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第11章 生命・元型・十体



●リビドーと元型

フロイドとユングが発見した、
生命衝動としての<リビドー>という概念と
その発現形式としての<元型>という概念は
生命のもつ本能的な力の内容と形式として、
統一的に把握する必要があるのではないか。

今朝見た夢から得た啓示はそのことを告げていた。

今朝の夢は、次のようなものだった。


今うちのサイトで使っているような
写真をユニークなスライドショーで見せる
フォトフリップに2タイプがある。

フォトプリップというプログラムの形式に
自分が液体のように内容として流れ込むことで
自分がその形式にあわせて変形するタイプと、
逆に、フォトプリップが自分の中に流れ込んできて
自分を内側から変形させるタイプがある。

というものだった。

うつらうつらこの夢を反芻していると、
どうやらこの夢が告げようとしているものは、
リビドーという流体的な内容が、元型という形式にそって
現れてくるのか、それとも元型という形式をつくる
エネルギーがリビドーであるのか、
どちらともいえないということのようだった。
すなわち、リビドーと元型を、内容と形式として
統一的に把握せよという啓示であることに気づいた。
あるものを内容と形式に分離して捉えることは不十分だ。
両者を一個二重のものとして統一的に捉える必要がある。
それは、この間ずっと考えてきたことだ。
それをこの題材で追求できることを
サブボディさんが教えてくれたようなのだ。
そして、その作業は、どうやら
この間十体をめぐって考えてきた、
生命の原生力と元型との相互作用として
十体を捉えるという方法にかかわりがありそうだ。

リビドーと元型。
――フロイドとユングを分かつこのふたつの大きな概念は、
生命の持つ本能的な秘密の力を
片やリビドーというエネルギー的な内容として、
片や元型というその発現形態という形式として捉えたもので、
もともと一個二重のものの違った側面だったのだ。
両者は統合される必要がある。

で、どうやって?
その方法とは、十体創造という実践において
それを追求することだ。

この夢は自分の十体を創造する作業とは
リビドーと元型という生命力の内容と形式を
統合する作業なのだということを告げていた。
あるいは、リビドーと元型という生命力の内容と形式を
統合する作業のなかで十体を創造すること。
――これが十体創造を、生の普遍的な課題として開いていく道だ、と。


●原生系・自我系・超自我系


サブボディ舞踏の十体を探求する中で、
それらがほかの生物になりこむ原生体の系統と、
からだの闇に封印された、もうひとつの自己を呼び出す異貌体の系統、
そして、からだをほかのものに明け渡す憑依体の系統との
三本の大きな系統に分かれることが、
長年からだの闇に坑道を掘りぬく作業から明らかとなっていた。

そして、今年になって、リビドーと呼ばれる原生的な生命衝動と
それらの現れの形式である元型も、
同様に、エス系、自我系、超自我系の三つの大きな系統に
分類しうることに気づいた。
そしてなんと、この三つはうまく共振的に重なるではないか。
生命衝動や元型の、エス系、自我系、超自我系という三つの軸は、
従来十体を分けていた三系統、原生体、異貌体、憑依体という
三つの系統とぴったり重なる。
この瞬間、十体坑道と、元型坑道、そして、生命衝動の坑道が
同じ傾向を持つことが発見された。

この三つは、吉本隆明が追求してきた、対幻想、自己幻想、共同幻想という
幻想の三つの基軸とも関係しているだろう。
だが、いまはそこまで拡張しないでおこう。

1.原生体の系統

原生体の系統は、ゆらぎたい、溶けたい、
動物になりたいという生命の原生的傾向から生まれる
粘菌体、海月体、海星体、獣体、龍体などの十体だ。
それらは生命傾向としてと同時に、
さまざまな下等動物の形をとる元型としても現れてくる。
蛇や熊や鳥や猿という無数の動物の形をとる元型は
世界中の神話や民話の主要登場人物だ。
動物になりたい、あるいは動物と対等に交通したいという生命傾向は
すべての人類が持っていたものだ。
人類最古の元型は、トーテムというかたちで現れた。
それらの多くは、オームやカンガルーや猿や蛇など
無数の動物の形をとっている。
中沢新一流に言えば、
人類と動物とが対称性を持っていた頃の心性ともいえる。
ともあれ、それらが動物元型に結晶している。

十体を創造するときにはすでにあるこれらの
元型と格闘する中で形成されるしかない。
元型に食われるか、元型を食い破って
これまでにない十体を創造しうるかがいつも問われている。

2.異貌体の系統

からだの闇の底に影やnoto-meや解離された副人格などとして
封印されている異貌体の系統は、
生命が幼少期に生み出した未完成な自我の分身だ。

心身を縮小していくと出てくる小人体、
眇めや、歪み顔から出てくる幼魔体、
――こすっからし、ネズミ、計算屋、代替転換屋、
テーブル返し、天邪鬼、甘えた、泣き虫――
男女の性を転換したいというクオリアからでてくる女体……
人によって無数の異貌の自己がからだの闇に潜んでいる。

幼少期に発現されようとした生命衝動のうち、
多くは、親や教師など強い影響力を持つ大人から無視され、
選択的非注意のまなざしを差し向けられることで萎んでしまう。
いわば、生み出されようとしてうまく生まれ出られなかった
「失敗した自我」だ。
だが、いくら失敗自我だとしても、決して死滅はしない。
それらは現れる必要があったから生み出されたのだ。
それらの自我の分身たちは、
未熟な幼児期に大急ぎで形成された未完成な自我を携えながら、
からだの闇の奥深くで震えながら長いときを耐えてきた。
それらの生命衝動と未完成の自我との混合物が、
影やnot-meや副人格の正体だ。
それらの分身たちをインナーチャイルドや、
インナーベイビーという形で捉える人もいる。
サブボディメソッドでは、
インナーフィータス(内的胎児)にも注目する。
グロフの捉えた分娩前後の体験が、
下意識のからだに深く刻み込まれているからだ。
それらは仏教では前世の性として解釈されてきた。
シャーマニズムやアニミズム社会では、
もののけが取り付いたと理解される。
文化の違いによって、解釈は大きく異なるが、
どの文化もみな人間に起こる不思議な現象に取り組んできたものだ。
それらを貫通しているものを透明に見抜く眼を鍛えるほかない。
それらの影やnot-meや副人格のうち、
とくに幼少期に何らかの虐待を受ける環境で形成された分身は、
他の自我からは解離され、からだの闇深くに刻み込まれる。
それらが生まれた時期が幼少期であればあるほど、
また、虐待の程度が強ければ強いほど、解離度も大きくなる。
私の中の分身たちも、解離度の強い孤絶型の人格と
他の人格ともうまくやれる人格とが存在する。
それは、サイトで出会った多くの解離性の人の人格たちが
共通に持っている特徴だ。
だれともコミュニケートできない人格もあれば、
他の人格の状態を理解する人格、
仲介できる人格、通訳できる人格、
ただすべてを眺めて知っている人格などの違いがある。
また、解離された人格にまでは発展せず、
しへきや癖や囚われという部分的な傾向として
形成される場合もある。
それらもひとつながりなのだ。

これらの自我分身=異貌体の系統は、
さまざまな自我元型として現れてきた。
世の中の人が自分のアイデンティティとして
大事に抱えている自我こそ、今世紀最大の元型である。
そのバリエーションとして、影元型、童子元型、
トリックスター元型などの自我系統の元型がある。
ユングがタイプ論として分類した中では、
思考型のタイプがこの自我元型に入る。
フロイドの人格分類では、ナルシズム型の自我元型となる。
いずれも自我の思考チャンネルは、
二項論理という簡便かつ低次元の思考元型に囚われている。

自我衝動と自我元型の間の謎ほど、
リビドー元型関係の中でも深い闇に包まれているものはない。
自我は、もっとも意識の中核であるかに思われているが
その中心部は不透明で不可視の無意識に深く覆われている。
自我の中心には無意識が鎮座しているのだ。
わたしにとっても自我とその分身をめぐる
異貌体系の十体は依然もっとも深い謎だ。


3.憑依体の系統

憑依体と分けたのは、十体の分類に従ったもので、
フロイドなら、これは超自我系、吉本隆明なら、共同幻想系、
一般的にいえば、個と類、あるいは社会性との間の葛藤の領域だ。

個と社会との間では人類史を通じて無数の葛藤が起こってきた。
それらの葛藤はすべて遺伝子深く刻み込まれている。

他の力に動かされるクオリアは、くぐつ体へ、
他の人々のために闘うクオリアは、修羅体へ、
人間的な情をなくしてしまうクオリアは喪心体(ヒューマノイド)へ、
老いぼれ萎んでいくクオリアは、衰弱体へ、
性を転換して人のために転生したいというクオリアは天女体へ、
そして、自分の体を他の生命の媒体として明け渡していくクオリアは憑依体へ、

これらのクオリアはすべて個と類との間の葛藤のクオリアだ。
それらが、生命衝動と元型とのあいだでもみくちゃにされる、
それが人生だ。
生きた十体はそのもみくちゃにされる人生の現場から生まれる。

超自我系統の元型は数が多い。
フロイドが指摘し検閲官、裁判官、批評家といった常連から、
グレートマザー、老婆心、英雄、ペルソナ、アニマ、アニムス、
スピリッツ、精神など、ユングが研究した自己像元型の群れがある。
そのほかに、ユングが注目しなかったが重要なものに
世界像元型がある。
天国、地獄、大洪水、嵐、動乱、天空、地底……

そう、憑依体への衝動は
これらの世界像=自己像にもみくちゃにされるなかから、
自分一個の条件を離れて、人のために生きる生へ転生したい
という類への衝動から生まれてくるものだ。
旧宗教、新興宗教の区別を問わず、宗教の創始者となった人には、
現実人生で苦難の果てを体験し、類への転生衝動に駆られた人が多い。
だが、そういう衝動はすべての生命のなかに存在する。
仏教で、すべての生きとし生けるものの中に仏性があるとするのは
そのことを指す。
生命はもともと個と類の一個二重の闇でゆらいでいるものだ。
類への転生の生命衝動と、無数の世界像=自己像元型の葛藤の中から
自分の憑依体を発明すること。

それが、類としての生を生きることにつながる。






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