもしれない。

[3 虫と熱]

しょっちゅう腹に虫をわかし、虫も尻の穴の下のあたりをゆっくり蠢いていた。時には、尻の穴から出てくることもあった。裏の畑の青物を食べ過ぎたせいであったろうか。
また炎天下を走りすぎてそうなったのか、しょっちゅう熱を出して、赤いものや、青いものを、吐いていた。
大人達は、「こりゃ、えたいの知れねえ熱だ。」と言うのであった。
そう言われてみると、俺は何かに守られているのだという安堵感が、私をさらに虫の息に近づけるような、そういった塩梅の膨れ方をしていたのである。
どんな災難もあっさり解決してしまうような性癖や、情弱で無意志に近いものの芽が、からだに吹き出るようだった。

[4 泣く女と泣く物象の共振]

それにしても、昔の電球はよく震えていた。その下で泣く女がどこにでも見受けられ、女のまわりに泣く物象も見受けられ、泣いている女がその物象を絞っているのではないかと案じられもした。
脳はいつも私の頭から四センチばかり離れたところで浮いていたが、この脳は白魚や錆びた鼠取りを恐ろしがっていたのだ。

[5 煤け姫]

誰でも、甘い懐かしい、そして絶望的な憧憬に見舞われたことがあるにちがいない。ずかすかと自分から姫君に近づき彼女と舞踏する決心をし、姫君の体温を自分の血管の中に抱きしめた経験を持っていることだろう。
私の姫君は煤けていて、足に綿を巻いていたが、ときおり、額で辺りを窺うような格好で手には包丁を持っている。ところが、それもつかの間で、ふにゃふにゃとした笑いのみを残して、眠りに落ちていった。

[6 乳呑児]

乳呑児の寝息を窺い観察すると、その寝息はくちゃついた湿気をおびているもので、ストローで吸い上げるような円筒形の空気ではなかった。
この落書きのような乳呑児にはどんな世界が孵っているのだろう。
この児のまわりに揺らぐほとんど見定め難いまやかしの雰囲気や、奇矯なものを捕らえているかのよな脱臼したかたちに長く対面すると、急に乳呑児の口からポーロを奪う人非人のような飢餓感を満腹させたくなるのだ。

[7 からだだけで密談する]

人間、追いつめられれば、からだだけで密談するようになる。
芥子菜のような物腰で口の中から変わり玉を出したり、お尻の辺りから無臭の煙玉を手に載せて見せたりする婆さんが近所にいて、よく私はからかわれた。私が流しに立って、みみずを見つめているような子供だったからかもしれない。
子供は誰でも、都合よく機会を逃したいという期待に綿々たる恋慕をもち、それにそった息遣いで生きているものだ。蝦蟇の霊気のことや、亀の子石鹸の臭いがついた小学生の私は、もうそこで一生以上のものを送っているような気がしていた。
それからまた、軒下に吊るされたメリヤスの股引やシャツに撫でられて、途方に暮れたり、打ち負かされてしまうような思いもあった。
そういうことはたくさんあったが、私の家から三軒置いた家の高橋のお母さんは、いつも家の中のものに手を触れようとしないので薄気味悪がられてもいた。

[8 睨む女と棒になる私]

ある日、家の中で着物の着付けをしている女の人が、畳から一本の紐を銜えて少し伸び上がった。それから、恐ろしい顔になって帯のうしろに手を廻し、きっとした目付きで私の方を睨んだことがあった。
私はすうっと裏口から出ていって、もさっとした静かな家裏の廂に立て掛けてある変哲もない棒を見ていたことがあった。いつの間にか私は棒になって遊んでいた。

[9 隠れた様子]

確かに私にも、サイダーを飲んだりしてはしゃぎ踊ることもあった。しかしめりめり怒って飯を喰らう大人や、からだを道具にして骨身を削って働く人が多かったので、私は感情が哀れな陰影と化すような抽象的なところに棲みつくようになっていた。あんまり遠くへは行けないのだからという表情がそのなかに隠れていて、私に話しかけるような気配を感じさせるのだった。この隠れた様子は、一切の属性から離れた現実のような顔をしていたが、私自身も欠伸されているような状態に似ていたので、呼吸も次第に控えめにならざるをえなかった。

[ 媒介のないからだ]

私のからだは喋らなかったが、稚いものや羞じらいをもつものとは糸の切れているところに宿っている何かを、確かに感じとっていたらしい。からだは、いつも出てゆくようにして、からだに帰ってきていた。額はいつも開かれていたが、何も目に入らないかのようになっていた。歩きながら躓き転ぶ寸前に、あっさり花になってしまうような、媒介のない手続きの欠けたからだにもなっていた。そういうからだを手術しようとも私は思わない。手術できるものでもないだろうが。あまり楽しいときは、踊らないことにしているのだ。

[10 茫とした姿]

饐えた昼飯の臭いなどを嗅ぎながら、粉を吹いている酸っぱい茄子の漬け物の色のまわりで吸い上げていった、茫とした姿こそ大事なものであったのだろう。

[11 電髪の女]

塗り箸を齧っている少年の退屈さや、電気が通っているような髪の毛を逆立てて座敷に上がってくる女の人などに、私は不安とおそれを感じていた。みんな爆発の中を通ってああなったのだろうか。しかし、何で腫れ上がった脚があんなにもわたしのまわりに多く見かけられたのか。何かに嘲笑われていたものが、 そういうふうに私に見せていたのか。いくら眺めても、黄色い光で射された布の類いや、変哲もない白っぽく消えかかった黄色い顔が、私の目の前に浮かんでくる。
そのそばに、耳まで真っ赤にして泣いている子供もいたし、目から赤い涙を出し口から糸を吐くという噂ゆえに、小突かれている少年も育っていたのだ。耳垂れやトラホームが流行っていたあの頃は、控えめに光も使われて、こういうものを探るように照らしていたのだろう。
便所の臭いをぷんぷんさせている女生徒のそばにも、少し壊れかけて腐っているものが、そっと寄り添っていたようだ。

[ すでに踊らされてしまったような感じ]

私は白く汚れて、持たっと泣いている子供たちの方へいつも近づいていった。喰えなくなるほど育った葱の方へも吼えに行った。
私は何者かによってすでに踊らされてしまったような感じにとらわれた。
私は湯気に包まれるか、ただぽしゃらっと生命を失った物体のようになっていた。からだ自体の感ずる重力の無さ加減が、ふと思うことのなかに浮かんだ形を素早く食べてしまうような身振りを、私に教えてもいたのだろう。

[ 忘れられたからだ]

私の挙動には。情愛めいたものや分別めいたものが入り込む隙がなくなっていたようだ。
からだが自分の持ち物でないように、手脚を忘れからだ自体にも忘れられていたのであろう。
目に入ってくるものをつかめない証拠に、私は濡れた紙が黄ばんで乾き、その上に蝶々が止まっていたのを、小半時も眺めるようなところに立っていたのだ。
その故か、今でも私は饅頭を食べるときの箸の滑りを不安がるのだろう。
夕方になると急に元気がなくなったり、元気が出たりするう移ろい易い感情の行方は、私のからだに融け込んでしまって、捜すことも、精密にその行方をたどることも難しくなってしまっている。

[ 中腰のなかに滲みでている暗がりの練習]

しかし、こういう忘れられたからだの状態でも、漬物樽の上に白い粉を吹いている石の重さは忘れられない。石を持ち上げ、のびきった茄子を引き上げるときの中腰と、その中腰のなかに滲み出ている暗がりは、自然にからだに備わっていたものであろうが、私は練習もしていたのだ。

[12 絹の糸を怖がらぬようになるまで]

絹の糸を怖がらぬ様になるまで私は長い年月をかけたし、水屋に立って荒い息を吐きながら、使いものにもならない二つの乳房をたらしていた女を、美しいものだと認めるには、これもまた、さまざまな屈折を重ねてきたのである。

[13 輪郭をはずされたからだ]

いろいろなものが、輪郭をはずされたからだに纏いつき、それを剥がすと新しい風が印刷されるように感じられたが、風の方でもまちがいを起こし、私もまたあやまちを重ねただけにすぎなかったのだろう。

[ 空気の中の見えない大きな生きものを見る額の目玉]

額に目玉をつけてなければ、ぶらぶらとそこらじゅうに吊り下がってるものたちの争いに喰われてしまうし、空気のなかの見えない大きな生きものも見ることはできないのだ。そういうところにからだがはさまっていたようだ。私はよく買い喰いをした。買い喰いの汚れた顔で表を歩いていた。途中ですれちがう犬に飴やするめを擦りつけて食べ直していた。そういう私で、あった・・・・・・・。

[14 あまりにも放って置かれたからだ]

石川五右衛門が出て来そうな空模様の下でコトコトと煮物の音が聞こえていた。むしろ、聞こえて欲しいと願っていたのだろう。聞こえるには聞こえているが、畳の目にあまり目玉を貸し過ぎて、考えの糸が切れていたのかもしれない。余りにも放って置かれたからだのことに、ついつい考えが及ぶようになっていた。

[ 湯気に掠め奪られたからだ]

薄暗がりに炊かれた釜から吹きあげる湯気に吹かれていると、喰い気がなくなり、考えることも湯気のようになり、作り話のようなからだに育ってゆくのだった。こうして私は湯気にも掠め奪られてしまっていた。掠め奪られ、またすでに踊られてしまっているのに、それを奪い返し再生し続けるにはどうやればいいのか見当もつかないでいた。ぼやぼやと立ち昇る湯気の中には、私を笑っているような盲や獅子が隠れていたのだろうか。手で水を縛る思いのようにうまくゆかないもの、難儀なものが湯気の中に混じってもいた。

[ 私だけが踊られてしまっていたのではなかった]

いまにして思えば、濡れ雑巾に刺さっている魚の骨を懐かしがっているようなところにしか、辿りつけぬ行方がひそんでいたのかもしれない。私だけが踊られてしまっていたのではなかった。ぼわっとした子供たちを眺める豚を、じっと見つめ返していたこともあるし、鶏が空を見上げているようなうすら寒い日の下に立ったこともある。そういうとき私は、柱に噛みついて歯形をつけたり、畑の苦い胡瓜のことなど忘れようとしたりしていた。

[ 誰も知らない音の中に棲んでいる生きもの]

家の中で皺くちゃな紙を延ばしている人から、誰も知らない音の中に棲んでいる生きものの姿が覗かれたであろうに、私の若いからだは無理もない方へ、つまり飴色のゴムの靴下止めを迂回したり、恐がっている方へ、堕ちていったのだ。

[15 喰われ続けるからだ]

日暮れまで表で遊んでいて、声帯が黒砂糖のように甘く潰れかかっていた。昼間のほてりが夕方になっても抜け落ちないほどに、上着のボタンも潰れていた。家の中に入るなり、割り箸の先に綿をまき、黒い塗り薬を塗ったものを、這いつくばった尻にトントンと挿入された。帰ったあとはそんなわけで、そばにいた小動物の逃げ足の角度から、夕暮れがつながっていくというような風景があった。赤トンボに小さな虫が混じって顔にぶつかってくる。その虫を喉深く飲んでしまったので、いがらっぽい表情が私のからだにずっとつながっているのだろう。青っ洟をたらしているからだにアブもはげしくぶつかっていた。そんなからだの状態でいろいろな菓子を私は喰っていた。香煎、ザラメ、黒砂糖、生姜煎餅のカケラ、味噌パン、ねじり、拳骨飴、バクダン、バナナ菓子などだ。そういうものを食べているとどういうわけか、家の中から痩せた男がちょろちょろと出てきて、裏の畑に鍬を入れ、葱を抜いたりしていた。木通や李、巴旦杏、茱萸、すぐりなどを喰っているそばを、青い顔をした人が非常に早く走り去っていったのも不思議であった。こうしたあるいは密偵のような、敏速に見え隠れしながら連絡をとっているものたちと同じく、わたしは単純種だった。稚い古さやいろんな煙と別れ別れになって暮らしすぎると、舌を長々と出してふざけるだけで、誰でも一つ目小僧になれることすら忘れてしまう。泣いているものと溶けているものの区別がつかなくなり、「ああ、助けてくれーっ。」と叫んでいる子供の声も何かしら芝居じみて聴こえてきて、私は水底に降りていけなくなる。家の中の畳や障子はいつ見てもかわりばえしない面を保っていた。物も恋する機会を持てないのかと察せられる日が続いた。そんなとき私は、身を捩り地団駄踏んで暴れ騒ぐのだが、からだの中を蝕む空っぽの広がりの速さに負けてくるのであった。喰いたい菓子や飴が本当に口に入らないということが解ると、平べったい犬や、紐のように延びた猫が頭のまわりに浮かんでくるのであった。犬も猫も飴なのだからというような奇妙な決め方をしていた。空に迅速な異変でも起こらぬ限り、このからだは、こうして喰われ続けていくのだろうということばかり考えていた。

[16 ズタズタに引き裂かれた神様]

どこの家へ行ってもズタズタに引き裂かれた神様の一人や二人はいたし、どこの家の中にも魂の激情をもう抑えきれない人が坐っていて、あの懐かしい金火箸を握って金切り声を出して叫んでいた。
腑抜けになる寸前のありったけの精密さを味わっているこれらの人々を、私は理解できるような気がして、眺めていたのだろう。

[17 人間である根拠はもうまわりの方からも崩れていた]


 確かに、めざとく見つけ出したものなどは、こういう状態に較べれば、おおかたは破損され、型の亡骸でしかないものだろう。人間である根拠はもうまわりの方からも崩れていたから、私が考えなくてもいいように眺められたのだろう。

[18 物達の物腰に脅かされている関係]

茄子をもいでいる静かでひょろっとした人や、ぶぁぶぁ飛んでいる蝶や、あの確かな太さを持っている醤油瓶や、豆炭の重さや金槌の重さだって、寒いところから帰ってきたような浴衣だって、みな人間の激情をそそのかしているものなのだった。こういうわずかばかりの道具類に接した解剖の場で、疑わしいような惑わされているような不透明なからだはヒステリーを起こしていたのだろう。しかしもしこういう物達の物腰に脅かされている関係から眺めたら、息のほうが、ひとりでにからだのなかからでていくようなことがおこるのかもしれないと思い、警戒しいしい暮らしを暗く仕立てていたはずだ。人間を驚かすキラっとした眼の介入を、無意識のうちに一種の疾病として片付けていたのかも知れないのだ。

[19 病弱な舞姫のレッスン]

寝たり起きたりの病弱な人が、家の中の暗いところでいつも唸っていた。畳にからだを魚のように放してやるような習慣は、この病弱な舞姫のレッスンから習い覚えたものと言えるだろう。彼女のからだは願いごとをしているような輪郭でできているかに眺められたが、それとてどこかで破裂して実ったもののような暗さに捉えられてしまうのだった。誰もが知らない向こう側の冥さ、この暗い甦りめいた始まりを覚えていなかっただろう。だから教わって習うなどできないようなところで、私も息をついて育っていったのである。こういう病人を眺めさせっれると、弁慶の泣き処を棒のようなもので思いっきり殴られて、からだを解きほぐしたいといういう欲望が、からだから削ぎ出されてくるのだった。が、たいがいのとき、からだは無欲で畸形の影を跨ぐようにして動いた。

[ 舞姫に混有されてしまう私]

何にでも噛みつかれるからだを、構成し捉え直したいと思わぬでもなかったが、この寝たり起きたりの病弱な舞姫の存在の付け根にそって靡いてしまい、私はすぐにこの舞姫に混有されてしまうのだった。

[20 はぐれていく方にどっぷりと浸かってくる私の観察]

綴っている洟水の音がかすかに精神に似ているといったからだで、私は縁の下の暗がりと同じような色をしている鶏を眺めて過ごし、馬の歯をすっかり忘れて暮らしていた。蛙や風船にお辞儀されるようなところへばっかりからだがもっていかれた。おぼつかない脈絡をたどり過ぎたのか、切り爪を紙にくるんで笑っているような人が、輪郭もたどれないコールタール塀の前に出現する人にかかわりすぎたのか、そのような溜息の詰まった箪笥の抽斗が滑って出てくるように、私は走って生きて来てしまったのだ。どんなに心のなかを照らしても、犬のように後になり、先になりして、じゃれついている動きが、からだの中からあっさり消えるわけがないだろう。私は丸い足首を動かして遊びながら、埃と手拭いの臭いのする母親の肩にさわったり、もじゃもじゃの肩を指でいじりながら、薬罐の音を聞いたりする。彼女の口の大きな不気味さから目をそらして、自分を見ていない目玉を感じながら、剃らないために残っている顔の産毛に安心したりしている。魂はそういうところに隠れていて、どんな顔の中の目玉でもすぐ見えるようにはできていないのだろう。だがいつになったら自然な状態で茹で卵の皮を丹念に剥けるように振る舞える男になれるのか。別にそういう男の挙動に注目しなくてもいいではないかと思えば思うほど、私の観察ははぐれていく方にどっぷりと浸ってくるようだ。

[ 影が光に息をつかさせているような塩梅]

飴の中に巣ができているものを舐めては、私はよく舌を切った。目を患っているアイスクリーム売りの涼しさを、ひやっとする医者よりも際限がないと眺めたりしていた。そして、そういう涼しいところにさしかかると、不意に動きを止めて強張ったりするのである。そのまわりには煤けた思いや蝕まれた影なども棲んでいたが、心配ごととして見ていたようなものが、ふっと安心ごとに変わりもする。そういうものを、ほどいたり消したりする必要がない息の明暗が、私のからだにつながってしまっているのであろう。ともかく、影が光に息をつかさせているような塩梅が好きだったのであろう。ところが、にがい薬を入れずに水を掻き混ぜて飲んでしまったからだが、人中に入ると化け損なったからだとなって現れてきて、大騒ぎになるのであった。

[21 ぼんやりした心の薄暗がり]

ぐったりした心持ちにつながっていなければ、人の行き交いはつかめぬものかもしれない。鯰、泥鰌、寒鮒などを神品として大事にすることも、じゃらじゃら顔を撫でるようにして飴をくれる人を追っ駆けていって丁寧に頭を下げていた仕草も、ぼんやりとした心のこの暗がりに放してやれるものだ。この暗がりのなかに隠れることを好んだり、そこで壊されたがったりしているものがなければ、どうして目をあけて視ることなどできるだろう。
湯掻いたり水に漬けて何日も鍋の中に入れられている山菜や豆類を眺めていたことも、風の騒ぐ日に限って鶏肉を売りに来た、淫蕩めいていてあっさりした女の人に座敷の中を追い廻されたことなども、このぼんやりした暗がりに心細くつながってくるのだ。

[22 寝床には神様も潜り込む]

どんな人の寝顔も言い表わし難い化粧をしているように覗かれる。寝床には神様も潜り込むのだろう。からだの寸法も決まるようだ。

[23 見えているものは暗い穴そのもの]

あの見えているものは確かに馬や牛だが、あれは暗い穴そのものなのか、その穴の中に入って見えなくなってしまうものだろう。



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『病める舞姫』第一章全文を書き写した。
これは英語に翻訳するために必要な基礎作業である。
第一章を書き写していているうちに
知らず知らず土方の文体の息遣いに共振していったのだろう。
書き写しながら、突然思い知った。
これは生命共振をできるかぎりの精密さでたどった書なのだ。
そこでは現実界のように主体や客体が定かには分離していない。
文法が捩れ、主語述語が不分明になっているのも、
からだの闇で起こっているクオリアの共振を、
あたうかぎりそのまま捉えようとするための必然の工夫である。
生命共振の世界には主体と客体の分離などない。
クオリアは共振によって、たえまなく混融かつ分離し、
入れ替わり、一体化し、新しい創発をも折込み、
変容を続けている。
土方が頼んで手を入れてもらった三好豊一郎や
その他の友人の手が入る前は、
もっともっと混沌としていただろう。
その混沌こそが非二元世界の特徴なのだ。
その混沌の闇は友人たちの手によって
少しばかり澄んで見通しがよくなった。
これは現実世界と折り合うための
ギリギリの選択だったのだ。
どうして土方にこういうことができたのか、
想像を絶するばかりの驚異の作業である。
おそらく、土方はユングの発見したアクティブ・イマジネーションと同じ方法を独自に発見していたのだ。
しかもそれをもっと精密かつ根本的に行った。
病弱な舞姫やからだの無用さを知った老人と共振し
「腑抜けになる寸前の精密さで」書き留めた。
それが『病める舞姫』という奇跡の書となった。
生きている間に、こんな豊かな生命の共振言語そのものに
出会えたことは限りない幸いだ。


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