舞踏論   土方巽に捧げる

第26章 
楽しいときは踊らない

「わたしは楽しいときには踊らないことにしているのですよ」
――長い間土方巽のこのことばが魚の刺のように
からだの闇に突き刺さっていた。

半分は分かるが、半分は謎だった。
わたしのからだの中に、
楽しい踊りに感応する要素があることを
否定できなかったからだ。
昔幼い頃から踊るのが好きだった。
幼年期に町内会で見た近所の老婆や老人が見せる
卑猥な芸に驚いた。
「おおおそそ」という出し物や、裸のフリチン踊りに
手放しで笑い転げる町内会の雰囲気にたまげていた。
小中学時代には町の盆踊りに興じた。
高校時代には紀伊半島を徒歩で一周しながら
村々の盆踊りをはしごして飛び入りで村の娘たちと踊った。
どの村も一見の異界からの訪問者を暖かく迎えてくれた。
若い頃はゴーゴーやディスコに興じ、
バレエやダンスの公演があれば必ず最前列か
最後列の席を取り、一緒になって踊った。
最前列では脚を自由に動かせるし、
最後列では上半身をどう動かしても後ろで迷惑になる
観客がいないからだ。
40代になって青年期の政治闘争で受けた
執行猶予期間が明けて外国を旅行できるようになると
各国で伝統舞踊や民族舞踊を学んだ。
インドネシア、タイ、インド、東欧、南米、ハワイ……
どの国の踊りも大好きだった。
ヨーロッパやアメリカでは都市ごとの
コンタクトインプロジャムやトレーニングキャンプを渡り歩いた。
だが、ここ十年、ぷっつりとそれが已んだ。
いつの間にかわたしもまた楽しいときには踊れなくなっていた。
何かが、はた、と変わったのだ。
だが、この自分の中に起こった変化を
長いこと理解できなかった。

いったいないが起こったのか?
どうも今わたしの命が求めている
サブボディの踊りは
楽しいときにリズムに乗って踊る踊りとは
どこかが違うのだ。
だが、何が違うのか、というとなかなかはっきりしない。

「舞踏とは冷え切ったからだになって
はじめて踊れるものなんですよ」
――これは、大野一雄の息子さんの大野義人の言葉だ。
昔の舞踏仲間から転送されてきた
桂勘からの手紙の一節にあった。
大野一雄と競演するときの義人はいつも
石像か、氷像のように突っ立ていた。
ひたすら、魂の霞のように踊る一雄の舞を
引き立たせるべく<動かない>を踊った。
大野義人もまた決して楽しいときに踊る人ではあるまい。
今のわたしも楽しいときには踊れない。
わたしの命が創りだしたいのは、
楽しいときに踊る踊りとは根本的に違うものだ。
どこが違うのか?

楽しいときに踊る踊りは<元型>にとりつかれている。
伝統的な踊りも民族的な踊りもまた、
<踊りという元型>に囚われている。
その<元型>を命がけで脱ぎ捨てたときに
はじめてサブボディが顔を出す。
人類史の中で、絶対的創出といえる
たった一つの踊りが発明される。

そういうことだったのだ。
私のからだの闇に突き刺さっていた刺が
わたしに告げようとしていたものは。



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