舞踏論   土方巽に捧げる
 

第28章 めまいや震えや花影のゆれ



9 (密度を運ぶ)

 

鏡の裏―光の壁

密度を運ぶ自在さの中には、めまいや震えや花影のゆれがひそんでいる。

 

 

とんでもない創造の秘密がこんな短い言葉の奥に隠されていようとは、

土方の『静かな家」を読み始めて十三年目の今日にして

はじめて知った。

この行はおそらく何千回も読んだだろう。

だがわたしの目は今日まで節穴だったのだ。

 

光の壁を越えて、鏡の裏の世界へ入っていく。

そこは物質の世界ではなく、生命共振の国、クオリアの世界だ。

その世界では密度を自在に運ぶことができる。

空気や霞のような密度から、液体になり、うごめく生き物になり、

死せる石の密度にまで成り込む。

その自在さを獲得するには秘密の得度がいる。

それが、めまいや震えや花影のゆれなのだ。

ほんの少しでも考えたりしてしまったら終わりだ。

言語思考のつまらない二元論に縛られて

密度を運ぶ自在さは逃げてしまう。

 

土方は実に端的にその秘密を開示している。

なのに、いままで見過ごしてきたのだ。

情けないが、いつもこんなものだ。

 

めまいや震えやゆらぎの体感は、鏡の裏に入る特別の切符なのだ。

それも一般的なものではなく、そのひと独自の体感が必要だ。

たとえば、秋田出身の土方にとって鏡の裏の世界に入るために、

寒さのクオリアはぜひとも必要なものだった。

ほんの少し両手を擦り合わせるだけでよかった。

それで幼少期に飯詰めのなかで凍えきってしまった脚に成り込むことができた。

秋田から東京に出てきた時のほんのかすかなめまいに似た感覚を思い出すだけで、

秋田でも東京でもない独自のクオリアの世界に入り込むことができた。

 

舞踏家はみなそのひと独自の切符を見つけねばならない。

君自身の花影の揺れに出会った体感を思い出せ。

ここで土方はそう言っているのだ。

 

今年の5月18日、生徒たちにこのことを伝えた。

わたし独自の体感も交えて。

そして、第十一節のキメラのクオリアから好きなクオリアを選んで、

自分独自のクオリアも加えて踊りを創った。

 

すると、この日驚くべきことに

生徒全員からおそろしくリアルな踊りが出てきた。

今年最高の、いや

わたしの生涯で最高の創造の噴出に遭遇した。

改めてこの節で土方が伝えようとした極意の重大さを知った。

独自のめまいや震えやゆらぎの体感は、

第十六節の「からだの踊り場に挟まってくるものを克服し絡みつかせること」と同様に

踊りの血液の必須成分なのだ。

 

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