舞踏論   土方巽に捧げる

第20章 森の顔と巣窟体





土方巽に年若いころ師事したことのある三上賀代の著書に、
森の顔に関する土方の短い言葉が書き留められている。

「これだけの重層がなければ森の顔は出現しえない。」

この一言に触れて、ああ、そうだったのだ、と積年の謎がひとつ解けた気がした。
土方の衰弱体は、見た目にはただからだの各部分が多次元方向にゆらいでいるだけに見える。
最初の十数年はそれしか見えなかった。
だから、ただゆらぐ練習を積んだ。
生徒と一緒に限りなく微細にゆらぐからだの動きがでてくるように
細分化を無限に進めるような練習をした。
その練習を積んでいけば、なるほど見かけはすこし土方の動きに似たものになってくる。
それが去年あたりまでの歩みだった。

ところがそれだけで決定的に何かが違う。
そこで、土方の残した舞踏譜や「病める舞姫」、生徒の稽古ノートにちりばめられた
土方の語彙集を読み込んだ。
すると、そこには無限のクオリアが多次元的に重層されていることが
見えてきた。
くわしくは、第17章に載せた、彼の最後のソロの覚書を振り返ってもらいたい。
それを読み解いていくと、その本質は、重層性にあることがわかる。
そこに書かれているすべての条件を
一身にまとうきわめて高度に重層されたからだになることだ。

からだの闇の中をさまよう姉のクオリア、
背後世界のクオリア、
遠い記憶のクオリア、
自他分化以前の生命記憶のクオリア、
からだの闇に棲む偏執狂的なクオリア、
変容する夢のクオリア、
思い出せない夢のクオリア、
……
それら、異次元のクオリアが、300行にわたってつづられている。
彼の技法は衰弱体と自称し、
人目につく
「舞踏とは死に物狂いで突っ立つ死体である」
というような言葉で受け止められてきた。
だが、衰弱体技法の秘密は、
重層体、あるいは巣窟体とも呼ぶべき、多次元クオリアの同時重層性にある。
「静かな家」のための覚書を念頭において、
土方の残された数少ないビデオ映像のうち、
夏の嵐の「少女」(1973)を何度も繰り返し見ていると、
クオリアの重層性が透けて見えてくるようになる。

何年もかかったが、透明さとは時間のなかで開示するものだ。
命がけの時間を何年もかける以外ない。

冒頭の「森の顔」という一言をとっても、
もう今の若い人にはぴんと来ないことかもしれない。
本当の森がなくなって久しいからだ。
森といっても人工植林の貧しい生態系の森ではない。
それは森の模造品だ。
土方のいう森とは、少年期の彼が過ごした
奥羽山系の山にはまだ残っていたであろう原生林の森だ。
私は若いころから山歩きを続けてきたが、
私がすごした高度成長経済の時代とは、
山に入るたびに以前にはあった生態系が破壊されている
無残な光景に直面するしかない大破壊の時代だった。
その時代に原生林は、離島か人の道のない深い山奥に点在するばかりになってしまった。
原生林には無数の生命の共振が重層している。
樹木ばかりではない。
年老いた樹木の古びた表皮には苔や地衣類や他の植物が息づいている。
樹木にできた洞穴は獣や鳥の恰好の棲みかとなる。
落ち葉が変成した腐葉土は無数の原生動物やバクテリアの温床となる。
森には無数の生命の巣がある。
「森」ということばと、「巣」という言葉が、
土方の振り付け用語の中でほぼ等価な意味を担っているのはそのためだ。
17章でもふれたが、
「目の巣」といえば、腐った目や、ガラス玉の目や、死者の目や、眇めや、
病んだ目や、さけや獣の目や、離見の目や、その他もろもろの目が重層された状態を指す。
それらの目が入れ替わり立ち代わり現れる。
「森の巣」とは、重層の重層、
からだが多次元の異界を重層的にになうからだになることだ。
異界のサブボディを無数に引き受け住まわせる穴だらけの巣窟のからだになることだ。

冒頭のスライドをごらんいただきたい。
日本の屋久島に残された縄文杉や、江戸時代に切られたウイルソン杉を中心に
各地に点在する原生林の写真を集めた。
「森の顔」とは、こういう古い樹の顔になることだ。
8千年の歴史を経てきた存在として、この世界に突っ立つことだ。
かれら原生林の中の古木が無数の生命の歴史をたたえているように、
無数の背後の世界や、地底の世界、天上の世界など、
不可視の異次元をからだにまとう。
その世界との交感からでてくる無数のサブボディを
からだの各層に住まわせる。
からだ中が穴だらけ、巣だらけのサブボディの巣窟になる。
土方の衰弱体の不可視の謎は、無数の異次元を重層してまとう巣窟体にあったのだ。

これまでの原生体、異貌体中心の前期サブボディから、
傀儡体、憑依体、衰弱体、そして、未踏の透明共振体という後期十体へにじり寄るために、
無数の異界を重層的に引き受けた「巣窟体」に変成することが、大きな鍵となる。
森の顔をめぐる土方の一言がそれを教えてくれた。



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