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舞踏論   土方巽に捧げる

 201章 衰弱体の深淵

土方巽の衰弱体には、無数の階梯があり、多様性がある。
じっくりとその多彩さと深まりの歴史を追ってみよう。

『肉体の叛乱』1968

おそらく、衰弱体の必然は、この伝説的なソロを踊ったあとに胚胎した。
当時の反体制運動のピークで踊られたこのソロによって、土方は若者たちのヒーローになった。
だが、土方のからだの闇に棲む死んだ姉は機嫌を損ねていた。
おそらく土方は彼女の声を聞いたに違いない。
「あんたは表現だの創造だのと、夢中になってやっているけれど、ほんとうに表現したいものは
なにか表現しないことによって現れるのではないのかい?」
そうだ。
からだの闇で死んだ姉が泣いていた。
いや、土方自身が踊りを通じて姉と一体化することができないことに地団駄を踏んでいたのだ。
二年間、土方は活動をやめていのちに耳を澄ました。
なにが一番やりたいのかい?
姉だ。
死んだ姉だけはまだ踊れていない。
二年の沈黙の中で土方は衰弱体の必然に出会った。
表現しないことによって可能となるかもしれないものに賭けようとしたのだ。

『疱瘡譚』1972

瞽女唄のソロ


1972年の「疱瘡譚」で、瞽女唄とともに踊られる立位の踊りは、
おそらくはじめて衰弱体舞踏がこの世に出現した瞬間である。
このときはまだ、からだの各部がランダムに震えながら動き、ときおり硬化したり、
箱に詰められたり、なにものかによって動かされる傀儡体であったりした。


異界の怪物の共創

土方のソロの終盤、玉野黄市をふくむ男性舞踏手が群舞のコーボディで
異界の怪物を共創して通り過ぎた。ただ通りすぎるだけだったが、人々の肝をつぶし、
マギー・マランなど西洋の振付家に大きな影響を与えた。


「レプロシー」

その後半座位で踊られた「レプロシー」は、
初期衰弱体の結晶とも言える息を呑むほど美しい踊りである。


「沈んでいくコーボディ」

「疱瘡譚」の最後、内ももを震えさせつつ、立位から沈んでいくプロセスは、芦川羊子らの女性舞踏手によって、コーボディ化され、これまた
類例のない美しいエンディングが共創された。


「フラマン」

25年間寝たきりだった「フラマン」が床を這う踊りは、何度も繰り返し踊られている。
最弱の衰弱体のひとつとして、いつまでも記憶されるだろう。


「水俣」

わたしが学生のときに京都公演で見た「ギバサ」では、
公演の間中長時間床下に潜んでいた多くの舞踏手が、
最後に床板や古畳の下から、水俣病の歪み縮んだ肢体で立ち現れた。
若いわたしの人間観を転倒するに十分の衝撃を与えた。

だが、土方巽にとってはこれらの初期衰弱体ではまだ不十分だった。
死んだ姉と一体化する踊りにまで結晶するためには、『夏の嵐』から『静かな家』にかけて
発明された新しい衰弱体、死者の技法による気化体が必要だったのだ。

『夏の嵐』1973

「少女」ソロ


この冒頭は『静かな家』のメインモチーフである次の一節から始まる。

雨の中で悪事を計画する少女

そして、ほぼ全編を通じて、死者の技法、気化したからだで踊られる。
ときおり、死者はなんの気兼ねもなく地上のものの姿を借りて物質化する。
つずめて言えば全編が気化と物質化の往還なのだ。


「気化体」

4 (気化)
一番―花、雨、少女、全部使う
   仮面、あるいは虫
   人形―灰娘―洗たく―もう誰も訪れない
二番―走って鳥から少女、少女気化して座り技
三番―魔女A気化する
四番―赤いシャケの頭にかかわる魔女気化している
五番―馬肉の夢を見る大魔女気化している
六番―さまざまなゆくえが気化している
   水、お盆―遠い森ー死者

15 ゆるやかな拡散
    いっ気に気化状態へもってゆかぬよう心掛けるべし。
    気化状態のなかでこそ展開がこころみられるべきだ。
    この問題もやがてはっきりするだろう。


「密度を運ぶ」


9 (鏡の裏)
鏡の裏―光の壁
 密度を運ぶ自在さの中には、めまいや震えや花影のゆれがひそんでいる。


『静かな家』では、Xによる還元技法が駆使される。
からだの密度を自在に変化させることによって
固体から液体、気体のからだへと変幻する。
あるいは次元数を自在に減じて、三次元の立体から
二次元の平面、一次元の棒まで次元数を運ぶ。
その際、それを媒介するのは、
めまいや震えや花影のゆれといった変成意識状態のからだである。

「自在跳梁」

『静かな家』の<急>パートである25,26,27節は自在跳梁の優れた見本である。
冒頭から探求されてきた、X還元や、気化や、物質化や、密度を運ぶや、ためや、その他すべての<死者の技法>が見事に統合され、
いわば一片の詩として結晶化している。
踊りたまえ、これに負けないほどに密度を運び、自在跳梁する<急>を。
それはわたしたち全員の課題である。

25 (悪夢)
悪夢こそはこの裸体なのだ
 1、虫やらミショーの顔やら、少女と馬の顔やら、
  電髪の女やら、馬鹿の顔やら、ボッシュが描いた人物の顔やら、
  助けてくれと嘆願する手やら
 2、犬と花と影とトントントンと跳ねる虫

26 奇妙な展開のさなかで
 1、手のなかへの求心的な恋愛を頭蓋のなかにすっかり置き変える
 2、神経が棒になり、棒が乞喰になった。乞喰が旗を振っていた、
  それは大きな鳥であった。
 3、首が馬の首になってのびると、指のゴムものびた。
  その作業のさなかに、点の眼と視点が変えられた。
  Xによる還元と再生にさらされていたのだ。
  その時は、背後に爪がザックリとささり、ゆくえははぐれて育ち、
  新たな還元により、小さなマイムがそこに誕生していた。
 4、内部が外部へあふれ出し、あふれ出していったものが仮面の港へ
  帰ってくる。仮面は森のなかへ船出をするのだ。
 5、額の風、額はとらわれている。手の葉、植物の軌跡を走り、私は、
  ついに棒杭の人となっていた。
 6、深淵図の中で、全ての事象の午前一時のなかで、柳田家の孔雀は完成される。

27 皮膚への参加
 1、小さな頭蓋のなかの小さな花、それはそれは細い細い視線、
  神経は、頭の外側に棒を目撃した、
  その棒を額で撰り分けている視線。
 2、小さな顔で歩く盲はまるでサルのようだ。猿の頭に落雷。  
  頭の中に小さな花が咲く、糸つむぎの唄が聞え出す。
 3、引きのばされる老婆は一枚の紙になるだろう。
  老婆はその紙の上に蛾のように乗っかるだろう。
 4、武将は女王になり、女王は関節の箱におさめられるだろう。
  その箱のなかからの生まれ変わりがフーピーという踊り子である。

『病める舞姫』


「病める舞姫」は、土方自身によっては踊られることがなかった未踏の舞踏の書である。
そこではいのちの更に微細な視えないものとの多数多彩な共振が、「痴呆になる寸前の精密さ」で描かれている。
土方以外に、これらの生命共振を踊る必然に出会う人が現れるだろうか。それは未来にかかっている。



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