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第13章 衰弱体への坑口


衰弱体への長い道

衰弱体に変成していくからだの闇の坑道に降りる
坑口がとうとう開いた。
ここまでくるのに長い年月がかかった。
2002年の夏、
ハンガリー・ブダペストでのワークショップと公演を最後に、
私は1998年から続けてきたワールド・ツアーを止め、
インドでの拠点建設に取り掛かった。
国から国への、都市から都市への旅暮らしは、楽しくもあったが、
自分のからだに潜る練習時間が十分に取れないのが苦しかった。
いつもたっぷりとからだの闇に触れていないと、
私は枯渇してしまうのだと気づいた。

ヒマラヤ・インドのダラムサラへの定着を決めてから、
新しい踊りを創らねばならないと痛感した。
98年から疾風怒濤の勢いで踊り続けてきた
伝染熱、死者熱、暗黒熱、開畳熱などの熱病シリーズは、
その名の通り、私自身が激しい奇妙な伝染性の熱に
とりつかれて踊り続けたものだ。
私のからだの中におびただしい死者たちが入り、
踊り、そして駆け抜けていった。

最初に入ってきたのは、反戦闘争・革命運動で
命を失った若き友人たちだ。
1960年代後半から70年代初頭にかけて
山崎博昭、辻敏明、橋本憲二という青春を共に過ごした友人たちが
ことごとく命を落としていった。

45歳で踊り手になろうと決意して学生時代以降
25年間離れていた京都市内に引っ越して以来、
毎夜彼らが夢枕に立つようになった。

辻は元気な顔を見せた。
「よう、元気だったのかい?!」
と声をかけると、黙って振り向いた。
辻の後頭部には不気味に光る合金製の
人工頭蓋骨がはめ込まれていた。
彼は他党派との内ゲバで頭を割られて命を落としたのだ。
橋本憲二もまた、他党派との内ゲバに向かうトラックが
高速道路で故障し、車を降りたところに後ろから来た
長距離トラックに激突された。
憲二のからだが潰される瞬間の体感を何度となくありありと味わった。
彼とは1965年の日韓闘争後に知り合い、
関西ではじめての高校生反戦組織を創ったときの
創設メンバー4人のうちの一人だった。
山崎のことはもう何度も書いたので繰り返さない。
10月8日が彼の命日だ。
その日はいつも私はバッハの無伴奏チェロ組曲二番、
VWM1008の「サラバンド」を聴く。
そしてその曲で無限回踊った。

インド・ダラムサラに始めてきたとき、
この地に亡命してきたチベット人たちが
1959年の中国によるチベット侵攻以来、
中国との独立闘争で600万人のチベット人が命を落としたことを知った。
生き残りの拷問の後遺症を抱える元政治犯の僧侶たちと触れ合った。
多くの人が家族や友人を対中国との抗争で亡くしていた。

ブダペストでは、1956年のハンガリア革命の傷跡に触れた。
10月23日という私の誕生日と同じ日に
その反スターリン主義革命は起こり、
ソ連の戦車によって踏み潰された。
ブダペストの丘の建物にはまだそのときの戦車の銃弾の痕が残っている。

そして、ハンガリー、ルーマニア、ユーゴスラビア、スロバキアに
残るユダヤ教会、シナゴーグを結ぶ、シナゴーグ・チェーンに招かれて
東欧各地のシナゴーグで踊った。
東欧で栄華を誇ったユダヤ人たちは荘厳な教会を残したまま
多くはアウシュビッツで虐殺され、
生き残った人たちはイスラエルに移住した。
戦後50年間も使用されていなかったシナゴーグを、
アートの交流スペースに転用しようという運動が
シナゴーグ・チェーンだ。
ユーゴの戦乱が終わった直後に訪れたユーゴスラビアの教会は
50年ぶりに初めてドアを開くと、屋根は破れ、床には50年分の
十数センチの埃が積もっていた。
3000席もある大教会だった。
埃を手分けして取り除いた中央の床で踊った。
見上げると壮大な空間に無数のアウシュビッツの死者たちの
亡霊が飛び交っているのを感じた。
「誰でも俺のからだに入って踊っていいぜ!」
私は空間に漂うユダヤの死者たちと交感していた。

マーク・トンプキンがへ芸術監督をつとめる
フランスのドイツ国境に近い街ストラスブールは
第二次大戦中独仏間の激戦があった地だ。
街の中心に大きな慰霊塔が建っていた。
私はその街でいまだにさまよい続けている死者たちと踊った。

その当時の私の踊りは、そのように死者をからだに呼び込み
死者たちが踊るに任せる踊りだった。
若くして死んだ死者たちは憤怒に満ちていて、
踊るたび私のからだはアドレナリンに満ちた闘争状態になる。
踊り終わるとぬれ雑巾のように疲れ果て、
晩年の大野一雄さんのように
全身に鎮痛軟膏を塗りこんで昏々と眠った。

そんな憑かれたような生活を続けていたが、
私の肉体はある日もうこれ以上動けなくなったことを知った。
インドに定住すると決めて以来、次の踊りを探った。
それまで毎年ひとつの踊りを創ってきていたが、こんどはもう
今までの踊りではなく、根本的に違った踊りの地平を
切り開く必要があると感じた。

私は、20歳のときにはじめて見て巨大な衝撃を受けた
土方の後期の踊りの境地に入ろうとして、
衰弱体に変成する坑道を掘り始めた。
その当時の土方の踊りは、
大内田圭吾監督が撮った「疱瘡譚」の8ミリフィルムと
最近発売された「夏の嵐」の二編だけの映像記録が残されている。
京都に住んでいたころ何度か土方の舞踏上映会を催した。
その都度奥さんの元藤さんが、
8ミリフィルムを抱えて東京からやってきて自分の手で上映した。
その踊りは隅々まで頭に焼きついているが、
真似しようとしても似ても似つかないものになった。
その踊りには目には見えない謎が秘められていて
決して人を寄せ付けないところがあった。
そう、普通のからだでは入っていけない世界なのだ。
それは分かった。
だが、いったいどのようにしてその世界に入ることができるのか?
その問いの前に何度も何度も足踏みをした。
インドへ来てからは毎日の練習に灰柱を取り入れている。
物理的なからだが燃え尽きた後の何もなしのからだになって
そのからだをできるだけ静かに、できるだけゆっくりと運ぶ。
からだの中の灰の微粒子があちこちにゆらぐ。
その歩行こそ衰弱体への坑口だろうと当たりをつけて
何年も続けてきたが、最初の何年間かは何の変化も起こらなかった。
変化の兆候が現れたのは、ごくごく最近のことだ。


衰弱にょろと異界きしみ

ある日、授業でいつもする朝の調体を
長期コースの生徒に任せて、私もそのガイドに身をゆだねた。
「百丹三元」の調体のとき、
私だけそれを微細に震えながらやってみた。
微細に各関節を三次元方向に震わせていった。
最初はどうということもなかったが、
途中から震えが全身に回りだし、
今までに覚えたことのない奇妙な衰弱体感が
からだのあちこちに走り出すようになった。

そうか! これだったのだ、足りなかったのは!
――この衰弱波動がからだに満ちからだを勝手に動かしていく、
このクオリアに従うことが衰弱体になりこむ坑道だと直感した。
「衰弱にょろ」とそれを名づけた。

さらに、灰柱の歩行に入ったとき、
からだのあらゆる微粒子が微細な衰弱三元に震える
衰弱ゆらぎで歩いてみた。
しばらくこれを続けていると、やがてこの世とあの世の間の
次元の隙間に挟まってどちらにもいけず、軋みだすクオリアがやってきた。
三界に居場所のないクオリアと言えばいいか。
生の世界からも死の世界からもどちらからも拒否されていて
行き場のない非常に苦しいクオリアだ。

この異界の間の軋みのクオリアこそ、
土方が衰弱体を踊るときに握り締めていたものに
違いないと不意に腑に落ちた。

これこそ、これまで十年以上探し求めていたものだった。
それがやっと見つかった。
存在の底からまるごと衰弱体に変成していく、
鍵になるクオリアをついにつかんだのだ。
これがなければ、衰弱体になりきれない。
これこそ、これまでいくら土方の動きを
模倣してもつかめなかったものだ。

そう、これからしばらく何年間か、
この衰弱クオリアを味わい尽くそう。
生死の境に立つ舞踏へ。
私がいかなければならないところは
そこしかないことは、ずっと前から分かっていた。
だが、その坑道を掘り進める坑口が見つからずに
いままで何年も足踏みを繰り返すばかりだった。
その坑口がとうとう開いた。

元藤さんの『土方巽とともに』という本の中に
「軋みというのはどういう動きだろうねえ」と
若い土方が自問してあれこれ試みる話が出てくる。
土方は、よく寝床の中で関節を鳴らしたという。
その夜私もやってみたが、昼間の練習で味わった、衰弱にょろと
異界きしみのクオリアをそっくり味わうことができた。
おそらく土方のなかの寝床の訓練でつかんだきしみの感覚と、
この世とあの世との間の次元の隙間できしむ衰弱体の体感とが、
ある日ひとつになったのだ。
からだの訓練と、心の変容が同時にひとつになって
はじめて踊りになる。
どちらかひとつでは踊り以前のものにとどまる。
踊りの振り付けとは、その両者を一個二重のものとして
からだにしみこませることだ。
十体を創るというのも、その丸ごとのクオリアが
からだに浸み込み、独自の舞踏体に成熟するまで待つということだ。
それには途方もない時間がかかる。
一月や二月という時間ではない。
五年十年という単位の時間だ。
その時間をかければ、いつかかならず出てくると信じていい。

もちろん、私たちはまだ、灰柱の坑道を歩んできて
その広大茫漠としたゆらぎのなかにようやく衰弱体への坑口らしい
体感クオリアをつかむところまで達したに過ぎない。
これから先に必要な長い修練がどんなものなのか。
それは私にも分からない。
からだの闇の旅とはいつも未知のものへ
からだ全体を投げ出していくことだ。


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