舞踏論   土方巽に捧げる
第2部 「静かな家」の深淵へ
 
第211章 灰娘ー魂と精霊


3 「灰娘」

 

魂と精霊

ゆくえ

もうだれも訪れない

もう誰も眠れない

○かんの花

○過度の充実が来て彼女はとほうもない美しい者になった

○死者達のさまざまな習慣を覚えた

○馬肉の夢

○座しきから引き出されてきた男

○イスに座って狂った大人子供=ケダモノ

○裸でカンチェンの出だしを踊る

○フラマンの寝技をつかう

○嵐が来た朝

○物質化


第3節の灰娘は、「静かな家」の全体をよく示している。
第1行が「魂と精霊」で始まり、最終行が「物質化」で締めくくられる。
これは第1行から最終行の1行前までは、物質以外のもの、気化体で踊られることを意味している。
すべては「死者」たちの行いであり、土方あるいは彼の姉が見た「馬肉の夢」の中の出来事なのだ。
そこでは彼の子供時代に彼の家で繰り広げられた季節ごとの祝祭が踊られる。
田の字型の東北の民家の一番奥で長年寝たきりの男が引き出されてくる。
これはのちに「病める舞姫」では主人公として扱われる、最弱の衰弱体の見本である。
元気な大人たちは、椅子に座って、大人子ども獣の三位一体化した存在になって酔い痴れている。
だれかが裸で踊りだす。カンチェンとは、土方独自の用語で詳しくは不明だ。
推測だが、他に寝技や座り技が出てくるので、それ以外の、中腰でランダムにからだを揺する踊りを指すものだろう。
フラマンの寝技とは、先の引きずり出されてきた、寝たきりの人の床を這いずる動きだ。
最弱の衰弱体として、一作の愁眉をなす。
のちに<癇の花>として、章を設けて詳述する。
そういうふうに、老いも若きも、寝たきりの人も元気な人も別け隔てなく祝うのが、古来の習わしだった。土方が、心身が不自由な人とも自在に共振できたのは、そういうふうに育ってきたからだ。
そして、嵐が来た朝、死者たちは祝祭を切り上げ、それぞれに物質化していく。
石になるもの、木になるもの、けむり虫になるものなど銘々に散っていく。
これは日本で何千年も続けられてきたアニミズムの民の祝祭風景だ。
土方が育った秋田でも、わたしが育った和歌山でも、おそらく同様の風俗が残っていた。
盛り上がってくると、かならず誰かが裸になって、性的な滑稽踊りを踊って、場の喝采を得るのが常だった。

この節の情景は、後に「病める舞姫」としてより詳細に展開され、一冊の本にまとめられる。土方巽の原体験である。
(第3部を参照)。


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