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動くからだには、静寂体にない特徴がある。
それは、動くからだは常に無数のチャンネルのクオリアが、
共振しつつ変容流動していることだ。
●静体技法と動体技法
日常体を鎮め、サブボディモードに入っていく方法に、 静体技法と動体技法がある。
静体技法は、ゆらぎ瞑想などを通じて 限りなくからだを鎮めていく。 日常体が対応する粗大な刺激に対し サブボディが使うクオリアは 何万分の一以下というかすかなものだ。 日常体を限りなく鎮めることでそのかすかな サブシグナルをキャッチできるようになる。
これに対し動体技法は、 日常体が行わないような動きをどんどん行っていく。 日常体はごく限られた動きしかしないという 囚われの中にあるからだ。 その囚われを脱するようにあらゆる奇妙な動きを試みる。 動いていると<からだが思いつく>ということが起こる。 ふとこんな動きをして見たいという動きの思いつきだ。 それに直ちに従う。どんな動きでもいい。 奇妙奇天烈であればあるほどいい。 それにからだごと乗り込んでいって楽しむ。 そして、動きの中で次々と別のチャンネルを開いていく。 動きながら映像チャンネルを開く。 獣目になって獲物を捉えたり、逆ににらまれたり、 内部の闇を覗き込んだり、闇のゆらぎをみつめたりする。 これも日常体が行わないような目の動きを楽しむ。
つぎに、音像チャンネルを開く。 からだを楽に動かしながら、 体腔いっぱいに空気を吸い込む。 そして、のどをリラックスさせ、 体腔から自然に出てくる体腔音声を楽しむ。 日常体の人間の声や歌ではなく、 それ以外の音や声がいくらでも出てくるのを楽しむ。
そうしていると感情チャンネルにつながる。 出てくる体腔音声が、奇妙な情動や感情と共振する。 死者の声に聴こえたり、苦しみもがく末期の声に聴こえたり 何かとのいさかいの気配を帯びてきたりする。 つられて出てくる感情に乗り込んでみる。 するとまた思っても見なかった展開になる。 意外性を楽しん出さらに乗り込んでいく。
感情の動きは当然人間関係チャンネルにつながる。 誰かとつながりたいのにつながれなかったり、 誰かとのかかわりの世界が広がったりする。 見たこともないような想像上の奇妙な生き物との間に これまで体験したこともないかかわりが生まれていく。 思わぬちょっかいを出されたり、邪魔されたり、 予期しないことが次々と起こる。
さらに世界像=自己像チャンネルが開く。 周りの世界がとつぜん変貌する。 狭まってきたり、液化していったりする。 世界像の変貌に自己像の変貌が対応する。 泳いだり飛んだりする生き物にきみは変わる。
そこまで行ったら、もう何もかも自在になる。 多次元変容流動するサブボディの世界に入ったのだ。 あらゆるチャンネルから別のチャネルへ自在に移っていく。 さらにチャンネルなどの制約が消えて チャンネルに分化する以前のクオリア流動を楽しめるようになる。 クオリアの超伝導状態ともいえる世界が開く。 そこでは、からだの内外という仕切りや、 自他という境界、心身の区別、類と個の違いなど 日常世界のありとあらゆる境界が消えていく。 クオリアの世界にはもともとそんな仕切りなどない。
それは日常世界の幻影に過ぎないからだ。
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