●クオリアはどこにもある
生命あるものはすべてその生命特有の
「体感」的な内的情報システムを持つ。
その「体感」をクオリアという。
人間だけではなく、
細菌やアメーバのような単細胞生物から
植物、動物に至るまで、
その生物特有のクオリア流によって
生命を統御しているのだ。
このクオリア流に耳を澄ます。
毎朝ゆっくりと呼吸しながら
生命ゆらぎを聴く。
今日の調子はどうだい?
自分の生命にあいさつする
生命はその日の調子に応じた
返事を返してくれる。
すぐさま気持ちのいいクオリア流が
からだを流れ出すときもある。
なかなかそれが感じられない日もある。
でも毎朝こうして自分が
ただひとつの生命にすぎないところまで
降りていって、
生命に耳を澄ますことが大事だ。
何もかもそこから始まる。
庭や植木鉢の植物の
クオリアに耳を澄ましてみよう。
調子はどうかい?
とたずねるときっとどの植物も
(とってもいい気分だよ)
とか、
(水をもうすこしくれないかな)
とか
(土が固まっているのに水浸しにされて
これじゃ根が呼吸できないよ)
とか
特有のクオリアで語り返してくる。
それを受け取るのは
きみの生命体としてのクオリア流なのだ。
そのクオリア流が相手の生物の状態と
同じように共振するから
ことばなど交わさなくても
私たちは他の生物の状態が分かるのだ。
踊りがなぜ、言葉を超えて
ほかの国の人に通じるのかという
謎を掘り進めていくうちに
言語意識の下部に流れている
クオリア流の存在に気づいた。
それが共振するから
言葉なしに踊りが伝わる。
そして、ヒマラヤインドに住むようになってから
このクオリア流による伝達が、
他の生物との間でも
起こっていることに気づいた。
まわりの生き物たちは
毎朝日の光を浴びる瞬間、
夜のモードから朝のモードに変わる。
植物は呼吸だけしていた状態から
いっせいに光合成モードに変わる。
その変化は動物にも起こる。
眠りと休息を統御する副交感神経モードから
活動を統御する交感神経モードに変わるのだ。
鳥たちはさえずり、思い切りその生命感の変化を放出する。
あらゆる動植物がいっせいに共振しだす。
夜明けと共に
そういう劇的な変化が起こっていることに
気づくようになった。
ここにはそれしかないから、
気づけたのだと思う。
●人間だけが特別ではない
クオリアはあらゆる生命の間を等しく流れている。
クオリアの共振に境界はない。
これをクオリアの対称性と呼ぶ。
むずかしい言葉かも知れないが、
他にいい言葉がないので許してほしい。
対称性ということで、
生物界だけではなく物理学の世界へも
つながりを拡大していける。
物理法則は対称性の発見から始まる。
いろんなものの中に共通しているものを
発見すること。それが対称性の思考だ。
人間と動物の対称性
あらゆる生命の対称性
国家を超えた人類の対称性
――などなどへ発展していくことができる。
私は中沢新一の『対称性人類学』に共振する。
それは、人類がこれまでの近代的な制約から
解き放たれて、
かつて、フーコーが予言したような
新しい知の様式と生存様式を発見する
道を切り開く
とてもいいところへ切り込んでいっている。
新しい時代がすぐそこまで来ている。
意識だけではなく、意識から解離された
下意識の世界やからだの世界を統合して生きること。
意識と下意識を等価に行き来できる
生き方を身につけること。
それを切り開くのに最も近いのが、ダンサーと
解離性障害を持つ選ばれた人々なのだ。
ダンサーも解離性のひとも
それを発見しない限り生きていけないという
のっぴきならないところで生きている。
ダンサーでかつ解離性障害をわずらった
私にはこの必然的なつながりがみえる。
土方巽もフーコーもドゥルーズもレヴィ・ストロースも
全世界の解離性のひとびとも
みんな同じところへ向かっていたのだ。
私たちは人類の
新しい生存様式を求めないではいられない。
意識だけにとじこもって生きなければならない時代が
終わろうとしている。
わたしたちはその先端で苦しんでいる。
だが、この向こうに開けるのは
人類にとっての新しい生存の世界だとすると
なんと大きな希望の前に立っていることか。
なんだかわくわく楽しくなってくるじゃないか。
あなたも、そう感じませんか?
人間を特別の存在とみなす
近代意識によって
その原初的真実が見えにくくなっている。
意識状態だけが優先されてきたから
それ以外の生命と脳心身の働きが
無意識やからだの闇の中に解離されてしまった。
解離性障害者だけではなく、
本当はそれ以外の人のほうが
より強烈な解離によって
下意識世界を切り捨て
出てこないように頑丈な鍵をしている。
切り捨てられたクオリア流が
これじゃあ居心地が悪いと
意識の統御を離れ暴れだすのが
神経症だ。
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