February 2008

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2008年2月22日

一定した眠りがいちばん大事



ここ三週間、日本からヒマラヤへ帰還して以来。
ずっと自分のからだと意識状態の微細な変化に耳を澄ましている。
だいぶいい状態に近づいてきてはいるが、まだ日によって随分波がある。
いい気分になれるのは、
朝目覚め前に少しでもサブボディさんからのメッセージに触れることができた日、
それを元に少しでもなにか新しいことに気づき、サイトのなにかの記事を更新できた日だ。
そして、それら良い兆候が現れるのは、
いつも必ず、よく睡眠と触れ合えた日であることに気づいた。
長く眠るということではなく、たっぷりと眠りの世界と付き合えた日だ。
朝目覚める前に、眠りと目覚めの間の薄ぼんやりした意識で
わたしは毎日かなり長い時間をサブボディを探って過ごす。
昨夜眠っている間に下意識でどんな新しいことが起こったか、
かすかな兆候を探る。
違いはいつもある。
それがなにかをつかめた日は大きな収穫になる。
起きている意識状態では絶対に気づけないような意外な収穫が必ずある。
いつもかならず、同じ時間に寝て、同じ時間に目覚めることが大事だ。
旅行による時差は、それを根底的に壊す。
毎年日本に帰る度調子を崩すのは、日本の情報圧力の強さのせいも大きいが、
時差で睡眠が狂うせいもかなり重大なことに気づいた。
そういうわけだ。
今日はもう床に入ろう。

*****

偶然見つけた「眠りのリレー」というサイトは、
毎回いろんな眠る生き物の写真を掲載していて心地よい。

「眠りのリレー」を見る


2008年2月9日

●ゆっくり言語意識を鎮める

日本を離れて十日たった。
日本で異常に高ぶってしまった言語意識を鎮めるために
この十日ゆらぎ以外の何もしないでぼおっとしていた。
それでようやく今日あたりから
頭の中で日本語が駆け巡ることが少なくなった。
久しぶりの晴れ間が出たので山を見ながら屋上のハンモックに揺られていると
サブボディさん独特の身振り英語で、新しい練習案が
どんどんつむぎだされてきた。
「身振り英語」とは、わたしが授業で使うことばで、
ほとんどすべてをからだの動きで示しながら
その補足に片言英語をつけるというものだ。
これが出てくるようになると楽しい。
ようやく日本で異常亢進した言語意識が
元に戻りつつあるようだ。
十日かかったことになる。
それで気づいた。
母国語の情報の分厚い水圧の中で生まれてからずっと
すごしてきた生徒が、いきなりここに来て
言語意識を鎮めようとしても、並大抵のことではないだろう。
去年六ヶ月滞在したカツでさえ、言語意識が鎮まるまでに
三ヶ月かかったという。
それでも、少しでも意識が強い生徒がいるとすぐ乱されてしまったと。
わたしもすぐそれに乱された。
だから、たしか5月以降のクラスでは言語での会話をなくした。
朝から夕方まで授業中は言葉をしゃべるのを止めて
ただ生命共振に集中するようにした。
今年の授業ははじめからそれを徹底しよう。
言語を鎮めるには思いのほか長い時間がかかる。
日本をヒマラヤを往復することで身にしみてそのことが分かった。
今年入学を予定している生徒にお願いしたい。
入学までの期間、自分自身でゆらぎ瞑想をできるだけ長い時間続けて、
言語意識を鎮める訓練をたっぷりしてから入学してきてほしい。
さもなければ一人でも意識を鎮められない生徒がいると、
他の生徒全員の言語意識を刺激してしまうことになるから。



2008年2月7日

●命からのメッセージの聴き方



今日の「ひらけ」は、今日の「からだの闇を掘る」に詳述したことの
エッセンスです。
「からだの闇」の内容は、毎日自分で意識を鎮め、
からだの闇に耳を澄ましている人や共振塾の長期コース修了生以外の方には何を書いているのか、分かりにくいと思われます。
そこで、ここにはそれ以外の方にも分かるように
すこし切り口を変えて書くことにします。

命から意識へいつもかすかなメッセージが届けられています。
それは言語を使わないで伝わってくるものだから、
言語に慣れきった意識にはつかみにくい。
でも一度命の行為を見つける方法を身につければ
つねに命の意向とともに生きることができます。
私はヒマラヤで長年それを探求してきました。
いま、いくつか確かな方法が見つかっているのでご紹介します。

1.<新鮮な体感>

昨日の「朝のもやもや」にも関係するが、
朝目覚め前にからだのなかのもやもやとした体感を探る。
すると、それまで感じたことのない<新鮮な体感>が感じられることがあります。
命はいつもこの<新鮮な体験>を見つけては大事に保存しています。
もやもやのなかにこの<新鮮なクオリア>を見つければ、
それをつかんで離さないことです。
しばらくからだの闇のなかで揺すぶっていると
そこから新鮮な気づきや発見をもたらしてくれます。

2.<落ち着きの悪さ>

新鮮なクオリアは、クラスへの転入生のように
まだまわりの既存のクオリアと密接につながっていません。
それは<どことなくしっくりこない>とか、
<落ち着きの悪さ>という
つかみにくい奇妙な体感として感じられます。
明け方のもやもやの体感の中に、
この<落ち着きの悪さ>のクオリアが見つかれば、
それは新しいクオリアがどこかに保存された証拠です。
落ち着きの悪さのクオリアをからだの中で転がしていると
やはりなにか新鮮な発見や気づきが訪れることが多い。

3.<かすかな不快感>

昼間の意識はいつもなにかにこだわり囚われています。
それはいつも世界と共振している命から見れば視野狭窄に見えます。
命が意識のやっていることに違和感を感じたときは
<なんとなくそぐわない>とか、<かすかな不快感>を発して知らせます。
それはとてもかすかで捉えにくいものだけれど、
明け方のまだはっきりと目覚めていない下意識と意識が
半々に釣り合っているような状態の時には感じられやすくなります。
そこにはもっと根底的な命からのメッセージが含まれています。
命からの「なにか見落としていないかい?」というクレームです。
それはちょうどアメーバが濃い酸や毒物に触れたとき
必死で身をよじってそれを避けるような命の行為なのです。
命から発する、<かすかなそぐわなさ>や、
<何ともいえない不快感>のかたちで届けられるものこそ、
もっとも大事な命からのメッセージです。
このかすかな不快感をつかんだら握りしめて手放さないことです。
ごくごくかすかなものだが、このメッセージを解くと、
大きな発見に至ることが多いものです。

命からのメッセージは以上の三種に大別されます。
それ以上のディテールはさまざまな映像やストーリーの夢や
ビジョンとして現れてきます。
でも、夢の具体的な映像やストーリーは
その日に蓄積された一時記憶を長期記憶に変換するかどうかの
より分け作業の線上で発生したものなので偶然の産物であることも多い。
夢を見たら、その夢の特異な映像やストーリーばかりではなく
その夢に漂う体感クオリアをつかんで、
からだの中でしばらく転がしていると
そのまま消えていくか、<新鮮さ>、<落ち着きの悪さ>、そして
<かすかな不快感>のどれかに帰着するかします。
第二と第三はよく似ていますがあえて区別する必要はありません。
どちらにせよ、からだの中にそれまでになかった感じ悪いものが感じられたら
それこそ命から届けられた大事なメッセージだと思えばいいのです。



昨日のひらけを読む

2008年2月6日

●朝のもやもや


朝の起きがけのもやもやとコンタクトすることが
自分にとって一番大事なものだと気づいた。
日本滞在中は時差で睡眠がおかしくなったことと
外部から日本語の情報の圧力に包囲されて
朝のサブボディさんからのもやもやとしたメッセージに
触れることが全くできなかった。
わたしのこの「ひらけ」に書いてきたことはほとんどすべて
そのもやもやから得たヒントに基づいていた。
朝のもやもやとの取り組みによって創造的な下意識と触れあわなければ
私に何の気づきもひらけもやってこないことを思い知らされた。
しばらくは、何もしないで朝のもやもやが回復するまで
ゆっくり待つことにします。

読者の皆さんにもお勧めします。
朝の寝床の中で睡眠と覚醒の間に漂うからだの中の
ちょっと変な体感をつかんで味わい続けます。
するとしばらくすると寝ている間に命がつかんだ新しい気づきが
そのもやもやの中からうっすらとした形を取って浮かび上がってきます。
それをすかさず枕元に置いていたメモに走り書きするのです。
ヒマラヤで続けていたその習慣は3週間の日本滞在中に
かき消えてしまいましたが、
今は元のからだに戻るのをゆったりと待っています。
私がまた各記事を更新し始めたらその習慣が戻った証拠です。
ただ、今年はこの「今日のひらけ」を毎日更新することにこだわるのではなく
いくつもある日記や実技ガイドや共振塾ジャーナルなどのうちの
いずれかを書くことにしたいと思っています。

以前のひらけを読む