舞踏論   土方巽に捧げる

第207章 秘密の微細管理技法


蜘蛛の糸と猫の腰と乞食



最初の節で彼は、からだの微妙な揺れやふるえを制御する秘密の技法を書き記している。

「額を細かい蜘蛛の糸が走る
乞食
猫の腰
背後世界」


彼の発明した衰弱体は、一見外から見るとただ、からだの様々な部分がランダムに揺れたり、ふるえたりしているように見える。
わたしにも、そうしか見えなかった。
しかし、この舞踏譜を読むことで、彼にとって、それらの微細な震えや揺れは、この秘められた技法によって透明に管理され、振り付けられていたことがわかった。
彼が発明したのはからだを3つのレベルに分けて管理するテクニックだ。

ディテールの動き     (額を走る蜘蛛の糸)、
からだの部分の動き  (猫の腰)、
からだ全体のイメージ  (乞食)、
そしてそれらはそれぞれに不可視の背後世界と共振している
という構図だ。

私たちはこれを微細管理技法と名づけ、共有する。
この技法は、非二元・多次元に共振しているいのちの真実に近づこうとした土方が切り開いた人類の共有財産だ。広く共有されていくことを願う。

(自注)
第一稿でわたしは、この稿を次のように結んだ。
「おそらくこの技法は彼は最後のソロのための舞踏譜に書き記したのみで、芦川羊子以外の弟子に教えることもなかった。 この秘密の技法は、古い舞踏家たちに発見されることもなく、長い年月が流れた。今わたしたちはこの技法を共有し深めていくことができる。」
すると、Facebookで、舞踏の大先輩玉野黄市兄から、次のような教示があった。

Koici Tamano「舞踏家:正朔氏はこれに、かなり近いことを行っているようですが、、どうなんでしょう?」

日本を離れて20年、寡聞にして、正朔氏のことを知らなかったわたしは、
Youtubeで、彼のビデオを見て、上のように訂正し、玉野兄に返信した。

「玉野さま 貴重なご教示ありがとうございます。勉強させていただきます。正朔氏については、見たことがありませんでした。今回ビデオで見たところ、たしかにおっしゃる通りだと思いました。狭い見聞で失礼なことを書き散らしてしまいました。慎んで訂正させていただきました。今後と最寄速ご教示お願い致します。Lee拝」

Koichi Tamano 「正朔氏は土方先生晩年のお弟子さんです。働き盛りの青年なので、おおいに働きかけると良いと思います。」

玉野さん、重ねて感謝します。

舞踏家・正朔氏のビデオをご覧いただきたい。
土方巽の衰弱体の微細なからだの管理技法を継承し、深めようとされている貴重な踊りだ。
読者諸氏も大いに学んでほしい。




「少女」のソロを踊っているとき、土方は何をしているのか?

「微細リゾーミング技法」の発見

上記の<微細管理技法>の発見から何年か経って、さらに捉え方が深まった。
からだに微細なクオリアを通すカンチェンのさまざまな実験を行い、カンチェン、スローカンチェン、サトル・リソーミングカンチェンへと深めていく方法が見つかった。

1)カンチェン(Kanchen)
からだのさまざまな部分に多様なクオリアを通す。ふるえ、ゆらぎ、うねり、ショック、崩壊、死などの六道クオリアをはじめ、からだの周りに蓄えてきたクオリアクラウドのクオリアをランダムに通す。

2)スローカンチェン
超緩速でカンチェンを行い、一度にからだの一部分にだけ特定のクオリアを通し、瞬間ごとにからだにどういう変化が起こっているのかに耳を澄ます。

3)微細リゾーミング
特定のクオリアがからだのある部分から隣接した部分に伝染し、動きの連続のなかに特定の傾向が生まれていくプロセスをじっくり踊り、そのつどからだに起こっている変化に耳を傾ける。

この実験の第3段階に達したとき、突然大きな気づきが訪れた。

(そうか、「少女」を踊りながら土方はずっとこの作業を続けていたのだ!)

わたしは土方巽の最期の舞踏「静かな家」に織り込まれた前年の「少女」のソロを長年探り続けてきた。
そしてこの微細リゾーミングを行う中で、ようやくこれが土方巽自身が「少女」を踊りながらやっていた作業だと気付くことができた。
小さなシーケンスや動きのたびに、彼はいまここで起こっている物理的な動きのクオリアと、「カン工場」ということばで象徴化された記憶や夢や想像などの内クオリアとの間に起こっている微細な生命共振に耳を傾けていた。
そして、最終的に土方は彼が捉えた微細な生命共振クオリアのすべてを「静かな家」の舞踏譜として定着したのだ。
彼のビデオを注意深く見て、彼がからだといのちに瞬間ごとに耳を澄ましている営為を共有すること。
じょじょに動きと舞踏譜の共振関係に気付くことができるようになるだろう。
ひとつの技法がからだに染み込み、体得することができるまでには時間がかかる。
だが、何年かかろうと、いつも、さらに一層微細なクオリアに耳を澄ましていくという態度は身につけるに値するものだ。



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