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第7章 生命と創発



生命が、生命を持たない物質やエネルギーと
根本的に異なる点はどこにあるか。

自己増殖する点か?
あらゆる物質もエネルギーも生命もクオリアも、
微細なひもの共振パターンの変化によって
生じているとすれば、
それら万物は常に同じ共振パターンを
自己増殖していることになる。
自己増殖は一人生命だけの特徴ではない。

多様性を生み出す点か?
生命は進化によって多様化してきた。
だが、非生命物質もまた、
宇宙の開闢以来、無数の物質に多様化してきている。
最初の単純な宇宙から、
何ナノ秒後に重力や電磁力などが生まれ、
水素などのごく簡単な元素から、
星の中で次第に複雑な元素が生まれてきた。
物質進化もまた、
それ自体で多様化する力と傾向をもっている。
だから、多様化は生命だけの特性ではない。

ゆらぎか?
ひもの共振パターンはすべて連結している。
だから、ひとつの物質や生命を生成している
共振パターンは、
つねに他のひも共振パターンとの関連の中で、
影響を受け、与え合って微細にゆらいでいる。
ゆらぎもまた、生命だけの特性ではない。

ではいったい生命にしかない特性とは何なのか?

それは、生命のみが
自らを生成しているひも共振パターンのなかで、
わずかな差異を含んだあらたな共振パターンを創発して、
自らのうちに繰り込み、共振を持続していける点にある。

ひもの共振パターンは、
先に述べたように絶えず微細にゆらいでいる。
非有機物質やエネルギーは
このわずかなゆらぎを外的なものとして受け取るだけで、
自己の共振パターンに同化することができない。
もちろんゆらぎの影響を受けて受動的に変化はする。
だがあくまで受動的・外的な変化にとどまる。
変化をみずから創発して
自己を新たな共振パターンに更新していくことができない。

だが、生命は
このゆらぎによって生み出された
わずかな差異を
自分のものとして内化することができる。

物質進化と、生命の進化は微細な違いしかない。
だが、この微細な違いがすべてなのだ。
光はときにゆらぐ。だが、進化しない。
ウラニウムは時に核爆発をしてあらたな元素に変化する。
だが、その変化を自己の創発として
自己増殖につなげることができない。

ひとえに生命のみが
ひもの共振パターンに生まれた
微細な差異を含む共振パターンを
あらたな生命の創発として内化しつつ
共振を持続していくことができる。

この絶えず新たな差異を繰り込んでいく
共振パターンの創発こそが
ひとり生命のみが持つ特性なのだ。


ゆらぎによって絶えず発生する
微妙な差異を組み込み、
ほんの少し違った共振パターンを創発し、
そこに身を投じていく。
この創発の組み込みによって
宇宙の中で生命のみが
自ら変化していく
巨大な可能性を得たのだ。

もちろん、偶然生まれたひも共振パターンの
わずかな差異のほとんどすべては、
生命の持続に役に立たないものであり、
すぐさますたれていっただろう。
だが、生成するあらゆる差異を
自己の共振パターンに組み込んでいく
創発特性は、万にひとつ、
いや、一無量大数にひとつ生まれる
自己の構成素を自己産出する共振パターンに遭遇して
生命の共振パターンを変化・発展させていくことができた。
生命の歴史は
この微細な創発をつないでいくことによって多様化し
今日に至る進化を遂げてきた。

絶えず創発を生み出し、
創発と共振する生命のみが持つ特性は
こうして生まれ、定着・発展してきた。
現在の生命が持つ強靭な生きようとする力は
この創発と共振という特性から生まれ
長い時間をかけて成長してきたのだ。

あらゆるものごとを
根本的に捉えようとするときは、
すべてをこの生命の根源的な特性との関連において
思考していくことが重要だ。
あらゆる問題、たとえば、
人に触れたいという欲望も、
踊りにとって美とは何かという課題も、
すべてこの創発と共振という
生命のみが持つ特性と関連づけてつかめたとき
間違いようのないものになる。

私の人生も残りが長いわけではない。
もうあれこれ勘違いして生きている暇はないのだ。

すべてをこの生命発現との関連において思考していくこと。
それは生命を肯定する思想を紡ぐことだ。
私たちは、1995年に斃れたドゥルーズによって
紡ぎ始められた生命の哲学を踏まえることができる。

ドゥルーズは未来のための生命の倫理を
次のように提案した。

「自分を発現させすぎないこと、
他者と共にある自分を発現させすぎないこと、
他者を発現させすぎないこと、
発現したものをすべて世界に住まわせること
私たちの世界を多様にすること」
(『差異と反復』1968、パリ)

ドゥルーズは、今日なお人類の教師である。
これ以上の未来に役立つ倫理を
提起した思想家はほかにいない。

生命は肯定されねばならない。
「ドゥルーズは、無条件に個体の生存を肯定する。
個体のいかなる変異も肯定する。」
(小泉義之『ドゥルーズの哲学』(講談社現代新書)

なぜなら、あらゆる変異は生命の創発として
生まれたものだからだ。
どの変異が正しく、どの変異が間違っている
などという判断を下してはならない。
誰にもそういうことをする権利はない。
いまの社会に適合するかどうかというような
基準で図ってもならない。
いまの社会が正しい社会のありかただなどと
誰にもいえない。
むしろいまの社会は
生命の多様なあり方を否定してやまないものだ。

私の実践はこの生命の倫理を
どこまでも押し進めていこうとするものだ。

生命のもつこの創発と共振という力を
あらゆる面で肯定していけるような
社会と世界を創り出していくのだ。


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