舞踏論   土方巽に捧げる

第229章 いのちの創造性

生命の無限の創造性はクオリア=クオリア共振から生まれる

生命の創造性とは何か?
なぜ生命は無限の創造性をもつのか?
この40億年間の生命史の間に、生命は驚くほど多様な共振パターンを創造してきた。
発生当初の原初生命はおそらくごくごくわずかなものとしかうまく共振できなかった。
水やアミノ酸、ナトリウムイオンやカルシウムイオンなど、
限られたものとしかうまく共振できなかった。
今日の多くの細胞がもつ酸素との共振さえうまくできず、
一億年以上深い海中や地底でしか生存できなかった。
生命はうまく共振できないものとは、よい共振パターンを発見するまでは、
ただ、安全な距離をとってひたすら待つ。
30億年ほど前に、プロテオバクテリアが酸素呼吸の仕方を発明すると、
ただちにその仕組みは、内部共生というしかたで
多くの単細胞生命に共有されるところとなった。
今日のほとんどの細胞が待つミトコンドリアは
内部共生していたプロテオバクテリアの名残である。
細胞生命は、あらゆるものとの共振パターンを、
クオリアという形で細胞内に保存している。
重力のクオリア、光のクオリア、酸素のクオリア、色のクオリア、
触感のクオリアなどなどという生命記憶として保存されている。
私達の指先が木に触れたとき、それを木として認識できるのは、
細胞内部に保存された木の触感のクオリアと、今現在触れている木のクオリアとが
同期共振することによっている。
もっとも多細胞生物となった私たちのからだでは、指先の感覚細胞が触れた
木のクオリアは、神経細胞を通じて、大脳のグリア細胞に保存されている
木のクオリアと共振することによって、石でも金属でもなく木であると認知される。

クオリアの大きな特徴は、クオリアとクオリア同士で共振することによって、
新しいクオリアを創造できる点にある。
たとえば、象のクオリアは誰もの大脳内に保存されている。
ピンクのクオリアもまた保存されている。
たまたま象のクオリアとピンクのクオリアが共振すると
<ピンクの象>という全く新しいクオリアが生まれる。
クオリアとクオリアの共振、それが生命の持つ無限の創造性の仕組みだ。
しかも生命クオリアは非二元かつ多次元時空で共振しているので
その創造の可能性は無限である。
その無限の生命の創造力を開くこと、それがサブボディ技法のエッセンスである。
それは二元的な情報に囚われた言語思考や判断を止めることによって可能となる。
土方巽があの無類の創造を発揮したのも、
生命の無限の創造力の開き方を身に着けていたからである。

解剖台の上のこうもり傘とミシンの出会い

ブルトンによってシュールレアリズムのバイブルとされたロートレアモンのこの言葉は、
意外なクオリアとクオリアの出会いによって
新しい創造が生まれることを語っている。
土方は1060年代に行った無数の「ハプニング」やダダ的な実験によって
その極意を追求した。
そして、1968年の伝説的な「肉体の叛乱」公演の後、
4年間まったく外部的な活動を停止して、アスベスト館二階の自室にこもり、
ひたすらからだの闇をむしり続けた4年間のうちに、
生死の境を超え、自他の境界を無化する
生命クオリアの無限の共振を開く坑道を掘り進めていった。
からだの闇に飼育する死んだ姉との交感によって、
人間の枠を超え、生死の境界、自他の分別を超える「死者の技法」を獲得した。
1972年から1976年までの爆発的な創造はそれによって起こった。
疱瘡譚、ギバサン、すさめ玉、静かな家などの衰弱体舞踏と、
自身のソロを中止して芦川羊子をはじめとする弟子に振りつけた
白桃房公演で花開いた超絶的な技巧に至る創造はすべて、
生命ののっぴきならないクオリア=クオリア共振が全面的に開花したことによる。

そのほんの一部を227章の<癇の花>で紹介した。

土方にとってこれらのクオリア共振による創造はのっぴきならない必然だった。
人生でこんなふうな豊かなクオリア=クオリア共振が起こって
無限の創造がわき起こってくることはめったにない。
土方の1970年代の数年間はそういう奇跡的な一瞬だった。
わたしたちは、生命にとってのっぴきならない絶対的創出が
起こる状態をいかに導くことができるかを探求し続けてきた。
日常意識を止めること、
情報への囚われから身を解くこと、
などはそのほんの入口にすぎない。
そこから固有の問題に直面する坑道を掘り下げること、
うまく共振できないクオリアのかすかな息吹に耳を傾けること、
ここから先がむずかしい。
無数の困難なエッジ・クオリアをかいくぐらなければならないからだ。
「癇の花」を咲かせること、はついに見つかった条件のひとつだ。
土方の創造性が花咲いた時期の舞踏譜に、<癇>のクオリアをめぐる惨めで醜く歪んだ生命状態からの創造に満ちているのは偶然ではない。
<癇>とは生命にとってうまく共振できないクオリアの総称である。
それを花に転化するとは、舞踏の動きという、うまい共振方法をみつけることだ。
その瞬間に、自他を超え、時空を超えた深い生命共振力を持つ創造が起こる。

からだの闇のかすかなかすかな思い出せないクオリアを探せ。
できれば触れたくないクオリアがうずくまっている場所がある。
それが<癇>だ。
なかなか触れることも真向かうこともできない。
自我はいつもそれと真向かうことから逃げだそうとしているからだ。
<癇>のクオアリアは、思い出せない悪夢、耐え難い情動、
気が狂いそうになるトラウマなどとともに息を止めて潜んでいる。
何十年も待った後にそれに直面できるようにあることもある。
土方もまた、死んだ姉を踊れるようになるまでには数十年の年月が必要だった。
障害者にとっての<癇>は、長い間に肉体的な歪みと心理的なクオリアの凝結が
ひとつになって凝り固まっている。
誰のからだの闇にも、気づかない<癇>が潜んでいる。
そのなにものかとうまく共振できないクオリアが、ついによい共振パターンを発見したとき、その瞬間に生命ののっぴきならない絶対的創出が起こる。
生命にとって深い共振を呼ぶ必然的な創造はその瞬間にだけ生まれるのだ。



←BACK(第22章) ■ NEXT(第24章)→