舞踏論   土方巽に捧げる

第228章 いのちの語法

<癇>のクオリアをいきなり探そうとしても無理だ。
それは、長年いのちに耳を澄まし続けているうちに、じょじょに出会っていくものだ。
そして、そのなかのどれかが、自分にとってのっぴきならないものだということが分かってくる。
土方もおそらく、そのようにして、ついに<癇>のクオリアに出会い、そのとりこになったのだ。
ここでは毎日どのようにしていのちに耳を澄ますか。その方法について紹介しよう。

命の語法

命から意識へいつもかすかなメッセージが届けられている。
それは意識の語法とは異なる。
言語を使わないで伝わるものだから、言語に慣れきった意識にはつかみにくい。
だが、ひとたび命の語法を会得すればつねに命とコンタクトすることができる。
私が外部からの言語情報の外圧のないヒマラヤで、探求してきたのはこの命独特の語法だ。
いくつか確かなものが見つかっているのでご紹介しよう。

からだのなかのもやもや

朝目覚め前にからだのなかのもやもやとした体感を探る。
すると、そこには一晩中命がやっていた仕事の残り香りが漂っている。
夜中に命がする仕事は、その日に起こった新しい体験のクオリアを整理することだ。
新しい体験はひとまず脳の海馬というところに保存される。
そして、一晩かけてそれらの一時記憶のうち長期記憶として保存するべきものと、廃棄するものに振り分けられる。
どういう仕組みでその選別が行われているのか?
眠っている間におそらく命はその日に得た新しいクオリアと過去に保存した内クオリアとをひとつひとつ突き合わせどういう共振が起こるかを試している。
そして既存の内クオリアとは異なる新鮮な共振が起これば、それは<新鮮なクオリア>として特定のグリアに永久保存される。
そしてこの新鮮なクオリアに対し、既存のグリア一つひとつと突き合わせが行われる。
夢の中でさまざまな映像やストリーリーが展開されているのは、この突き合わせ作業で起こっている出来事の反映だ。
そして、その新しいクオリアと既存の内クオリアとの間で、強い共振が起こればその新しいグリアと既存のグリアとの間にニューロンの分枝が形成される。
それが奇妙で新鮮な体感として明け方のからだのもやもやのなかに漂っているあの独特の
クオリアだ。
もやもやのなかにこの<奇妙かつ新鮮なクオリア>を見つければ、それをつかんで離さないことだ。
しばらくからだの闇のなかで揺すぶっているとそれがどんなものかが浮かび上がってくる。
それは新鮮な気づきや発見をもたらしてくれる。
<新奇なクオリア>
これが命からの第一の語法だ。

新しく長期保存された新入りクオリアは、だが、それ以外の無数のクオリアとはまだ、
密接な関係確立していない。
それは<どことなくしっくりこない>とか、<落ち着きの悪さ>という
つかみにくい奇妙な体感として感じられる。
明け方のもやもやの体感の中に、
この<落ち着きの悪さ>のクオリアが見つかれば、
それは新しいクオリアが創発された証拠である。
それはまだ定住して周囲と確かな共振を確立していない。
よい共振を探ろうと変容流動し続けている。
落ち着きの悪さのクオリアをからだの中で転がしていると
そのうちその新参クオリアが保存されている内クオリアと
新しい共振を創発することが多い。
この<落ち着きの悪さ>が命からの第二の語法だ。

以上は一時記憶から長期記憶に変換されるプロセスでのかすかなクオリアだ。
命の仕事は、だが、それだけではない。
もっと根底的に、昼間の意識がなにかに囚われて行っていることに対し
命が違和感を感じたときは<なんとなくそぐわない>とか、<かすかな不快感>のクオリアを発する。
ーこれが共振する生命からの第3の語法だ。
それは何かのクオリアと何かのクオリアが
うまく共振していないことを知らせるクオリアだ。
ここには根底的な命からのメッセージが含まれている。
命はいつもあらゆるクオリアとうまく共振する方法を探っている。
共振欲こそ命にとってもっとも根源的な欲望なのだ。
命から発する、<かすかなそぐわなさ>や、
<何ともいえない不快感>のかたちで届けられるものこそ、
もっとも大事な命からのメッセージである。
フォーカシングのジェンドリンがいう「フェルトセンス」や、
ミンデルの「センシエント」は、すべてこの命の語法に耳を傾けようとするものだ。

このかすかな不快感をつかんだら握りしめて手放さないことだ。
ごくごくかすかなものだが、このメッセージを解くと、
大きな発見に至ることが多い。

毎夜見る夢のなかでは、さまざまな映像やストーリーや
ビジョンとして現れてくる。
だが、夢の具体的な映像やストーリーは
その日に蓄積された一時記憶を長期記憶に変換するかどうかの
より分け作業の最中にアトランダムに古い内クオリアと結びつけられ
保存するかどうかの線上で発生したものなので
偶然の産物であることも多い。
夢を見たら、その夢の特異な映像やストーリーばかりではなく
その夢に漂う体感クオリアをつかんで、
からだの中でしばらく頃がしているとそのまま消えていくか、
前記の三大クオリア、
<新奇さ>、<落ち着きの悪さ>、そして
<かすかな不快感>
のどれかに帰着するかする。
この三つは命にとって大事なものだから、
忘れないように握りしめてからだの闇で揺すり続ける。
するといつしかそれと共振するクオリアが見つかって
何を言おうとしているのかが解けてくる。

数十年、命の技法を解こうとしてきた。
ようやくみっつばかりの少しは確かなことを
つかみ出すことができるところまできた。
それらは酷似しているので見分けにくいかもしれないが
あえて分別する必要はない。どちらにせよ、
<なにかのクオリアとなにかのクオリアがうまく共振していないクオリア>である。
共振を求める生命にとって祖型的な不快感に属するものだ。
からだの中にそれまでになかった感じ悪いものが感じられたら
それこそ創造の大チャンスだと思えばいい。

このいのちの語法に耳を澄ます作業を続けながら、ときどき、前項で紹介した土方の見つけた<癇の花>のクオリアを読み返してください。すこしずつ、共振が深まっていくだろう。



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