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1 クオリア共振の海



●わたしたちはクオリアの海に漂っている

ヒマラヤに来て、5年たった。この5年間毎日意識を鎮め、踊りが出てくるからだの闇に耳を澄まし続けてきた。

私たちのからだの闇には、言語になる以前の、あらゆる物事の質感や、体感、実感をなすクオリアがうねり流れている。わたしたちはみな、意識下でこのクオリアを通じて物事を捉え、判断し、行動している。だが、意識はこのクオリアを捉えることができず、その存在を等閑視し、言語を使ってものを考えているかのように錯覚している。この錯覚がどうして起こるのか。わたしには後に述べるように、そのプロセスを透明に見透かすことができる。

わたしは、この非言語的なクオリアが絶えず変容流動している、クオリア独特の運動原理を探り続けてきた。それは、わたしたちの意識にとってなじみの深い、三次元的な空間と一次元の時間からなる4次元的な時空の法則とは根本的に異なるしかたで動いている。それは、一つの時空から別の時空へ自在に飛び移り、変容し、また別の次元を開いて流動していく。多次元を連結し、縫い合わせ、自在に変容流動しているかのような不思議な動き方をする。それは誰もが知っている夢や、大昔の人が作った神話のできごとと同じような動き方をしている。

一体これは何なのか。この問いを追求する中でわたしは、現代物理学の先端的な理論であるひも理論において、わたしが捉えたクオリアの多次元流動的な運動原理と同様のものがより興味深い観点から記述されていることを知った。。

最先端の物理学・超ひも理論によれば、宇宙に存在するものはすべて、振動する極微のひもの共振パターンの変化によって生じている。ひもといってもそのサイズはクオークの何億分の一のそのまた何百万分の一のプランク長さという極微のサイズであり、かつまた、通常の三次元空間にのみ存在するのではなく、折り畳まれた11次元の時空で、無限のパターンで振動しているという。

原子を構成するクオークなどの素粒子や、電子、光、そして、電磁力、重力といった力もまた、ひもの特定の共振パターンの変化によって生起している。ひも理論によって、これまでの標準的な素粒子論では解くことができなかった重力とは何かという謎にも、答えを見出すことができるようになった。

ひも理論によれば、この宇宙は三次元の空間と1次元の時間というわれわれが知る粗大な4次元のみではなく、そこに折り畳まれた極微の11次元の時空からなるという。われわれが感知できるのは、その11次元のうち、ビッグバン以来大きく膨張してきた4次元の時空のみである。だが、ひもはその折り畳まれた極微の11次元の時空で無限のパターンで振動している。

もし、この理論が正しければ今日までの人間にとって未解明の謎の多くはこの未知の折り畳まれた7つの次元にその秘密が隠されていることが推定される。

クオリアもまたまだ解かれていない秘密のひとつである。クオリアは、われわれが赤を赤と感じる赤らしさなどの質感、からだで感じる体感、実感などのすべてを言う。われわれは言語でものを認識する以前に、下意識やからだの闇においてこの原始的なクオリアで物事を捉え、判断し、行動している。

このクオリアはわれわれの脳の一連のニューロンループが興奮することによって生じると考えられてきた。無数の連結発火パターンが、無数のクオリアを生んでいる。だが、神経細胞内の同時連結発火という物理的現象が、非物理的なクオリアを発生させているのではなく、ひもの共振がクオリアの生成と関連していると見ることができるのではないか。ひもの共振によって、クオリアという非物理的現象と、ニューロンの発火という物理的現象が一個二重のプロセスとして生成している。――この仮説が私の<クオリア共振理論>の根幹をなす。ひらたく言えば、クオリアはひもの共振によって生成している――これがわたしの仮説だ。

ひも理論によると、ひもは物質でも非物質でもない。いわばそれらを生み出す振動そのものであり物質が分化する以前の根源的存在である。

ひもの共振は、物理的なニューロンの発火と非物理的なクオリアの両者を同時に生成する。物質過程と非物質過程が<一個二重>となる未知のプロセスが存在する。まだ解明されきっていない未知なる7次元時空に、物質過程と非物質過程が<一個二重>に生成する秘密が隠されている。

そう、私はほんの少しだけ、ひも理論物理学の説を拡張した。宇宙に存在する万物がひもの共振パターンの変化によって生成しているとしたら、われわれの感じているクオリアもまた、ひもの共振によって生成しているのではないか。

わたしが、この仮説に到達したのは、クオリアのもつ無限の諧調の多彩さに対応するものが、この宇宙にはひもの振動の共振パターン以外にはありえそうもないことに気づいたからだ。クオリアのもつ無限の精妙さはとても分子や電子や素粒子などの運動と対応するとは考えられない。それらが、クオリアの多彩さに匹敵するような複雑な運動をしているという報告も気配もない。ただ、唯一、ひも理論によるところの11次元で振動するひもの共振パターンは無限にある。クオリアの諧調の微妙さや精妙さもまた無限だ。このふたつの無限はどこかで何らかのしかたで接しているのではないか。

わたしの<クオリア=ひも共振仮説>によれば、微細に折り畳まれた7次元の空間でのひもの震えのわずかな差異が、クオリアの精妙な震えや微細なゆらぎを生み出している。ひも以外に、いままでに人類が見出している物質や力のなかに、こんなに無限の精妙さを生み出しうるものなどなにも思い当たらない。そうだとあなたも思いませんか。少なくとも、そう想像するのはなんと楽しいではありませんか。

もちろん、この仮説が成り立つためには、ひもの共振から、クオリアの生成までの間に、ニューロンの連結発火との関連など、いくつかの未解明の媒介項を解くことが必要だろうことは承知している。だが、その証明役は後世に譲る。いまはまだそれを探査する技術を人類はもっていない。ひも理論を証明するにも、ひもの存在があまりに小さすぎて、現存する加速器程度ではとてもひもの世界に届かないのだ。

わたしのクオリア共振仮説は、生命とはなにかという問いにも関連している。クオリアとは、元はといえば生命が自己維持のために発見したものだ。あるいは、生命とクオリアとはまた、一個二重のものと捉えるべきかもしれない。今の私にはまだこのクオリア共振論を生命論にまで拡張する用意はない。第3世代のシステム・オートポイエーシス論を展開している川本英夫が、オートポイエーシス(自己制作的システム)の特徴として<二重作動(Double Operation)>という概念を提出している。私が言う生命とクオリアの一個二重という捉え方と共振する概念だ。だが、それについても、後の課題として保留しておく。

われわれが生命やクオリアをめぐる秘密を解くまでにはまだ何百年、あるいは何千年もかかるだろう。 だが、その証明を待っている時間は私たちにはないし、待つ必要もない。理論や思想は、見通しにくい現実をより遠くまで見通すパースペクティブを与えてくれるためにだけ存在する。

いまはただ、私たちは、あらゆる事物や、力、エネルギー、そしてひょっとすると生命や、私たちのクオリアのすべてが、振動するひもの共振パターンの変化によって生じるという理論的仮説が、どれだけ遠くまでの見通しと、それによる新しい生き方の可能性を開いてくれるかを透視し、ただそれを生きればいい。

ただ一つのひもの振動が、共振パターンの変化によって、質量やエネルギーから、生命、クオリアへと多形多様に変容する。まさしく多次元無限変容の世界だ。みかけのがっしりした三次元世界とは似ても似つかない。私たちは早晩、世界の真相がそんな想像を絶するものだったと告げられることになるだろう。

事実、私が開いたサブボディ舞踏学校では、私たちがこのクオリア共振の海にたゆたっていることを、かんじることのできるからだに変成することからはじめている。そして、多くの生徒たちが実際にそれを感じ、クオリアの変容流動を捉えて、自分のサブボディ舞踏を創造することを行っている。それはとてもうまくいっている。不思議なほど、面白い舞踏が各人のからだの闇から生成してくるのを見るのは楽しい。クオリア共振論はその科学的正当性がどうあろうと、創造にはとてつもなく役に立つ実践的な生の技法を導くものでもあるのだ。

 

●粗大4次元時空と微細7次元時空

たとえば私は今、北インドのヒマラヤ山麓の家から近くのヒマラヤの山を見ている。私は毎朝山に感動する。私に山の姿が見え、心が動かされるということはどういうことか。山に反射した光が私の目に届き、私がそれを感じ取るということは、ひも理論でいえば、光特有の共振パターンをもったひもの振動が山に当たり、山と共振しつつ反射して私の目の網膜のひもを刺激する。光特有の共振パターンをもっていた振動するひもは、そこから神経細胞内を走る電気信号的なひもの共振パターンに変換する。そして、ひもが一定の共振パターンをとったとき、さらに山のクオリアに変換する。山のクオリアは私の脳に収蔵されている記憶や情動のクオリアと共振し、山独特の感動をもたらす。私が山のクオリアを感じ、感動するのはそういう長い幾重ものひもの共振パターンの連続変換によっている。

こういうふうに光から電気、物質粒子、さらにクオリアへとひもの共振パターンが転換していると捉えるのは、私たちの脳の勝手な都合に過ぎない。そうとでも考えなければとてもこの物質からクオリアへの転換を理解することができないが、ひもにとってはただただ融通無碍に未知の微細な7つの次元と粗大な4次元との間を自在に往還しつつ、未知の仕組みによって共振パターンを変化させているだけなのだ。それがこの粗大な4次元だけにとらわれたわれわれの意識には、物質からクオリアへ、心的なものへと、謎の転換を遂げているかに映る。

ともあれ、こう捉えることで、宇宙に実在する物質や力から、私たちの脳で生成流動するクオリアまでが、粗大な4次元時空と、微細な7次元時空の間を自在に出入りする、ひとつながりのひもの共振パターンの変化によって生成流動していることが透明に見通せるようになる。

現代の細分化され、分断された科学者は、互いに共振することを知らない。物理学者と脳科学者と心理学者の間に対話できる共通の言語がない。それは彼らが共振力を持たない言語意識によって考えていることによる。みんな狭い井のなかの蛙たちだ。そして、互いにその分野独特の方言で語るから他分野の言葉を聴くことができない。彼らが互いの分野で発見していることをクオリア次元に落として共振して受け取り総合すれば、共振するひもを通じ物質からクオリアにいたる大まかな流れをすでに人類が解き明かしつつあることが透き通って見える。そういう視点が訪れたのは、私がインドのヒマラヤにいるからだ。ここでは私は現代生活に必要な何に囚われずとも生きていける。

 

●共振は一個二重に起こる

あらゆる事物も力もクオリアも、振動するひもの共振パターンの変化によって生成流動しているという考え方は、私たちを覆っている旧弊な三次元的な知の制約への囚われから私たちを解放してくれる。

私たちは、これまで、たまたま粗大に膨張してきた3次元空間と1次元時間しか認知することができなかった。私たちの現代的な知はあまりに深くその限界に規制されている。それに囚われていることさえ感じ取れないぐらいに浸りきっている。その制約の中ではあらゆる事物は個物に分節され、差異と同一性を固定的に捉える思考習慣に染まりきっている。

だから、近代の人間はこころと物質とはまるで別物であるという二元論にとらわれてきた。それらがひもの共振から生まれる一個二重のものだなどと、想像もできなかった。

もともと宇宙には、物質とこころの差異などなかったのだ。ひもの共振によってそれらすべてが生み出されている。人類が心身二元論に囚われていたのは、わたしたちが粗大4次元を認知する知覚機能しか持っていなかったからだ。だが、ようやくその長いとらわれから解放されようとしている。人類の創造力は、爆発的に拡大することだろう。

ひとたびクオリアの運動する国に降りていけば、すべてがまるで違った運動原理によって動いている。

あらゆる事物やクオリアはひも同様、相互に共振しあっている。共振しているということは、どちらかが他方を動かすということではない。双方が同時に自発的に共振するのである。この共振の国では3次元の国のような差異と同一性は意味を持たない。わたしたちが個別的な自我や自己に分かれていることさえも錯覚なのだ。自己や世界を含め、あらゆる事象が一個二重のものとして共振しているまったく別の原理によって捉えられねばならないのだ。

人類はまだうまくこの一個二重の共振原理を捉える高次な知性を持つにいたっていない。考えてなどいれば、遅れた想像力が追いつけないのだ。これを捉えるにはからだごと、クオリア共振の世界に身を任すしかない。サブボディ舞踏の世界へ降りるよりないのだ。


●なぜ意識にはクオリア流動が捉えられないのか

クオリアがひもの共振パターンの変化によって生成流動しているとすれば、それはひもの振動と同程度のすばやさで変容していることが推定される。ひもの振動は、想像もつかないくらいすばやい速度で起きている。

ひもの振動速度はどれくらいか?という問いは実は意味を成さない。ひも理論によると、時間もまたひもの共振パターンによって生成しているのだから。同時にひもは物質なのか否かという問いも無意味だ。ひもの共振によって物質が生まれるのだ。いわばひもは時間や空間のかけらのようなものであり、それらを生み出す原基なのだ。

クオリアもまた、そのようなひもの共振から生まれた、物質とも時間ともつかない、まだ現代の人間の限られた知によっては定義できていないものだ。

そのクオリアはひもの共振速度で変容流動している。われわれはその泡立つクオリアの海に浸っている。これが世界の実相だ。

だが、われわれの意識は、クオリアが絶えず共振によってゆらぎ変容していることを知らない。なぜそういう奇妙なことが起こるのか。それは、意識のはたらく速度はひも共振のそれに比べてお話にならないくらい遅いからだ。

意識が働くためには、たとえば視覚神経細胞で捉えた特定の光のクオリアが第一次視覚野や視覚連合野のニューロンを刺激し、さらに前頭葉の統合認識野で総合されてなんらかの認知に情報変換されるまで、短いとはいえ0.3秒ほどの間、全神経細胞が同時に連結発火している状態を持続しなければならない。上位神経細胞から、末端の感覚神経細胞へ、最初に得たクオリア情報を固定し保持し続けるようフィードバック信号が下ろされ、その間視覚神経細胞から、上位の視覚野にいたるすべての神経細胞が一つのクオリアを捉えた状態を固定する。それでようやく全体としての認知が成り立つ。

それが成り立つまでに現実世界のすばやいクオリアの変容流動に応じて感覚神経細胞の捉えた内容が変化してしまえば、認知の根本をなす一連の神経細胞ループの同時連結発火が成り立たないからだ。意識が働くためには、かくも大掛かりな連結発火が必要となる。だが、そのために意識はクオリアの超高速の変容流動という現実からは疎外されざるを得ない。意識は決してクオリアが絶えず共振によって変容流動しているという現実には触れることができないのだ。

私たちは、意識を鎮め、下意識と意識が等価につりあう透明心身状態になってはじめて、われわれが絶えず泡立ちゆらいでいるクオリアの海に漂っているという実相に触れることができる。われわれが胎児だった頃から、ずっとそれは続いている。だが、意識を得たとたんすっかりそれに気づかなくなってしまっているだけなのだ。

クオリアの海と共振できるからだとなる

サブボディ舞踏学校では、
まず、なによりわれわれがこのクオリアの海に漂っていることを実感する
鋭敏なからだに変成することが最初の課題となる。
来年度2007年のサブボディ舞踏スクールでは、
これまで私がかろうじてからだで追いつくことができてきた限りでの、
クオリアの運動原理を生徒に伝えようと思う。
これは人類にとってあたらしい希望である。

わたしが本当に生み出したかったものは、
サブボディ共振技法による新しい生存の技法なのだ。
からだの闇の中に棲む、もっとも人間から遠く、
もっともみすぼらしいサブボディを見つけて踊ることで、
世界の果ての不幸と共振することができるからだとなる。
古臭い近代西洋的な自我や意識に囚われて生きる利己的な生を
強いられなくてもすむようになる。
わたしにとって、この世に生まれた最大の不幸とは、
強いられた利己的な自我を持たねば生きていけない
かなしい世の中だったということだ。
人間にとって利己的な自我と、利己的な国家ほど
みすぼらしい不似合いなものはない。
だが、いまや、かつてフーコーがその到来を予測したように、
近代の西欧で生まれた偏狭な人間概念が
海辺の砂浜に描かれた砂文字のようにかき消されていく日が近い。
クオリア流動を肌身で感じ、
世界と透明に共振する新しい人間の知と生存様式の創発が起ころうとしている。
いやもう起こっている。
自我だって? 国家だって?
そんなものに囚われた生が、
いまや時代遅れとなってしまっていることを知らないのかい?

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