生命共振を世界に
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 少女/土方巽
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からだの闇を掘る
 
少女/土方巽
 

「赤い神様」とは何か

2012 年の 4 月第 1 週、共振塾ヒマラヤでは土方巽の最後のソロの舞踏譜、『静かな家』の体読に取り掛かった。

 

もう 3 年目になるので、これまでの解読や朗読の段階の次に、一つひとつのセンテンスが含む深いクオリアを動きの中で追体験し、自分固有のクオリアを見つけ出していく体読技法が見つかってきた。

 

「共振塾ジャーナル」に掲載したものを加筆訂正して、ここに「舞踏論第

 

2 静かな家の体読法」としてまとめていくことにする。

 

1 週間で進んだのは、小見出しも入れてたった次の 7 行だ。

 

  「赤い神様」

 

雨の中で悪事を計画する少女

 

床の顔に終始する

 

さけの顔に変質的にこだわる

 

はくせいにされた春

 

182


森の巣だ 目の巣だ、板の上に置かれた蛾

 

気化した飴職人または武者絵のキリスト

 

まず、第 1 節の小見出しになっている「赤い神様」をからだでつかむまでに、3 月いっぱいをかけた。これは日常体にとっては、まったく未知の、方向も行く先も分からない、生命の非二元かつ多次元共振世界の暗喩だからだ。そこでは、日常世界ではくっきり分かれている自己と世界が、混交して一つになる。その混沌世界の旅人になるためには、長い準備が必要とされる。フクシマショックから始まった世界のクオリアによって、自己に関するクオリアが異常に圧迫され、その中で自己とは何か、世界とは何か、いのちとは何か、に関するクオリアが、通常の日常世界の安定を喪失し、何かわけの分からないものに突き動かされ、翻弄されているクオリアを味わう<世界自

 

己混濁体験>が必要だった。

 

「赤い神様」とは、まさしくその混濁そのものだからだ。

 

自分ではない、わけの分からない何ものかが、自分を突き動かして踊っている。その何ものかを、土方は「赤い神様」と名づけた。

 

土方がこの最後のソロを踊るまでには、7 歳で愛する姉が目の前から消え、数年後に死体となって戻ってくるという、かれにとっての最大のトラウマの呪縛力と格闘する 37 年間が必要だった。姉が移住した神戸にその年の夏、土方は単身会いに行っている。姉は、圧化粧と豪華な着物に身を包んでいた。(なぜ、愛する姉は目の前から消えたのか?

 

誰が姉をわたしから引き離したのか?

 

姉はいったい神戸で何をしていたのか?

 

あの化粧と着物はいったい何を意味するのか?

 

なぜ姉は死なねばならなかったのか?)

 

何がいったい、わたしたちの運命を翻弄しているのか?

 

そういうわけの分からないものに突き動かされているという、土方の生涯のクオリアが「赤い神様」という言葉が暗喩しているものである。

 

土方は、あらゆる年代で無限回、自問自答を繰り返し、無限回、姉の夢を見、姉が見たかもしれない夢をたどったことだろう。

 

成人してからは、姉が故郷を離れざるを得なかったのは、第 2 次世界大戦を遂行する日本国家が、徴兵した兵隊の性欲を定期的になだめるために設け

 

183


た慰安婦という戦争政策の犠牲になったのだと理解することができた。

 

でもそれで収まるはずがない。

 

無数の見も知らぬ男たちの性欲が通過して、姉のからだはいったいどんなひどい悪夢に見舞われただろう。40 年に及ぶ姉のいのちの追体験が、1 行目に結晶した。

 

雨の中で悪事を計画する少女

 

床の顔に終始する

 

さけの顔に変質的にこだわる

 

 

悪事とは、誰かわけの分からぬものに対する、生命のよじり返しの発露である。復讐しようにも、相手は日本国家である。いったい何ができるというのか。

 

だが抑えようもなくこみ上げてくる殺意を隠すために、顔は終始のっぺらぼうの床の顔を保たねばならない。隠そうとしても、さまざまな衝動がさけの顔のようにこみ上げてくる。からだの輪郭が、いつのまにか少女から獣の輪郭に変容してしまっている。

 

1973 年の夏の嵐の中のソロ「少女」の冒頭で土方が踊ったのは、そういう不可避的な、隠すことと、見せることの矛盾である。

 

土方が逢着した最後の踊りのモチーフを理解するには、それぞれが自分の人生の全体もまた何かわけの分からぬものに規定され強いられ、突き動かされ、翻弄されていることを体感としてつかむ必要がある。それがフクシマショック以来、わたしたちが体験した疾風怒濤のような一ヶ月だった。

 

舞踏譜は、からだで読むものだ。

 

静寂体あるいは灰柱で歩きながら、舞踏譜の言葉によって励起される内クオリアを、忠実にたどる。微細なサブシグナルを感じたら、それに脳心身全体でなりこんで、からだの動きにまで増幅いく。

 

生命の持つ共振性を全開する。途中で自分固有の記憶や想像に摩り替わっ

 

ていっても、一向に構わない。というより、それを増幅して自分固有のクオリアを探る。それが、踊る際の血液になるのだ。

 

他人から注入された血液のままでは、自分の生命の踊りにはならない。まして、舞踏の元型である元型クオリアに従うだけでは、血液が凝固する。固

 

184


有のクオリアを探り、生きたサブボディ・コーボディの血液で、世界でたった一つの踊りを創る。

 

からだの闇のクオリア流が、唯一無二の結晶体に結晶するまで磨き上げる。

 

それが創造である。

 

生命のとうとうたるクオリア流の遺産を引き継いで、創造が生まれる。その創造を、わたしたちは生命に返す。それが舞踏公演であり、ワークシ

 

ョップである。決して、自分の自我や自己の表現などではないのだ。

 

そして、やがては自分が受けとった創造の技法を、ほかの人の創造の胎児が無事生まれるように助ける産婆へとつなげていく。

 

これが土方の舞踏譜を、創造の無限宝庫に転化していく体読法である。『静かな家』を体読するとは、土方から渡されたいのちのバトンを受け継ぎ、創造的な生命共振のリレーに参加することなのだ。

 

 

はくせいにされた春森の巣だ、目の巣だ、板の上に置かれた蛾気化した飴職人または武者絵のキリスト

 

続く 3 行は、土方の姉と土方が体験した姉の見ただろう悪夢の中の布置である。

 

はくせいにされた春とは、姉が見ただろう悪夢と、土方自身が襲われた悪夢が渾然一体となった、非二元世界の風景の暗喩である。姉が持っていた暖かいもの、生気にあふれたもの、姉の青春、姉の貞操、それらすべてが無残

 

はくせい

にも奪われ、剥製にされた春の中に、はめ込まれている。

 

その中で目は腐り果て、替わりにからだじゅうの皮膚が目となり、周りのわけの分からぬものが潜む、森の巣と共振している。

 

森の巣とは無数の森が重層し、混濁一体化して、わたしたちを取り囲んでいる状態、目の巣とはからだに生えた無数の第 3 の目を指している。

 

舞踏譜の別の場所では、目の巣から複眼、そして皮膚への参加と深化されていく。

 

皮膚への参加とは、サブボディ技法における秘膜において、生命と世界の間で起こっている多次元共振をそのまま受け取る生命になることだ。

 

板の上に置かれた蛾とは、そういうごくごく微細な共振で震えている自分 185


であり、また死んで板戸の上に横たわって運ばれてきた姉の記憶と重なっている。

 

森の巣と目の巣が空間的な世界=自己像の、多次元かつ非二元共振を表しているとしたら、次の、飴職人-キリスト-武者絵とは、生命の細胞に内クオリアとして刻まれた記憶が時間の中でめくるめき変容を遂げるさまを暗示している。

 

若いころに働いた飴をつくる職場の友人の顔は、記憶のおぼろげな想起の中で、キリストにも変容し、武者絵の中の表情ともだぶってくる。クオリアの無限変容性を、ここでは指し示している。

 

夢や想像や妄想の中で、あらゆるものがあっという間に別のものに変容することを、わたしたちは毎日体験している。ときに徐々に変容し、ときに瞬時にすりかわる。ただ、意識はその変容を認めると現実的な統覚を失うので、無意識裡に無視することによって頑固な自分を保っている。

 

自我やアイデンティティとは、その強固なよろいを形成する現代最大の元型である。人間としての意識を止め、微細な生命になりこんだときにだけ、その無限変容を受け入れることができる。土方舞踏はそれを要求しているのだ。

 

 

雨の中で悪事を計画する少女

土方は 11 兄弟の末っ子に生まれた。

 

姉が 5 人いた。

 

そのうち、上のアルバムの写真に写っている姉に、とりわけなついていたようだ。

 

かれが小学校に入学するや否や、彼女は神戸に出稼ぎに出ていってしまう。小学校に入って間もない土方は、姉に会うために、はるばる神戸まで出かけている。

 

戦前の日本で、7,8 歳の子供が秋田から神戸まで旅をするのは、どんなに大きな冒険だったか計り知れない。後年、土方はその冒険を振り返って、姉が思いのほか派手な化粧と派手な着物を着ていたことを語っている。

 

子供の土方は、大好きな姉がなぜ出稼ぎに出なければならなかったのか、出稼ぎとは何なのか、いったいどんな仕事をしていたのかなどの謎を、夜な夜な夢の中で思い巡らし続けたに違いない。

 

姉をめぐる謎は、少年土方のからだの闇で膨らみ続ける。

 

その謎は、子供には解けない。

 

187


しかし成年すれば、残酷にも自然に解けてしまう謎だ。

 

後年、土方は公演でこう語っている。

 

「戦争中、東北地方から、都会に供出したものが三つあった。一つは米、二つ目は馬です。そして三つ目は女だった」

 

そうだ、供出される米や馬と一緒に、土方の姉もまた、戦時下の日本のために東北から都会に供出されていった。

 

個人には逆らえない大きな流れだった。ある時期に、土方は納得せざるを得なかったのだ。なぜ姉があんなに派手な化粧をしていたのか、あんなに派手な着物で着飾っていたのか。1968 年の伝説となった公演「土方巽と日本人、肉体の反乱」以後、何年間も土方は、姉の着物を着、髪を長く伸ばして、一人からだの闇に棲む姉の謎に、わけ入っていった。

 

土方は、美術家の宇野亜喜良との対談で、そのことをこう語っている。

 

「なぜ、髪の毛をながくしているのか、と聞かれるでしょう。わたしは死んだ姉をわたしの中で飼っているんです。

 

あなたは絵の中にかきこんで塗りこむわけですが、わたしは自分の中にかきこむ、いま 2 人で住んでいるんです。

 

髪をすくとか、とめるとか、死んだモーションもいっぱいある。そういうものを自分の体の中に蓄えているわけです。

 

ですから、朝から昼までは姉の仕草をする。

 

着るものでもみな昔の柄です。銘仙なんかでも頼んで捜すわけです」

 

 

また(何度も書くが)、公演「風だるま」でも、より詳細に語っている。

 

「わたしはわたしの身体の中に姉を住まわしているんです。わたしが舞踏作品を作るべく熱中しますと、わたしの体の中の暗黒をむしって彼女はそれを必要以上に食べてしまうんですよ。彼女がわたしの中で立ち上がると、わたしは思わず座り込んでしまう。

 

わたしが転ぶことは彼女が転ぶことである、というかかわりあい以上のものが、そこにはありましてね。

 

そしてこう言うんですね。

 

『お前が踊りだの表現だのって無我夢中になってやってるけれど、表現できるものは、何か表現しないことによって現れてくるんじゃないのかい』といってそっと消えてゆく。

 

だから教師なんですね。死者はわたしの舞踏教師なんです」

 

188


長年わたしは、土方と、そのからだの闇の死んだ姉との交感に耳を澄まし続けてきた。そこではどんなことが起こっていただろうか。何 10 年もそれを続けていると、もうどんな不思議が起こっても何の不思議でもないことが分かってくる。

 

わたしが転ぶことは彼女が転ぶことであるというかかわりあい以上のもの

 

とは、からだの闇が一つになり、両者の夢さえも溶け合ってしまうことなのだ。

 

土方は、姉の見た夢に何度も何度も分け入ったに違いない。

 

姉さん、あなたはいったいどんな夢を見ていただろう。幾人もの男たちがあなたのからだを通り過ぎ、あなたから何もかもを奪っていった。まるで土砂降りの雨の中に放り出されたあなたが、あなたの人生で見ることができたかもしれない美しい夢はもう何にも残されていなかった。

 

おそらく毎夜あなたは、自分から盗まれたものを奪い返しに男たちの家に盗みに入ったり、男たちの首を刎ねたり、傷つけたりし続けていたに違いない。もうあなたにできたことは、もろもろのありえない悪事を計画することぐらいしか残っていなかった。だが、この悪事はとびきりの悪事だった。無限変容する悪事なのだ。

 

子供時代から続けられてきた姉をめぐる謎の探索は、40 年近く続いた。土方が 45 歳になったときはじめて、このからだの闇の旅が一つの踊りに結晶した。

 

地底深くの深成岩の晶洞で、長い年月をかけて鉱物の結晶が析出していくように、姉のクオリアはからだの闇で発酵し、腐敗し、そして、きらめく創造へと変成した。

 

1973 年の夏に、京都公演で踊られた「夏の嵐」の中の土方のソロ「少女」を見れば一目瞭然である。闇の中でゆらぐ少女の背中が、次第に丸く広がりケダモノの輪郭をとりはじめる。そして得体のしれないものに変容していく。

 

 

「雨の中で悪事を計画する少女」

 

土方の最後の踊りとなった「『静かな家』(1974)ソロのための覚書」の第

 

189


1 行目に記されたその踊りが析出してきた瞬間だ。

 

それは生命の必然の共振だった。渾身の創造をしようとするときにだけ、この奇跡のような生命共振の結晶が起こる。その舞踏譜は二百数十行にわたる土方の踊りの秘密を統合した、膨大緻密なものだが、この冒頭に置かれた一行が、ソロ全体のメインモチーフであり、他の行はその変奏と修飾に過ぎないといっていいほどだ。

 

雨の中で悪事を計画する土方の姉が、それ以後すべての舞踏譜の変容を担っている。

 

子供時代以来、35 年間探索し続けてきた姉をめぐる謎のすべてがこの年の踊りに結晶している。

 

少女のからだが徐々に獣じみる。

 

後に弟子への振付けに頻繁に出てくる「少女のからだからから獣の輪郭への変成」というモチーフが、このとき生まれた。そして、もろもろの振付けがこのモチーフにつけ加えられ多次元化していく。

 

二百数十行にわたる舞踏譜は、実に多彩な内容を持つ。だが、それらのすべてがこの第 1 行目のモチーフと深く多次元的に共振している。

 

死んだ姉が、一世一代の無数の変幻を見せる。土方がこの踊りを創ったというよりは、土方が長い年月囚われていたかれのアニマ、姉のクオリアが最大限に変容して見せた、土方は変容する姉にからだを貸したのだ、と捉えたほうが当たっている。いや、それも二元論に囚われた言い草だ。

 

共振には、主語も客体もない。

 

どちらからともなく自然に起こるのが、共振だ。

 

姉のクオリアと土方のからだは、長年にわたってただ共振してきた。それがここで、その踊りに結晶した。

 

もう一度書く。

 

姉との共振クオリアが、からだの闇で 40 年かけてゆっくりと育ち、地底深くの晶洞で水晶が析出するように、この踊りに結晶したのだ。いのちには時々こういうとんでもないことが起こる。

 

これはもう、誰にも逃れようもない必然的な生命共振だ。土方と死んだ姉は、この踊りの中で一つになった。

 

なぜ踊るのか。何を踊るのか。わたしとは何なのか。いのちは何を創りだしたいのか。

 

土方のかかえてきた、謎と花と秘密が一つになった。そして、長年月にわ 190


たった姉というアニマへの囚われから解放された。

 

かれがこの踊りを最後に、舞台に立たなくなったのは、長年かれを突き動かしてきたアニマという謎が解けたからだ。

 

もちろんかれは、この踊り以後の最後の舞踏を目指していた。「生命の呼称で呼びうる舞踏」とは何か、が土方にとって最後の課題だった。

 

その問いを問いきる前に、かれのいのちが尽きた。

 

その課題は、誰かがバトンタッチして受け取ることで問い継がれる。

 

もちろんわたしは、そのバトンを受け取った。

 

いのちがけで走りながら、サブボディメソッドを創ってきた。サブボディメソッドとは、土方だけではなく、誰もが土方のようないのちの創造をできるようになるための技法だ。わたしが倒れれば、誰かがこのバトンを拾って走ってくれるだろう。

 

人がその人生の最後の踊りに出会うには、これくらいの時間がかかる。土方は、姉の謎をめぐって 40 年生きた。

 

大野一雄は、やはりかれのアニマとなったアルヘンチーナに出会ってから、それを踊るまで 50 年かかっている。「わたしのお母さん」で、もう一つのアニマである母を踊るまでには何と 80 年だ。

 

10 年単位というタイムスパンで、人生に起こることがある。アニマへの囚われと、そこからの解放にはそれぐらい長い時間がかかる。人がそのいのちを生ききるために必要な、たった一つの踊りに出会うのは、そういうタイムスパンで人生の全体を見たときに、はじめて透明に見えてくるできごとなのだ。

 

 

 

 

 

 

からだの闇を掘る
 
 映画『君が死んだあとで』予告編 1967年10月8日、ベトナム反戦闘争で死んだ山崎博昭をめぐる50年の対話
 いまから50年前アメリカのベトナム植民地支配に対するベトナム人民の独立闘争とそれを支援する若者のベトナム反戦闘争の中で、18歳の学生・山崎博昭君が死亡した。この映画はその死の意味を50年以上も問い続けた同時代の人々の内なる死者山崎との対話の記録である。
生命共振ジャーナル
 共振塾再始動!

インド、ヒマラヤ地方でのコロナウイルスは下火になってきました。
この機会に3月8日(月)から、通常の舞踏コースを再開します。
インドに滞在されている方はこぞってご参加ください。


日時 3月8日(月)開校
月曜ー金曜 10時ー5時
期間 1日から1年コースまで

場所 生命共振芸術センター
ダラムサラ、インド


からだの闇を掘る
 
 

2021年2月19日

 

時代の証言集
『きみが死んだあとで』出版!

 

映画『きみが死んだあとで』がまもなく全国上映される。
それに伴って映画の中で行われた、わたしを含む8人の山崎博昭に
関わる友人たちのインタビューが書き起こされて書物として発行されるこ
とになった。このほど映画監督の代島氏から、著者校正のための原稿が送
られてきた。それを掲載します。映画と本のなかでわたしは当時の名前、
岡龍二で登場している。

 

 

護送車のバックミラーに写った顔を見たら憑かれた顔で

「これが二十歳の俺なんやなあ」って。

 

岡 龍二さん

(大手前高校の同学年)

 

十三番目に撮影したのが岡龍二さんだった。大手前高校時代に山﨑博昭さんも参加した「マルクス主義研究会」の中心メンバーは全 員撮影したかった。岩脇正人さん、佐々木幹郎さん、北本修二さん、向千衣子さん、三田誠広さん、黒瀬準さん、そして岡龍二さん。岡 さんはインド北部のダラムサラで舞踏学校・共振塾を主宰していた。

ぼくとカメラマンの加藤さんは2019年 4 月中旬、ニューデリーへ飛んだ。ニューデリーーダラムサラ間の移動にはもっと時間

がかかった。険しい山岳部を抜ける深夜バスに揺れること 10 時間、ぼくらはほとんど一睡もできずに朝陽を浴びたダラムサラのバス停に着いた。ダライ・ラマ 14 世が暮らす亡命チベット人の街には、日本とは違う「気」が流れていた。

ヒマラヤ山脈をのぞむ岡さんの舞踏学校兼自宅の建物は「ハウルの動
く城」を思わせた。そして、岡さん本人は城を動かす火の悪 魔・
カルシファーのような不思議な、そして魅力的なひとだった。
岡さんを撮影する前に、ぼくは複数の高校同級生から岡さんにま
つわるエピソードを聞いていた。それはすべて「貧乏物語」だった。

「京大を受験するときに受験料が払えなかった。だから、
友だちみんなでカンパした」とか「電車をキセル(無賃乗車)
して駅員に捕まった」とか。父が消えてからは、母親が女手ひ
とつで男の子三人を育てたという。岡さんはその長男だった。

1969年の『アサヒグラフ』に掲載された原稿で、
岡さんは高校時代の山﨑さんをこう描写している。

《デモがあったあくる日、奨学金を受取りに行った学生部の
窓口の前で偶然出会ったぼくらは、お互いの機動隊に蹴られた
足の傷やアザを見せ合いながら、「昨日は酷かったなあ」といっ
て話し始めた。

 

「やっぱり貧乏ってことかなあ」と、もらったばかりの三枚の千円札
を恨めしそうに眺めながら闘いの動機を語り始めた君に、僕は共感し
てしまった。》

岡さんはいまも山﨑さんに共感しながら、「山﨑博昭の記憶」を

踊りつづけている。

 

全文を読む

生命共振ジャーナル
 
宇宙| スムリティ
 
コンディショニング#4運搬密度
16 February, 2021

Dear Friends 

The Butoh Course will resume on Monday, 8th March!

Lets listen to the Life and dance together! 

Subbody Resonance Butoh Course 

When: [Spring semester] 8th March - 28th May,2021

[Summer semester] 7th June – 28th August,

[Autumn semester] 6th September – 26th November

[Winter semester] 6th December – 25th February 2022

Monday – Friday

10:00-17:00

[Duration] One day, One week, One month, One semester and One year course are available

[Where] Life Resonance Art center

Jogiwara village, Macleodganj, Dharamsala, Himachal Pradesh, India


 



Read more "Sinking into the darkness"

 

生命共振ジャーナル
 
シャクティスムリティ
 

Dear Dancing friends

 



How is your dancing spirit? Is it still alive?

I guess everybody is facing hardship.

Recently, fortunately, it is calming down in India and Himachal Pradesh a little bit.

We don’t know what will happen next, the third wave will come or won’t, nobody knows.

We decide to resume regular Butoh course in this chance as the following.

Please activate your dancing spirit and dance together in this opportunity at Himalaya.

 

Subbody Resonance Butoh Course

 

When: [Spring semester] 8th March - 28th May,2021

[Summer semester] 7th June – 28th August,

[Autumn semester] 6th September – 26th November

[Winter semester] 6th December – 25th February 2022

Monday – Friday

10:00-17:00

[Duration] One day, One week, One month, One semester and One year course are available

[Where] Life Resonance Art center

Jogiwara village, Macleodganj, Dharamsala, Himachal Pradesh, India

[Tuition; Foreigner]

One day          1,200rs

One week        5,400rs

One month      19,000rs

One semester  51,000rs

One year       180,000rs

(Indian people are discounted 40% from the above)

[Tution: Indian]

One day               720rs

One week          3,240rs

One month      11,400rs

One semester  30,000rs

One year       100,000rs

 

[Reservation for Foriegner]

(Early reservation is discounted 20% from the above in the case of one semester and one year course).

Reservation for one semester: 40,000rs

Reservation for one year course: 144,000rs

 

[Resvation for Indian]

Reservation for one semester: 24,000rs

Reservation for one year course: 80,000rs

 

Send the fee to the following bank account

Bank Name : State Bank of India,

Branch : Mcleodganj

Account Holder Name :  Ryuji Oka

Account Number :  31687887679

Bank Code : 04250

Swift Code : SBiNiN BB 676

IFSE/ NEFT/ RTGS : SBIN  0004250

MICR Code : 17600 2009

The address of the bank is

State Bank of India, Mcloedganj,

Teh. Dharamsala, Distt. Kangra, H.P. India. pin 176215

The address of the Receiving person is

Ryuji Oka,

Village Jogiwara, Post Office McleodGanj,

Dharamsala, Distt. Kangra, H.P. India. Pin 176219

 

[Acommodation and meal]

The tuition above is only for the class, it does not include accommodation or meal.

You can stay at the guest house near the school. The fee is around 6,000-12,000rs per month.

You can cook by yourself for the lunch at school kichen or use cheap restraint in the village.

 

Hope to see you soon!

Life Resonance Art Center

 

p.s.

Attached the newest PDF of the Practice Guide of Butoh Revolution for your study. Enjoy it!

 

 

舞踏革命 リゾーム リー

印刷版・電子版とも、アマゾンでお求めいただけます。

印刷版 3456円 (574ページ)

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この二十年、ヒマラヤで書き続けてきた舞踏論のすべてを一冊に凝縮しました。

「舞踏は、土方巽によって、日本で誕生した。本書は、今や世界的になったその「舞踏」の本質を追究し、自らインドのダラムサラで学校を開いて実践し続けるLee(リゾーム・リー)が、その本質に「生命の共振」があることを発見し、真実、舞踏こそが人類を解放し得る方法であることを示している。その意味で、まさに本書は「革命の書」である
。」

この度、アマゾンでお手軽にお読みいただけるようになりました。 



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