| 3 クオリアの運動原理 |
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| ●世阿弥とクオリア クオリアの動きは遺伝子によって決定されている。夕日の赤を目にしたとき、誰もの心の中に言いようのない感動が起こる。よい踊りを見れば大小の差はあれ、誰もの胸の奥底で打ち震えるクオリアが発生することを禁じることは出来ない。
世阿弥はすでに六百年も前にこのことを指摘している。 「舞歌の曲をなし、意景感風の心耳を驚かす堺、覚えず見所の感応をなす、これ、妙花なり。これ、面白きなり。これ無心咸なり。この三か条の感は、まさに無心の切なり。心はなくて面白と受けがうものは何物ぞ。」 『拾玉得花』(1428年、世阿弥66歳) 感という漢字の心を取り去って、この無心咸が心によるものではないことを強調している。あきらかに通常の意識的心以外のものがうちふるえていることを鋭く捉えていたのだ。この<咸>、<無心咸>こそここでいうクオリアなのだ。 「面白き位より上に、心にも覚えず「あっ」という重(=段階)あるべし。これは感なり。しかれば易には、感という文字の下、心を書かで、咸ばかりを「かん」と読ませたり。これ、まことの「かん」には心もなき際なるがゆえなり。」 『花鏡』(1424年、世阿弥61歳) それどころか、動物たちと心が通じるのも、この<クオリア=咸>の共振原理によるものだ。そして、おそらく、樹のそばにいると心が落ち着いてくるのも木々のクオリアと共振しているからなのだ。 ●クオリア共振は自然現象だ生命もまた、自然界の自然現象だ。生命もひも共振と関連した自然現象であり、クオリアもまた自然現象なのだ。なんだか人間だけを特別扱いするようになって、そうであることを思い出せなくなっていた。マルクスの自然主義=人間主義という哲学を学びなおす必要がある。かれはとてもナイーブにかつラジカルに世界を見つめる目を持っていた。 生命が自然に属すことは誰でも分かるが、自然界と人間界を結ぶものがクオリア共振であることに気づいた人はいない。これがいままで、人間を特別視する意識優先意識という偏見の内視盲点によって見出すことができなかった自然と人間をつなぐミッシングリンクだ。 ●自然物としての人間われわれの自然生成物としての側面に気づくことからはじめよう。生命、身体、欲求、クオリア……。クオリア流動を見逃していたゆえに、今までの人類はどこかで自分を誤解してきたのだ。 Qualia vibration belongs among the nature. When you see something, your brain neurons are fired together. At this moment some qualia vibrations start flowing in your brain. われわれが巨大な石や樹木を感じるとき、とても落ちついた気持ちになるのは、クオリアが彼らと共振しているからなのだ。これは自然現象だから誰にも止められない。 ●クオリアには主体がないクオリアには主体がない。自己などというものは、そういう主体のないクオリアの大海のうえに漂流する氷山の一角のようなものなのだ。そう気づくと、とたんに目の前が開けてきた。俺が目にしているのは、自己という幻想が発生する地点なのだ。それはクオリアの中でも特殊な自己咸のクオリアから発生する。自己咸クオリアは、自己保存欲求と一体になって、自己意識を形作っていくだろう。そして、ひとたび自己意識が生まれた後は、意識はその基盤となっている主体なきクオリア流の大海についてはすっかり忘れてしまうのだ。意識はクオリア流を意識することができない。だから意識にとっては、自己とその他の区分のある分別界が唯一の世界だと思われるのである。 ●共振・増幅・連結
クオリア流はそれ自体で何か、思考のようなことを行っている。分別思考とはまったく異なるその原理を解くことが俺の仕事だ。 それは、共振を原理としている。ひとつのクオリアが生起すると、それに共振する相手のクオリアを見つけ、それがどんどん増えて、共振度合いが増幅され、かつ多様な相手と共振する連結が増えていくことによってじょじょに大きな一塊の共振群を作っていく。粘菌などの生物が生長するような仕組みと一緒だ。それが一定程度以上になると、意識にも届くほどの強力な連結共振クオリアループとなる。そして、意識の閾値を越える規模のニューロンループの連結発火を惹き起こす。 ●新鮮さが共振連結の引き金を引く
意識の閾値以下のところでは、クオリアは類似・近縁原則によって、手当たり次第に近くのものから順々に共振をこころみる。そのうち何らかのものが増強され、なんらかのものはそれほど発展せずに収まっていく。その差が生まれるカギは、<新鮮さ>にある。クオリア同士の連結が、新鮮さを惹き起こせば、ニューロンの栄養物質が放出され、それをえさにさらに遠くまで共振の輪を広げていこうとする。だから、サブボディメソッドの探体技法の指標となる<鮮深響>の<鮮>快はとても重要な指標となる。クオリアは新鮮さ、心地よさを絶えず求めている。 ●クオリアは共振を求めている
クオリア思考の原理とは、ただただ共振によって連結増幅する他のクオリアを捜し求めているだけなのだ。そのクオリアと共振する他のクオリアが現れなければそのクオリアは静まり直ちに忘れ去られていく。共振相手がたくさん見つかればどんどん複合連結増幅を繰り返してますます強固なものになっていく。やがて、言語クオリアをも共振で巻き込むようになると、言語意識にも知れるところとなる。 言語意識は己が巻き込まれた瞬間以降のプロセスしか知らないから、あたかも脳内で自然言語が思考しているかのように錯覚するしかない。 ●クオリアの運動原理 類伸と縮合
クオリアは、共振・増幅・連結を続けることにより、やがて当初まったく無関係と思われていた遠い異次元のクオリアと通底するようになる。これによってそれまで見えなかった関係が露わになる。その瞬間覚えず気づきの感動が伴って意識に光明がもたらされる。これがクオリア思考の創造性なのだ。クオリア思考は当初は、類伸律によって、とりあえず近くのものらから手当たり次第に共振を試み始める。それが思わぬ方向へ発展していって、異次元開畳が起こる。意識には異次元と思われているようなものの間で、縮合が起こる。時限を越えてまったく新しいクオリアが創造される。分節的な言語思考では、こうはいかない。論理的なブロックが異次元=異質な境域への侵入を阻止する。この差が、創造性の差となって現れる。創造的な人は、論理の自己規制から抜け出るすべを知っているのだ。 ●貫入・反転・異次元開畳へ
類伸律によって、類似・近縁のものとの共振を進めていたはずなのに、カラビヤウ空間の多次元性により、いつの間にか遠い異次元とさえ共振するようになる。そして、それらのクオリアと共振するうち、そのクオリアから延びてきた11次元の類伸の舌が、胎内深くもぐりこむ。そしてある時点で反転し相転移が起こる。以前のものとは違うクオリアに転移するのだ。異次元が開畳し、まったく新しいクオリアの世界となる。これが創造性の秘密を握っている。 カラビヤウ空間に無数の穴が開いているように見えるのは、この隣のクオリアから伸びてきた振動の舌を共振する胎内深く取り入れることによって開いた穴であり、この穴がある時点を越えると、からだごと反転し、別のタイプの共振パターンになる相転移が起こる。これがブライアンらが1987年に捉えた、鏡映対称性だ。 生命の歴史が創発の歴史であることは、みやすい。それはひもの共振にこのような創発的なプロセスが起こりやすいところからきている。 ●クオリアの創造性
ひも共振が、類似のパターンと共振しやすい性質があると仮定して、論を進めてきた。だが、ひょっとしたら、ひもはどんな異なる共振パターンのひもとも何らかの共振を起こす力を持っているのではないか。そう考えたほうが、なぜこんなに無数のクオリアが生まれたのかについて説明が付きやすい。おそらく、11次元のうち、反応しやすい次元があって、その次元でわずかな相互作用が起こり、新たなひも共振パターンに縮合される。縮合とは創造なのだ。そこでまったく新たな共振パターンが生まれる。こうして、ひも共振パターンは無限の差異をたゆたえるクオリアの海を形成した。いまも、ことなるクオリアと別のクオリアが出会うことによって、新しい共振パターンが縮合され、生成され続けている。世界が創造性に満ちあふれている秘密は、ひもの柔軟な創造性によるのだ。 |
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