透明になるために ①
[生命原理]
原初生命の根源から捉えなおす
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からだの闇には無数のクオリア(命が感じている体感・実感・質感)が
多次元的に渦巻き変容流動している。
その闇に長年もぐり続けているうちに、
わたしは私独自の方法を見出していることに気づいた。
その方法は、既成のあらゆる観念に囚われず、
生命、クオリア、共振、意識、下意識を貫き、からだ、動き、映像、音像、情動、対人関係、
世界像=自己像、そして思考などすべてのチャンネルを貫通し、
バクテリアやアメーバなどの原生的な生命から、動物、植物、そして人間にいたるまで、
ひとつながりの全体として捉える方法だ。
「人間」というわたし達を覆う境界線がもっとも大きな不透明さを生み出している。
あらゆる生命現象から人間の心身、社会、国家に至る領域を
全体として捉え、その中のすべての多次元的な関連を透明に見透す方法だ。
その方法は次の3点に集約できる。
1.[生命原理] : 原初生命の根源から捉えなおす
2.[クオリア原理] : あらゆる生命現象にからだごとなりこんで、
まるごとクオリアからつかむ
3.[共振原理] : あらゆる現象を共振の相において捉える。
第1点目からはじめよう。
生命原理とはなにか。なぜ、それが必要なのか。
1.[生命原理] : 原初生命の根源から捉えなおす
意識や無意識、心、クオリアなど人間に関する
未解決の「難しい問題」を捉えるためには、
それを原初生命のもっとも根源的な
発生の姿において捉え返す必要がある。
そうすることによってはじめて、ひとつながりの全体として理解することができる。
人間の問題を生命現象の根源から切り離すと、それでもう
巨大な不透明な膜に覆われて生命との連関が覆われてしまう。
心や意識とは何かを捉えようとする現代の哲学者や科学者は、
複雑な人間の意識のみをいきなり対象化しようとして混迷に陥ってきた。
たとえば、かつてワトソンとともにDNA螺旋を発見した
クリックはその後コッホとともに意識の解明に向かったが、
かれが始めたのは脳の視覚野の研究からだった。
それがもっとも取っ付きやすかったのだろうが、
そんな高次な分野からはじめたのは根底的な間違いだった。
アメーバやバクテリアは目というような高度に分化した器官を持たない。
だが、どんな単細胞でも光のクオリアを感受している。
そういう生命と光のクオリアとの関連が見落とされてしまった。
また、多くの脳科学者は、ニューロンネットワークの研究に携わってきた。
だが、かれらがこれまでみなしてきたように
ニューロンネットワークが意識を生み出すのではない。
人間は60兆の単細胞からなる多細胞の共振生命体だ。
人間の意識や下意識といえ、からだ全体の60兆の細胞が感じているクオリアと
グリアやニューロン、その他多種多様な役割を担う
1000億から2000億の脳細胞が共振して生み出されている。
意識は原初の単細胞の生命が感じていた
微細なクオリアのふるえにその最小の起源を持つ。
そして人間の意識もいまだにそれら細胞全体が感じている
クオリアとの共振において生じている。
アメーバやバクテリアの命が感じているクオリアとは
どんなものか、そこで起こっていることは
私たちの脳細胞で起こっていることと原理的に同じはずだ。
60兆分の一の個々の細胞が感じているクオリアとはどんなものか、
そこから始める必要がある。
原初の生命がどう外界と共振し、どんなクオリアを捉えていたのか
という根源からの理解なしに人間の意識だけを捉えることはできない。
日本のクオリア研究の草分けとなった茂木健一郎もまた、
下意識や無意識の領域の研究をすっぽかして、
いきなり意識を捉えようとしているが成功していない。
かれはおそらく、下意識や無意識の重要性に気づいてさえいない。
クオリアを人間の意識だけが感じるものと捉えるところに根源的錯誤がある。
あらゆる生命がクオリアを感じている。
クオリアを通じて生命をコントロールしている。
そう生命の根源から捉えることで、
下意識の言語であるクオリアをも捉える道筋が開いてくるのだ。
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透明になるために ②
[クオリア原理]
全チャンネルの未分化なクオリアをからだでつかむ
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第一の「生命原理」に続く、第二の方法的原理は、
「クオリア原理」である。
原初生命は、40億年前の地球で、
物質のひも共振パターンが単なる物質を超えたときに発生した。
どう超えたのか。
他の物質をクオリアとして感受することのできる
ひも共振パターンが発生したのだ。
物質を構成するひも共振パターンも互いに共振しあっているが、
その共振パターンの中から、
自己の存続に役立つ共振パターンを選ぶことのできる
ひも共振パターンが現れたとき、生命となった。
生命は他の物質との間で生じる共振パターンの記憶を
クオリアとして細胞内部に保存し、遺伝子に記録し、代々の世代に伝え、
それぞれの生存の場に応じて活用する方法を発明し続けることによって
40億年間、生命を維持し、多様化してきた。
ひも理論によれば、
宇宙はわれわれの知る粗大な4次元時空のみならず、
微細な次元に巻き込まれた7次元の微細空間を含む11次元からなる。
→ひも理論のエッセンスを読む
→ひも理論のホームページを見る
→ひも理論が10分でわかるビデオを見る
クオリアはその微細な次元におけるひも共振パターンの微細な差異を
生命が感知することを通じて、生命とともに同時に共振的に生成する。
生命もクオリアも、物質やエネルギーが属する粗大な4次元で生成するのではなく、
微細な7次元を含む11次元において生成する。
生命の発生を単なる物質過程として捉えようとするこれまでの試みが成功していないのは
微細次元という生命の真のありかをその方法に繰り込めていなかったからである。
生命がクオリアを感知するとは、実際に微細次元での共振パターンが
生命の中に入りこむことであった。
たとえば、原初細胞が太陽の光を受けたとき、
生命内部のひも共振が熱エネルギーを受けてわずかに動きが速くなる。
そして、光の受容によって変形する光受容たんぱく質を生成し、
そのわずかな細胞内の変化を生命は
細胞内部に内クオリアとして保存した。
光や熱などのエネルギーだけではなく、
外界の水や空気、自己を再生産するに役立つ物質の組成などを、
生命は感知し、細胞内に保存した。
それらの内クオリアのうち、重要なクオリアは
DNAあるいはその先駆形態と見られているRNAの
遺伝子内に書き込まれ、細胞分裂の際に
次の世代の個体細胞に受け継がれていった。
現在の科学では、「遺伝情報」と呼ばれているが
それは間違った捉え方である。
クオリアと情報は根底から異なるものである。
情報はコンピュータなどの機械によっても取り扱えるが
クオリアは生命だけにしか取り扱えない。
生命とクオリアが共振的に生成するとはそういう意味である。
機械はどんなクオリアに出会っても共振することはできない。
クオリアを感じることもない。
人間がクオリアを機械にでも扱える情報に低次元変換して
インプットすることによってのみ機械は作動する。
だが、生命はインプットやアウトプットというような機械概念で動くのではない。
それらの機械概念を生命に適用することは根本的な誤解を生み出す。
私の第二の方法は、あらゆるものを情報としてではなく、
クオリアとして捉えることにある。
クオリアは生命にしか扱えない。
というより生命が共振することによってのみクオリアは共振的に生成する。
あらゆるものに生命として微細なクオリア共振を通じて接すること。
生命が感じ、使っている非二元かつ多次元を変容流動するクオリアは
私たちの脳において、二項論理によって言語に低次元変換される。
言語はさらに1と0、ONとOFFの二進法言語に低次変換され、
コンピュータなどの機械にも取り扱える情報となる。
現代の私たちの意識は、
自分が直接言語を使って思考していると取り違えているが、
その自己誤解は脳内でクオリアが言語に変換されるときに
そのもとなったクオリアが自己意識から捨象されるからである。
クオリアを捉えるためには、この言語意識を止める必要がある。
ゆらぎ瞑想を通じて、言語意識優先の意識モードから、
その基底でクオリアを感じ流動している下意識モードの
からだになって捉える。
下意識モードのからだのことをサブボディと呼ぶ。
下意識ではからだと下意識は別のものではなく一体となっている。
頭で考えるのではなく、
すなわちいきなり言語で考えるのではなく、
命が感じているクオリアにからだ全体でなりこんで捉える。
もっと正確に言えば生命とクオリアの共振を体現する
サブボディになりこんで捉える。
微妙にゆらぎ、動き、流れつつ変容する
微細なクオリアの非二元かつ多次元のゆらぎの中に
からだごと入り込むサボボディとなることによってよってのみ
命とクオリアを直接捉えることができる。
<なりこみ>という全身的認識
<なりこみ>というのは、土方巽の創始した舞踏の方法である。
それは、なりこむもののクオリアを全脳心身に体現することである。
胎児になりこみ、アメーバになりこみ、原初生命になりこむ。
それによって、意識と身体が分離する以前の生命の
未分化なクオリア流動をわが身で体現できる。
命とクオリアは非二元かつ多次元の、非空非時で
無限に共振し、変容流動している。
それは、身体や下意識から分離してしまった後の意識には捉えにくい。
意識を止め、意識と下意識が半々につりあうサブボディになって
はじめて全体的に捉えられるものである。
未分化な生命クオリアを捉えようとすると、
自らもまた未分化なクオリア流となって共振する以外ないのである。
だが、それによってわれわれは自他の二元論に封じ込められた
近代の自我の呪縛から自らを解くことができる。
からだの闇にひそむ原生的生命傾向になりこみ、
下意識の辺縁に封印されているnot-meや異貌のサブ人格になりこみ、
障害者の不自由なからだになりこみ、
虐げられた人々の傷みになりこみ、
死者になりこむことが可能になる。
世界中の人が自我や国家の呪縛をこえて共振する世界を
共創することができる。
では、このからだで捉えた命とクオリアを
どう人に伝えることができるのか?
そのためには、多次元で変容流動するクオリアを、
言語に低次元変換することが必要である。
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透明になるために ③
[共振原理]
あらゆる現象を共振の相において捉える
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何ものか別の命や非生命体になりこむことは、
そこで起こっている共振になりこむことである。
どういう共振が起こっているのか、という観点からすべての現象を捉えかえす。
それによってすべての現象がそのもっとも根底的な共振の相において透明になる。
たとえ意識にとっては主客、上下、内外、自他、正誤の
二項関係で受け取られる現象も、
その根源の共振の相において捉え返すことが重要である。
近代の言語意識は、共振を見落とすことによって
世界を主語述語の二元構造に低次還元して誤解してきた。
その低次還元法は、ついに二進法の発明によって現在のコンピュータを実現してきた。
それは私たちにとって豊かな財産であるには違いない。
だが、いまは、それを超えて、非二元かつ多次元変容流動世界への
新しいアプローチが必要とされているときなのだ。
私たちの日常意識は限りなくこの二元論に侵食されている。
頭から尻の底まで、観念から感情まで、
二元論的幻想にどっぷりつかりこんでいる。
それを脱するのは並大抵のことではない。
困難の原因のひとつは、
意識が下意識に比べて何百万倍も強い点にある。
実際に命が感じているクオリア共振は、
意識が感じるものに比べて何百万倍も微細である。
私たちの下意識がクオリアを感じるとき、
ひとつのグリアとひとつのニューロンの共振が最低限の単位になる。
クオリアは単細胞生命が感じているものが基礎になるからである。
だが、ひとつの言語的認識が成立するためには、
大脳のニューロンネットワークが、左右脳に渡って
何百万、何千万ものニューロンが電気信号によって同時発火しなければならない。
言語を使った思考を何時間も持続するためには、
ニューロンネットワークの同時発火のパターンを
無限に切り替えつつ持続することが必要になる。
生命体が使うエネルギーの大部分を
その発火の連続に使用しなければならない。
いきおい、下意識で、すなわちニューロンとグリアの間で
非電気的シグナルによって交わされている微細なクオリアは
意識レベルではマスキングされて感知することができない。
何百万倍も強い言語意識のシグナルの中で、
その何百万倍も微細なシグナルは意識から消え去ってしまうのだ。
意識を維持するためには、その基底で脳細胞の生命が感じている
微細なクオリアをまったく切り落とさなければならなかった。
とりわけ、近代西洋社会では自我意識を優先しなければならない圧力が
人々の生命を圧倒し、意識と無意識の乖離を引き起こしてきた。
ゆらぎ瞑想によって、動きながら意識を止め、
未分化な全チャンネルのクオリア流動を全脳心身で体現する
サブボディモードになることによって、
この意識と無意識の近代的乖離から脱し、
意識が無意識的に捉える二項論理の幻想から自らを解き放ち、
命と世界の間で起こっている生のままの共振を体現することができる。
たとえ、われわれの意識に主客や善悪の問題として映る現象があるとしても、
それは多次元共振という複雑な現象を、低次元変換された二項論理で
切り取った一面的な見方でしかないと転倒し続けていくことが必要である。
意識が二元論幻想に囚われるのはわれわれの命が
現代社会からそうあらねば人間としてやっていけないという
強烈な圧力を受けて変形してしまっているからである。
意識やエゴは近代社会に生きるわれわれを覆っている
もっとも強力な普遍的<元型>である。
意識が受け取る二元的幻想を、生命の非二元のレベルから
転倒するのである。
それを通じて、はじめて二項論理に囚われたツリー世界の現実と、
リゾーム状の多次元共振の生命世界との両方を
自在に往還する透明な知性にたどり着くことができる。
「ツリーリゾーム論理」創成の課題
サブボディ同士は一緒に動くことで、共振するサブボディ、
すなわちコーボディに変容し、互いに生命のクオリア共振を
味わいあうことができる。
その中で自他、内外、心身、類個の枠組みを超えた
クオリアの超伝導状態のようなものが出現する。
これを体験してしまえば、
自我を超えるとは何か、生命になるとは何かが
わずらわしい説明抜きにじかに体得できる。
そのサブボディ・コーボディ劇場は、
これまでの演者と観客が二分された近代の劇場のスタイルではない
別の形態を創出する必要がある。
近代劇場の観客席に日常自我を運んで自我が求める楽しみを期待し、
それが得られなければ遠慮なく批評する自我を砕破し溶融する
坩堝のようなサブボディ・コーボディ劇場を創出すること。
――これはまだ実現されていない。
ここヒマラヤでも追求しているが、それだけではなく、
サブボディ共振塾で学んだ人が、公演やワークショップを
していく実践の中で見出していってほしい。
劇場を実現したとしても、小劇場にやってくる人々を超え
さらに遠くの人にも、サブボディ=コーボディの
醍醐味を伝えるためには、新しいツリーリゾーム言語と
それが流通する共同体を創発しなければならない。
――これもまだ実現されていない、今後の実践的課題に属する。
特殊なサブボディ=コーボディ状態でで味わっているものを、
それを体験したことのない人に伝えるためには
どういう言語を使用しなければならないのか。
通常の主客、自他の二元論にとらわれたままの
言語ではそれを伝えることがができない。
非二元世界の体験を伝えるためには、
常に新しい共振言語を発見し、創発しつづけることが必要だ。
いきなりありきたりの言語に翻訳しないで、
じっくり、命が感じているクオリアに
もっともぴったり来る共振言語が見つかるまで待つ。
夢やサブボディの中では思いがけない変容がしょっ中起こる。
イメージの圧縮や置換、時空の変容が起こる。
それを伝えるためにはとびきりの直喩や暗喩の発明にかかっている。
時間をかけ、ゆっくりゆっくり
うまく伝わる言語が出てくるまで気長に待つ。
その中で、これまでの言語のツリー論理と
非二元かつ多次元のクオリア変容流動のリゾーム原理をつなぐ
「ツリーリゾーム論理」を創出し、それによって交通できる共同性を創造する道を探す。
われわれは原理の異なる両世界の間の自在通訳者となり、
新しい透明共振知を世界中の人々と共有する未来を共創する
世界共創者という生に自らを投げ出していくことができるのだ。
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