舞踏論   土方巽に捧げる

第225章 祖型的なもの

生命クオリアの祖型

ここ数年の「静かな家」探求のもっとも大きい成果の一つは生命クオリアの<祖型>の発見にある。
生命の舞踏は、そこからはじまる。
ユングは無意識の深層の集合的無意識のもつ形式として<元型>イメージを発見した。
影やアニマ・アニムス、老賢者、大母、童子、トリックスターなど、人類の原始時代に人間の心の基層に宿り、染み付いたイメージの元型群である。
<元型>概念を拡張すれば、フロイドが発見した自我や超自我も<元型>である。
ユングはそれら自己チャンネルの<元型>だけに注目したが、天国や地獄、災害、洪水といった世界チャンネルの<元型>も世界中の民族が共有している。
そこを跳梁する妖怪や幽霊、鬼や神や悪魔や妖精、天使などもみな<元型>である。

だが、それよりももっと深い形にならないものが<元型>を支えている。
人類がそれらの世界変動に直面するとき等しく命が脅かされ、震え上がる体動や情動・感覚の<祖型>群である。おびえ、ふるえ、ゆらぎ、こわばり、ひきつり、こごえ、ゆるみ、などなど、いのちとしての原初的な反応が<祖型的なもの>である。舞踏家はそれに通暁せねばならない。
元型は生命クオリアの祖型に支えられて出現した。

人類の心身状態を遡ると、それがはっきりする。
人類の祖先は700年前に類人猿から別れ、アフリカで進化を続け、10万年ほど前から何回かに別れてアフリカを出、世界各地に拡散してきた。
原始的な石器しか持たないか弱い原始人類の旅は苦難と悲惨に満ちていただろう。
彼らの多くは剣歯猫や狼の格好の餌食になっていたことが考古学調査でわかってきている。
地震や洪水や寒波などの天変地異に手もなく襲われ、生死スレスレのところで生き延びてきたのだ。
それらか弱い人類の祖先たちの恐怖に満ちた心身になりこんでみよう。
恐れや震え、凍え、引きつりといったあらゆる生命がもつ原生的なクオリアが心身の大部を占めていた。
それらの祖型的な感覚や体動・情動に満ちたか弱い心が無数の<元型>的なイメージを創りあげ、世代を超えて受け継がれてきた。
ユングは、西洋の学者だから有形的な形になったイメージに着目した。
だが、それら有形のイメージの基礎には無形の感覚や情動・体動が息づいていたはずだ。
意識優先の西洋的な知性はそれら無形の情動や体動・感覚を取るに足りないものとして跨ぎ越してしまう。
認知の枠外に追い出されてしまうのだ。
からだの闇に耳を澄まし続ける舞踏家だけがそれら無形の祖型情動・体動・感覚に通暁することとなった。
土方は、「静かな家」という最後のソロのための覚書きに舞踏家はそれら祖型的な情動や体動・感覚に通じていなければならないことを繰り返し強調している。

5 精神のかげりとして捉えられたもの

   きわめて緩慢な少女

   のびきったキリスト

   のびきったままおろされたキリスト

カンチュイン

狂王の手―虫、鳥、棒

坐せるカトンボ

これらはワルツによってほとんど踊られる

そうして、Xによる還元と再生はあの遠い森や、
目の巣から飛び立っている、

尚、死者は、これらのものにことごとく関与している

これらを舞踏するために、登場する何者かは、鳥のおびえ、
虫のおびえ
に、通じていなければならない。

 

9 (鏡の裏) 

鏡の裏―光の壁

 密度を運ぶ自在さの中には、めまいや震えや花影のゆれがひそんでいる。

 

10 (メスカリン) 

 手の恋愛と頭蓋のなかの模写は断絶してつながっている。

指さきの尖たんにメスカリン注射がうたれる。

そこには小さな花や小さな顔が生まれる。

 

12 崩れる 

  叫びと少女―くずれてゆく前のふるえ

 

16 場所を変えることの難しさ 

    体こそ踊り場であろう。手の踊り場、尻の踊り場、肘の裏の踊り場等。

    この場所が持つ深淵は、この踊り場にはさまってくるものを克服し、    
    からみつかせる事により成立する。

    それらが踊る際の血液になっているのだ。

 

19 (関節の小箱) 

   関節の小箱―ハンス・ベルメール―武将―王女―虎

  

21 (はもん) 

   背後からも内部からも襲われて、路上の花を摘む

   ふるえて、床にも、空にも、そのはもんは、拡がってゆく。

 

22 (ヘリオガバルス) 

   深淵図には複眼よりもむしろ皮膚への参加に注目されねばならない。

   ただ一回のヘルオガバルスがある、

   耐えるもの―それはめくるめく節度の別の顔であった

  

24 (ふるえ) 

鏡をこするとゆれる花影があった

 1、耐え忍ぶ剥製のとほうもないきたならしさ

 2、牛と木のワルツがふるえている

 3、鏡をこすると背後からゆれる花影があった

 4、ふるえている

 5、路上の花摘―歩く盲―犬

 6、スプーン―老婆 

 7、ふるえている

 8、方眼紙の網目に小さな花や小さな顔がかかっている

 9、ふるえている

 10、床にも空にも

27 
武将は女王になり、女王は関節の箱におさめられるだろう。

  その箱のなかからの生まれ変わりがフーピーという踊り子である。

 

震え、おびえ、めまい、ゆらぎ、恐れ、縮こまり、わだかまり、耐えるもの
これらの祖型的な感覚や体動・情動が人間のからだの各部に挟み込まれている。
それらは外傷体験やトラウマ、悪夢やノット・ミー、解離された人格などの惨めな矮小化された形でからだの闇にわだかまっている。
それらを克服し創造に転化する営みこそが生命の舞踏である。
それによって舞踏は、近代西洋流の自己表現や自我の主張という人間に囚われた狭い近代的営みから脱却し、生命の舞踏の深淵へ降りていく。
惨めな体験や困難なトラウマや解離された傾向は、生命がまだうまく共振できないエッジ・クオリアである。
すべてのサブボディはそれらのエッジ・クオリアを背負ってからだの闇にひそみ長い期間を耐え続けている。
だが、それらも最適の序破急を見つければかつて存在しなかった美に転化することができる。
美とはこれまでに発見されていなかった生命の新しい共振のしかたの発明なのだ。
それによってどんな惨めな体験や条件も創造に昇華する。

私たちは実に多くのものを生命から受け取って育つ。
それらの受け取ったものを創造に転化し、生命に返す。
それらによって生命はこれまでにない共振パターンを得、生命のもつ多彩な共振パターンという財産を豊かにすることができる。
創造者は個としては死ぬことまぬがれられないが、創造された共振パターンは豊かな生命潮流に引き継がれ生き続けることができるのだ。
これが生命の舞踏の、創造と治癒のダイナミックなループである。
恐れや震えといった祖型的な感覚・体動・情動は、そのダイナミックな創造ループの最大の材料なのだ。

ここ十年余、ヒマラヤで「静かな家」という巨大な謎に取り組んできたが、これほど豊かな果実を手に入れることができるとは想像もしなかった。
生徒たちの創造が、これまでにない命から命に伝わる生命創造の深みと豊かさを獲得しだしたことが何よりの証拠だ。
それはまだまだ未知の財産を秘めもっているに違いない。
この豊かな生命創造の探鉱に参加する同行衆が増えることを願う。
 



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