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第12章 リゾームになる



リゾームになれ
たった一つの秘密となれ

リゾーミング・テクニックとは、
リゾームになるテクニックである。
リゾームとはなにか。
せせこましい自我や国家への囚われを捨てる新しい生き方だ。
この宇宙の実態が微細な11次元でゆらぐ
超ひものダンスにあることを知った後の
無限創造に立ち向かう生き方だ。

つぎに述べる技法を時間をかけて身につけ
総合することで、誰でもリゾームへ変成できる。
リゾームへの入り口はいつも開かれている。

1.からだを微細に制御する

西洋のフィジカルなダンスをする人は、
からだの各部位を独立して動かすことのできる人を
ブレイクダウンできているといって尊敬する。
そういう人は各関節ごとに任意にコラプスさせたり、
ビルドアップすることができる。
だが、舞踏に要求されるのは、それどころではない。
関節ごとの動きの制御ではなく、細胞単位の制御である。
細胞単位に崩したり、立ち上げたりする。
動きだけではなくからだの微細な質の変化の制御である。
自我や自己に囚われた人間としてではなく
生命としての幽玄微妙な変容である。
目に見える三次元だけではなく、非時の次元、見えない世界、
死の国との間で多次元に変容する生命のゆらぎである。

サブボディ舞踏メソッドでは、
土方巽が切り開いた舞踏の微細な変容技法を
リゾーミング・テクニックとして理論的に総合した。
土方舞踏では、土方独特の舞踏譜の詩的な暗喩言語や、
絵画のイメージによって振付けた。
それは一種の暗号めいた秘諜となっている。
理解しがたいのは仕方がない。
それは低次元拘束された二項論理が支配するツリー世界ではなく、
非二元かつ多次元のリゾーム世界だから。

たとえば、それは土方と親交があった詩人・吉岡実の
次のような詩句と響きあっている。


青い柱はどこにあるか?
―土方巽の秘儀によせて
     
         吉岡実


闇夜が好き
母が好き
つとに死んだカンガルーの
吊り袋のなかをのぞけ
テル・テルの子供
ニッポンの死装束が白ならばなおさら
青い柱を負って歩き給え
円の四分の一の
スイカのある世界まで
駈け足で
ときには
バラ色の海綿体へ
沈みつつ
犬の四つ足で踊ること
かがまること
凍ること
天井の便器のはるか下で
ハンス・ベルメールの人形を抱き
骨になること
それが闇夜が好きなぼくたちの
暁の半分死
ある海を行き
ある陸を行き
ラッパのなかの井桁を吹き
むらさき野を行き
ふたたび闇夜を行く
美しき猫の分娩
そのしている夢
そのうえしてない行為
ぼくたちはどうしている?
すべてに同化する
末梢循環の恥毛性存在!
消えなん横雲の空
鋼鉄のビル・ビルの春
ビー玉の都市
そこにサクラは散るや
散らずや
赤い映像とは肉体の終り
ガニ股の父が好き
心中した姉が好き
古典的な死の隈取
闇夜が好き
かがり火が見えるから
大群衆が踊り狂っているんだ
亜硫酸ガス
濃霧
予定のない予定?
黄いろの矢印に沿って
柱に沿って
形而上的な肛門を見せ
ひとりの男が跳ねあがる


この詩を理解できるかできないかは、どうでもよい。
だれもの下意識の世界ではこのような秘諜めいた暗喩的クオリアが、
多次元時空を錯綜し変容流動している。
根底的なリゾームの世界だ。
多次元を変容流動しているクオリアをできるだけあるがままに
捉えようとすればこのような暗喩と異次元転換に満ちた詩になる。
それをからだで踊ろうとすれば舞踏になる。
そのことを知らせたかっただけだ。
詩人はそれを言葉に翻訳し、
舞踏者はそれをからだの動きに変換する。
土方巽と吉岡実るはそのように体底で通じ合っていた。

私は何十年もかけて、
土方の『闇の舞姫』や土方巽全集の『舞踏譜』を解読し、
それが何を意味しているのかだけではなく、
土方だけがどのようにそんな突拍子もないイメージと
奇怪な動きを創出しえたのかの秘密を探ってきた。
そして、土方が毎朝自分の下意識の世界に潜り、
下意識の創造性を総動員することによって達成したことを知った。
土方が死んだ姉の着物を着、髪を長く伸ばして十年をすごしたのは
姉の棲む黄泉の国と通底する闇の通路をさまよい歩いていたのだ。
自分のからだの闇に潜り、そこを旅する技術を身につければ
だれでも、下意識の創造性を解放することができる。
舞踏におけるからだの微細な変容も管理できるようになる。
サブボディメソッドという理論的な門戸を少しずつ切り開いてきた。
そこで要求されるのは、ブレイクダウンなどより、
桁違いに微細な心身変容のコントロール技術である。
それを土方時代の暗号じみた言葉や画像などの
秘儀によって伝えるのではなく、
理論によって世界に開く道を掘り抜いた。
リゾーミング・テクニックによって
土方舞踏の秘儀によって閉ざされていた秘密は、
世界に開かれた人類の共有財産に転化したのだ。

ひとことでいうと、リゾーミングとは、
からだの一部からなんらかのクオリアへの変成が始まり、
隣接部位への伝染を通じて全身心に波及していくものだ。
フィジカルな動きだけではなく、
生命が持つあらゆるチャンネルのクオリアの変化(質の変化)を
制御することによってはじめて達成される。
脳心身すべてにわたるチャンネルを制御しようとする技法だ。

からだの闇は、非二元かつ多次元に変容流動している。
それを一度に見せても何が起こっているのか分からない。
多次元で複雑に変容流動しているものを、たったひとつのかすかな
始まりから捉え、そのプロセスをできるだけゆっくり遅延し、
かつできるだけ細かく分割して、変化をじっくり味わいつつ見せる。
時間的には高速度撮影映画のように遅延させ、
空間的には、動きの変化をミリ単位に細分して制御する。
一言でそれを差延微分と呼ぶ。
十体でいえば、世阿弥に倣って砕動体と名づけた。
そうすることで、からだの一部から変成が始まり、
隣接部位への伝染を通じて全身心に波及していく。
いくつもの異次元を往還するから
変容の速度もありさまもめまぐるしく変わる。
そして、ついには折りたたまれていた異次元が開畳する。
その異次元開畳プロセスにできるだけ詳しく付き従い、
透明に見せるために必要なのが
からだの時空を微細に制御する差延微分技法だ。
世阿弥は砕動鬼と呼んだ。
鬼とは、異界とこの世の間の時空のひずみに身を取られた者の謂いだ。
時空のひずみで身もこころも千路に砕いて嘆く鬼のしぐさを捉えたものだ。
衰弱体、最後に土方が到達した舞踏も、
異界とこの世の間の時空のひずみにからだを盗られた命の動きだ。
生死ゆらぎのクオリアこそ命にとってもっとも深いクオリアである。
生死ゆらぎをめぐって絶対的創出といえるまでに結晶した美は、
600年の時空を超えて共振する。

2.七つのリゾーミング

からだの底から変成が始まるボトムリゾーム、
頭から始まるトップリゾーム
からだの内部からはじまるセンターリゾーム、
手足の先端から始まるエッジリゾーム、
からだの底や内部から始まったリゾームが途中で外力の力を受けて
たわめられるチャームリゾーム、
頭や手足からのリゾームが途中で外力によって
妨げられゆがめられるストレンジリゾーム、
からだのあちこちからランダムに起こるランダムリゾーム、
からだが瞬間的に一気に変成するトータルリゾーム、
などいくつかの経路に分けて練習することができる。
これらは十年ほど前に見出した最初のリゾーミングだ。
リゾームはまず、以上のようにからだをツリー状に分割して
練習し始めるしかない。
二元論思考に囚われた意識はいきなりリゾームになれない。
十年かけてじりじりとわたしは今の場所までにじり寄ってきた。
じっさいの命のクオリアは多次元世界を変容流動しているものだが、
まず最初は、多次元の複雑な動きを、
三次元時空内に束縛された意識にもわかるように
低次元的に変換して練習し始めなければならない。
そして、少しずつ、漣から漣へ移行しながら
多次元世界に踊り入る道を探り出すのだ。


3.八覚(エイトチャンネル)のリゾーミング

からだの闇のサブボディはチャンネルに分化する以前の
未分化なクオリア流として変容流動している。
生命は分化されたチャンネルをもたない。
からだと動きのチャンネルが同時に世界像=自己像チャンネルでもある。
その三つのチャンネルが融合しているのが
チャンネルに分化する以前の生命のクオリアだ。
映像や音像、感情チャンネルなどが出てくるのはずっと後のことだ。

だが、それが合意的現実界へ現れるときは、意識にもそれと分かる
単一のチャンネルのクオリアに変成・縮退して出現する。
そこで、生命の全チャンネルの丸ごとクオリアが、
単一チャンネルのクオリアに縮退して発現するという変化が起こる。
だから、同じクオリアが夢に現れたり、身体症状として現れたり
サブボディの動きとして出てくることが起こるのだ。
この主要な八つのチャンネルで起こるリゾーミングを捉え、
その変容流動を制御するのが八覚リゾーミング技法だ。
生命がいくつものチャンネルを持つという考え方は
アーノルド・ミンデルに学んで独自に発展させたものだ。
このチャンネル理論によって
2の段階では動きだけにとどまっていたリゾーミングは
一挙に多次元世界に切り込める武器になった。

からだの闇の多次元時空で変容流動しているクオリア流が
出現してくるとき、特定のチャンネルに微細シグナルを伝えてくる。
そのサブシグナルを捉え、従い、全心身で乗り込んで増幅していく。
それが八覚リゾーミング技法だ。

つぎの主要な八つのチャンネルにおけるリゾーミングを身に着けること。

・体感チャンネルのリゾーミング
・運動チャンネルのリゾーミング
・映像チャンネルのリゾーミング
・音像チャンネルのリゾーミング
・情動チャンネルのリゾーミング
・関係チャンネルのリゾーミング
・世界=自己チャンネルのリゾーミング
・思考チャンネルのリゾーミング

4.欲動・生死ゆらぎのリゾーミング

最初の何ヶ月かで、主要八覚各チャンネルにおけるクオリアの
リゾーミングを身に着ければ、次は欲望の帯域に降りる。
生存欲、快適欲、安全欲、つながり欲、実現欲などの
諸欲望がからだの底でうごめいているさまに耳を澄ます。
時間をかけて意識を止めてゆけば、
アメフラシかアメーバのような速度で
かすかなかすかな欲動が蠢いているのに触れることができる。
その欲動のもっとも静かな発生点では、
生の欲動が無から立ち上がってくる。
40億年前に生命が発生したときも、生と死の間でゆらぎ、
幾種類もの生命体が生まれては死んでいっただろう。
それが起こるのは最初だけではない。
生命はいつも無から生まれ無に帰していく。
死から生まれ死に帰していくといってもいい。
そのもっともかすかな生死ゆらぎを聴く。
からだがほとんど死に近づくまで鎮まると、
現代では死の世界に解離されてしまっていた
死者のクオリアがからだを訪れ、入り込んでくるようになる。
やあ、来たかい。どうぞどうぞ、自由に使ってくれ、
これは俺のからだじゃない、生命の共有物だ。
自我からだけではなく、自己からも去り、
生命になりきると死とさえ共振できるようになる。
この境位が二曲三体の最後、憑依体だ。
憑依体をものにすれば、
生死のあいだのあらゆるクオリアを制御できる。
死を捉え、死に向き合い、死を制御することは、
あらゆる思想にとっての最後の課題だ。
おそらく、このサブボディ舞踏こそ、もっとも徹底的に
それをなし遂げられる生き方である。


5.ツリー・リゾーム変換

サブボディ流はひとつのチャンネルに現れたかと思うと、
べつのチャンネルに姿を変えて立ち現れる。
意識の目にはめまぐるしく変容しているかに見えるが
サブボディにとっては、たんに本来のまるごとクオリアとして
流動しているだけなのだ。
ただ、意識にとっては単一のチャンネルを通じてしか
認識できないために、そう見えるだけなのだ。
だから、リゾーミング・テクニックでは、
単一のチャンネルの動きだけではなく、
それがいくつもの別のチャンネルに変容流動するさまを見せることによって
はじめて、それが全体としてどんなまるごとクオリアの動きなのかを
伝えることができる。
リゾームの多次元流動世界を、低次元に拘束された
合意的現実の世界に翻訳して見せるのが
リゾーミング・テクニックだといえる。
だから、サブボディになるとは、リゾームになること、
リゾームの多次元論理を、低次元拘束を受けたツリー言語に
翻訳することのできるツリー・リゾーム論理の使い手になることなのだ。
そうなってはじめて、ツリーの合意的現実世界と、
生命のリゾーム世界との間の千里の径庭を駆け下り駆け上りつつ
二つの世界を制御する、無限変幻術の使い手となれる。

6.異次元開畳

サブボディ舞踏の特徴のひとつは、異次元開畳という、
独特の転換技法にある。
これまでに述べたリゾーミングのテクニックを
すべて駆使できるようになると
この異次元開畳を実現できるようになる。
それは、夢がいつのまにかひとつのシーンから
別のシーンに移り変わっていくように、
ひとつの次元のなかに降り畳まれていた別の異次元のクオリアが
微細な予兆にはじまり、じょじょに解かれ、展開しくるように出現する。
この多次元変容流動をそのままに伝えるために見出されたのが
異次元開畳技法だ。
日常に低次元に拘束された知性のままでは、
高低、緩急、方向などの二元論に規定された転換しかできない。
それらの転換には知の臭みがつきまとう。
知が働くとわざとらしく、窮屈になる。
命の目にはすぐ分かる。
だが、異次元開畳ではそれらすべてが一挙に転換する。
生命のまわりでは、常に世界像流と自己像流が変容流動しているからだ。
生命が創発した究極の美の極意がここに詰まっている。
今世紀は異次元開畳の技術を、命が見る夢の世界から
透明覚に覚めた人間が奪い返す世紀となるだろう。

7.透明覚

以上のすべての技法を身につけると、からだの闇のなかで、
それまで不透明な闇に閉ざされていた、
からだと下意識と意識の間で起こっていることが
すべて透き通って見えてくる。
激しく異次元を転換する自分のサブボディ舞踏を実際に踊りながら、
からだ、下意識、意識のすべてを含む自分の全体で起こっていることが
透明に見えている状態がやってくる。
自己と他者、類と個、内と外、こころとからだの間、そして、
生と死の間でさえ何が起こっているのかが見えてくる。
起こっていることすべてを畏れも欲もなく
透明に受け入れることができるのが透明覚だ。


8.透明体

そして、そこで起こっていることを、自分だけではなく
見ている見所とのあいだの共振離見をも含めて、
すべてを透明に見せることのできるからだになったとき、
それが透明体への変成だ。
舞台で、自分が行っていることが誰にどう見えているか、
見所はどう共振しているか、
どこでどの方向にどんな速度でどう動き、
どのチャンネルを使うのが最適であるか、
瞬時にそれらすべての要素を勘定に入れ、
常に最適解で動けるようになること。
それが透明体だ。

どれだけ時間がかかるか分からない。
まだ、誰も到達したことのない境域だ。
たゆまず進むこと、それ以外にいえることは何もない。
私自身その長い途上にあり、いつ透明体に到達できるかなど
まったくの五里霧中なのだから。


















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