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人間の脳に一度刻み付けられたクオリアは、
永遠にその鮮やかさを失わぬまま輝き続ける。
(クオリアとはからだで感じていることのすべてだ。)
それが50年前に聴いた祖母の声のクオリアであれ、
57年前に失った母の肌のクオリアであれ、
まったく輝きを減じぬままいつだってよみがえってくる。
それをなぜだろうと
疑問に感じたことはありませんか?
これらのクオリアがあまりに鮮やかなままなので、
私は、それが脳細胞のニューロンの組み合わせのような
あいまいなものによって保存されているのではないと思いはじめた。
脳のニューロンには、
クオリアの保存場所に正確にアクセスしてクオリアを呼び出す力が
あるだけなのではないかと。
一度生成したクオリアは、
人間の目に見えない微細次元で
永久に振動し続けているのではないか。
これが今日の本題の、<クオリア永久仮説>である。
だが、それを説く前には、
これまでに展開してきたクオリアと生命とひもをめぐる
いくつかの仮説を整理して紹介しておく必要がある。
1.<クオリア=ひも仮説>
これまで何度か繰り返してきた、
もっとも基本となる仮説がこれだ。
物理学のひも理論によれば、
宇宙のすべての物質やエネルギーは、
11次元の時空で振動している微小なひもの
共振パターンの変化によって生成されている。
すなわち、宇宙には
こんにちわれわれの眼に見える形で粗大に広がっている
3つの空間次元とひとつの時間次元からなる
4次元時空だけからなるのではない。
それらの4次元だけがビッグバン以来
何らかの理由によって粗大に拡大してきたが、
それ以外に7つの次元が微小な空間
(プランク長さという10のマイナス33乗メートルという宇宙最小の距離)
の中に閉じこめられたまま存在し続けている。
そして、宇宙の万物、あらゆる質量やエネルギーは
この11次元で振動しているひもの
共振パターンの変化によって生成している。
質量とエネルギーがE=mc2の変換式によって
相互に転化しうる同じものだというのは
アインシュタインの相対性原理によって明らかにされた。
私はこのひも理論の説に、
質量やエネルギーだけではなく、
クオリアもまたひもの共振パターンの変化によって
生成しているという説を加える。
これが<クオリア=ひも仮説>だ。
クオリアには質量もエネルギーもない。
だが、まぎれもなく実在している。
われわれ生命体はみなクオリアを使って生きている。
クオリアとは生体が感じているものすべてのことだ。
こころだけではなくからだで感じているものも含むので、
正確に言いたいときには
クオリアを<咸じる>と表記する。
この質量もエネルギーも持たないクオリアは
、11次元のひも振動のうち、
微細な7次元での振動によって生成する。
粗大な4次元に展開したひも共振は物質を生み、
微細な7次元の共振が非物質のクオリアを生んでいると考える。
このクオリア=ひも仮説によって、
ひも理論は、たんなる物質の理論ではなく、
宇宙の物質も非物質も、
すべてがひもの共振パターンの変化によって生成するという
究極の万物の理論へとパラダイムを転じる。
これが私が目指している共振性理論の全貌である。
それは上記の<クオリア=ひも仮説>をはじめ、
以下の7つの仮説からなる。
ひとつひとつ紹介していこう。
2.<クオリア=生命仮説>
生命は、単に物質の自己制作システムではない。
物質と非物質のふたつの世界を併せ持つ存在である。
生命は物質の自己制作システムが、
この微細次元で振動しているクオリアとコンタクトすることによって、
それを利用して生命の自己制作と
自己創発を永続化していく仕組みを
獲得することによって発生した。
物質だけでは、
生命を維持創発していくのに、どうすればいいかという
指針を得ることができない。
生命は自らを維持していくのにすこしでも有利なクオリアを咸知し、
その有利なクオリア共振の方に
みずからの身を投げ出していく力を身につけることによって
はじめて成立したのだ。
すこしでも有利なほうへ身を投じていく
ひも共振レベルの志向性がなければ
生命は自らを維持することも創発することもできない。
そう。私たちは今、生命を定義することができる。
生命とは自己維持を志向し、
自己創発を含む自己維持を繰り返していけるようになった
一連のひも共振パターンのループなのだ。
生命とクオリアの発生は同時である。
一個二重のものといってよい。
もともと微細次元でのひも振動は
宇宙開闢以来続いていた。
11次元で振動するすべての物質、
すべてのエネルギーは、
ひも共振の粗大振動部分も微細振動部分をももっている。
このうち、微細振動部分をクオリアとして、
生命維持のために利用することができるようになった
ひも共振パターンループが生命である。
生命の発生と同時に、
微細振動部分が生命維持に利用できる
クオリアとしての意味を持つようになった。
その意味で生命とクオリアの発生は一個二重なのである。
粗大次元に物質的身体を持つ生命が、
いったいどんな仕組みによって、
微細次元で振動しているクオリアを
とらえることができるようになったのか。
この問いに答えるのが次の<妙間仮説>である。
3.<妙間仮説>
生命はなんらかの仕組みによって
粗大物質次元と、微細クオリア次元を
自在に往還することができる。
この仕組みがどんなものかは、まだ分からない。
だが、何らかの仕組みが存在することによって、
粗大界に物質的身体をもつ生命が、
微細界で振動するクオリアをとらえ、
咸じ、利用することによって
生命を維持・創発させていることは確かだ。
この何らかの仕組みをとりあえず<妙間>と名づける。
何らかの精妙なる間隙というこころだ。
生命体はこの妙間という特殊な位相に存在する。
生命だけの存在位相だ。
これを<妙間仮説>と呼ぶ。
<妙間位相>とは、生命特有の存在位相なのだ。
宇宙にはこのような存在の仕方をしているものは
生命のほかにはない。
ここでいう生命とは地球型生命を意味する。
大宇宙の中には地球型生命とは異なる存在位相を持つ
別の型の生命体も存在するかも知れない。
たとえば、微細次元だけに棲む生命とか、
あるいはわれわれと同じく粗大=妙間=微細の全次元に広がって
生命を展開しているが、
地球型生命とは違う仕方でクオリアを利用している生命
その他の可能性が考えられる。
だが、それが具体的にどんなものであるかは、
今の私の想像力の守備範囲を超える。
私の想像力はいまのところ、
地球型生命の存在の仕組みを
思い巡らすだけで手一杯なのだ。
4.<クオリア永久仮説>
そして、4つ目の仮説が
この章の冒頭で触れた<クオリア永久仮説>である。
すでに述べたようにこの宇宙には、
粗大に展開した時間次元は
われわれが知る4次元時空のなかの時間次元しかない。
残りの7つの微細次元には時間がない。
より正確に言えばわれわれが知るような
粗大に展開した時間次元は存在しない。
時間があったとしても
それはわれわれが知る時間とは似ても似つかない別種の時間であろう。
宇宙科学者のスティーブン・ホーキングは、
ビッグバン以前の時間として<虚時間>を想定している。
微細7次元の中に時間次元があるとすれば
この<虚時間>のような次元だろう。
クオリアが生成する非空非時の微細次元、
そこにはわれわれが知るような時間ではなく、
別種の<虚時間>が存在する
見知らぬくになのかもしれない。
ともあれクオリアはこの時のない非時間
あるいは別種の虚時間が存在する微細次元で振動している。
粗大次元に属する目から眺めれば、
そこでは時は止まっているかのように見える。
一度生成したクオリアは微細次元で
永遠に振動し続けている、と捉えられる。
生命体は、粗大次元と微細次元をつなぐ妙間を通って
いつでもこの微細次元で振動し続けている
クオリアを呼び出すことができると考えてみる。
いわば、ハードディスクやCDなどの
外部メモリにアクセスして
保存されている記録を呼び出すように、
微細次元で振動し続けているクオリアを
呼び出すことができると考える。
この場合、微細次元でいつもクオリアは振動し続けていることを、
励起状態にあると定義する。
その励起状態のクオリアが、
生命体にコネクトされない限り
それは潜起状態にあると定義する。
生命体が潜起状態にあるクオリアを呼び出し
脳内映画館のスクリーンに映し出す。
これを顕起状態のクオリアと呼ぶ。
そこには生々しい体感や映像や音像が詰まっている。
そのクオリアに伴い私たちのからだはビビッドに変化し、
わくわく心が躍ったり、
快感や恐怖や不安などの情動や欲望が喚起される。
5.<クオリア連鎖仮説>
クオリアはすべてひも共振によって生成する。
ところがすべてのひもは共振によってつながっている。
一つ一つのクオリアはそれが発生したときの
生体の内外の状態と密接に共振連鎖している。
あらゆるクオリアは状態依存的なのである。
このため、生体はかつて体験して強烈に刻み込まれた
クオリアが生成したときとと同じ状態に遭遇すると、
連鎖共振によって、
生体内のあらゆる心身状態が
そのクオリアが発生したときと同じ状態に再現される。
トラウマのように
生体の安全を強く脅かした体験のクオリアは、
とくに生命維持のために重要なアドレナリンを中心とした
一連の情報伝達物質群の状態と共振連鎖する。
何らかのきっかけで、
トラウマとなったクオリアの一部がよみがえるときは、
最初にそれが発生したときと、同量のアドレナリンが放出されて
興奮・緊張状態のからだとなり、
その他の情報伝達物質も同量に出て、
同じ恐怖や闘争反応やあきらめ反応などの
生体反応状態を再現する。
これがフラッシュバックと呼ばれる現象だ。
これに反して、
たとえば胎内でゆらいでいた頃のクオリアが呼び出されるとは、
そのときと同じふれあいホルモンのオキシトシンや、
快感ホルモンのドーパミンや、
恍惚をもたらすベータエンドルフィンなどの
ホルモンがからだ中に充満し、
安心とくつろぎに包まれる。
ゆらぎ瞑想、胎内回帰瞑想、
そして、共振タッチをうまく併用すると、
だれでもこの胎内エクスタシー状態を味わうことができる。
クオリアはいつも他のクオリアと連鎖して共振している。
これを<クオリアの連鎖仮説>と呼ぶ。
6.<クオリア乗り換え仮説>
このほかにも、
共振論第4章で述べた
<クオリア乗り換え仮説>がある。
クオリアは万物のひも共振のうちの
微細次元での振動部分のみに関わり、
粗大次元での共振パターンの変化が、
物質やエネルギーを生成する。
このため、クオリアは粗大次元の振動が変わって、
そのクオリアを担う物質が変化しても
同じクオリアが伝達されていくことが可能である。
人が赤い夕日の光のクオリアを認知するとき、
最初そのクオリアは
目に到達する赤い光そのものに担われている。
それが網膜の神経細胞を伝わる電気信号に変換される。
ひも共振のあり方は、光から電気に大きく変わるが、
電気信号を生成するひも共振パターンの微細部分には
赤のクオリアがちゃっかり伝達されて乗っかる。
ニューロンとニューロンのつなぎ目では、
電気信号から情報伝達物質の分子の化学信号に変換される。
だがこのときも、
電気信号が伝えてきた赤のクオリアの微細共振要素は、
化学物質を構成するひも共振パターンの微細振動部分に
ちゃんと伝達され運ばれていく。
こうして、クオリアを伝える物質や
エネルギーの媒体がどう変わろうと、
微細振動部分のクオリアは正確に伝達されていくのだ。
これが<クオリアの乗り換え仮説>である。
クオリアを人間にたとえると、
彼が乗り物をジェット機(光)から船(電気)、
さらに自転車(化学物質)に乗り換えようと、
人はそのまま運ばれていく。
人が微細振動部分であり、
乗り物が粗大振動部分ということになる。
アメーバなどの下等生物は、
体内の原形質に浸透してきた
化学物質のクオリアをそのまま捉え、
神経のある高等動物ではそれを
電気信号に変換して受け取る。
人間のような高等動物では、
それらあらゆる伝達媒体をすべてミックスした
多様な乗り換えが使われている。
以上の仮説は相互に共振している。
すべての仮説が、
この巨大なひも共振の連鎖の総合である
宇宙の秘密を説こうとするものであるから、
仮説同士が共振しているのも当然のことだ。
われわれはあらゆるものが多次元的に共振している、
万物の共振の海にいる。
この共振の仕組みを少しずつ解いていくこと。
これに勝る知の楽しみはない。
だが、知といっても
従来の意識的自我が使ってきた旧型の知ではない。
7.<透明知仮説>
以上の仮説は、意識が考え出したものではない。
意識を鎮め、
意識と下意識が同じレベルで半々に釣り合う
透明覚の状態になれたとき、
万物のありようがすべて透き通って見える
透明な知が開く。
西洋的な科学の知でもなく、
東洋的な伝統知でもない。
古今東西のなにものにも囚われない
透明な心身になることが大切だ。
とらわれをなくして、
ただ自分自身の生命と世界との間に起こっていることを
あるがままに透明に見ればいいだけだ。
わたしの共振理論は、
意識が作り出したものではない。
意識半分下意識半分の透明覚が見出したものだ。
意識は透明覚が捉えたものを、
大急ぎで筆記しただけだ。
透明覚がこれらの仮説の創造者であり、
意識は書記役を果たしたに過ぎない。
あるいは、創造者という言い方も御幣がある。
ただ、透明覚にこれらの仮説が
じょじょに見えてきたというだけだ。
長い時間のなかで思いついては記してきた仮説を
今日は七つ並べて一覧してみた。
するとまた、それによって浮かび上がってくる
新しい地平がある。
最後に触れた
透明覚をいかに形成していくか
という課題が今後の地平のひとつとして
浮かび上がってきた。
また、もうひとつは
ひも共振によるクオリアが、
いったいどんな仕組みで短期記憶や
長期記憶に転じるのかを
解明する課題の地平である。
少しずつ、少しずつ
あらゆるものを覆い隠していた霧が晴れていく。
だが、それにもまして闇の深さ、
底知れなさが立ち上がってくる。
これらの闇は、
存在するとは何か、
時間とはいったい何なのかという
問いに関わってくる。
かつてこの問いを先駆的に問うた
ハイデガーの問いを、
<クオリア=ひも理論>の地平で
新たに問い直すべきときが来ているのかもしれない。
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