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第1章 クオリアの流動性
生体は常に環界とともに動いている。その時々刻々の自分と世界の状態を、生命体はクオリアとして把握し、記憶していく。

私のいくつかの論考のなかでは、このクオリア論がもっとも荒唐無稽であり、理解されにくいと思う。ほかの生命論や透明論は人間としての感性を枯渇させていない人になら通じるだろうという確信がある。だが、このクオリア論だけは感性だけでは共振できない。何年もからだの闇と想像力を格闘させなければこの論考は生まれなかった。クオリアと生命の不思議さととことん付き合うこと。おそらく何百年もしないとそんな人は現れないだろう。それまではだれにもこれは受け入れられないことと思う。それでもよい。たったひとりでも私はいく。私の中で孤独になりたいという遺伝子が騒ぐのだ。


●はじめに

意識の下部、からだの闇の中をうごめいているもの、
その質感、体感、実感をクオリアという。
わたしたちの意識が何かを思考する以前に、
からだの闇ではクオリアを使った別種の思考が行われている。
意識はその結果を示唆され、ある方向に促される。
無意識裡にいつもそれに促されているのだが、
意識はそのクオリア流の促しを意識できない。
だからいつもまるで自分ひとりで何かを考え出しているように思い込んでいる。
意識が思い込んでいるもっとも大きな錯覚である。

クオリアは下意識の世界で、独自の運動原理によって動いている。
それは私たちが見慣れている現実世界の運動原理とは
似ても似つかない独特のものだ。

わたしは、長い時間をかけて、
このクオリア独特の運動原理を探ってきた。

だが、いまだにその総体を把握することはできていない。
というより、そこは部分と全体というような概念さえ通用しない世界なのだ。
わたしは自分がつかんだクオリアの特性をひとつひとつ書き留めていくことにしよう。
それが唯一クオリアという異世界の接していく誠実な態度だと思われる。


●クオリアは流動している

最初にあげねばならないのが流動性という特徴だ。
クオリアは一時として静止しない。
からだの闇の中を絶えず流動し、変容し続けている。
生命ゆらぎのようなごくかすかなゆらぎから、
生命独自の活休リズム、
たえず周囲が安全かどうかを感じ取り進退を調整する進退リズム、
気持ちよい状態か、不快かによる伸縮リズム、
誰かにつながりたいとか、離れたいとかという開閉リズム、
自分自身の思うようになれているかどうかの成否リズムなど、
生命体として持つ原初の反応はすべて独自の波動で変容流動している。
人間として生きているとその原初のリズムが聴き取りにくくなっている。
文明社会にどっぷり浸かっていると、外部情報のざわめきが多すぎて、
それにマスキングされてまったく聴こえなくなってしまう。
あらゆる心身の不調は、この生体として持つ原初の波動を無視して、
それに反するようなことをしてしまうことから来る。

ヒマラヤへ来るまで私は、毎日酒と睡眠薬をタップリ飲んで
自分を酔い潰さないと眠れないからだになっていた。
25年間日本でコピーライターとして働く間に、
睡眠リズムのようなものもまったく壊れてしまっていたのだ。
毎晩寝ようとする直前まで頭脳がかっかと燃え盛っている状態だった。

そんな生活から身を引き剥がすのに何年もかかった。
まだ、私のからだが生来の自然なリズムを取り戻したとは言えない。
とくにコンピュータに向かい始めると、
限りなく不自然な生活リズムに落ち込んでいく。
だが、インドの山奥にいて、世界とかかわりを持つには、
これは欠かすことができない。
矛盾はいつまでも付きまとうのだ。

※これに反して、言語は静止することができる。
これがクオリアとの大きな違いだ。
ひとたびあるクオリア流にぴったりした言葉が見つかると
私たちはその言葉にクオリアを対象化し、
落ち着くことができる。

”閑けさや石にしみいる蝉の声”
(芭蕉)

日本の俳句は流れているクオリアが
一瞬にしてもっともぴったりする言葉と結合し
結晶化する瞬間即興芸術だ。



 

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