| 調体法7 百丹受動 |
●動かされるクオリア 動かされるクオリアは、動けないクオリアと並んで、生命にとっ てもっとも深いクオリアのひとつである。 40億年前に出現した原初の生命は、まったく動けないか、ほと んど動けないかのどちらかであった。 その後も、10億年前に多細胞生物が出現するまでは、単細胞生 物時代であり、蠕動や鞭毛、繊毛など、ごく微細な運動器官によ って動けるのみだった。 40億年間のうちに、ありとあらゆる<動かされるクオリア>が 生命記憶に刻み込まれていった。 重力にもてあそばれ、風雨、嵐、波浪、潮流、雷、火山、地震, 、隕石の衝突、氷河期、他の動物の脅威などありとあらゆる予期 せぬ力に翻弄されてきたのが生命だ。 生命はそれらの予期せぬクオリアのすべてを体験し、生き抜いて きた。 それらのクオリアはすべて、遺伝子に生命記憶として刻印されて いる。 時に応じてそれらのクオリアが発現し、どんな不意のクオリアに も対応できるようになっている。 少々の事が起こっても、40億年間に蓄積されたクオリアの知恵 によってどんな生命も事態に対応できるのだ。 ●百丹受動 百丹三元と同様の手順で、仙骨から頭まで、そして、すべてのか らだの部位で、三元方向に不意に動かされるクオリアを体験する 。 百丹三元と同様、二つの8の字が直角に交差したダブルエイトの 動きに沿って、何か他の力によってあちこちの方角に不意に動か される。緩急、強弱もランダムに起こる。 百丹のすべてが終わった頃には、立派に<動かされるクオリア> に満ちたからだになっている。 自分が人間であることなど忘れ去る。 世界の中のどんなクオリアにも乗りうつられる、 媒体のようなからだになる。 これは十体の中の<憑依体>にいたる練習の一環ともなる。 舞踏とは、自分を表現するために踊るものではまったくない。 舞うのではなく、何ものかに舞わされる。 異次元世界の何ものかがからだに乗りうつり、 それが踊るのだ。 踊りを自己表現としか捉えられない西洋風のダンスとは この点が根本的に違う。 Butohを身体表現だと曲解している 修行の足りない自称舞踏家も多い。 舞踏とは、せまっ苦しい「人間」概念に囚われた 自己表現などとは桁の違う異次元世界に遊ぶ技なのだ。 |
| 参考:百丹三元の効果については、共振塾ジャーナル2007年3月14日『サブボディの宝庫が開く』に書いた。 |