September 2007

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2007年9月30日

●雷とひも理論

4ヶ月続いてきたモンスーンが明けようとしている。
ヒマラヤの空の下でただの共振するひもからなる命になる。
空ではモンスーンの終わりを告げる雷鳴が轟いている。
雷鳴ほどひも共振のゆらぎを
生のかたちで感じさせてくれるものはない。
小さいころから、虹はなぜ起こるのか、雷はなぜ光るのか、
その不思議について考え続けてきた。
虹はニュートン力学でも説明はついた。
だが、なぜ雷が起こるのかを、とことん納得できたのは
ひも理論を知ってからだ。
すべての物質やエネルギーは微細次元で振動している
ひもの共振パターンの変化によって生まれていると
想像してみる。
空の空気の各種原子もひも共振からなる。
それが上昇気流によって激しくこすりあわされる。
するとひも共振の中の電磁気力の共振パターンが
急激に増加する。
その共振の連鎖が稲光となって大空を激しく走る。
その衝撃で空気層が振動し雷鳴が鳴る。
そのたび、
おおっ、ひもたちが激しく共振している!
と感動することができる。
ヒマラヤの雷は一晩に一万発も落ちることがある。
無数の稲光を見ながらひも共振を実感する。
それまでの古典的物理学ではこうも
からだで実感できる説明はなかった。

雷がなぜ起こるのか、
自分自身に尋ねてみてください。
きっとあなたもこれまでの理科や物理学の説明では
納得できていなかったことに気づくはずだ。
これまでの理論は下手な催眠術のようなものだ。
どこかでいかさまの理論でわかったような気に
させられていただけだということに気づく。

日常界の三次元知覚に囚われた私たちが
1mのマイナス33乗というとんでもなくレベルの違う
極微空間で起こっている異次元の出来事に想像力を開くには
稲光や雷鳴のような天空の出来事を思うのがよい。
そこは、小さいころから抱いてきた疑問が解き放たれる場なのだ。





2007年9月29日

●生命共振の師・クマノミ

私が授業でよく行う、不即不離の距離で互いの
からだをまさぐりあう生命共振をからだで感じる授業は、
30年前に沖縄・宮古島のさんご礁でクマノミから
学んだものであることに不意に気づいた。

イソギンチャクと共生するクマノミは
いつもイソギンチャクの触手のゆらぎに触れている。
よほどそのクオリアが気に入っているのか、
そっと手を出すとからだをすり寄せてくる。
それがまた、なんとも気持ちがいいのだ。
クマノミにその気持ちよさを学んでから30年、
私は学んだものを形にできたことになる。
クマノミはまさに私の生命共振の師だったのだ。

何十年もしてからからだの闇に長いこと秘されていた
こういう視えない関係が視えだすこと、
これこそひらけなのだ。

そして、クマノミのそっと触れる快感は
十歳のわたしの性欲によく似ていることにも気づいた。
だが、それはまたの機会にまわそう。



2007年9月28日

●40億年の深呼吸


週末はいつも、40億年の命になるか、
ひもになりこんで、日常の囚われから透脱する。
だが、毎週のことになると、うまくいかなくなる。
命は飽きっぽいのだ。
そういう時は、新しい坑道を拓く。
今日は、40億年前の生命の発生からしばらくして
呼吸を発明したプロテオ・バクテリアになりこんだ。
それまでの嫌気性の古細菌にとって酸素ガスは猛毒だった。
その酸素をうまく取り入れることに成功したのが、
プロテオ・バクテリアの大発明だ。
生命史上にのこる大発明といえる。
わたしもこれくらいの発明をして
命に恩返ししたいと思っている。
プロテオ・バクテリアはその後他の細菌に食べられた。
でも自分で呼吸ができるから死ぬことがなく、
やがて細胞内で共生するミトコンドリアに転生した。
そのおかげで私たちの全細胞が呼吸をできるようになった。
40億年間いちども途絶えていない。
その歴史を振り返りながら呼吸する。
自分がその生命史の一員であることを思う。

40億年の命としての深呼吸。
ハァーーーーーーーーーーッ。



2007年9月27日

●チャンスの裏にピンチあり

通常は、ピンチの裏にチャンスあり、
と使われることが多いが、
私にはこちらのほうが何倍も身につまされる。
ときおり、とんでもなく面白いことを思いつく。
すると、それに心が盗られて、微細なことに気づけず
またぎこしてしまう。
その都度、小さい頃野球で学んだこの言葉を思い出すが
何万回唱えても、なお学びきることができない。
つい浮かれて大股で歩いてしまうのだ。
今日も生徒から発せられていた「悲しみ」に襲われているというフラジャイルなクオリアに気づけず、
適切な対応ができなかった。
これまでしたことのない練習を思いついて
それに夢中になってしまっていたためだ。
微細さを忘れてはサブボディの産婆はつとまらない。
面白いことを思いついたときこそ危機なのだ。
訪れた創発に心を盗まれず、
透明な心を保つ訓練を積まなければならない。
だが、おそらく、透明心身状態は、
発明で心躍る体験に比べて
何百万倍以上も微細な状態であるためだ。
透明覚を制御するとは、
この桁違いのエネルギー差を越えて、
心を見つめることなのだ。
踊りをするとき心身が踊ることの怖さに
気づいていなければならない。



2007年9月26日

●ツバメをつかむ

眠り際と、目覚め際が、一日のうちで
意識と下意識の距離がなくなって
交信しやすくなるチャンスだ。
これまでに、数限りない気づきを
下意識のサブボディさんから受け取っている。
貪欲な私は一日に何度も寝ることにした。
すると眠り際と目覚め際というおいしいチャンスが
何度もやってくる。
実際毎日五回は横になる。
実際に眠り込まなくても横になってうとうとするだけでいい。
うとうとしながら、佐々木小次郎になる。
何しろ、気づきがやってくるのは
瞬間かすめる気配のようなものだ。
ツバメを手づかみでつかむようなすばやさが要る。
一度逃すとしばらくチャンスはない。
一期一会のハンターになる必要がある。
うとうとしているかにみえるとき、
わたしはもっともするどくなっているのだ。


2007年9月25日

●目を閉じなさい

人間は視覚に頼りすぎている。
視覚があまりに強烈なので、
それにマスキングされて
命が視覚以外のあらゆるクオリアを感じて
世界と共振している生の事実に
触れることができにくくなっている。

だから大事なのは目を閉じることだ。
目を閉じ日常意識を止めること。
目隠しをして闇を歩くと
命がさまざまなクオリアを感じていることを体感できる。
目を閉じると
命の言語であるクオリアをキャッチするもう一つの目を
開くことができるのだ。


2007年9月24日


●まずからだに聴く

自我意識の習慣は根強い。
夢を見なかった日の朝は、目覚めると
「何を書こうか」という言語意識が
うごめき始めているのに気づくときがある。
それに気がつくと、直ちにそれを止め、
からだに聴くモードに切り替える。
「元気かい?」、「調子はどう?」
軽く声をかける感じで
からだの闇に耳を澄ませる。
たいがい、からだの闇には
なにかしらの体感がくぐもっている。
そのくぐもりに耳を澄ます。
もつれた糸玉のようなむすぼれを
すこしずつ解きほぐすように。

体感クオリアは、最初は違いが分からない。
でも、それに耳を澄ましていると、
ごく最初はわずかに違うだけと感じられたものが
まったく別の新しいものであることが分かってくる。
微細な差異の中に無限のバリエーションが潜んでいる。
それを解きほぐしながら聞き分けていく。
そのプロセスで新しい気づきがやってくる。
それを受け取ればいい。
そのときだけ意識がしゃしゃりでて、
気づいたことを書き留める。
そしてすぐい忘れて聞き込みに返る。
それがもっとも下意識の創造性を発揮できる方法だ。

***
今日の絵はカラビヤウ空間。
ひも理論によると、原子を構成するクオークは微細空間で振動するひもの
共振パターンによって生まれる。
ひもは、宇宙最小の長さ、プランク長さの11次元空間で振動している。
プランク長さとは、0.000000000000000000000000000000001m
である。
クオークのサイズが、0,000000000000001mであるのに比べても
その小ささが想像できる。
人類がそれを実験でつかむにはあと500年はかかるだろうといわれている。




2007年9月23日

●命が危ない

日本にいる人とたとえメールでもやり取りすると
とてつもない落差を感じることがある。
情報へのさらされ方がまるで異なる。
そしてそれは日本を脱出する間際の自分と
今の自分との落差でもある。

今日本にいるひとが、感受性が鋭ければ鋭いほど
深く傷ついているのを見ると心が傷む。
わたしもそうだった。
日本にいるときはいちいち国家や大企業のやることに
傷つき憤っていた。
だがそれを続けては外に対する反応に盗られて、
命からはぐれ続ける。
そればかりか命が危なくなる。
胃痛は命のもっとも直接の声だ。
私の場合はこれでは堪らないと生命力龍が
大きな尾を一振り大地にたたきつけて脱出した。
日本にいるだけで浴びてしまう国家からの情報は
放射能のような命への毒素を持っている。

***

絵は北斎の登り龍。
なんでもいい、自分の中の
原生的な力を思い出せるものなら。
あなたの原生力はまだ跳ねる力を持っていますか。



2007年9月22日

長い時間がかかること

毎日同じ練習を続けていても、
ある日突然これまで味わったことのない体感を感じることがある。
『からだの闇』参照
からだの時間に時々こういうことが起こるのはなぜか?

おそらくからだにひとつのクオリアがしみこみ
定着するまでに長い時間がかかるのだ。
生命が単細胞として40億年前に発生して以来、
群体細胞としての長い細胞間共振の訓練の時期を経て
多細胞生命に変成するまでに30億年の時間が
必要だったように。

今週突然やってきた「衰弱にょろ」と「異界きしみ」の体感が
走り抜ける通り道がからだに開くまでには
何年間もの時間がかかるものだったのだ。
からだとつきあうと、こういうからだ独自の時間を教えてくれる。
ものごとにはそれが熟するにいたる固有の時間があることを。
ハイデガーが言った<時塾>とはおそらく
このことだったのかもしれない。


昨日のひらけを読む

2007年9月21日

●夢まで阿吽(あうん)

自我を限りなく鎮めて、透明覚状態になると、
夢が告げることが阿吽の呼吸で分かるようになってくる。

昨日はカタツムリになった夢を見た。
夢の中でカタツムリについて考えていた。

目覚めるなりその夢が、いま生徒が創っている
原生体サブボディの<一生>になりこんで、
誕生から、変成・生長をへて死ぬまでの一生を
踊るようにと告げていることが受け取れた。
原生体とは、自分のからだの中の
もっとも原生的な命の傾向を聴いて
見つけていくサブボディだ。
この間長い間、どうすれば生徒を、自然に
生死ゆらぎの世界にまで導けるかという
大きな壁に直面していた。
だが、自分が見つけたサブボディの一生を踊れば
そこに自ずから誕生も死も含まれる。

サブボディさんからの夢のお告げは、
いつも自分の最大の課題に対するヒントを
くれているのだと素直に受け取れば
暗喩の言わんとするところが自然に受け取れるようになる。
そうなるまでに年季はかかるが、
ひとたびそうなればサブボディは24時間不眠不休の
働き者だから、頭で考えるより、何倍も創造的になれる。
サブボディ・メソッドはそのほとんどが
サブボディさんが創り上げたものだ。
私はただその示唆を受け止めて整理しただけだ。




2007年9月20日

●ひらけは自分にこそ必要

この「今日のひらけ」をはじめて気づいたことがある。
自分がいかに多くの、無数といっていいほどの
既成概念や元型に囚われているか、ということだ。

わたしほど既成概念を忌み嫌う人間は珍しいと思ってきたが、
その実、自分自身がその塊なのだ。
サブボディさんが、この一日ひとつのひらけを
見つけて書いていきなさいと提案してくれたのは、
自分がこれら無数の囚われから
解きほどかれるためだった。
決して他の人のために始めたのではない。
私には知を人に垂れるほどの余裕はない。

命がけで、せめて一日ひとつずつでも
これらの囚われから身を振りほどいくこと。
そのためにわたしはこの一日ひとつの「ひらけ」を
見つけていくという猛修行を必要としているのだ。

そして、私がのっぴきならず必要とするひらけは、
私からもっと遠い人にとっても
のっぴきならず必要なものだと信じている。
私たちは皆無数の囚われにがんじがらめに縛られている。
そうじゃないですか?


2007年9月19日

●何もしないで喜ぶ

今日は思いがけず、ユニークなサブボディが
4体も続々生まれてきた。
長年やってても、こういう日は珍しい。
サブボディの産婆冥利に尽きる。
こういう日は何もせずに、ただ喜ぶ。
それがいちばんいい。
とことん喜びを味わえる。
いいことはただただ喜ぶ。
これが今日のひらけだ。
(こんなことさえ今までしたことがなかった。
なんてせわしない生き方をしてきたのだろう。
ウミウシさんを見習うことにした。)


2007年9月18日

命と会話する方法

命は言葉を使わない。
命と会話するためには、別の方法が必要だ。
命が使うのはクオリアである。
命はいつもすべてのものと共振している。
その共振を命はクオリアとし感知する。
命の中に記憶としてしみこむのもクオリアだ。
命の感じているクオリアは、
夢や自発的な動きや身体症状として現れる。

命になにかを問いかけると、
一晩中不眠不休で働くサブボディが、答えを探し出す。
そして、命からの答えは言葉ではなく
夢や動きや気づきとして返ってくる。

どんなことでもいい。
たとえば思いがけない動きが出てきたりしたら、
なぜこの動きをしたかったのの、と尋ねる。
あくる朝には夢のメタファーで答えが返ってくる。
いつもこの会話を絶やさないことだ。

一番いいのは、命に何が一番したいのか、
いつも問い続けることだ。
そうすればいつも命が一番したいこととともに
生きていける。



2007年9月17日

ツリーの中にリゾームを開く

わたしは名前をリゾームにしたほどのリゾームマニアだが、
わたしの中には相反するやつが何人もいて、
几帳面なツリー人格が取り仕切ることも多い。
几帳面な人格は、ツリーシステムにのっとって、
基礎から中級、上級へ、
からだの底から順々に上へ、
意識の八つのチャンネルなら、体感チャンネルから順々に、と、
授業を組み立てていく。
それはそれで、理にもかなっているし、
意識から下意識へ移行するには順々にさざなみのように
少しずつ移行していくのがスムーズなので、
重宝でもある。

だが、時にはこのツリーシステムの中に、
突如としてランダムなリゾーム世界を開畳する。

たとえば、今日は9月コースの授業の初日だったが、
モンスーンの終わりがけの雨の合間を縫って
ホールから庭に出て、
命がまわりの樹木や山や風などの外界と、
そして、記憶や夢や体験などの内クオリアの双方と
共振しているのを感じて動く授業をした。
八つのチャンネルが一挙に蠢きだした。
それはこれまでの初日にはなかった新鮮な体験を導き出した。

もともと命の世界にも、宇宙にも上も下もない。
中心もはしっこもない。
そんなものがあると信じているのは
狭い日常世界に縛り付けられている日常体だけだ。

ツリーの中にリゾームを開くと、
そこから世界の実質に触れる窓が開く。

******

絵はロベルト・マッタ。
三次元空間に次々とリゾーム異次元が開畳している。

2007年9月16日

命は死とのあいだで40億年間ゆらぎ続けている

一心に40億年前に生命が発生した瞬間に
脳心身全体でなりこむ。
あたまで想像するだけでなく、
からだ全体でその感じを味わおうとする。
もう何年もこの原初生命瞑想を続けている。
自我や言語意識や自己であることからも去って
からだの闇の命にただただ耳を澄ます。
生命とはなにか?

からだの奥でなにやらが蠢いている。
欲望とも、生命衝動ともつかぬ
ゆっくりとアメフラシのような速度で蠢いているものがある。
どうやらこれが命の流動の感触らしい。
そしてそれは外界のひんやりとした死の世界に触れている。
何年もたつとじょじょに
これこそ命の直かの手触りであろうと確信が少しだけ深まる。

今朝の起き掛けに不意にこの生死ゆらぎが
40億年前から切れ目なく続いているという
途方もない連続性の実感が降りてきた。
そう、今日のひらけは眠りの中から
サブボディが届けてくれたものだ。
一瞬の切れ目もなく、命はこの外界の無との間で
生死をゆらぎつつ生の蠢きを続けてきた。
40億年前と同じ生死ゆらぎが今も続いている。
そう実感した。

実感といっても実生活で感知する実感に比べると
何百万倍もかすかなものに過ぎない。
だが、このかすかさこそが、
逆に命のクオリアである証拠なのだ。
なぜなら、そのかそけさは、それが意識が捏ね上げた情報ではなく、
ただ、命が共振してるクオリアであることを告げているから。
日常世界がまたぎ越しているこのかすかなかすかなクオリアの中に
何事か未知のものが潜んでいる。

現在の日常体は死を忘れ去っている。
それは生命を忘れ去ることなのだ。


2007年9月15日

はじまりはさりげなく

毎日ひとつ、そのときどきに
気づけていない視点を見つけて開いていこう、
と思いついた。

命を生み出しているひも共振は
いつも11次元を自在に飛び回っているのに
意識はとても同時に11もの違った視点を持つことができない。
この絶望的な差異を
少しでも埋めていこうとする修行だ。

新しいことを思いついてやり始めるとき
これまでに犯してきた一番大きい過ちは
意気込みすぎて、
肩肘張った堅苦しいものになってしまって
自分でもしんどくて続かないというものだった。
それでもがんばって続けてきたこともあったが、
自分の中に余計な力が入っているものは
どんなにがんばってもよいものは出てこない。
そういうわけで、
今日のひらけの第一回は、

はじまりはできるだけさりげなく.....

たったこの一言からはじめたい。
あっけないけれど、
新しいことをはじめるとき、
私のような几帳面さに自滅しがちなA型人間にとっては
もっとも大事なことだ。

******

絵は、ひもの共振パターンの
もっともシンプルなもの。
この共振パターンが連続して
重力が発生するという。
フランスのCG画家コロナさんの提供。
ひも理論については、ここをクリック

2007年9月
ツリーの中にリゾームを開く
命は死とのあいだで40億年間ゆらぎ続けている
はじまりはさりげなく