| 探体法19 エッジを踊る |
●エッジに出会ったとき、どうすればいいか? サブボディ世界の旅を続けていると、しばしばわたしたちはとても困難な境界(エッジ)に出くわす。からだの底からいやな感じが立ち込めてきて、それ以上進むことができなくなる。 なにかがわたし達を強い力でブロックして押しとどめるのだ。 こんなとき、いくつかのとりうる手立てがある。段階に応じて、注意深くそれらいくつかの態度を取りながら進むことで、なんとかその困難を乗り越えることができる。 1.最初はただそれを認知するだけでいい からだの闇で言いようのない不快な体感にぶつかって動けなくなったとき、 最初は、「ただ、そこになにかブロックするものがあること」に気づくだけでいい。 無理にそれを乗り越えようと自分を強いる必要はまったくない。からだのなかには無数のサブボディがあるのだから、別のサブボディに乗り換えて動けばいい。からだの闇は多次元の迷路でできているから、別のサブボディを踊っていると、そのうちいつか気づくことになる。いつしかふと後ろを振り返れば、前に直面してとても乗り越え不可能に感じられたエッジがそこにあることに。あるいは、はるか下方に随分小さくそのエッジが見えることもある。 2.つぎは注意深く耳を澄ます すこしその不快な感じに慣れてきたら、耳を澄ましてみる。いったいこの不快な体感は何を告げようとしているのだろうか? というのは、いつも命からのもっとも大事なメッセージは、この不快な、収まりのつかない奇妙な体感を通じて届けられるからだ。日常体は、不快な感じには眼を瞑り忘れようとするのが相場だ。だが、サブボディ世界に通じれば通じるほど、命からのもっとも重大な声は、決まってとても不快な体感と共に届けられることが分かってくる。もっとも不快なものの中にもっとも大事なものが詰まっている。この逆説を受け入れることだ。――わたしは自分の経験から、そうアドバイスする。不快を我慢して耳を澄ましているうちに、とんでもない気づきがやってくる。そのときの光明に満ちた快感は、何もかも忘れさせてくれるほど強烈だ。例外なく、だれもがその喜ばしい気づきを体験することができる。わたしは自信をもってこれを勧めることができる。 3.エッジになりこむ もっと力をつけてきた段階では、思い切ってその不快な体感に両面からなりこんでじっくり味わってみる。 自分にもうエッジと取り組む準備ができていると実感できたとき、タイミングを逃さず、ミンデル譲りの<エッジ・ワーク>に取り組むのがいい。 <エッジ・ワーク> パートナーを見つけペアになる。(A:仕手、B:受け手、次いで役割交替) 一方が自分の感じている不快な体感を、からだで相手に伝えてみる。 たとえば、Aが自分でとても強い情動的なブロックに出会って身動きできないと感じているとすれば、相手の胸と背中を両手で押し付けるなど、できるだけ忠実にその感じを相手に伝える。受け手はその不快感をからだ全体で受け止め、でてくる自然な反応に任せて動く。自然にその不快感になりこんで身をよじって蠢めく動きなどが出てくる。Aはなおも押し続ける。Bはさらに苦悶に身をよじりながら動く。蠢いているうちに、AにもBにも次第にこのエッジの体感が共有できてくる。それがなにものであるのか、ことばではなくからだで分かってくる。 次いで役割を替えて、Bが自分がAから受けたと同じ体感をAに与える。BがAの胸と背を同じ力で押し付ける。Aは逃れようと蠢く。なおもAがBを追っかけたようにBもAを押し続ける。 ついで、Bが仕手になり、Aに自分のエッジの体感を伝える。そして、同様に役割交替をする。 やがて、十分にこのエッジを両面から味わえたと思えたときにワークを終わる。 AにもBにも、なんとなく突き抜けた感じがからだに湧いてくる。言葉ではすぐには言えなくても、からだがなにかをつかんでいる。 その開けた体感を味わうために、ひとりひとりが自分のからだを探る自己探体の時間に入る。 それぞれの体感と気づきをさらに深く探求して、今日のサブボディの動きを見つける。 4.エッジを踊る 最後の段階はエッジを踊ることだ。 <エッジの動きで相手に近づいていく> <エッジ・ワーク>の透明デュエット版ともいえる。 ここから先はミンデルにもない。サブボディ技法独自のものだ。 ペアになり、一人が先の探体の時間の中で見つけたサブボディの動きをしながら相手に近づいていく。もう一人のほうは、遠くから近づいてくる相手の動きに対して、自分の命はどう共振して震えるか、出てくる自然な反応に身を任せて動く。 じょじょに距離をつめていく。1メートル、30センチ、3センチ、触れるか触れないかの距離に近づいていく。そして、肌に触れ、押し付け、さらに強く押し込んでいく。 受け手のほうは、出てくる自然な反応に従う。時には主格の差異がなくなって二人でもみ合いながら動くことにもなる。命には主客の差異がなく、ただ共振だけがあるということが実感できる境地までいけるときがある。 <エッジを踊る> この第二段階のエッジ・ワークを経て、 サブボディ・コーボディ劇場ですべてを出し合う。 ソロの振り付けの中にエッジの踊りが出てくる。 デュオでエッジになりこみ関わりあう。 グループ即興の中では、実に多次元的なエッジとエッジの出会いが起こる。 だれが主体で誰が客体であるかなどの区別はなくなる。 世界チャンネルと自己チャンネルの区別もつかなくなる。 サブボディは共振するコーボディに変成する。 どんな動きが出てくるか、誰にも予測できない。 超伝導状態にも似た、不思議な異次元に劇場ごと変成する。 その超伝導状態の中で踊りあうと、だれもが命の出来事を、 あらゆる側面から体験し、味わいあえる。 スーパーレイティブな多数多次元的な出会いの連続になる。 予期せぬ出会いがあり、とんでもない荒々しい渦も沸き起こるかもしれない。 やがて全員が十分に踊りきったと感じられたとき、全員で終わりを見つけて終わる。 一人のエゴの判断ではなく、全員のサブボディがコーボディに変成すると コーボディとしての<序破急>の終わりが自然に見つかる。 静寂が満ちる。 全員が異界に転生し、異界からのまなざしを、 観客に差し向けることができるかもしれない。 終わった後は放心に似た恍惚感がからだに満ちる。 言葉を交わすことでは得られない、深い命と命の共振を体験できる。 至高体験にも似たその命の震えは一生忘れられないものになる。 |