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舞踏論 第一部 ――土方巽に捧げる
 
 「静かな家」 土方巽の最後のソロ舞踏 1974


第1章 補遺 いのちの震えが刻み込まれた
 
 

●その時いったい何が起こったのか? 

前章よりつづく。
前章・第一章は2006年ごろに書いた。それへの十年後の2017年の追記)
 

なぜ、学生時代に一度限り見た土方舞踏への驚きが25年間も持続して、わたしの40代の生き方の転機になったのか?

おそらく、公演の最後の瞬間の醜く歪んだ舞踏手の肢体の印象が、深い生命共振の感動となって、わたしのからだの闇深くに刻印されたからだろう。

それには少し当時の時代背景の解説が要るだろう。

土方巽が舞踏を踊っていた1960−70年代の日本は、第二次世界大戦の戦後復興を終えて、経済の高度成長期を迎えていた。

その間日本の製造業は廃棄物をすべて河川に投棄し、日本沿岸の海はゴミや、水銀やカドミウムなど人体の細胞に突然変異をもたらす重金属に汚染され、数々の公害病を引き起こした。

なかでも、熊本県水俣の海は、肥料会社日本窒素が垂れ流した硫化水銀に冒され、魚の背骨が湾曲収縮し、市場で販売できないために、地元漁民が水銀に汚染されていると知らずに食べた。そして、多くに人々が深刻な水俣病の犠牲となった。(図1)


図1 水俣病

地元住民をはじめ、水俣病患者は、訴訟を起こし、それを支援する全国的な公害反対運動が盛り上がった。だが、日本窒素や熊本県は長期に渡って己れの非を認めず、多くの患者たちが苦しみの中で死んでいった。

当時、学生だったわたしは、公害反対運動に共感しつつ、その当時激化していたベトナム戦争を阻止する反戦運動に従事していたため、十分にかれらと共闘することができなかった。こころの中で、(ごめん!この政治闘争が片付いたら、すぐに駆けつけるから!)とかれらにお詫びの手を合わせるような罪悪感に苛まれながら、反戦から革命運動に深化していった政治の渦に巻き込まれていった。

1960年代の末から、衰弱体の収集を続けていた土方巽は 、水俣病患者の歪んだ肢体に最大の共振をもってそれを自分の踊りに取り入れた。
かたやモダンダンスの人々が小奇麗な踊りの創造を楽しんでいる中で、土方巽ただ一人が、その奇形化し、不具化したいのちのかたちに深く共振し、それを人類史上いまだかつてなかった<美>に昇華したのだ。

革命運動が敗退し、大学を中退したわたしが母校のキャンパスに土方の舞踏公演を見に行って彼の衰弱体の舞踏に出会ったわたしは息を呑んだ。

(そうか! こういうかたちで水俣病で死んでいった死者たちと共振する方法もあるのか!)と腰を抜かすほど驚いた。

すぐにもわたしは土方の元に駆けつけたい衝動に駆られたが、あいにくそのとき、結婚していたわたしの妻のからだの中にはすでに胎児が息づいており、その子が成人するまでは餌を運ぶために働かざるを得なかった。

だが、その生命共振の感動はわたしの深部に刻印され、それから25年たった40代のわたしに舞踏家になることを決意させた。

これはいったいどういうことだろう?

自問を続けていたわたしに、十年以上経ってからひとつの回答が訪れた。

美は生命共振にあり

踊りにとって美とは何か?
いや、あらゆる芸術にとって美とは何かを問い続ける間に、長い人類史のなかで、人のいのちが深い生命共振の感動に打ち震えたクオリアがあらゆる分野の芸術の<美>に結晶したことが透けて見えてきた。

人類最古の彫刻であるグレートマザー(大母)像は、先史時代の人々がいのちのもつ不思議な創造力に感動し、その不思議を太母像として結晶化したものである(図1)。


図1 人類最古の彫刻 太母像

深い生命共振に打ち震える先史時代の人々のからだの闇のクオリアは、それ自体としては非二元かつ多次元空間で共振する混沌としたクオリアに過ぎないが、やがてひとびとはそのクオリアを、さまざまなチャンネルに対象化し、<美>に結晶しうることを学んでいった。

映像チャンネルに対象化された生命共振クオリアは、太古の洞窟画や岩に刻まれた線刻画に結晶した(図2、3)。


図2 アルタミラ洞窟壁画


図3 アルジェリア タシリ ナジェールの線刻画

音像チャンネルに対象化されたものは、歌や音楽に、言語チャンネルに対象化したものは詩や祝詞や口承神話として共有され、それらすべてがからだの動きとして現れてきたものは踊りに結晶した。

これは現代に至るまで続いている。

あらゆるジャンルの芸術はすべていのちが深く震える生命共振クオリアが結晶化したものである。 

土方巽もまた、太古の人々と同じように、水俣病をはじめとするいのちが何か得体の知れないものによって変形され、もがき苦しむ姿の中に、いのちが深く震える未曾有の<美>を発見したのだ。

土方が障害者の人々と共振し得たのは、彼もまた、彼のからだの闇でもがき苦しむ死んだ姉と共振して踊る道を、命がけで探求していたからに他ならない。そのもがきの中で彼のいのちも多数多様に変形し、歪み縺れ、絡み合って動けなくなることを体験していたのである。

「不具のからだに無限に嫉妬する。」と書いたのは誇張でも比喩でもない。激しい生命共振が起こり、それによってかれは歪んだからだと一つになったのだ。

若い間に習い覚えた数々のダンステクニックを削ぎ落とし、自らもまた、死者に変成することによってのみ、死んだ姉と共振して踊ることが可能になるという発見をもって衰弱体舞踏を創造しようとしていた土方にとって必然の生命共振であった。 

ひとはいつでもいのちがけで己れにとって必然の生を探求するときにのみ、かつてない生命共振の<美>に出会い、何らかの形に結晶化する奇跡が起こる。

もしきみやわたしたちがいまだに衰弱体以外の美を発見し、結晶化することができていたいとすれば、それはまだ、<いのちがけ>の度合いが足りないことに寄るにほかならない。

己れのいのちの必然を辿ってからだの闇をどこまでも掘り進めよ。

これは後何年踊ることができるか分からないわたし自身のいのちへの檄であり、鞭である。

 

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