座位あるいは立位で、最小呼吸をしながら、
もっとも静かなからだ(静寂体)になる。
そして、からだ(脳心身すべてをさしてこう呼ぶ) に起こるクオリアゆらぎに耳を澄ます。
どこまで微細に、クオリアのゆらぎを聴き分けられるか、 その違いを味わうことができるか、 ただただそれに聴き入っていく。
やることはそれだけである。
言葉にも動きにもしない。
ただからだで咸じる。
からだのフィジカルな動きを最小にする。
どんなに静止しようとしても
生体はいつも微細にゆらいでいる。
フィジカルな動きを止めても
クオリアがゆらいでいる
クオリア止めても
生命がゆらいでいる
その極限の静寂体になったとき
フィジカルなゆらぎなのか、
クオリアのゆらぎなのかの
区別がつかなくなる帯域が現れる。
ただ生きているというクオリアから、
現在の私たちが感じている多くのチャンネルのクオリアに
分化してきた生命40億年の歴史の中でもっとも古いのが、
体感チャンネルから体動チャンネルが分化していくプロセスだ。
からだで感じていることと、からだの動きを感じることの、
微妙な間(あわい)のクオリアを味わう。
これは体感流と体動流のあわいに耳を澄ますことだ。
そしてからだを動かすことと、からだを動かすイメージをいだくことの
微妙な間(あわい)のクオリアを味わう。
これは体動流と、体像流のあわいに耳を澄ますことになる。
ごくごく微細な差異だが、
根本的に違うものであることをからだで納得できるまで聴き入る。
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