| <急>に至る道 |
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●<急>とはなにか <序>から<破>を経て<急>にいたるいくつかの坑道がある。 ひとつめから見ていこう。 1.揉み寄せの<急> <序破急>の<急>とはなにか。 世阿弥は言う。 「急と申すは、挙句(=最後)の義なり。 その日の名残(=別れ際)なれば、限りの風(終末にふさわしい趣き)なり。 破と申すは、序を破りて、細やけて、色々を尽くす姿なり。 急と申すは、またその破を尽くすところの、名残の一体なり。 さるほどに、急は揉み寄せて(=変化を多くして)、乱舞・はたら き、 目を驚かす気色(けしき)なり。」 『花鏡』 「ことさら、挙句(=最後)急なれば、揉み寄せて(=テンポを早め、畳みかけて)、手数を入れて(技巧的演技を集中させて)すべし。」 『風姿花伝』 「万曲の面白さは、序破急成就の故と知るべし。 もし、面白くなくば、序破急不成就と知るべきなり。 恐らくは、なおこの心、得ること如何(いかん)。 奥蔵心性を極めて、妙見に至りなば、これを得べきか。 (どうすれば、この心を得ることができるのか。 心の奥底にひそむ根源の性まで極め尽くして、不可思議の悟りを得れば、 序破急の要諦を体得しうるかも知れない。)」 『拾玉得花』 一つ目の<急>にいたる確かな道は、揉み寄せの<急>だ。 手数を尽くして、持てる技のかぎりを出して畳みかけていく。 すべて出し切れば、自分にとっても見る人にとっても、 最後まで踊りきったという終わりのクオリアを、 共有することができる。 これは、努力しだいで誰にも到達できるもっとも確かな道だ。 下記の、2、3、4の<急>に至るまでは、 揉み寄せを練習して、身に着けてほしい。 2.転生の<急>:(世界像=自己像チャンネルにいたる<急>) 踊りの<序>から<破>にかけては、 さまざまなチャンネルをへめぐっていく。 体感チャンネル、動きのチャンネル、映像、 音像、情動のチャンネル、関係像のチャンネル……と。 そのたびに、新しい次元が開け、自全のなかのさまざまな 未知の次元を開畳していく。 それが、自全を旅するサブボディの踊りだ。 そして、その旅は、最後に世界像=自己像のチャンネルに いたることで、極致にいきつく。 世界=自己チャンネルは、単チャンネルとは違い、最大の複合チャンネルだ。 それではクオリアがまるごとクオリアとなって多次元の厚みを増す。 謎のすべてがそこで結びつく。 なぜ、ここまで踊ってきたのか。 ついに命のなりたいものになりこむためだ。 異界に転生する<急>だ。 どこにもない世界と自分を命が創発する。 その世界の住人となって生きて見せるのが転生の<急>だ。 ここにいたれば、何度も何度も繰り返しそれを踊ることだ。 それを続けていけばいつの日か謎が解ける。 その謎は踊り続けることによってのみ透明化する。 これが自全と世全に至るサブボディの旅の<急>だ。 3.臨生の<急> 衰弱体の踊りができるようになれば、 他界の死者に転生することで、<急>に至る。 他界から死者のまなざしでこの世界を見つめる。 それが臨生のまなざしだ。 健全なからだと自我の執着を脱ぎ捨て、 他界の住人に転生する。 そのとき踊り手は、個としての生命ではなく、 類としての生命に転生する。 死体となってはじめて、届けることのできる まなざしがある。 臨生のまなざしを観客に差し向ける。 それが最後の舞踏だ。 生者の世界は、輝かしいクオリアに満ちている。 死者はそのクオリアと共振することができない。 生あるものだけがクオリアと共振することができる。 だが、生者はそれを忘れて、 何か楽しいことでもないかと劇場へ足を運ぶ。 その生者たちに突きつける。 きみの生こそが奇跡なのだ。 そこで生きろ! そここそが命があらゆるものを創発する奇跡の場所だ。 土方巽は晩年のソロで ひたすらそのメッセージを届け続けた。 輝きを失った日常の生に溺れる人々に 命の創発の輝きを思い出せと語り続けた。 その臨生のまなざしの意味は 愛弟子の芦川羊子にさえ理解されなかった。 そんなものだ。だが、受け取るべき人には確かに届いたのだ。 4.命に至る<急>: 「幾万回でも踊れるか」と問う。 その踊りが<急>であるかどうかは 命にこの問いをぶつければすぐ分かる。 「この踊りを幾万回でも踊れるか?」 もし、命が「然り!」と答えれば それは紛れもないきみの<急>の踊りだ。 倒れるまで踊り続けたまえ。 それを踊るのがきみの使命だ。 使命に至ればいつ死んでも惜しくはない。 |
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