舞踏論   土方巽に捧げる
 

第23章 病める舞姫

虫の這行(ほうこう)―究極の衰弱体

 

土方の創った「虫の歩行」のテキストは奥が深い。
初心者用の練習舞踏譜にも使えるし、
最後の一行には(意志即虫・物質感)と書き添えられており 
虫の這うクオリアを、固有のクオリアに替えることで、
自分独自の舞踏に深めていくことができる。
そしてさらに、歩行から這って進むしかないからだでこれを行うことで
さらに一段と衰弱の度を深めていくことができる。
虫の歩行を「命がけで突っ立つ死体」として十分練習を重ねたら、

次はその逆の衰弱体「立とうとしても立てないからだ」でそれを行う。

これを「虫の這行(ほうこう)」と呼ぶ。

 

これは畳の上に放たれのたうつ魚のような病める舞姫の動きや、

フラマンと名付けられている床上を這う振り付けのための必須のレッスン、

いわば衰弱体の第二章から最終章へ降りていく坑道である。

 
病める舞姫


「寝たり起きたりの病弱な人が、家の中の暗いところでいつも唸っていた。

畳にからだを魚のように放してやるような習慣は、

この病弱な舞姫のレッスンから習い覚えたものと言えるだろう。

彼女のからだは願い事をしているような輪郭で出来ているかに眺められたが、

それとてどこかで破裂して実ったもののような暗さに捉えられてしまうのだった。

誰もが知らない向こう側の冥(くら)さ、

この暗い甦りめいた始まりを覚えていなかっただろう。

だから教わって習うことなどできないようなところで、

わたしも息をついて育っていったのである。

こういう病人を眺めさせられると、弁慶の泣き処を棒のようなものでおもいっきり殴られて、

からだを解きほぐしたいという欲望が、からだから剥ぎ出されてくるのだった。

が、たいがいのとき、からだは無欲で畸型の影を跨ぐようにして動いた。

何にでも噛み付かれるからだを、構成し捉え直したいと思わぬでもなかったが、

この寝たり起きたりの病弱な舞姫の存在の付け根に沿って靡いてしまい、

わたしはすぐにこの舞姫に混有されてしまうのだった。」 『病める舞姫』

 
フラマンの寝技


病める舞姫は1977年に執筆されているが、
1973年の『静かな家』の舞踏譜にはすでにフラマンの寝技と呼ばれて登場している。

第3節

「馬肉の夢

座しきから引き出されて来た男

・・・

フラマンの寝技をつかう」

 

土方巽の故郷、東北秋田では年に一度か二度あるかないかの

馬肉を食うハレの日があった。

その日には家の座敷の奥の暗い部屋で寝たきりになっている老人も

這いでてきて馬肉を喰らう。

それは生きている証となる祝祭なのだ。

日頃動けぬからだでも、非日常の祭りの時には火事場の馬鹿力がでる。

40億年間生き延びてきた生命が、

持てるあらゆる叡智を搾り出して食い物の場ににじり寄る。

虫の這行は、生まれたばかりの生命であるアメーバの動きや、

生まれたての昆虫や獣などのあらゆる叡智を使って這い進む。

その立てぬからだに虫が付く。

ヨイヨイの震えに、虫の刺激が重層化される。

極限の衰弱体は、衰弱のクオリアが無限に重層化されて出来上がる。

 

 

究極の衰弱体

 

疱瘡譚の土方は、自分のソロを二部に分けた。

はじめのソロは死に物狂いで突っ立つ死体の舞踏、

二つ目のソロはもはや立つこともままならぬ究極の衰弱体で踊った。

これがフラマンの寝技、座しきから引き出されて来た男だ。

土方はこれらの病める舞姫のパートに疱瘡や癩病などの名を付けた。

土方の衰弱体の舞踏の序破急の中でも急の中の急の部分である。
 

このからだに至りつくには、

次のような衰弱のクオリアを重層的に身にまとっていく。

 

原生的生命の叡智

 

原生動物であるアメーバの動きには40億年間の生命の叡智が詰まっている。

 

@ゾルゲル変換

体液の流動性をわずかに変えることで匍匐前進の動きを生みだす。

アメーバは前方に食物の匂いや気配を嗅ぎつけると、

それに近い部分の細胞液の流動性がわずかに高まる。

これをゾル化と呼ぶ。

するとその部分は前方の食物に向かって流れだすように近づく。

そして前に出た部分の流動性が落ち、わずかに固まり仮足となる。

これがゲル化である。

ゲル化した仮足の部分が地面を捉え、他の部分がそれを支点にしてより集まってくる。

瀕死となった病める舞姫が使うのはこのもっとも原生的なアメーバや粘菌の動きである。

古畳の上を渾身の力を振り絞ってにじり寄る。

すべての細胞が太古の叡智を思い出して共振する。

これが基本である。

 

A重力に身をまかす

粘菌やアメーバは前方ににじり寄っていくと、

ある部分が盛り上がることがある。

盛り上がった部分は位置エネルギーを持っている。

それを脱力して落とすとき、わずかに前方に流れ落ちるように身をまかす。

わずかでも前へ、前へ、からだじゅうの叡智を振り絞って進む。

 

B落ちろとき肘を回す

にじり寄るからだは肘や膝によってからだの重さが支えられている。

頭をもたげてそれが落ちるときに支えている肘を前方に回転させると、

わずかにからだ全体が前方に運ばれる。

からだごと頭の重さにひきずられるようにのめりこんでいく。

 

C痙攣を利用する

ときどきからだが不随意に痙攣する。

魚が跳ねるような背骨の原始的反応が出てくる時もある。

その不随意な痙攣的反応をも前進する力に使う。

@からCの動きは不自由なからだを使って動かねばならない人なら

誰もが無意識に使っているギリギリの生命の叡智である。
(わたしは若い頃ギックリ腰の持病があり、
何日も起き上がれないからだに何度もなったことがある。
以上の粘菌やアメーバの叡智はそのなかで学び身につけた。)

 

 

無限重層化

 

寝たきりの人の切羽詰ったぎりぎりの動きでにじり寄る。

すでにさまざまな病気で不自由になったヨイヨイのからだである。

そこに虫やさまざまな衰弱のクオリアを重層化させていくことによって

土方の衰弱体は無限の深まりを見せる。

 

「指先の尖たんにメスカリン注射がうたれる。

そこには小さな花や小さな顔が生まれる」(「静かな家」第10節)

 

「手ぼけの羅漢に虫がつく―小さな花―糸―はかり」(同第17節)

 

「すべてのマチエールは背後によってささえられている。

複眼と重層化は混濁し一体のものとなる」(同第10節)

  

もっとも衰弱したからだでしか見せることのできない

最後の最後の生命の叡智を身にまとって踊る。

粗大なものすべてを脱ぎ捨て、

微細に微細に重層化を重ねていく。

あらゆるものが混濁し非二元域で一体化するまでそれを続ける。

それでようやく生命に近づくことができる。

これが生命の舞踏なのだ。

 

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