サブボディメソッド 2007

サブボディメソッド
  共振論 2007
3 クオリア思考の原理
クオリア共振は自然現象だ
クオリアには主体がない
類伸と縮合
クオリアの創造性
2 すべては共振している
1 クオリア共振の海
共振論――新しい知の地平へ

3 クオリア思考の原理


  クオリアの動きは遺伝子によって決定されている。夕日の赤を目にしたとき、誰もの心の中に言いようのない感動が起こる。よい踊りを見れば大小の差はあれ、誰もの胸の奥底で打ち震えるクオリアが発生することを禁じることは出来ない。

  

  世阿弥はすでに六百年も前にこのことを指摘している。

「舞歌の曲をなし、意景感風の心耳を驚かす堺、覚えず見所の感応をなす、これ、妙花なり。これ、面白きなり。これ無心咸なり。この三か条の感は、まさに無心の切なり。心はなくて面白と受けがうものは何物ぞ。」 『拾玉得花』(1428年、世阿弥66歳)

 

  感という漢字の心を取り去って、この無心咸が心によるものではないことを強調している。あきらかに通常の意識的心以外のものがうちふるえていることを鋭く捉えていたのだ。この<咸>、<無心咸>こそここでいうクオリアなのだ。

 

  「面白き位より上に、心にも覚えず「あっ」という重(=段階)あるべし。これは感なり。しかれば易には、感という文字の下、心を書かで、咸ばかりを「かん」と読ませたり。これ、まことの「かん」には心もなき際なるがゆえなり。」 『花鏡』(1424年、世阿弥61歳)

 

  それどころか、動物たちと心が通じるのも、この<クオリア=咸>の共振原理によるものだ。そして、おそらく、樹のそばにいると心が落ち着いてくるのも木々のクオリアと共振しているからなのだ。

 

クオリア共振は自然現象だ

  生命もまた、自然界の自然現象だ。生命もひも共振と関連した自然現象であり、クオリアもまた自然現象なのだ。なんだか人間だけを特別扱いするようになって、そうであることを思い出せなくなっていた。マルクスの自然主義=人間主義という哲学を学びなおす必要がある。かれはとてもナイーブにかつラジカルに世界を見つめる目を持っていた。

  生命が自然に属すことは誰でも分かるが、自然界と人間界を結ぶものがクオリア共振なのだ。これがいままで、人間を特別視する意識優先意識という偏見の内視盲点によって見出すことができなかった自然と人間をつなぐミッシングリンクだ。

自然物としての人間

  われわれの自然生成物としての側面に気づくことからはじめよう。生命、身体、欲求、クオリア……。クオリア流動を見逃していたゆえに、今までの人類はどこかで自分を誤解してきたのだ。

  Qualia vibration belongs among the nature.

  When you see something, your brain neurons are fired together. At this moment some qualia vibrations start flowing in your brain.

  われわれが巨大な石や樹木を感じるとき、とても落ちついた気持ちになるのは、クオリアが彼らと共振しているからなのだ。これは自然現象だから誰にも止められない。

 

クオリアには主体がない

  クオリアには主体がない。自己などというものは、そういう主体のないクオリアの大海のうえに漂流する氷山の一角のようなものなのだ。そう気づくと、とたんに目の前が開けてきた。俺が目にしているのは、自己という幻想が発生する地点なのだ。それはクオリアの中でも特殊な自己咸のクオリアから発生する。自己咸クオリアは、自己保存欲求と一体になって、自己意識を形作っていくだろう。そして、ひとたび自己意識が生まれた後は、意識はその基盤となっている主体なきクオリア流の大海についてはすっかり忘れてしまうのだ。意識はクオリア流を意識することができない。だから意識にとっては、自己とその他の区分のある分別界が唯一の世界だと思われるのである。

 

共振・増幅・連結

クオリア流はそれ自体で何か、思考のようなことを行っている。分別思考とはまったく異なるその原理を解くことが俺の仕事だ。

それは、共振を原理としている。ひとつのクオリアが生起すると、それに共振する相手のクオリアを見つけ、それがどんどん増えて、共振度合いが増幅され、かつ多様な相手と共振する連結が増えていくことによってじょじょに大きな一塊の共振群を作っていく。粘菌などの生物が生長するような仕組みと一緒だ。それが一定程度以上になると、意識にも届くほどの強力な連結共振クオリアループとなる。そして、意識の閾値を越える規模のニューロンループの連結発火を惹き起こす。

新鮮さが共振連結の引き金を引く

意識の閾値以下のところでは、クオリアは類似・近縁原則によって、手当たり次第に近くのものから順々に共振をこころみる。そのうち何らかのものが増強され、なんらかのものはそれほど発展せずに収まっていく。その差が生まれるカギは、<新鮮さ>にある。クオリア同士の連結が、新鮮さを惹き起こせば、ニューロンの栄養物質が放出され、それをえさにさらに遠くまで共振の輪を広げていこうとする。だから、<鮮深響>の<鮮>快はとても重要な指標となる。

クオリアは共振を求めている

  クオリア思考の原理とは、ただただ共振によって連結増幅する他のクオリアを捜し求めているだけなのだ。そのクオリアと共振する他のクオリアが現れなければそのクオリアは静まり直ちに忘れ去られていく。共振相手がたくさん見つかればどんどん複合連結増幅を繰り返してますます強固なものになっていく。やがて、言語クオリアをも共振で巻き込むようになると、言語意識にも知れるところとなる。

  言語意識は己が巻き込まれた瞬間以降のプロセスしか知らないから、あたかも脳内で自然言語が志向しているかのように錯覚するしかない。

クオリア思考の原理 類伸と縮合

 クオリアは、共振・増幅・連結を続けることにより、やがて当初まった無関係と思われていた遠い異次元のクオリアと通底するようになる。これによってそれまで見えなかった関係が露わになる。その瞬間覚えず気づきの感動が伴って意識に光明がもたらされる。これがクオリア思考の創造性なのだ。クオリア思考は当初は、類伸律によって、とりあえず近くのものらから手当たり次第に共振を試み始める。それが思わぬ方向へ発展していって、異次元開畳が起こる。意識にはい次元と思われているようなものの間で、縮合が起こる。時限を越えてまったく新しいクオリアが創造される。分節的な言語思考では、こうはいかない。論理的なブロックが異次元=異質な境域への侵入を阻止する。この差が、創造性の差となって現れる。創造的な人は、論理の自己規制から抜け出るすべを知っているのだ。

類伸から貫入・反転・異次元開畳へ

  類伸率によって、類似・近縁のものとの共振だけを進めていたはずなのに、カラビヤウ空間の多次元性により、いつの間にか遠い異次元とさえ共振するようになる。そして、それらのクオリアと共振するうち、そのクオリアから延びてきた11次元の類伸の舌が、胎内深くもぐりこむ。そしてある時点で反転し相転移が起こる。以前のものとは違うクオリアに転移するのだ。異次元が開畳し、まったく新しいクオリアの世界となる。これが創造性の秘密を握っている。

カラビヤウ空間に無数の穴が開いているように見えるのは、この隣のクオリアから伸びてきた振動の舌を共振する胎内深く取り入れることによって開いた穴であり、この穴がある時点を越えると、からだごと反転し、別のタイプの共振パターンになる相転移が起こる。これがブライアンらが1987年に捉えた、鏡映対称性だ。

生命の歴史が創発の歴史であることは、みやすい。それはひもの共振にこのような創発的なプロセスが起こりやすいところからきている。

 

クオリアの創造性

ひも共振が、類似のパターンと共振しやすい性質があると仮定して、論を進めてきた。だが、ひょっとしたら、ひもはどんな異なる共振パターンのひもとも何らかの共振を起こす力を持っているのではないか。そう考えたほうが、なぜこんなに無数のクオリアが生まれたのかについて説明が付きやすい。おそらく、11次元のうち、反応しやすい次元があって、その次元でわずかな相互作用が起こり、新たなひも共振パターンに縮合される。縮合とは創造なのだ。そこでまったく新たな共振パターンが生まれる。こうして、ひも共振パターンは無限の差異をたゆたえるクオリアの海を形成した。いまも、ことなるクオリアと別のクオリアが出会うことによって、新しい共振パターンが縮合され、生成され続けている。世界が創造性に満ちあふれている秘密は、ひもの柔軟な創造性によるのだ。

 

 

 

 


2 すべては共振している

 

あらゆる物理現象が、振動するミクロのストリング(ひも)の共振パターンの変化によることが、最先端の物理学であるひも理論によって明らかにされつつある。

だが、物理学者は、われわれ生命体が、その生命特有のクオリアを通じて、世界と共振している存在であることを知らない。

 

それを明らかにすることが私の役割となった。一介のヒマラヤの舞踏家であるに過ぎない私の。世界の誰もがこの役割を引き受けようとしなかった。

すべては共振している。

まずこれがすべてだ。

そのことはからだを動かしながら、この世のあらゆるものと関わって生きていると、おのずからからだで分かる真実に過ぎない。それどころか、ヒマラヤの鷲でも、猿でも、山に住むヒルトライブの人たちでもみんなそんな共振に気づいている。当たり前だから誰もことさら言葉にしないだけだ。

私が開いているサブボディ学校ヒマラヤへくれば、誰でもそのことをからだで感じることができるようになる。では、なぜ、文明社会で生活している誰もがこんな単純なことに気づかないのだろうか。

答えは簡単だ。意識にとらわれているからである。意識は共振を知らない。

私も日本や諸外国で50年間暮らした。その間は、すべてが共振してることになぞ、まったく気づかなかった。意識にとらわれていたからである。意識はエゴにとりつかれている。文明社会にいると、意識優先のモードで生きていることが、全員にとって当たり前のことになってしまっているので、誰も意識にとらわれていることの弊害になぞ気づかない。もともと意識優先の意識モード以外のありかたがあることなどにも、気づかないのだ。

だが、近代西洋社会が一般化させたそのあり方以外に、ついこの間までの日本や、いまでもアジアや、南アメリカや、アフリカなどの先住民文化を大事にして生きている人々は、アニミズムやシャーマニズムなど、近代的な意識優先の意識モード以外のこころのありようを保存して生きている。

そういう地域を研究している文化人類学者の多くは、意識優先の意識をもって各地に「研究」に出かけ、意識優先の意識に映ったものだけを捉えて「研究」している。そんな中にも例外もいる。レヴィ・ストロースや、そのもっとも優れた弟子の中沢新一は、人間の意識が近代西洋型の意識優先の意識モードだけではないことを明らかにしつつある。それがどんなに重要なのかは、ほかの意識優先モードの意識にとらわれている人々には理解できないことだから、十分に評価されることがないが。

また、伝統的な瞑想や宗教の世界にいる人々は、もともと意識優先の意識が今日のように世界制覇する以前の時代に生まれた精神的伝統の中にたゆたっている。そこでは、だから、今日の意識優先の意識が世界を制覇したという問題がどんなに世界をゆがめているのかについての、鋭い感受性を持つことができない。意識優先の意識以外の意識状態がただの普通の状態であった時代の意識を保ってそのまま瞑想を続けているからである。極少数の東西の時空を行き来している人が意識優先の意識の危機に気づいている。

高度情報社会の中で50年生き、そして、そこでの息苦しさからヒマラヤに脱出した私は、二つの異質な世界を行き来し、その間に横たわる深い謎に取り組んできた。

深い謎とはなにか?

現代の近代社会に住むすべての人を覆っている意識優先の意識はある重大なものを覆い隠している。そのためにすべてが見えなくなってしまっているのだ。

ある重大なものとは、最初に書いたことだ。

すべては共振している。

われわれ生命体とは、その生命特有のクオリアを通じて、世界と共振している存在である。

クオリアを感じるということ自体が共振現象である。共振とはどちらかが吹っかけて起こるものではない。意識が勘違いしているような自動詞と他動詞の違いなどないのだ。共振はすべて、両者同時に起こる。どちらかが働きかけ、どちらかが働きかけられということがない。これが共振原理だ。意識にはとても捕らえにくいことだが、これがこの世で起こっていることの真実の姿なのだ。主体的意識によって動いているのではなく、私たちはただただ無意識裡にクオリアを感じてしまうという形で、世界と自己が自他の区別もなく共振している存在だ。

このことが、意識優先の意識にとらわれている限り覆い隠され続ける。もともと、生命体は言語意識など以前にクオリアで世界と自己を捉える存在であった。アメーバのような単細胞生物でも、からだで感じ取る、世界と自己との関係についての体感情報をクオリアとしてもっている。そのクオリアを通じて世界と共振しているのが、生命体としての基本的なありようだ。私たちの脳の神経細胞も、ひとつひとつはアメーバか粘菌のような単細胞生物である。ニューロンは彼ら一人一人が感じるクオリアによって世界と共振して生き、活動している。私たちが感じる意識とはそのクオリアによる判断を統合することで得られている。だが、意識はそのことを忘れ、あたかも自分がすべてを判断しているかのように錯覚している。途方もない幻想に捕らえられ一種の催眠状態にあるのが、現代の意識優先の意識の真の姿である。

意識を止めること。そうすれば一切が明らかになる。意識優先の意識によって、どんなに重大なことが感じられなくなってしまっているか。

からだをきもちよくゆらいでいる状態にし、意識優先の意識を止めて、下意識と意識が等しくつりあってゆらゆらゆれている状態をたもつ。その状態では下意識とからだは別物ではなく、ひとつに融合している。(以後この状態をサブボディモードと呼ぶ。) これはほんの少し瞑想の訓練をつめば誰でもすぐに体得できる状態である。意識優先の意識以外の状態があることなど信じず、意識優先の意識状態などたとえあっても、近代以前の野蛮状態に過ぎないと決め付けて自分の意識優先の意識へのとらわれを守ろうとする頑迷な人以外は、だれでも移行できる。(恥ずかしながら告白すると、私自身この頑迷さから50年間も逃れることができなかった。だから今のあなたがすぐ意識から逃れられなくても気にやむことはない。いつか気づく日が来るものだ。)

 

意識を止め、サブボディモードに移行する方法

 

静かな一人きりになれる場所を見つけて座る。             

朝一番がいい。あぐらなど楽な姿勢で座って、ゆっくり腰を回す。

両足を前に投げ出す姿勢や、横に大きくひろげるのもいい。いろいろ変えていくといい。静かに長い呼吸をしながら、骨盤からゆっくり回す。

しばらく続けていると、一番気持ちのよい速度が自然に定まってくる。

みつかったらその気持ちよさに全身をゆだねていく。

突然その速度を最低限のゆっくりとした速度にまで落とす。      

そしてからだの体感に耳を澄ます。

きっと、からだの中にえもいわれぬ気持ちよい快感の流れが漂っていることに気づくだろう。

それが感じられたら、下意識モードの入り口に達した証拠だ。    

おめでとう。きみは、意識優先の意識という催眠状態から醒めることができたのだ。

 

今日はここまでにしておきます。サブボディ学校での実践的な実験と交差させながら、じっくりこの共振原理を仕上げていくことにします。

 


図は、11次元に折り畳まれたカラビヤウ空間を振動する微細なひもの運動パターン(フランスのCG画家コロナ氏の提供による)

1 クオリア共振の海 
 

●わたしたちはクオリアの海に漂っている

ヒマラヤに来て、5年たった。この5年間毎日意識を鎮め、踊りが出てくるからだの闇に耳を澄まし続けてきた。

私たちのからだの闇には、言語になる以前の、あらゆる物事の質感や、体感、実感をなすクオリアがうねり流れている。わたしたちはみな、意識下でこのクオリアを通じて物事を捉え、判断し、行動している。だが、意識はこのクオリアを捉えることができず、その存在を等閑視し、言語を使ってものを考えているかのように錯覚している。この錯覚がどうして起こるのか。わたしには後に述べるように、そのプロセスを透明に見透かすことができる。

わたしは、この非言語的なクオリアが絶えず変容流動している、クオリア独特の運動原理を探り続けてきた。それは、わたしたちの意識にとってなじみの深い、三次元的な空間と一次元の時間からなる4次元的な時空の法則とは根本的に異なるしかたで動いている。それは、一つの時空から別の時空へ自在に飛び移り、変容し、また別の次元を開いて流動していく。多次元を連結し、縫い合わせ、自在に変容流動しているかのような不思議な動き方をする。それは誰もが知っている夢や、大昔の人が作った神話のできごとと同じような動き方をしている。

一体これは何なのか。この問いを追求する中でわたしは、現代物理学の先端的な理論であるひも理論において、わたしが捉えたクオリアの多次元流動的な運動原理と同様のものがより興味深い観点から記述されていることを知った。。

最先端の物理学・超ひも理論によれば、宇宙に存在するものはすべて、振動する極微のひもの共振パターンの変化によって生じている。ひもといってもそのサイズはクオークの何億分の一のそのまた何百万分の一のプランク長さという極微のサイズであり、かつまた、通常の三次元空間にのみ存在するのではなく、折り畳まれた11次元の時空で、無限のパターンで振動しているという。

原子を構成するクオークなどの素粒子や、電子、光、そして、電磁力、重力といった力もまた、ひもの特定の共振パターンの変化によって生起している。ひも理論によって、これまでの標準的な素粒子論では解くことができなかった重力とは何かという謎にも、答えを見出すことができるようになった。

ひも理論によれば、この宇宙は三次元の空間と1次元の時間というわれわれが知る粗大な4次元のみではなく、そこに折り畳まれた極微の11次元の時空からなるという。われわれが感知できるのは、その11次元のうち、ビッグバン以来大きく膨張してきた4次元の時空のみである。だが、ひもはその折り畳まれた極微の11次元の時空で無限のパターンで振動している。

もし、この理論が正しければ今日までの人間にとって未解明の謎の多くはこの未知の折り畳まれた7つの次元にその秘密が隠されていることが推定される。

クオリアもまたまだ解かれていない秘密のひとつである。クオリアは、われわれが赤を赤と感じる赤らしさなどの質感、からだで感じる体感、実感などのすべてを言う。われわれは言語でものを認識する以前に、下意識やからだの闇においてこの原始的なクオリアで物事を捉え、判断し、行動している。

このクオリアはわれわれの脳の一連のニューロンループが興奮することによって生じると考えられてきた。無数の連結発火パターンが、無数のクオリアを生んでいる。だが、神経細胞内の同時連結発火という物理的現象が、非物理的なクオリアを発生させているのではなく、ひもの共振がクオリアの生成と関連していると見ることができるのではないか。ひもの共振によって、クオリアという非物理的現象と、ニューロンの発火という物理的現象が一個二重のプロセスとして生成している。――この仮説が私の<クオリア共振理論>の根幹をなす。ひらたく言えば、クオリアはひもの共振によって生成している――これがわたしの仮説だ。

ひも理論によると、ひもは物質でも非物質でもない。いわばそれらを生み出す高エネルギーの振動そのものであり物質が分化する以前の根源的存在である。

ひもの共振は、物理的なニューロンの発火と非物理的なクオリアの両者を同時に生成する。物質過程と非物質過程が<一個二重>となる未知のプロセスが存在する。まだ解明されきっていない未知なる7次元時空に、物質過程と非物質過程が<一個二重>に生成する秘密が隠されている。

そう、私はほんの少しだけ、ひも理論物理学の説を拡張した。宇宙に存在する万物がひもの共振パターンの変化によって生成しているとしたら、われわれの感じているクオリアもまた、ひもの共振によって生成しているのではないか。

わたしが、この仮説に到達したのは、クオリアのもつ無限の諧調の多彩さに対応するものが、この宇宙にはひもの振動の共振パターン以外にはありえそうもないことに気づいたからだ。クオリアのもつ無限の精妙さはとても分子や電子や素粒子などの運動と対応するとは考えられない。それらが、クオリアの多彩さに匹敵するような複雑な運動をしているという報告も気配もない。ただ、唯一、ひも理論によるところの11次元で振動するひもの共振パターンは無限にある。クオリアの諧調の微妙さや精妙さもまた無限だ。このふたつの無限はどこかで何らかのしかたで接しているのではないか。

わたしの<クオリア=ひも共振仮説>によれば、微細に折り畳まれた7次元の空間でのひもの震えのわずかな差異が、クオリアの精妙な震えや微細なゆらぎを生み出している。ひも以外に、いままでに人類が見出している物質や力のなかに、こんなに無限の精妙さを生み出しうるものなどなにも思い当たらない。そうだとあなたも思いませんか。少なくとも、そう想像するのはなんと楽しいではありませんか。

もちろん、この仮説が成り立つためには、ひもの共振から、クオリアの生成までの間に、ニューロンの連結発火との関連など、いくつかの未解明の媒介項を解くことが必要だろうことは承知している。だが、その証明役は後世に譲る。いまはまだそれを探査する技術を人類はもっていない。ひも理論を証明するにも、ひもの存在があまりに小さすぎて、現存する加速器程度ではとてもひもの世界に届かないのだ。

わたしのクオリア共振仮説は、生命とはなにかという問いにも関連している。クオリアとは、元はといえば生命が自己維持のために創発したものだ。あるいは、生命とクオリアとはまた、一個二重のものと捉えるべきかもしれない。今の私にはまだこのクオリア共振論を生命論にまで拡張する用意はない。第3世代のシステム・オートポイエーシス論を展開している川本英夫が、オートポイエーシス(自己制作的システム)の特徴として<二重作動(Double Operation)>という概念を提出している。私が言う生命とクオリアの一個二重という捉え方と共振する概念だ。だが、それについても、後の課題として保留しておく。

われわれが生命やクオリアをめぐる秘密を解くまでにはまだ何百年、あるいは何千年もかかるだろう。 だが、その証明を待っている時間は私たちにはないし、待つ必要もない。理論や思想は、見通しにくい現実をより遠くまで見通すパースペクティブを与えてくれるためにだけ存在する。

いまはただ、私たちは、あらゆる事物や、力、エネルギー、そしてひょっとすると生命や、私たちのクオリアのすべてが、振動するひもの共振パターンの変化によって生じるという理論的仮説が、どれだけ遠くまでの見通しと、それによる新しい生き方の可能性を開いてくれるかを透視し、ただそれを生きればいい。

ただ一つのひもの振動が、共振パターンの変化によって、質量やエネルギーから、生命、クオリアへと多形多様に変容する。まさしく多次元無限変容の世界だ。みかけのがっしりした三次元世界とは似ても似つかない。私たちは早晩、世界の真相がそんな想像を絶するものだったと告げられることになるだろう。

事実、私が開いたサブボディ舞踏学校では、私たちがこのクオリア共振の海にたゆたっていることを、かんじることのできるからだに変成することからはじめている。そして、多くの生徒たちが実際にそれを感じ、クオリアの変容流動を捉えて、自分のサブボディ舞踏を創造することを行っている。それはとてもうまくいっている。不思議なほど、面白い舞踏が各人のからだの闇から生成してくるのを見るのは楽しい。クオリア共振論はその科学的正当性がどうあろうと、創造にはとてつもなく役に立つ実践的な生の技法を導くものでもあるのだ。

 

●粗大4次元時空と微細7次元時空

たとえば私は今、北インドの家からヒマラヤの山を見ている。私は毎朝山に感動する。私に山の姿が見え、心が動かされるということはどういうことか。山に反射した光が私の目に届き、私がそれを感じ取るということは、ひも理論でいえば、光特有の共振パターンをもったひもの振動が山に当たり、山と共振しつつ反射して私の目の網膜のひもを刺激する。光特有の共振パターンをもっていた振動するひもは、そこから神経細胞内を走る電気信号的なひもの共振パターンに変換する。そして、ひもが一定の共振パターンをとったとき、さらに山のクオリアに変換する。山のクオリアは私の脳に収蔵されている記憶や情動のクオリアと共振し、山独特の感動をもたらす。私が山のクオリアを感じ、感動するのはそういう長い幾重ものひもの共振パターンの連続変換によっている。

こういうふうに光から電気、物質粒子、さらにクオリアへとひもの共振パターンが転換していると捉えるのは、私たちの脳の勝手な都合に過ぎない。そうとでも考えなければとてもこの物質からクオリアへの転換を理解することができないが、ひもにとってはただただ融通無碍に未知の微細な7つの次元と粗大な4次元との間を自在に往還しつつ、未知の仕組みによって共振パターンを変化させているだけなのだ。それがこの粗大な4次元だけにとらわれたわれわれの意識には、物質からクオリアへ、心的なものへと、謎の転換を遂げているかに映る。

ともあれ、こう捉えることで、宇宙に実在する物質や力から、私たちの脳で生成流動するクオリアまでが、粗大な4次元時空と、微細な7次元時空の間を自在に出入りする、ひとつながりのひもの共振パターンの変化によって生成流動していることが透明に見通せるようになる。

現代の細分化され、分断された科学者は、互いに共振することを知らない。物理学者と脳科学者と心理学者の間に対話できる共通の言語がない。それは彼らが共振力を持たない言語意識によって考えていることによる。みんな狭い井のなかの蛙たちだ。そして、互いにその分野独特の方言で語るから他分野の言葉を聴くことができない。彼らが互いの分野で発見していることをクオリア次元に落として共振して受け取り総合すれば、共振するひもを通じ物質からクオリアにいたる大まかな流れをすでに人類が解き明かしつつあることが透き通って見える。そういう視点が訪れたのは、私がインドのヒマラヤにいるからだ。ここでは私は現代生活に必要な何に囚われずとも生きていける。

 

●共振は一個二重に起こる

あらゆる事物も力もクオリアも、振動するひもの共振パターンの変化によって生成流動しているという考え方は、私たちを覆っている旧弊な三次元的な知の制約への囚われから私たちを解放してくれる。

私たちは、これまで、たまたま粗大に膨張してきた3次元空間と1次元時間しか認知することができなかった。私たちの現代的な知はあまりに深くその限界に規制されている。それに囚われていることさえ感じ取れないぐらいに浸りきっている。その制約の中ではあらゆる事物は個物に分節され、差異と同一性を固定的に捉える思考習慣に染まりきっている。

だから、近代の人間はこころと物質とはまるで別物であるという二元論にとらわれてきた。それらがひもの共振から生まれる一個二重のものだなどと、想像もできなかった。

もともと宇宙には、物質とこころの差異などなかったのだ。ひもの共振によってそれらすべてが生み出されている。人類が心身二元論に囚われていたのは、わたしたちが粗大4次元を認知する知覚機能しか持っていなかったからだ。だが、ようやくその長いとらわれから解放されようとしている。人類の創造力は、爆発的に拡大することだろう。

ひとたびクオリアの運動する国に降りていけば、すべてがまるで違った運動原理によって動いている。

あらゆる事物やクオリアはひも同様、相互に共振しあっている。共振しているということは、どちらかが他方を動かすということではない。双方が同時に自発的に共振するのである。この共振の国では3次元の国のような差異と同一性は意味を持たない。わたしたちが個別的な自我や自己に分かれていることさえも錯覚なのだ。自己や世界を含め、あらゆる事象が一個二重のものとして共振しているまったく別の原理によって捉えられねばならないのだ。

人類はまだうまくこの一個二重の共振原理を捉える高次な知性を持つにいたっていない。考えてなどいれば、遅れた想像力が追いつけないのだ。これを捉えるにはからだごと、クオリア共振の世界に身を任すしかない。サブボディ舞踏の世界へ降りるよりないのだ。


●なぜ意識にはクオリア流動が捉えられないのか

クオリアがひもの共振パターンの変化によって生成流動しているとすれば、それはひもの振動と同程度のすばやさで変容していることが推定される。ひもの振動は、想像もつかないくらいすばやい速度で起きている。

ひもの振動速度はどれくらいか?という問いは実は意味を成さない。ひも理論によると、時間もまたひもの共振パターンによって生成しているのだから。どうじにひもは物質なのか否かという問いも無意味だ。ひもの共振によって物質が生まれるのだ。いわばひもは時間や空間のかけらのようなものであり、それらを生み出す原基なのだ。

クリアもまた、そのようなひもの共振から生まれた、物質とも時間ともつかない、まだ現代の人間の限られた知によっては定義できていないものだ。

そのクオリアはひもの共振速度で変容流動している。われわれはその泡立つクオリアの海に浸っている。これが世界の実相だ。

だが、われわれの意識は、クオリアが絶えず共振によってゆらぎ変容していることを知らない。なぜそういう奇妙なことが起こるのか。それは、意識のはたらく速度はひも共振のそれに比べてお話にならないくらい遅いからだ。

意識が働くためには、たとえば視覚神経細胞で捉えた特定の光のクオリアが第一次視覚野や視覚連合野のニューロンを刺激し、さらに前頭葉の統合認識野で総合されてなんらかの認知に情報変換されるまで、短いとはいえ0.3秒ほどの間、全神経細胞が同時に連結発火している状態を持続しなければならない。上位神経細胞から、末端の感覚神経細胞へ、最初に得たクオリア情報を固定し保持し続けるようフィードバック信号が下ろされ、その間視覚神経細胞から、上位の視覚野にいたるすべての神経細胞が一つのクオリアを捉えた状態を固定する。それでようやく全体としての認知が成り立つ。

それが成り立つまでに現実世界のすばやいクオリアの変容流動に応じて感覚神経細胞の捉えた内容が変化してしまえば、認知の根本をなす一連の神経細胞ループの同時連結発火が成り立たないからだ。意識が働くためには、かくも大掛かりな連結発火が必要となる。だが、そのために意識はクオリアの超高速の変容流動という現実からは疎外されざるを得ない。意識は決してクオリアが絶えず共振によって変容流動しているという現実には触れることができないのだ。

私たちは、意識を鎮め、下意識と意識が等価につりあう透明心身状態になってはじめて、われわれが絶えず泡立ちゆらいでいるクオリアの海に漂っているという実相に触れることができる。われわれが胎児だった頃から、ずっとそれは続いている。だが、意識を得たとたんすっかりそれに気づかなくなってしまっているだけなのだ。

クオリアの海と共振できるからだとなる

サブボディ舞踏学校では、まず、なによりわれわれがこのクオリアの海に漂っていることを実感する鋭敏なからだに変成することが最初の課題となる。来年度2007年のサブボディ舞踏スクールでは、これまで私がかろうじてからだで追いつくことができてきた限りでの、クオリアの運動原理を生徒に伝えようと思う。これは人類にとってあたらしい希望である。

わたしが本当に生み出したかったものは、サブボディ共振技法による新しい生存の技法なのだ。からだの闇の中に棲む、もっとも人間から遠く、もっともみすぼらしいサブボディを見つけて踊ることで、世界の果ての不幸と共振することができるからだとなる。古臭い近代西洋的な自我や意識に囚われて生きる利己的な生を強いられなくてもすむようになる。わたしにとって、この世に生まれた最大の不幸とは、強いられた利己的な自我を持たねば生きていけないかなしい世の中だったということだ。人間にとって利己的な自我と、利己的な国家ほどみすぼらしい不似合いなものはない。だが、いまや、かつてフーコーがその到来を予測したように、近代の西欧で生まれた偏狭な人間概念が海辺の砂浜に描かれた砂文字のようにかき消されていく日が近い。クオリア流動を肌身で感じ、世界と透明に共振する新しい人間の知と生存様式の創発が起ころうとしている。いやもう起こっている。自我だって? 国家だって?そんなものに囚われた生が、いまや時代遅れとなってしまっていることを知らないのかい?

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