October 2007
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ヒマラヤの川面の水は垂直に踊っている。 そして無数の飛沫を空中に撒き散らしていた。 その冷たい飛沫は脳を洗うのにもってこいだ。 |
| 2007年10月31日 ●脳を洗う 久しぶりにヒマラヤの川辺で一日過ごした。 生徒が自分の場所を見つけて踊りを創っている間、 川の流れにできるだけ近く頭を近づけて流れを見ていた。 長いこと川を見てきたつもりなのに、 川の流れの上には無数の飛沫が飛んでいることを はじめて知った。 ヒマラヤの雪解けの冷たい川の水の飛沫を 頭で受けていると、 本当に脳みそが現れるような感覚になった。 近代社会にいると脳が意識に 汚染されていることに気づくことができない。 瞑想によって意識を止め、 下意識で起こっているクオリア流の豊かさに 触れてはじめて自分がいままで意識に 汚染されていたことに気づくことができた。 これは都会に住む人に言葉で言っても 分かってもらえるものではない。 |
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| インターネットのイメージ検索の世界から 侏儒は完璧に清掃され、追放されている。 障害者の写真さえ一枚も見当たらない。 目に当たらぬようにすれば それがなくなるとでもいうのか? 恐ろしい世の中だ。 |
| 2007年10月30日 ●小さく縮む 小さくなること。 頭と首の関節を一ミリだけ縮めて歩く。 それだけで世界の味が変わる。 ほかの関節を二ミリ縮める。 忘れていた奇妙な自分が顔を出す。 三ミリも縮むと別人になる。 何か恐ろしいことが起こりそうだ。 世界が異様に大きくなる。 何だ、これは?! 侏儒だ。 きみは侏儒に変成する。 世界が奇妙に歪んだ貌で君に襲い掛かる。 勇気があれば侏儒になれ。 わたしは侏儒になるのに十年かかった。 侏儒になってはじめて侏儒にとっての世界が分かる。 Х不具、Х片輪、Хちんば、Хびっこ、 障害者を指す呼び名が少なくなるだけ 侏儒の世界が押しつぶされていく。 昨日のひらけを読む |
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| 古生代の海は植物とも動物ともつかないウミユリの仲間が ひっそりと花を咲かせひっそりと萎ませていた |
| 2007年10月29日 ●超微速変成 サブボディ学校の練習場は 直径10メートルの円形である。 その一方の壁際に立ち、 無のからだになって歩き始める。 灰柱の歩行という。 一歩ずつごくわずかにからだが変成していく。 からだの一部が縮み、そして元に戻る。 次の一歩では、わずかに縮みが大きくなる。 百歩掛けて最大限の変成に至る。 そのからだの変成の時間を大事にして歩く。 今日の生徒は、一時間経っても まだ対岸の壁に到達していなかった。 この練習から出てくる動きは 底知れず味わい深いものになった。 人間の日常の時間の外へ。 異次元の時間へ降り立つ。 超微速でからだが変わっていくだけで 人間のからだは異次元の生息物になる。 古生代の海でひっそりと花を開かせていた ウミユリの仲間たちのように。 |
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| 自分の全体のほんの一部でも否定すると、 自分とは別物のさびしいものになってしまう |
| 2007年10月28日 ●静まり、そして、自分の全体に触れる 朝一番はいつもゆらぐ。 その日のからだに聴きながら一番心地よい ゆれやふるえのび、ちぢみ、ねじれなどを味わう。 毎日といっていいほど、新しいゆらぎかたを発見する。 今日は、その逆で、 ある時点でからだから、今日はもう動きたくない という声が聞こえた。 ゆうべ夜更かししたからかな、と 思い当たりながら、静まることにした。 するとなんだか、ずんずん静まっていける。 毎日静まろうとしているが、 静まりには底がないことに気づかされた! ここ数年で、静まり返るとからだの血液の流れの 微細な変化が聞こえるようになった。 すこしでも血圧が高まるとかすかに不快な感じが立ち上る。 今日の「動きたくない」というシグナルにも 血圧のわずかな上昇を好まないという からだからの反応が混じっていた。 そのほかにも、血液中の水分や糖分や酸素の含有量が 如実に感じられる。 性ホルモンの含有量の変化もすぐ分かる。 だが、今日の静まりのなかでは、 なんだか、脳内でニューロンを流れている クオリア流が、それぞれのシナプス間隙で グリアに保存されいている過去の内クオリアと 相互作用を起こして微妙にゆらぎ変容しているさまが 手に取るように感じられた。 からだを流れているクオリア流に ふと別の感じが混じる。誰かのことを思い出す。 じつに頻繁に連想が起こってゆらいでいる。 ミンデルがフラートろいう言い方をしているのが よく分かった。フラートとは浮気心とか、 秋の風とか、常在なくゆらぎふわつく心である。 クオリア流は煙のように内クオリアの影響を受けやすい。 このふわつきかたを知っているミンデルは、 さすがだと感心した。 伝統的瞑想では、これらのふわつく心の動きは 雑念として、すべて否定される。 そして、一心に何かに集中しようとする。 それは自分の中に特権的な専制権力を造ろうとすることだ。 そして、多くの人が禅病やヨガ病に陥った。 だが、命はいかなる専制権力も欲してなどいない。 それどころか、自我を消し、自分とはだれだれであるという 自分に語って聞かせる物語も捨てる。 すると、いのちとはこの常在なきゆらぎそのものではないか。 命を否定しようとしてどうなるのか。 伝統的瞑想が底知れず不毛の歴史をたどってきたのは この命そのものを間違って否定しようとするところに発していた。 このふわつきや雑念を否定する必要などどこにもなかったのだ。 ただすべてを命の営みとして受け入れればよい。 どんな動きも自分の全体の一員なのだから。 |
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大脳のニューロンとグリアの6層構造図。 4.5.6層の感覚・運動系でニューロンがグリアに保存されている 内クオリアに出会い、新鮮な創造が生まれる。 |
| 2007年10月27日 ●下意識の創造性とはなにか? いつもこのひらけは、 ベッドかハンモックに横たわっているときに思いつく。 私は一日のうち何度も何度も横たわる。 からだを楽にし、緊張を解いて、意識を止める。 瞑想し、ただ命に聴くモードに入る。 そうすると、命は絶えず新しいことに気づいていることが分かる。 いくらでも気づきは生まれてくる。 上のイラストを見てください。 大脳の6層構造を示している。 上層の第2層、3層は言語中枢のある左半球と、 右半球のコミュニケーションに使われる。 下層の4、5,6層は主に感覚と運動系に使われる。 この下層に紫色で描かれているグリア細胞に注目してほしい。 2,3層の言語意識が活動しているときは 何千万ものニューロンが同時に連結発火しなければならないので、 下層のニューロンとグリアの間で行われている 静かな非電気的な出会いは マスキングされて決して気づくことができない。 言語意識を止めると、大脳の下層でグリアとニューロンが 微細にふれあい、ニューロンがグリアに保存されている 内クオリアに出会っていることに気づくことができる。 すべての創造的な思いつきはニューロンと、 グリアからの内クオリアとの新鮮な出会いから生じる。 瞑想によって言語意識を止めないと、 この触れ合いから生まれる創造の果実が 絶えず生まれていることに気づくことができない。 言語意識をいくら回しても空回りするだけなのだ。 もし、自分の状態がそういう命のいい状態でないと気づいたら 直ちに横たわり、言語意識を消す。 一日のうちで少しでも言語意識が興奮してしまっていると 気づいたら、直ちに寝ること。 何回でもそれを繰り返す。これに限る。 いまのわたしがそれだ。 おやすみなさい。 |
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| 2007年10月26日 ●畏怖する心 チベット人やインド人、ネパール人は 実に多くの禁制に取り囲まれている。 近所のリンとチンが土曜日に遊びに来たので 泳ぐかい? というと 「火曜と土曜は泳いではいけない日だ」という。 土曜は、新しく買った着物を着てはならない日でもある。 わたしは若い頃、これらの禁制のすべてを 前近代的な<共同心意規制>として、 ことごとく死滅すべきものと考えていた。 いまも国家を含む共同幻想すべてが 死滅すべきものであるという基本的な考えは変わらないが、 若い頃の考えに根本的な見落としがあったことに気づいた。 わたしには、これらの禁制を大事にする民衆のなかにある <畏怖する心>の大事さが見えていなかった。 それは民衆の中にある、 自分の背丈を越える不可視の大きな力を感じ、 身を謹んで災厄を避けようとする根本姿勢だ。 その心は生命全体の大きな流れにつながっている。 現代社会はそういう畏怖する心を捨て去りつつある。 |
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| 2007年10月25日 ●ヒーリングを超えて 朝早くに誰かがチャイムを鳴らす。 顔を出せば隣に住む外国人が話があるという。 これまでの経験から、たいがい揉め事なので、 朝っぱらからストレスが湧き上がる。 そんなことでは授業ができないので 話は夕方からにずらしてもらう。 それをきっかけに、ヒーリングについて考えた。 私はヒーリングというものが胡散臭くて大嫌いだった。 だが、今朝はなんだかからだが ヒーリングを欲していると感じたからだ。 ヒーリングを欲するとはいったい何なのだ? その体感を増幅していく。 すると、ストレスにあったからだにアドレナリンが満ち、 対外的な社会的対応に心が取られて、 自分の命にコンタクトできない状態になっていることが分かった。 3年前までの学校建設中はずっとこういう状態が 長期間続いていたことも思い知った。 こういう状態が長期間続けばからだに悪いに決まっている。 神経症になるのも無理はない。 現代の先進国で働きながら暮らそうと思えば、しかしこういう ストレスに満ちた状態は、常態だろう。 私も十数年前まではコピーライターの会社を 経営していたのでよく分かる。 ヒーリングとは何か? 命からはぐれている状態がヒーリングを必要とするならば ヒーリングとは、命になること。 命とひとつになることだ。 命の持つ原生力―そこに含まれる共振力、 創造力、自己治癒力― それらを取り戻すことだ。 だから単なるヒーリングに留まることはできない。 単なるヒーリングを超えて、 それらを全面開花することだ。 |
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| 2007年10月24日 ●ジェット気流のベリーダンス 雨季が終わると毎日が晴天続きになる。 空はジェット気流の独断場だ。 ジェット気流は、Wikipediaによると、 「上空8〜13kmに強く吹く。長さ数千km、厚さ数km、 幅100km程度で、風速は30m/sぐらいで 中には450m/s近くに達するものもある。」とある。 ここいらの山は標高5000mだから、 ジェット気流がほんの少し腰を振ると、 寒気が襲い山は白くなる。 毎日ジェット気流が色っぽく腰を振る ソロダンスを楽しむ。 今年は去年ほどのベリーダンサーが まだ現れない。 |
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| ニューロンは活性化したグリアからそこに記憶されている 内クオリアを受け取っているようだ。 |
| 2007年10月23日 ●イモヅル式のクオリア連鎖 今日のアンスケによる触覚チャンネルを開いていく授業を 生徒として受けているとき、 ヘチマの感触に端を発して、 銭湯、日本の温泉、外国の温泉、海での遠泳、 クマノミ、カツオ、サメ、クジラと水にまつわるクオリアが、 からだの闇から次から次へとイモヅル式にこみ上げてきた。 時々こういうことが起こる。 このとき何が起こっているのか? おそらく、よく似たクオリア群が保存されている 脳細胞、おそらくはグリア細胞内の微細域のひも共振が、 そろって活性化されて次々とよみがえってくるのだ。 各地の温泉や海の特有の温度の記憶まで 克明によみがえってきたのには驚いた。 アムステルダムのサウナのプールの冷やっこい水温! 宮古島の珊瑚礁の行水のような生温かさ。 そこでのクマノミから受けたキスの感触。 あるいは、一連の水関連のクオリアの保存域のひも共振を カルシウムウエーブかなにかが 走って活性化しているのかもしれない。 あるいは、それらの記憶を活性化する 未知のひも共振があるのかもし れない。 それがつかめればわたしたちは、 脳内の任意の記憶を活性化して引き出すことができるようになる。 だが、それがつかめなくても、私たちはすでに 脳内のさまざまな領域 に保存されている内クオリアに アクセスする方法を見出しつつある。 今日のアンスケはタッチチャンネルでそれをやったのだ。 |
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| 2007年10月22日 ●インドの干し飯と注連飾り 授業が済んだ後、屋上のハンモックでしばらく揺らぐ。 一年で一番気持ちのいい季節だ。 晴天が続いているので、ロメスが干し飯を作ってくれた。 かじると香ばしくてとてもうまい。 干し飯は、昔読んだ万葉集などで、日本古来のものと 思っていたが、なんとインドから伝来したものだった。 こんなことがよくある。 ロメスは最近、イネ科の草で注連飾りを作った。 何だとたずねると、本当は稲わらで作って戸口に飾るのだという。 なんと、注連縄もインドから伝わってきたものだったのだ。 日本にいると、こんなことが見えない。 日本的と思っているもののほとんどは、韓国からの渡来ものだし、 もっと古いものはさらに遠くインドから伝わってきたものだ。 3年前、南インドの山岳民の村で、小さいころ飯を炊いたのと そっくりのへっついさん(かまど)に出くわしてたまげたことがあった。 鰹節もあった。 目からうろこが落ちる経験を何度も何度も体験して はじめて何かが見えてくる。 ナショナルな思い込みに凝り固まっていることほど 恥ずかしいことはない。 だが、私たちの脳みそは そういうものばかりで詰まっているといっていいほどなのだ。 |
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2007年10月21日 ●生命には創発が宿命づけられている 地球上に生まれた原初の生命を 一連のひも共振パターンの連鎖だと想像してみる。 ひも共振の世界の特徴は、 いやおうなくすべてのひもが共振していることだ。 生命の共振ループは絶えず出会う外界の 非生命物質のひも共振ともいやおうなく共振せざるを得ない。 いやおうなく出会う外界の物質やエネルギーと、 新しい共振方法を創発をせざるを得ないのが 共振世界に生まれた生命の宿命だった。 もちろんそれには時間がかかった。 当時の地球には今のような電磁バリアがなかったので、 光に当たることは厳禁だった。 陽子や電子がいたるところに降り注ぎ、生命を壊してしまうからだ。 酸素もただちに出会うものすべてを酸化してしまう猛毒物質だ。 うかつに海上表面に浮かび上がった個体はみな滅びただろう。 だから、光からも酸素からも程遠い深海底しか 原初生命にとって生存の場所はなかった。 当初は何億年間も逃げに逃げていたのだ。 (ワタシモイマ逃ゲニ逃ゲテイル。 現代社会ノ情報洪水ノ猛毒カラ。) そして、生まれたふるさとである深海の熱鉱床付近で 酸化硫黄や硫化水素を食べて細々と生きていただろう。 生命が地球の表面近くに出てくることができるようになるには 地球に電磁バリアができて、危険な放射物質が太陽から届くのを 妨げてくれる環境ができるまで待たねばならなかった。 生命は物事が成熟するまでの長い待ちの時間をよく知っている。 生命は出会うものすべてと、長い長い時間をかけて 新しいひも共振パターンを発明してきたからだ。 光や酸素との共振方法は数億年かけて発明した。 電磁気力や、核力と安全に共振する方法を見出すまでには 40億年かかった。 <そのとき>が来るまでは、逃げに逃げ、 時が成熟するのを待てばいい。 そのときがくれば、いやおうなく 生命は発明するものだ。 自分に一番似合った新しい生き方を。 |
| 受精直後の原生力あふれるES細胞 |
| 2007年10月21日 ●ES細胞に生命の原初形態を瞑想する ES細胞は、受精直後のもっとも元気な時代の生命だ。 からだのどんな組織にも成長しうるフレキシビリティをもつ。 それはちょうど40億年前に地球上に生まれた原初の細胞に似ている。 原初細胞もまた、そこから現在の地球上にあるありとあらゆる形態の生命に進化発展する可能性を秘めていたからだ。 だから、ES細胞のさまを見ることで、 原初生命についてのなにかがつかめる。 実際に見てみると、ものすごく旺盛な生命力だ。 外部から何がやってきても共振して見せるぞという 気概が感じられる。 生命はこうでなくちゃならない。 酸素が来ようが、カルシウムがちょっかいをかけようが、 どんどん生命の共振パターンに呑み込んでやる。 そういうたくましさがある。 そうだ、ES細胞と原初細胞が大きく違うのは、 現代のES細胞はすでに40億年間の試練を経て ありとある困難な条件をすべて乗り越えてきた 最強の生命記憶をDNAに書き込まれているのだ。 自己治癒力も共振力も創造力も最新鋭のものをフル装備。 まっさらのぴかぴかの原生力にあふれている。 たくましいはずだ。 これに比べて、原初細胞はまだ、 あらゆる外部の物質との共振に関してまったくの処女だった。 酸素が共振を申し込んできても、待ってよ、 まだ準備ができていないと4億年間も待たしたのだ。 ES細胞と原初細胞、このふたつの間に横たわる 40億年間を瞑想しよう。 そして君の日常体はいったいいつどこで こんなまばゆい原生力をどこでどうして すっかり失くしてしまったのか。 この瞑想は生命について学べる最大の学校だ。 昨日のひらけを読む |
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| 大脳の海馬内のカルシウム・ウエーブ |
| 2007年10月20日 ●カルシウム・ウエーブとひも共振 科学ビデオサイトのDNATube.comで、 脳の海馬の神経細胞内をカルシウム・ウエーブが 走るビデオを見つけた。 細胞内のカルシウム濃度が変動する現象はカルシウム・ウエーブ、 またはカルシウム・シグナルと呼ばれる。 これは記憶や学習、受精や運動など 生命機能の根幹にかかわっているので おそらく生命発生の当初以来生命と共振してきた ひも共振ではないかと見られる。 ニューロンとグリアのコミュニケーションにも このカルシウムウエーブが大きな役割を果たしている。 グリアに保存されている記憶や学習などのクオリアが どうニューロンに伝わるかに カルシウムのひも共振が関係している可能性が高い。 眺めていると、その現象の向こう側で ひも共振の波が走っているのが感じられる。 ヒマラヤの雷を見ているときと似ている。 ひもはカラビヤウ空間で多次元に共振していて そのうち、粗大な三次元に影響を与えている共振だけが 画面に映っている。 微細な7次元の共振はこういう画面に映るわけがない。 だが、それが存在していることを想像する。 このカルシウム・ウエーブの見えない微細空間で グリアに保存されている内クオリアと 命が交信しているのではないか? 一心にそれを想像する。 このごろ時間があるといつも 生命発生の瞬間を思い描いて瞑想している。 実にいいものだ。 |
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| ニューロン(緑色)とグリア(赤色) |
| 2007年10月19日 ●グリアが、クオリア思考の主役かも知れない 脳科学は長年のニューロン中心の研究から、 ようやくここ十年でグリア細胞に注目の中心が移ってきた。 研究者の次の発言を読めば最近の劇的変化の概略がつかめる。 「 思考をつかさどる陰の立役者 グリア細胞 R. D. フィールズ 神経細胞(ニューロン)が緻密な脳のネットワークを作って,記憶や学習という脳の中心的な役割を果たしているのに対し,グリア細胞はこれらを補佐する脇役と考えられてきた。グリアの役割はニューロンに栄養を運んだり,軸索を絶縁して電気信号を送る手助けすることで,積極的に脳機能に影響を与えているとは考えられなかったからだ。 しかし,最近の研究から,グリア細胞の別の姿が見えてきた。グリア細胞はニューロンが置かれた状況をモニターしながら,グリア同士で情報をやりとりし,ニューロンのシナプス形成をコントロールしているらしい。記憶や学習という脳の高次機能は,実はグリア細胞によって支えられている可能性が高い。 グリア細胞は数の上ではニューロンをはるかに上回り,役割に応じてさまざまな種類がある。中枢神経系ではアストロサイト(栄養を運ぶ),オリゴデンドロサイト(ミエリン鞘を作る),ミクログリア(免疫を担う)が主なグリア細胞で,末梢神経系ではオリゴデンドロサイトに代わってシュワン細胞がミエリン鞘を作る。ニューロンが電気信号を使って情報を伝えるのに対し,グリア同士の情報のやりとりにはアデノシン三リン酸(ATP)や神経伝達物質が利用されている。興味深いことに,著者らの研究によると,同じ化学物質を利用して中枢神経と末梢神経で異なるメッセージを送ることができるらしい。 本格的なグリア研究はまだ始まったばかりだが,今後の成果によっては,ニューロン中心だったこれまでの脳のモデルが劇的に変わるかもしれない。 」 ニューロンは電気信号を使う。 グ゙リアは電気信号ではなく、化学信号で交信する。 だから今まで目立たなかった。 だが、われわれの命がクオリアを感じ、 クオリアを使って思考している超複雑なプロセスが、 派手で大雑把なな電気信号などのレベルで行われているわけがない。 そんなとんまな想像で間に合うのは、 科学者が自分の行っている思考を その程度の単純なものと思い違いしているからに過ぎない。 科学者たちは言語思考の地下で行われている 下意識の超複雑な多次元クオリア思考の実態について まったく無知なのだ。 ニューロンのつなぎ目のシナプスでは、 電気信号が化学信号に転換される。 このとき、ニューロン間の信号伝達にグリアが介入する。 おそらく、ニューロン自体に記憶や学習が保存されるのではない。 それらはグリアに保存されている。 ニューロンはそこに保存されているクオリアを呼び出し、 伝達し、交流させる回路に過ぎない。 一つのクオリアのひも共振パターンと、別の共振パターンが 出会うことによって別の共振パターンが発生する。 新しいクオリアが共振によって発生する。 それが思考だ。 ひも理論で推理すれば、グリアの核に、 微細なひも共振パターンとしてクオリアを保存する 未知の仕組みがあるはずだ。 記憶や学習などの内クオリアはグリアの核に 微細な7次元のひも共振パターンとして保存されている。 その微細7次元には時の次元がないから 何十年経っても不変のクオリアが保存されているのだ。 私はそれを予言する。 発見までにこれからまだ何百年もかかるだろうが、 そういう未知の仕組みがなければ、 命は内外のクオリアを使って生命を保っていけない。 ようやくその、秘密の仕組みが存在する場所を グリアの微細次元だろうと推定できるところまで 人類はたどり着いたのだ。 昨日のひらけを読む |
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2007年10月18日 ●生命と三つの原初の海 生命と海は切っても切り離せない。 40億年前に生命はそこで生まれた。 40億年間のうち、ほとんどはそこでたゆたってきた。 だから、いまでも個体発生の最初期は生命は海で育つ。 鳥類や爬虫類の卵、哺乳類の子宮は原初の海の環境を保っている。 生まれてからも、脳と脊髄だけは、海の中に漂っている。 脳脊髄液という極小の海だが、 そこに漂うことがどうしても必要らしい。 水を介してそこに溶けている微小分子とうまく共振するには 海の環境が必要なのだ。 |
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| 2007年10月17日 ●尾骨神経の発現 人類が尾を失ってからほぼ500万年経つ。 だが、500万年は40億年の生命史のなかでは ほんの一瞬だ。 いつも想像上の尾の動きを意識して動いていると いつの間にか尾骨神経が生き生きとよみがえってくる。 私のお気に入りの瞑想はいままでは骨盤を回すことから 始まるゆらぎ瞑想だったが、 想像上の尾が地下で誰かにゆすられていると思うと とびきり気持ちのいいゆらぎ心地が手に入ることに気づいて 尾骨ゆらぎに切り替えた。 尾を使っているうちに、遺伝子の中で500万年眠っていた 尾骨神経を活性化する即時遺伝子が発現したのかもしれない。 ともあれ、サブボディの世界では 思いがけない面白いことが次々と起こる。 これだからやめられないのだ。 昨日のひらけを読む |
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2007年10月16日 ●快感増幅法 内クオリアと外クオリアの共振増幅という 生命の根本技法を応用すると、 いろいろなことができる。 最近見つけた快感増幅法もその応用のひとつだ。 何かいいことがあったときに行う。 好きな子に会えたとか、たわいのない幸福でいい。 標準理論でいえば、そのときは からだに快感物質が満ちている。 エンドルフィンとか、ドーパミンとかだ。 ひも理論でいえば、そのときは 体中のひもが快感の共振パターンに震えている。 脳内のグリアやニューロンもその渦中にある。 そこで、そっとその快感を増幅する。 微細呼吸を使うのがいい。 ごくごくわずかに息を吸う。 いつもと違うことが感じられる。 そうだ。鼻孔の先に新鮮な空気が触れる感覚に ごくわずかな快感が混じっていることがわかる。 その快感を増幅するようにそっと呼吸を続ける。 すると、胸や、手首や、指先などの細胞が 快感に打ち震えているのに気づく。 それを増幅しつつ味わい続ける。 卒倒しそうなほどの極上の気分になれる。 この快感は、おそらく命が発生したとき以来 命の営みを支えてきたものだ。 ごくごくささやかな快感を感じたからこそ それを増幅して命は生き続けてきた。 40億年続いてきた快感増幅。 今自分がその末端で命の快感のおこぼれをいただいている と思うのはなかなかいいものだ。 これと反対に、無意識裡に不快感を増幅してしまうことがある。 神経症や心身症ではそれが分かっていても止めることができない。 私もずいぶん瀕死のひどい目にあった。 だが、その経験からこの快感増幅法も発見された。 転んでもただでは起きないことを 小さいときから心がけてきた。 それが自分に振りかかる不幸を打ち返す方法だと 幼いながらも直感していた。 私の手柄ではない。 命のしぶとさにあきれる。 |
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| 2007年10月15日 ●親切や善意の衣を着るエゴ エゴはいつも自分をいいものだと 思い込みたがる習性を持っている。 それが親切や善意や正義の衣を着て現れたときには 最も注意しなければならない。 先週も生徒のサブボディダンスの創造がなぜか うまくいかない日があった。 よくよく案じれば私が与えていた些細なアドバイスが 桎梏になっていることに気づいて、すぐに取り消した。 私のエゴは、善意でアドバイスしたのに、と不満げだったが、 それに負けちゃあおしまいだ。 真善美はエゴのまとう常備服である。 それほど人をそして自分自身を欺きやすいものはない。 地獄への道は善意で敷き詰められている。 ――これほど怖い格言はない。 |
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2007年10月14日 ●現代文明が覆い隠しているもの 人はすっかり忘れ去っている。 ほんの数十年前に自分が単細胞だったことを。 上の写真は受精直後のES細胞だ。 すべての多細胞生物はその個体発生の初期に、 かならず単細胞時代を経ていることが 現代の文化や教育において覆い隠されている。 40億年前に発生した最初の生命から私たちまで 命が連続している事実を告げもせず教えもしない。 もっとも深い命の真実を覆い隠して、 命とは個人のものだ教え込まれる。 自我と人間としての思い上がりが刷り込まれる。 命を忘却した文明。 それが現代文明だ。 たまには、自分がただの細胞だったころのことを 思い出すのがいい。 細胞時代のビデオを見る |
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| 2007年10月13日 ●多細胞になるまでの30億年という厚い壁 生命の歴史を何度も何度もたどる。 呼吸を発明したプロテオバクテリア、 光合成を発明したシアノバクテリアという 二大発明が目を引くが、 生命がそれらに要した期間はたかだか数億年だ。 それに比べ、 単細胞から多細胞に移行するには30億年もかかっている。 おそらく、ボルボックス(写真)のような細胞群体として 共振の訓練を延々と続けたのだ。 それを突破するまでに全生命史の4分の3もかかったほど、 多細胞生命化は、生命にとってのもっとも厚い壁だった。 どれだけ時間をかけても乗り越える値打ちのある壁 というものはあるものだ。 多細胞になることで、生命は爆発的な多様化への飛躍を遂げた。 私にとっても舞踏家になるまでに 60歳の生涯のうち4分の3の45年間もかかっている。 実に惨憺たる混迷と辛酸を体験した。 創造者としての生き方を見つけることが わたしにとってのもっとも厚い壁だったことになる。 きみにとってのもっとも厚い壁はなにか? いくら時間をかけても乗り越える値打ちのある壁とは? |
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2007年10月12日 ●命として生きる 自我として生きるのではなく 自己として生きるのでさえなく 命として生きる。 |
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2007年10月11日 ●自我と国家を消していく方向へ その方向にのみ光明がある。 思想でも芸術でも政治においてもだ。 これまでの近代社会に欠けていたものは 自我を消し、生命になっていく志向性だ。 いくら一見共産主義思想が正しくても 自我が政治権力を取ってしまえば地獄に落ちる。 レーニン、スターリン、トロツキーの 確執と惨劇がなぜ起こったか。 人類がまだ幼くて、国家の死滅と自我の死滅の 共振増幅が必要なことを知らなかったからだ。 自我の死滅。 そういう可能性があることなど、 あの時代の人々(私も含めて)は、 まったく誰も気づかなかったのだ。 自我も国家もまた歴史の産物であれば、 歴史の中で死滅するものであることを。 |
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| 2007年10月10日 ●胸の閊えをとる 胸なのか、腹なのか、 ちょうどその真ん中あたりにかすかな異常を感じたら かならずそれに耳を澄ます。 そのときもっとも重要な違和感シグナルを 命が送ってきているからだ。 言葉ではまだつかめない。 だが、何かが変? どこかしっくりこない。 なにかが間違っている。 命からの信号はそういう感じで送られてくる。 何が命にとって余計なことなのかを聴く。 大概自我が余計な計らいをしていることからきている。 昨日も胸の閊えが取れなかった。 その原因を命に聴き込んでいくと、 金曜の公演に向けて、生徒にアドバイスしたことが 生徒のサブボディの発現の邪魔をしていることがわかった。 今朝は私の指示をすべて忘れて、自由に好きな場所で、 好きな順番で踊りを創るようにいった。 すると、胸の閊えは嘘のように消えた。 生徒もうまくサブボディが出てこないことで 苦渋の色を見せていたが、それも同時に消えた。 生徒と私のサブボディは共振しあっている。 私の自我はいつももっともっとと 多くを追求しすぎる欠点がある。 問題はいつも自我の計らいから立ち上ってくる。 ようやくわたしは余計な計らいを止めることを覚えた。 60年かかった。 この我欲を捨てる爽快な快感を知るのに。 |
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2007年10月9日 ●ひらかないというひらけ 思いついて以来このひらけを毎日続けてきたが、 今日は、共振塾ジャーナルや、多重日記などほかに 書きたい記事がたまっているので、 ときにはひらかないことも必要だと気づいた。 ひとつことにこだわるよりは フレキシビリティが大事だと。 それが今日のひらけだ。 |
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| 2007年10月8日 ●40年目の10.8の気づき 私の生涯の最大のライバルは祖母だった。 私は3歳から7歳まで、 和歌山市で口寄せ巫女をしていた祖母に育てられた。 近所の家から「死んだ義理のお母さんに会いたい」というような 依頼が来ると、祖母はその家に出かけ、 部屋の中で護摩を焚いておがみだす。 やがて、死者の霊がのりうつり、 祖母の声が一変して死んだ人の声音になる。 大抵の家では、嫁姑などのいさかいを、 相手が死んだ後まで引きずっている。 生前に受けた意地悪に対する恨みを死者が言い終えると 依頼主の嫁がどっと泣き出す。 それで、ようやく長いしがらみが落着する。 そんな具合だった。 幼いながらわたしは、あっけにとられつつも、 目の前で起こっている不思議な出来事の 一部始終を見逃すまいと一心に見守っていた。 踊りを始めてから、わたしの最大の謎はこの憑依現象にあった。 祖母はいったいどうしてあんな秘儀ができたのか。 確かに高野山に通って行場で修行し、 祈祷師の免状までもらっていた。 だが、その技法は深いなぞに包まれていた。 1998年に伝染熱・死者熱の踊りを創ったとき、 私ではなく、死んだ山崎や辻がわたしのからだに入って 踊っているのを感じていた。 だが、夢中だったから何が起こっているのか、 まるでわからなかった。 ようやく今年になって、憑依体への成りこみ方法を見出して、 生徒にも伝えられるようになってきた。 そして、今月になってはじめて、 シャーマニズムの憑依技術の本質は、 内クオリアと外クオリアの共振増幅を 制御する技術にあることに気づいた。 シャーマンは、火や呼吸や動きや拝む声などありとあらゆる 外クオリアを総動員して内クオリアを駆り立てていく。 仕掛けのすべてが必須のものなのだ。 そして、その場で求められている最適解のクオリアを見つけ 共振増幅してのりうつる。 サブボディダンスの憑依体の制御法とまったく同じなのだ。 というより私はそれらすべてを祖母から学んだのだ。 60年かけてやっと最大のライバルの 足元までたどり着いたことになる。 ばあさん、やっとここまで来たぜ。 |
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| 2007年10月7日 ●共振の透明さ 共振というものを人類はまだうまく捉えることができない。 共振はあまりに透明に、 どちらが主でどちらが従ということがなく、 どちらからともなく、さりげなく始まる。 意識はそんな透明なものを捉えるほど上等ではない。 まして言葉を使ってしまうと 言葉は生まれつき、主語と述語という 先見的な主従関係に囚われているので、 主従の区別なく透明に起こる共振のことを 理解できないのだ。 言葉は S+V+O に囚われている。 私が、何かを、感じる、 という主従の枠組みに引き込んでしまう。 だが、共振はそうではない。 これを捉えることができるには 意識を止めなければならない。 だが、それこそ、意識にとってはとんでもないことなのだ。 自分が主役の座を降りるなんて、 信じられない事態なのだ。 意識から透明覚への遠い道。 これから人類がたどる遠い道を 少しでも通りやすくするのが その道を発見したもののつとめだ。 自我を捨て、主体なき共振を知ろう。 それだけが命に触れる道なのだ。 |
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2007年10月6日 ●共振増幅の発見 何らかのクオリアが強まっていくとき、 共振増幅が起こっている。 生命が出会っている物理的な外クオリアと、 生命内に蓄えられた内クオリアとが共振し、 互いに高まりあうのが共振増幅だ。 これは生命にとって根本的な生きる方法だったのではないか。 生命がなんらかの物質に出会ったとき、 今までに蓄えられた内クオリアに照らして 取り入れるべきか、逃れるべきかが分かる。 それによって正または負の方向へ共振増幅することによって 40億年間も生命を運転維持してきた。 生命がこんないしぶとく的確に生き延びてきた秘密は、 共振増幅にある。 生命以外の他の物質は内クオリアを知らないから 共振増幅も起こりようがない。 これは生命だけの専売特許なのだ。 ********* 踊りもまた、内クオリアと外クオリアが共振増幅によって ひとつになるとき、動きから分かれて踊りになる。 生命と踊りを貫く、とんでもない根本線が見つかったわけだ。 共振増幅という生命現象は 生命の謎を解く鍵になるだろう。 |
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2007年10月5日 ●アドレナリンの怖さ 自分がまだ克服でいていないものに気づくのはいいことだ。 今日は、生徒のささいな自我に触れるだけで アドレナリンが湧き立ち、わたしの自我が触発され、 丸一日往生させられた。 いちどアドレナリンモードに囚われてしまうと、 それが生体としての基本的な反応であるだけに どうしようもない。 5年前に神経症に陥ったのも、 アドレナリン反応を制御しそこなったことから始まった。 いつもその些細な端緒で捉えて制御しようとするのだが 間に合ったためしはない。 仏教で怒りを鎮めることを 修行の大きな柱にしているのもうなづける。 キリスト教の「右の頬を打たれれば左の頬をさしだせ」 というのも同じ趣意だろう。 生きている限りだめかもしれないとさえ思われる。 生命の深い闇。 意識ではどうにもできないものが いくらでもからだの闇にある。 |
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2007年10月4日 ●40億年生き延びてきた生命力 私たちが受け継いでいる遺伝子は、 40億年間、死を知らないことに気づいた。 幾度もの氷河期や天変地異の変動を乗り越えて、 生き延びる知恵を持った遺伝子を私たちは受け継いでいる。 氷河期を越えられずに死滅した生物の遺伝子は私たちに 流れ込んでいない。 40億年間一度も死に絶えることのなかった最強の遺伝子のみを 受け継いでいるのだ。 なんというべらぼうなことなのだろう。 私自身これまでに幾度も死に瀕する危機はあった。 だが、それを乗り越える力を生命から与えてもらっていたのだ。 私が強かったわけではない。 40億年の生命力。 今日はそれを思うだけで一日じんとしびれていた。 |
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2007年10月3日 ●百万倍かすかなもの 私たちの命は、外クオリアと内クオリアの二つを同時に感じている。 だが、それは日常意識には気づかれることがない。 なぜか? 外クオリアとは、命が外界の物質やエネルギーと相互作用することか ら生じる。 実際に物に触れればそれがそのものの触感クオリアとして感じられる 。 これに対し内クオリアは、外界との相互作用なしに生じる。かつての 記憶や夢やふとした感じや飛び立つ想像などとして訪れる。 命はこれらの内クオリアを使って思考する。 それが意識の感知するところとならないのは、内クオリアは外クオリ アに比べて百万分の一以下の強度しか持たないからである。 この命の言語ともいうべき内クオリアは、実際の言語を使うときの強 度に比べて比べ物にならないほどかすかなかすかかすかななものであ る。 それを感じ取るためには、日常意識と日常体を限りなく鎮め、意識と 下意識、外クオリアと内クオリアが半々に釣り合う透明な状態になる 必要がある。 「百万分の一」というのは大変小さいということを表す比喩に過ぎな い。でたらめな数字である。 だが、私は、この「百万分の一微細な」という比喩を発見するまでは 、うまく人を内クオリアを感じられるようにガイドすることができな かった。 だが、いまではこの比喩のおかげで、生徒はみな内クオリアを感じ取 り、それと外クオリアが50対50になるまでに外クオリアを制御し て、内外のクオリアの戯れをコントロールできるようになって来た。 ひとつの適切な暗喩が、ときに新しい体験の次元を開いてくれること もあるのだ。 ******* 昼間の太陽光に比べて百万分の一以下の銀河の光は 百万倍強い太陽光を遮断し、望遠鏡で増幅してはじめて見える。 内クオリアも外クオリアを鎮めなければ気づけない。 |
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| 2007年10月2日 ●類の命として生きる 何年間も、40億年の命になりこむことを続けていると だんだん個としての命であることが そう大事なことではないようになってくる。 それよりも、この40億年続いている命として 生きることのほうがよほど重要なことだと 身にしみてくる。 自分が40億年の命であることが分かれば分かるほど 個として死ぬことの恐怖がじょじょに消えていく。 自分が40億年の命でもあれば 個としては死んでも類としては生き続ける。 自我に囚われていることも、 囚われていることにこだわることもどちらも馬鹿馬鹿しい。 ただ命になればいい。 この境地はあらゆる努力を払っても手に入れる値打ちがある。 個や自我に囚われている限り、 地位や財産や知識は死の恐怖から解放してくれない。 ただ、死を切り捨て必死に忘れて生きることができるだけだ。 だが、死を忘れると生を忘れることになる。 生と死は一個二重の全体なのだ。 |
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| 2007年10月1日 ●鎮まればつながる 私たちはさまざまな欲動や衝動などの生命傾向に囚われている。 それらがどこから来るのか定かではない。 それら私たちを見舞うさまざまな未知なクオリアも 命がゆらいでいる最小限のゆらぎにまで鎮めれば ほかのクオリアとつながっていることが分かる。 命はいつもゆらいでいる。 ほんの少し元気になったり、休みたくなったりしている。 少し外向的になったり、内向したりとゆらいでいる。 あらゆるクオリアをこの生命ゆらぎのレベルまで鎮めることだ。 するとそこからあらゆる傾向が生まれていることが分かる。 そしてそれが発生した起源も明らかになる。 私はこの方法で、私を訪れる不可思議なサブ人格や 奇妙な性的欲動の起源を突き止めた。 私にとってそれらの闇に囚われていることが大きな問題だったが、 ほとんどすべては乳幼児期や胎児期の特定の体験に つながっていることが透明に見えてきた。 60年かかったけれどね。 |