生命共振を世界に
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生命共振ジャーナル

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読者の皆さまへ

共振塾サイトを訪れていただいてありがとうございます。春からの新学期開講を予定していましたが、残念ながら現在インド及び共振塾が位置するヒマーチャル・プラデーシュ州でコロナウイルスが増加しています。共振塾の定例舞踏コース再開はコロナが落ち着くまで見合わせます
でも、このような人間関係から隔絶される状態は、からだの闇に耳を澄ます、またとない機会でもあります。下記に最新刊の『舞踏革命 実技編』のPDFのリンクを付けました。ご自由にダウンロードして、毎日の瞑動の仕方を読み自習してくださることをお願いします。お会いできるのを楽しみにしています。

生命共振芸術センター

『舞踏革命・実技編』PDFをダウンロードする


からだの闇を掘る


問題に自分を喰わせるーカフカ


「きみと世界との闘いでは、世界に支援せよ!」 F.カフカ

「わたしは通常問題に自分を喰わせることによってそれを解決する」

F.カフカ

 

わたしが若い時分に影響を受けたフランツ・カフカの2つのことばを紹介しよう。ひとつめのそれは、以前に評論家の加藤典洋が、彼の書名にしたものだ。そのときはその意味をうまくつかめなかった。若いわたしは世界と自分との間に分割線を引き、つねにその線のこちら側に自分を置くという、自我の習性に囚われていたからだ。今になって、上の2つの言葉は同じ態度を意味していることが腑に落ちてきた。慣習的な自他や自分と世界の間に分割線を引くという幻想に囚われている限り、問題を根本的に解決することはできない。最大の問題はその二元的な分割線に囚われていることだからだ。二元論的な幻想の分割線を消し、その両側に自在に行き来する。そして、どちらの側からも踊ること。自分への囚われを脱ぎ、自分を脅かし、喰おうとする世界や問題に成りこんで自分の外側から踊ること。それによって、自我や自己という現代最大の元型の支配から透明に離れ、すべてをいのちの共振として受け止めることができるようになる。それがカフカが見つけた解決策だった。彼は世界を支援して世界の側からとことん彼を攻撃した。彼は自分の問題に彼を食い散らすに任せたのだ。それは二元論的な「人間」の囚われを脱ぎ、非二元かつ多次元的な生命共振への根本的な移行だった。

この方法で、彼は彼の小説、「変身」、「城」、「審判」などの傑作を生み出すことができた。これは「静かな家」を踊り、「病める舞姫」を書いた土方巽にも共通する生き方だった。近代社会の『人間』という妄想を脱ぎ、訓育された自他の区分や幼稚な自己と世界の対立という二元的幻想を脱ぎ捨てて、あるがままの生命共振を透明に踊る。それが生命の舞踏なのだ。

 

カフカと土方巽の共時性!

ある日、興味深い共時性(シンクロニシティ)が起こった。それも三重の。共振塾で土方の「虫の歩行」を研究していたときだ。その日の朝、わたしはからだの10経絡を開く調体十番をガイドした。初期の調体十番は小指の経絡から順に一本一本の経絡を意識しながら開いていくものだ。その四番目は人差し指を空に向かって開いた指の間から今の自分の問題に直面する。そこでわたしはいつも次のように言う。

「問題に直面しているとだんだん問題が大きくなってわたしたちを押しつぶし始める。問題に囚われた囚人となり、問題に食べ尽くされてしまう。・・・」

そして、その夜フェイスブックで上の写真に添えられていたカフカの言葉に出会った。

I usually solve problems by letting them devour me.”

見慣れないdevourという単語があったので辞書で引いてみると「(人・動物が、物を)むさぼり食う。がつがつ食う」とあった。それでとことん驚いた。

 「わたしはいつも問題にわたしを食べさせることで、問題を解決する」

今朝の調体十番で言ったこととそっくり同じだったからだ。そして、それは土方の「虫の歩行」ともまるごと共振していたからだ。虫の歩行では体中の皮膚を覆う虫たちが毛穴から侵入してからだを食い尽くす。それは『病める舞姫』の「世界に喰われ続けるからだ」という土方の少年期体験に基づくモチーフを舞踏譜にしたものだ。その途端に上のカフカの言葉に出会い、なんと、土方、カフカ、そしてわたしの間で三重の共時性が起こっていることに気づいて驚いた。共時性とは、生命共振が時空を超えて起こる現象で、生命のクオリアは3次元空間や4次元時空を超えて、多次元かつ非二元に共振しているので、どんな共時性が起こっても不思議ではない。それどころか、わたしはほとんど狂喜した。じつは、自分のなかの十個の問題に真向かい、それを踊るというのはわたしの処女作の「伝染熱」で用いた方法だった。塾生にそれを促した時、それまでにない深い踊りが塾生のからだの闇から次々と躍り出てきたので、はじめてすこし自信を持った。

カフカもまた同じことを言っていたことを知って、嬉しかったのだ。

そうだ。カフカは自分のからだで感じるごくかすかな違和感を増幅して、『城』や『審判』という長編を書き、その違和感にからだごと食べられ、侵食されるまで増幅することで有名な『変身』にまで結晶させた。わたしはまったく忘れてしまっていたが、あるいはこのカフカの言葉を若いころに読んでいたのかもしれない。彼の小説だけではなく、『カフカの日記』や恋人に書き送った『ミレナへの手紙』などもむさぼるように愛読していたからだ。それが無意識裡に、調体の十番のことばになって現れていたのかもしれない。そして、土方もまた、自分の問題にからだが喰い尽くされるに任せることによって問題を創造に転化してきた。だからこそ「虫の歩行」のような、くみ尽くせないほど秀逸な舞踏練習譜を残すことができた。あらゆる偉大な創造はみな、こうして生まれてきたとさえい言い切れるかもしれない。個々の創造者の生命がぶち当たり、苦しみ抜いた問題を、創造に昇華し、その解決法を暗示しているからこそ、全生命に共有される値打ちがあるのだ。共時性による気づきは、ときどきこのように深いところで共振している真実に気づかせてくれるかけがえのない体験だ。

 

カフカ流のやりかた

わたしもまた、いつもカフカ流に問題を解決しようとしてきた。この数年からだのなかのもっとも低い傾性にからだを喰われるままに任せてきた。

母なし児の幼児人格、わたしのなかのもっともやっかいな傾性だ。そしていま、その問題にからだじゅうを喰い散らかされ、もはやそれが限界まで達したことを知った。

(もうこれ以上、もち堪えられない!)

それに圧殺されてきたほかのいのちの傾性たちがいっせいに悲鳴を上げ始めた。からだの闇の附置が地殻変動を起こし、軋みの限界に達したのだ。

問題に自分を喰わせ続けていれば、いつかは必ずこの時が来る。従来のわたしなら、ここですかさず、表面人格系のだれかがでてきてイニシアチヴをとるところだ。ゆうべもたまゆらその気配を感じた。だが、すかさずその傾性を瞬時に抑制した。従来通りの人格交替劇によっては何も変わらない。二大政党の政権交代によって何も変わらないのと同じだ。そうではなく、透明になること。内側の特殊な傾性にとらわれるのでもなく、外側のあらゆる状況の変化にとらわれるのでもなく、透明になること。思考を止め、いのちに問う。

何を一番実現したい? いのちさんよ。

かすかないのちの息吹に耳を澄まし、わたしのいのちのあり方が根底的に変わらねばならない。たえずいのちに耳を澄まし、まだ一度も繰り返したことのないクオリアに出会い、それを創造に転化すること。それを自分に適用する。いつもやっていることだが、こんな深いレベルで行うのははじめてのことだ。その過程で新しいわたしが結晶してでてくるかどうか。ここが正念場だ。自分で実行できなければ、わたしの言っていることはすべて嘘になる。

からだの闇を掘る



うまく共振できないものを踊る

この項で、ようやくわたしたちは舞踏革命の精髄<癇の花>のための探体に入る。いのちがうまく共振できなかったクオリアはすべて忘れ去られたり、囚われになったり、からだの闇の底で軋んだり、よじれたり、絡み合ったりして無限に変形し続けている。それらをくまなく踏査することが<癇>のクオリアを探ることになる。

 

思い出せないクオリアの発掘

使われなくなった部位に隠れているクオリアを掘り出す

日常体は、数々の黙契に閉ざされている。人間の動きとはこんなものだと小さい頃から教えられ、その制約の中に封印されている。その封印を少しずつ解(ほど)いてなまのサブボディ=コーボディを開示していく。調体5番、6番、7番、8番、9番が役に立つ。

秘関(隠れ関節)、秘筋(深層筋)、秘神経の封印を解く

わたしたちのからだは100兆以上の細胞が群生する共振体である。それらは、長い生命の発展段階を経て分化してきた。からだの闇にはそれらの発展段階のすべての時期のクオリアが刻み込まれている。現在の人間の日常体はそのうちごくわずかしか使っていない。日頃使っていない関節や筋肉や神経を解くとそこから見事に長い生命史のなかで刻印されてきた多彩なクオリアが立ち上がる。

1.二十指趾の第4関節を三元に開く

手指の第1,2,3関節は誰もが動かすことができる。普段使わない手首の8つの小骨と手の間の第4関節を、三元方向に動かす。

物理的にはほんの1ミリか、それ以下のナノメートルしか動かない。それでいい。そこを動かそうとすると、退化しつつあるがまだ存在する過去の生物段階の動きがほとばしり出てくる。鳥や爬虫類や昆虫の動きが埋まっている。あるいはからだのやみ深く封印されていたnot-meや、影や、解離されていた異貌の自己が顔を出す。

2.手首、足首の八つの小骨が踊りだす

さらにその付け根には手首の八つの小骨がある。八つの小骨が三元方向に六道ゆらぎで動き出し、他の部位はそれに従う、手首、足首に秘められていた微細なクオリアが花開く。

3.肩関節、胸骨関節を変形する

肩関節を三次元方向に動かす練習は百丹三元で行ってきた。肩の位置を三次元方向のいずれかの極限位置で固定する。胸骨関節も閉じるか開くかして違った肋骨の形に固定する。窮屈だがからだの体感が根本的に変わり、

その形で動いているさまざまな他の生き物や想像上の生き物のクオリアがうごめきだす。劣等人格が封印されたノットミーや影の人格も出てくるかもしれない。

4.胸鎖、仙腸関節を開く

日常体は腕の付け根は肩関節であり、足の付け根は股関節であるという誤解に閉ざされているが動物としての腕の本当の付け根は、鎖骨と胸骨の間の胸鎖関節である。獣はみなここから動いている。

足の付け根も然り。股関節ではなく、仙骨と骨盤の腸骨の間の仙腸関節である。サブボディにここから三元方向に動き出してもいいのだよと教える。多彩な生き物の動きのクオリアがここには閉じ込められている。

5.顎、舌、口、喉、顔、首を三元に解く

人間としての知性的な顔立ちを保つために日常体の顔は左右対称の位置に固定されている。下顎の位置をあちこち極限まで変えれば、異貌の自己が現れる。舌の動きも解放する。さまざまな生き物の舌になりこむ。

口、鼻、喉を変えれば、違った生き物の体腔音が噴出す。違ったリズム、異様な呼吸で声を出してみる。その声が異次元に導いてくれる。

6.目を斜め・三元にただよわす

目もまた、水平左右対称の日常体の黙契から解き放つ。斜め上下にすばやく動かすと、ひょうきんな人格、ずるがしこい奴、妙なことを思いつく発明家に豹変する。目の裏側を見つめる。闇の光彩を追う。異界との間でゆらぐ目になる。他界からのまなざしで見つめる。自分のサブボディにふさわしい異貌の目を発見する。

7.脊髄関節を解く

もっとも基礎になるのは、脊髄のゆらぎである。百丹三元と六道ゆらぎなどでここの背骨が三次元方向に自在に動く訓練を続ける。その他の部位の隠れクオリアは必ず、脊髄の隠れクオリアと結びついている。それらのクオリアを制御する忘れ去られた神経を時間をかけてよみがえらせていくことが舞踏手の人生である。

 

自分の囚われに出会う

1.ゆらぎ瞑動をしながら、からだの各部に内呼吸を送り、からだの各部と対話しながら、自分がどんな囚われに囚われているかに気づいていく。大概の囚われは、からだの何らかの不全な体感とつながっている。

「何かがうまく行っていない」、「どこかおかしい」そういうからだからのかすかな不全なクオリアに耳を澄ます。

2.怒りは肩の辺りから後頭部を変質させる。悲しみは呼吸を塞ぐ。不安は呼吸を忘れさせる。こだわりはからだの各部に微細な硬結をもたらす。思考の習癖は頭の姿勢や目遣いを固定する。観念過剰は皮膚の体感を切り落とす。ありとあるこだわりや囚われ、よどみは、すべてのチャンネルをまわりめぐって、からだのチャンネルにも微細な異変を刻印している。それらのかすかな変なクオリアをひとつひとつ丁寧に取り出していく。

3.「自分はいったい何を実現したいのだろう」と、いのちに問いかける。その問いがいつもからだの闇でこだましているような状態を維持する。四六時中自全がその問いと共振している状態をつくるのだ。そのうち、いのちがいろんなチャンネルから応えだす。そのクオリアの兆しを捉える。

4.「いのちの一番実現したいことを妨げているものは何だろう?」とからだの闇に問う。その自問がいつもからだの闇で反響しているような状態を保つ。

5.以上で準備完了。あとはそれらの問いが絡み合い、取っ組み合い、さまざまに変奏していくに任せればいい。さまざまな気づきがやってくるはずだ。それらの気づきをすべて心に書き留めていく。すばやくメモをして忘れ去り、また探体に戻るのが一番いい。

6.ある時点で、「自分が囚われている問題はなにか?」、思い当たる限り列挙していく。問題群のクオリアとそれを記述した言葉をセットにしてからだの闇をまわす。それもまた、自分への問いかけの形になる。「自分はなぜ、怒りっぽいのか」、「なぜ、いつも堂々巡りをするのか」、「なぜ、人の言葉をよく聴くことができないのか」、「なぜ、自信が持てないのか」、などなど人によって問題の形は無数にある。とにかくそれを自分独自の言葉にしてからだの闇の中で反響させる。

からだの闇を掘る


五欲の旅

いのちには5つの基本的な欲求(傾性)がある。それらが満たされている状態と、満たされていない状態の両方を味わいながら、旅を続ける。

 

1. 共振欲(傾性)

生命としてのもっとも基本的な傾性は、よい共振パターンを求める共振欲だ。欲望というより、そういう傾性をもっている。単細胞の生命でさえ、環境との最良の共振パターンを追求し、それが見つかるまでは待つという非二元の傾性をもっている。細胞には五感の感覚器官も神経もない。からだ全体で非二元多次元なクオリアのよい共振パターンを求めている。この傾性が人間のさまざまな欲望や欲動の基礎にあるもっとも基礎的な傾性だ。灰柱で歩きながら、いのちが世界とうまく共振できているクオリアと、うまく共振できていないクオリアを交互に味わう。五欲の旅のはじまりだ。

2. 安全欲

次の3つの欲求は、多細胞生物が生きものとして持つ基本的な欲望である。灰柱で歩きながら、世界と安全に共振でき、安全欲が満たされているクオリアに耳をすます。しばらくして、その安全が何かによって脅かされる不全なクオリア、危険に直面しているクオリアを味わう。それがからだの一部、たとえば背骨の反応として出てくればそれを踊る。祖型的なおびえやふるえ、閉塞などが、深い深層筋に隠されているかもしれない。

3. 快適欲

歩きながら、心地よく快適なクオリアを味わう。食べ物、飲み物、呼吸、環境などが快適さに満ちている。そして、それらが満たされなくなる不快なクオリアを味わう。自分の普段の習慣や嗜癖について、それが満たされている快適さと、満たされない不快感をどちらも味わう。それをすべての秘腔の反応として踊る。腸、胃、肺、心臓、喉、口、鼻、舌などで。

4. つながり欲

生きものはすべて仲間とのよいつながりを求めている。性欲はつながり欲が特化したものだ。いのちに聴く。何につながりたいか、そして、そのつながりが満たされないときどうなるか、欲望はねじれ、くぐもり、さまざまな情動の虜になる。それらのすべてを味わい尽くす。さまざまな層の秘膜の踊りが出てくるだろう。

5. 個性化欲・自己実現欲(創造欲)

個性化欲(創造欲)は、人間だけが持つ。「100%自分になりたい」、「自分のもつすべての可能性を実現したい」いう特別な願望だ。自己実現浴とか創造欲と呼べるかもしれない。自分が十分に自分自身になることができているクオリア、そしてなにものかがそれを妨げているクオリアの両方を味わい踊る。その中で自分に問う。

「わたしとは誰か?」、「いのちは何になりたいのか?」、「なにを創造したいのか?」、「それができていないのはどうしてか?」

これらの五欲(傾性)をたっぷり味わい、踊るなかで透き通って見えてくるものがあるはずだ。その気づきを書き留める。それが大きな次の創造へのヒントになる。

 

生存五欲瞑動

調子がいいとき、あるいは悪くなったとき、生存五欲の一つ一つに問いかけていく。

もっとも原初的な欲望である共振欲に問いかけ、快適欲、安全欲、つながり欲、実現欲に問いかけていく。いのちがやりたいことと、実際にしていることがわずかでもずれるとからだにかすかな苛立ちが立ち込めるのですぐ分かる。

ジェンドリンが創始したフォーカシング技法はフェルトセンスとよぶかすかな不快感に焦点を当てて耳を澄ます技法だ。

プロセス指向心理学のアーノルド・ミンデルも、センシエントというあるかなきかのかすかなクオリアを重視する。1次プロセスと彼が呼ぶ合意的現実の中の自分と、2次プロセスと呼ぶ、ドリーミングプロセスの間で起こるさまざまなギャップが不快感の震源地だ。

それらはまず。非二元の不快なクオリアあるいはかすかな不全感としてやってくる。生存五欲瞑動はそれをさらに五欲について検討するものだ。それらがバランスよくゆらいでいるかどうかどこかに滞りが起こっていないかに耳を澄ます。どれかひとつの欲望が突出しているとき、あるいは逆に抑えすぎているときはそれに囚われている。生存五欲瞑動は、自分の中をすっきりと見通すことに役立つ。

 

からだの闇を掘る


背後世界を踊る

いのちの世界は、日常的な人間世界とはまったく異なっている。目に見える世界だけではなく、目に見えない背後の世界と共振しているのが命だ。現代の人間世界は、物質的科学がもたらす共同幻想に侵されて三次元的な空間に時間次元がひとつ加わった四次元時空という狭い世界観に縛られている。それが現代人の合意的現実とされている。

だが、命は単に3次元空間や四次元時空に縛られてはいない。命は物質だけでできているのではない。命が感じるクオリアは、時空を超えて共振している。幼児期の母の声、胎児期の生命記憶、死んだ人の記憶とも強く共振している。命は人間サイズの個体だけが持っているのではない。からだを構成する100兆個の細胞一つひとつが命を持っている。それらは40億年前に地球上で誕生して以来、一度の死も体験せずに生き続けている。

すべての細胞の年齢は40億歳なのだ。人間の細胞だけではない。草木やアメーバやバクテリアの細胞の年齢もまったく同じ40億歳だ。すべての細胞には40億年間の生命記憶が刻み込まれている。これら細胞に生命記憶として保存されているクオリアを内クオリアと呼ぶ。記憶や夢や妄想や想像はすべて内クオリアが構成する幻想的な世界のバリエーションだ。そして、細胞は同時に身の回りのあらゆる物質やエネルギーと多次元的に共振している。重力のクオリア、日光のクオリア、空気のクオリア、匂い、音、味のクオリアと今ここで共振している。このいまここで物理的な外界の様々なものと共振しているクオリアを外クオリアと呼ぶ。そして、この外クオリアは、細胞内に保存された内クオリアとも絶えず二重に共振している。(クオリアを内外のふたつに分類するのは、日常意識にも理解しやすくするための便法で、実際はクオリアは内外などにこだわらず、多次元的に共振している。)生命は実に多数多様なクオリアと多次元的に共振しているのだ。

いのちの舞踏を踊ろうとするとは、この生命の多次元共振を踊ることだ。

生死を超え、時空を超えて共振しているいのちの不思議を無視して生命の舞踏はない。この生命の多次元共振を踊る技法が土方巽が未来への遺言として「静かな家」に書き残した「死者の技法」だ。

「死者は静かにしかし限りなくその姿を変えるのだ。彼等は地上のものの形をほんのふとした何気なさで借用することも珍しくない。」

土方はその世界を踊るために、目に見える世界の背後の、生命が共振している内クオリアからなる幻想的な世界を背後世界と呼んだ。目に見える物質的な世界と、目に見えない不可視の背後世界からなる多次元的な生命共振が起こっている世界像を確立した。

死者の技法の図地兆

死者はその両者を自在に行き来することができる。人間が踊るダンスの世界では、目に見える図と地のふたつを意識するだけでよい。目に見える物質世界は、ある瞬間に焦点が当たっていると焦点が当たっていない背景であるのふたつからなる。この両者は瞬間ごとに刻々と変化する。

だが、死者として舞台に立つ舞踏手は、目に見える図とそのバックグラウンドとなる地のふたつを踊るだけでは不十分である。生命は常に不可視の背後世界と微細に共振している。この微細な共振クオリアを兆しと呼ぶ。

図と地に加えて、不可視の背後世界からの兆しからなる三者を透明に制御しつつ変容する技法が<図地兆>である(第8章「図地兆リゾーミング)参照)。兆しはごくごく微細なクオリアなので、粗大な日常意識のままでは感知できない。日常意識を止め、からだの踊り場にまといついている深層記憶や悪夢や妄想などの内クオリアが、時空を超えて多次元共振している微細な命のふるえに耳を澄ましてはじめてキャッチできる。

日常世界の背後に広がる生命共振の多次元世界との共振を媒介するのがごくごく微細な兆しである。背後世界と行き来する兆しをとらえるために、舞踏者はからだの闇を掘り、思い出せない記憶や、からだに刻印された悪夢や、喉首つたう欲動や、逃れられないトラウマを掘り出し、からだの踊り場に脈動する血液を通す。背後世界からの兆しを踊るかどうかが、ダンスと舞踏を分かつもっとも大きな違いだといってよい。

 

からだの闇を掘る


能動的想像(アクティブ・イマジネーション)

ユングの発見したアクティブ・イマジネーションという下意識探検の方法は、東洋の古典的瞑想法とも通じる意識と下意識を統合しようとする普遍的な方法の一つである。わたしもそれらから多くを学んだ。

世界中の無数の心身技法は、使うチャンネルの差異によって区分され得る。

チャンネルの総覧

チャンネルについてわたしは、ユングの弟子ミンデルから学んだ。 日常的な心身状態では、無意識のうちに、このうちどれかのチャンネルがメインになっている。

非二元(Non-dual)クオリアは、まだどのチャンネルにも分化していない生のいのちのクオリアである。ひとつひとつの細胞の命が共振しているのは、この非二元チャンネルである。個別の8チャンネルは五感を備えた多細胞生物特有のものである。

外向(Extrovert)チャンネルとは、今ここで心身が共振している外クオリアに焦点あたっている状態である。

内向(Introvert)チャンネルとは、細胞内に生命記憶として保存されている内クオリアがメインになっている状態だ。

瞑想や瞑動は、外向チャンネルを鎮め、内向チャンネルのクオリアに耳を澄ます状態になることだ。催眠も、内クオリアに従う心身状態を指向する。夢は、動きのチャンネルが静まっている睡眠中に、内向視覚チャンネルがメインとなって夢見の状態となる。フロイドの夢分析は夢を思考チャンネルで解釈したものだ。ミンデルのドリーミング・ボディは、夢とからだのチャンネルの一体性に着目して理解しようとしている。ユングのアクティブ・イマジネーションは、瞑想や自己催眠同様内向チャンネルを開いて、そこで得られたクオリアを思考チャンネルの言語や、映像チャンネルの絵画にしたものだ。これらすべては、意識と下意識の間の共振を探り、その間に良好な関係を再構築する心身療法となる。サブボディ技法は、上のあらゆる技法とは異なり、一部のチャンネルだけではなく、全チャンネルを開くことが特徴だ。体感、動き、視覚、聴覚、情動、人間関係、自己像=世界像、思考のあらゆる内向チャンネルのクオリアを開き、それがいまここで動いている体動の外向チャンネルのクオリアと共振創発すると、実際のからだの動きとなって現れる。それを統合するサブボディ=コーボディ創造において、はじめて解離しているわたしたちの意識と下意識とからだの全体を統合することができる。思考チャンネルにおける深い気づきは、創造を終えた瞬間に勝手に吹きあげてくる。それは最後に開かれるのだ。サブボディ=コーボディ技法はたんなる心身療法やヒーリングにとどまらず、人生を創造的なものに再編・転換する生存の革命技法である。サブボディ技法が、全チャンネルを使うものであるがゆえに、一部のチャンネルだけを開く、他の技法の特徴も理解できる。内向チャンネルに保存されている内クオリアは、その深層ではチャンネルの区分を持たない。上図の中心の非二元(Non-ual)クオリアの域に入る。図では小さいが実際は99.9999%以上が非二元クオリアだ。細胞記憶になど気づいていないだけだ。深い瞑想やサブボディ=コーボディモードの深淵では、あらゆるチャンネルのクオリアが混融一体化して現れる。単独で自分の下意識をひらくサブボディモードだけでは、この非二元の混沌世界には入れない。サブボディとコーボディが混然一体化する集合的無意識を体験することによって非二元クオリアの世界に入ることができる。共振塾でソロの舞踏だけではなく群れの踊りを重視するのはそのためだ。ソロの舞踏だけにとどまっていてはそこまで行けない。土方の『病める舞姫』の世界は、まさしくその深層の非二元クオリアを精密に描き出している。土方は独自に、ユングのアクティブ・イマジネーションと似た方法を発明して、深層の非二元クオリアをできるだけあるがままに精密に書き留めた。『病める舞姫』がそれまで他では見たこともない文体で書かれているのはそれによる(第11章参照)。

自己や自我の表現にとどまっている西洋的なダンスやパフォーミング・アーツではなく、「生命の呼称で呼べる舞踏」を目指した土方だからこそ「自他分化以前の沈理の関係」に精確に焦点を当てそれを捉え描き出すことができた。そこでは、二元論的な文法の規則を無視し、主体や客体がどんどん変容一体化したり、転換、入れ替え、混融、分離が融通無碍に起こっている。それを思考チャンネルだけで理解しようとしても、訳がわからないのは必至だ。無理にそれを行えば、非二元世界の特徴を破壊することになる。それは日常的な頭ではなく、それを止めて深いサブボディ=コーボディ状態となって、からだ全体で成り込むことによってのみ理解できる。また、それによって、『病める舞姫』という非二元クオリアの宝庫を創造的な舞踏譜に転換する作業も可能となる。

 

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ドリームボディ

十分な瞑動調体の後、各人固有の原生夢の世界に入っていく。その人にとってもっとも根源的な夢だ。原生夢を探れば、その人が誰であるかのヒントを手にすることができる。一生のうち何度も繰り返し探検する値打ちのある領土だ。人生でもっとも印象深い夢、固有夢とか、原生夢と呼ばれる。なかには何回も見る反復夢もある。

夢見るからだをアーノルド・ミンデルはドリームボディと名づけている。ドリームボディとサブボディは切っても切り離せない兄弟だ。もともと同じからだの闇=下意識から出てくるものだ。両者にはほんのわずかの差異がある。夢の場合は体が動かない。映像チャンネルだけで見る。これに対しサブボディはそれにからだの動きを与える。全チャンネルを開いて、からだごと夢の世界に乗り込んでいくのがサブボディだ。

 

 

夢をクオリア言語で書く

夢を紙に筆記する。通常の夢日記を書くときは無意識裡に、映像的なストーリーに翻案されてしまったり、無意識にその意味を探ったりすることが多いが、映像やストーリーや意味に囚われず、ここではありなままのクオリア言語で書き留める。主語がいつの間にか入れ替わったり、文法から外れた文章になっても構わない。森―虎―逃げる、などクオリアとクオリアをつなげていくだけでいい。とりわけ夢の中のからだの体感や見えない背後世界との微細な生命共振に耳を澄まして書き留めるのがポイントだ。

 

ドリームボディ調体

そして、一連のドリームボディ調体を行う。濡れ雑巾かウエットスパゲッティのように床の上を何ものかに動かされる、受動体への調体からはじめ、

二人でペアになって転がりながら乗り越える二人スパゲッティ、それを全員で行い大気な海になる。誰かがその海の上を運ばれていくヒューマン・オーシャン、から、ヒューマンマウンテンなど、この20年で選びぬかれてきたサブボディ=コーボディへの調体だ。

そして、誰か一人が自分の夢の世界へ他の生徒を招待していく。それぞれが夢の世界の何かになりこみ、夢の展開に連れてどんどん変容していく。海や、通行人、古い屋敷、地下、子宮、宇宙、遊び、音、光、かたち、などなどに全員で参加して夢の世界を共創する。

この原生夢劇場は、20年前から世界の各地で行い、いまも毎年続けている。ところが、今日これまでにない奇跡が起こった。一人の塾生が自分の夢の世界に導いていった。二階で寝ているとなにか怖いものが迫ってきて、

海の中に漂い出すというような夢だった。そのうち彼女はしゃべるのをやめてどんどんひとりで夢の中に入って動き出した。他の生徒も漂いながらそれぞれの世界で動いていた。

その動きがあまりに美しかったので、わたしは時間を測るのも忘れて見とれていた。次から次へとこれまでにない新しい動きが出てきては、消えていった。気がつくとなんと45分も経っていた。ソロ舞踏としてみても見事なものだった。しかも他の生徒も時を忘れて踊っていた。

わたしは深く動かされた。こういう奇跡のようなドリーム・サブボディが出てくることもあるのか?! この20年間でも珍しい出来事だった。夢の創造者もサブボディの創造者もわたしたち自身ではない。いのちがその創造者なのだ。からだの闇でさまざまなクオリアが勝手に共振して出てくる。それを解放するのが、サブボディ共振舞踏技法である。

だが、いったいなぜ、今日に限ってこんな奇跡のようなことが起こったのか。顧みれば今日は生徒の多くが怪我や病気で休んで半数だった。だから、いつものようにストップウオッチで時間を限る必要に追われなかった。十人以上もが限られた時間内で共有しようとすると、どうしてもひとり10分とか15分とかに限らねばならない。だが、この日は欠席が幸いして、一人ひとりがたっぷりと夢の世界に漂い出すことができた。これまではわたしの交通整理警官のような役割が、奇跡が起こるのを妨げていたのだ。

すべて終わったら、半眠半覚瞑動をしながら、夢に問う。

 

からだの闇を掘る


原初生命へ遡行する

ゆらぎ瞑動などのよってよいゆらぎ心地に入れたら、自分が40億年前の最初の生命体になったことを想像する。

わたしたちあらゆる生命体は、この最初の生命から今日まで、まったくひとしい40億年の時間を背負っている。人間も昆虫もアメーバもひとしく40億年の変転を経てきて今の姿になったのだ。一分一秒たりとも変わらない。そして、40億年前の始原生命がまったく自分では動けず、ただただ周りの環界のなかで共振できるものを取り入れ、自分のからだをつくることをはじめたことを想像する。それから30億年間、単細胞生物として、まわりの環境からやってくるさまざまな刺激をただただ受け入れ、受け入れ続ける中で、万にひとつあるいは億万にひとつの割合で新たな対応性を創発して、多様な種に分化してきた生命の長い創発史を思う。生命とは基本的に億万の受容に対し、ひとつの創発というふうに、やってくるすべての条件を受け入れるなかで、万にひとつの創発を生み出すことによって、進化をとげてきたものだ。

ひとりが真ん中で横たわり、この瞑動を続ける。

他の人は周りから40億年間に原初生物に降りかかったさまざまな刺激を与える。雨、風、波、日光、地震、隕石、音響、地響きなどさまざまな刺激を序破急をつけつつ与え続ける。

中の受け手はこれらの刺激をすべて受け入れ味わう。

始原生命として受け入れつつ、なにか自分の中から創発していきそうなクオリアが生まれたらそれを伸ばす。まわりの仕手は、それを時に助長し、時にまったく無関係な刺激を振り掛ける。このプロセスを通じて、中の受け手は40億年間の生命史を追体験する。そして、自分の生命の固有性を創発する。いったいどんなクオリアを発明することでわたしたちはわたしたちになったのか。長い長いプロセスをたどりなおす。

そのあと、この半受動半能動、あるいはもっと正確に言うと、ほとんど受動、ほんの少しだけ能動という万受一能ともいうべき、生命のもっとも原生的なクオリアから自分のサブボディを探る。ほとんど自由が効かず、情けなくも、回りから翻弄され続ける、動けないクオリアをからだの闇に探る。もっとも弱弱しい動き、もっとも不自由な動きで必死に自分を運ぶ、自分固有の衰弱体を発明する。這ってでも、いざってでもいい。

ほんの少しずつ進もうとして進めない歩みだ。そのあたりにサブボディの底がみつかるはずだ。そこまで降りきれば、もう何も怖いものなどなくなるじゃないか。

 

 

 

からだの闇を掘る


生命記憶40億年の不思議

なぜ、わたしたちはからだが動かなくなる金縛りにあったり、リアルな体感を伴う空を飛ぶ夢、落下する夢を見るのか? なぜ、アメーバやプランクトンやくらげになりこんで漂うことができるのか。

生物だけではない。石や木や風や空気にさえなりこむことができる。なぜ、そんな体験したこともないあらゆるものになりこむことができるのか?

なりこみは舞踏の本質だ。

なりこんだときは、本当にからだじゅうが、そのものになりきっている。なぜ、こんなとんでもないことが可能なのか?

それは、わたしたちの体を構成する100兆の細胞のすべてが、それらの体験をしてきたからだ。かれらは生命誕生以来、40億年間の地球の転変を生き抜いてきた。途中で死んだ仲間もおおぜいいたが、今のわたしたちのからだを構成している細胞たちはみな、あらゆる転変地変をのりこえて生き抜いてきたのだ。40億年のうち、ほとんどの時間は海を漂っていただろうが、氷河期に凍り付いて年々も動けなくなったことも、乾いて空を飛んだり、落下したこともあったろう。それらの体験のクオリアはみな細胞内に記憶されているのだ。だから、それらの保存されている内クオリアが共振してどんな体験でも反芻できるのだ。小さなミクロン単位の細胞生命の中に、その秘密が隠されている。

わたしたちの実の年齢は40億歳なのだ。本当に細胞生命の中に、それらのクオリアが生き生きと保存されている。そして時を超えて発現することができる。それ以外にわたしたちが、飛翔夢や落下夢、金縛りを体験したり、あらゆるものになりこめる根拠は見つからない。わたしたちの生命の年齢は本当に40億歳だ。命のとんでもない不思議を感じ、感動する。

 

自分の全体を踊る

いのちの共振を踊る。いま、ようやく、わたしたちは生命の舞踏とは何か、率直に言うことができる。いのちは共振である。いのちはあらゆる境界を超えて、すべてのクオリアと共振している。人と人は共振し、人と物が共振し、見えない背後世界との間でいのちは微細に共振している。それはとても微妙だが、日常の二元論的思考を止めると、かすかにそれを感じることができる。共振には主体も客体もない。共振はどちらからともなく同時に起こる。そのすべての共振を踊れ!いのちの共振を踊ることで、わたしちは自我を脱いでいのちになることができる。いつも、ただただ微細な共振への気づきに耳を澄ます。そして、感じ取られたかすかな生命共振を微細なディテールや、部分の動きとして踊る。同じ共振パターンで共振することもあり、異なる共振パターンや、反対のパターンで共振することもある。間違いを恐れることはない。すべては共振である。いのちは非二元域で共振している。そこには正解も間違いもない。ただ、すべての共振を踊る。それだけでいい。これを通じて、かつてない共振美を開くことができる。自信を持ってこれを楽しもう。

 

 

 

からだの闇を掘る
 
 大野一雄の母


 

人間子宮

ある塾生の要請で、久しぶりに人間子宮ワークを行った。 胎児になるひとりを他の全員が子宮となって包み込み、グロフの見つけた分娩前後の4つの世界を体験するというものだ。

第Ⅰ期 大洋エクスタシーーいつまでも続くかと思われる胎内ゆらぎの悦楽

第Ⅱ期 楽園からの追放ー世界の急変・出口なし 

第Ⅲ期 死と再生の葛藤ーパニック・暴力性・生物的怒り・火山的エクスタシー

第Ⅳ期 死と再生の体験ー死と自我・深淵への旅・気付き。

出生後に体験する大きな出来事は、すべてこの4つの位相のどれかとつながり、共振増幅される。あらゆるクオリアは時空を超えて共振する。

いまここで起こっている物理的な体験の外クオリアは、 細胞内に保存されている40億年の生命記憶、それを10ヶ月に凝縮して追体験する胎内体験の内クオリア、そしてグロフのいう分娩前後の4つの内クオリアのいずれかと同時に共振し、予測できない速度と強度で共振増幅される。このワークが危険なのは、いつ、どの程度の強度で この共振増幅が起こるか、予測できないからだ。 細心の注意でのぞみ、何が起こっても全員がそれを自分の問題として受け止め、ともに解決しようとする共同性の下地が必要である。胎児期への縮退変容では、想像もつかない奇妙なことが起こる。他の人に起こったその現象を他人事として受けとめ、突き放すような人がいると台無しになる。人間子宮ワークでは自他の境界が消える胎児退行を共有するだけではなく、これを通じて、あらゆる強烈な人生体験のクオリアと、この分娩前後の4位相のクオリアが何らかの共振をしていることまで透明に透かし見るという課題を共有することができる(胎内時代の秘膜共振については、第4章5番「秘膜各層の由来」参照)。

 

 

胎界遡行

胎児と子宮が未分化だった、胎内世界へ遡行する瞑動探体。すでに述べた「胎内ゆらぎ」と「人間子宮」からの発展・深化が「胎界遡行」だ。そこは重層的な秘膜に守られた世界である。

 

秘膜とはなにか

秘膜(Hidden skin)は、子宮と胎児が一体化していたころのいのちにとっての世界認識の方法である。自分がまだ人間であると知らなかったころ、わたしたちは子宮のゆらぎと胎児のゆらぎが別物であるなどとは思っていなかった。世界も自分もすべて一体化していた。人間は二項論理による言語思考とは別に、非二元かつ多次元流動的ないのちのクオリア思考を持っている。それが秘膜の思考、夢の文法、もうひとつの世界認識の方法だ。

秘膜瞑動はトランスパーソナル心理学のスタニスラフ・グロフが見出した分娩前後の体験とも密接に結びついている。秘膜に刻み込まれたクオリアがとびきり深いのはそのためだ。

 

グロフの分娩前後の胎界Ⅳ期

Ⅰ期:大洋エクスタシー

子宮内の原初の海で心地よくゆらいでいるクオリア。生命が発生当初の単細胞生物から無脊椎動物時代の海中でゆらいで生きていたころの生命にとってもっとも懐かしいクオリア。すでに述べた「胎内ゆらぎ」はこれにあたる。

Ⅱ期:世界の終わり (子宮収縮の開始)

いつまでも続くと思われていた極楽世界に突然終わりが来る。世界が突然変化するクオリア。生命の安全を脅かす世界の変化がはじまる。逃げ道を探そうとしても見つからない。出口なしのパニックに襲われる。

土方巽が収集した<癇のクオリア>のひとつ「軋む空気」はこのいのちが最初に出会ったトラウマと固く結びつき、いつも二重に共振している(第9章 癇の花参照)。

Ⅲ期:生と死の葛藤

こんな変化は望まない。止まれ。元にもどれ、といくらあがいても子宮の収縮は止まらない。それどころかますます締め付けてくる。逃れ出る出口を探そうとするが見つからない。不快な体験が長引くと生命はこのときの恐怖に囚われる。

Ⅳ期:生と死の体験

収縮が長引くと、とうとう胎児は生物学的な怒りに囚われる。わたしを殺そうとするな! 殺そうとするならわたしはこの世界を破壊するぞ!追い詰められた恐怖が最後に爆発する。決死の覚悟で子宮底の膣に頭を突っ込みねじりあけていく。無呼吸のまま生死の境を辿る。安寧な子宮世界を自ら破壊する。みんな忘れ去っているが、だれもが凶暴な世界破壊者として人生を開始したのだ。

わたしたちの秘膜に刻み込まれているクオリアはすべて、おおむねこのⅣつの時期のクオリアに対応する。

Ⅰ期の大洋エクスタシーのゆらぎは、どの生物にとってももっとも親しいクオリアだ。人が動物と仲良くなるのは、このクオリアを共有するからだ。

Ⅱ期の世界変化は、世界が急に寒くなったり、嵐が始まる予兆の音が聞こえてきたり、戦争が始まって石や銃弾が飛んできたり、安全な棲家に何物かが侵入してきたり、―と、誰にも思い当たるありとあらゆる不快な変化、

不安の始まりのクオリアだ。

Ⅲ期の生と死の葛藤は、不快な体験がいつ終わるかわからないほど続いて

それが、永遠に続くのではないかという恐怖に転化したときに起こる。

神経症が発症するのはこの胎界Ⅲ期の恐怖がよみがえるからだ。インドでの学校建設の過程でわたしはそれをまざまざと体験した。閉所恐怖や高所恐怖、監禁状態への恐怖もこのⅢ期の体験と関わる。

Ⅳ期の生と死の体験は、世界と自分との対立のクオリアとして体験する。世界が自分を押し潰そうとしてくるクオリア。それに必死で抗うクオリア。

人が社会や家庭などの狭い世界で、わけのわからない力に押し潰されそうになるまで追い詰められたとき、無差別殺戮者に転化する事件となって現れる。誰もがそうなる可能性はある。だからこそ自我は激しくそれを否定して自分から解離しようとするのだ。

だが、人はどんな深い不幸や災難に遭っても、それを乗り越えることができる。切り捨てることによってではなく、①まず、その不幸や悲しみが自分の中にあることを認知する。②それに耐えることができる適切な距離をみつける。③ゆっくり時間をかけてそれと友達になる。④そうしているといつかそれと一緒に踊れるときが来る。

創造は不幸や悲しみを別物に昇華する。切り捨てて逃れようとすると、それは無意識界に潜んでいつか爆発的に襲い掛かる。人がある日神経症や心身症に襲われるのはそのためだ。そうではなく、からだの闇と適切な関係を見つけること。サブボディを生きることが、根源的な癒しになるのはそのためだ。創造だけがすべてを解決する力を持っている。(この課題は、第12章「嵐の中の透明覚」参照)

 

 

 

 

 

からだの闇を掘る


 

第6章 探体




踊る星を生むための混沌

わたしがわたしになることとなった、宿命的な言葉に何十年かぶりにfacebookで再会した。そうか、英語ではこういうふうに訳されているのか。

"you need chaos in your soul to give birth to a dancing star." 

Friedrich Nietzsche

16歳の頃、わたしが読んだ日本語訳は、たしか次のような言葉だった。

「汝の魂はなおも、踊る星を産むための混沌を孕んでいるか。」

フリードリッヒ・ニーチェ

 

何度読んでもいい言葉だ。この言葉が16歳のわたしのこころを鷲掴みにした。この事件によってわたしはわたしになった。この言葉は永劫回帰のように、その後何十年も、わたしのからだの闇でこだまし続けていた。若い頃はいくつもの職場や職業を変わったが、そのつど、こぼさないように細心の注意を払って、からだの闇のわけの解らない混沌を大事に大事に運び続けた。それを詩や文章にしようとも試みたこともあったが、うまく行かなかった。だが、じっとそれに耳を傾け続けてきた。そして、45歳のとき、とうとうわたしの踊る星は、ほんとうにからだからとびだして踊りだしてしまったのだ。そのとき、いずれ自分がこうなることをずっと前から知っていたような既視感に捉えられた。下意識の命は気づいていたのだ。その後もからだの闇の混沌を何より大事なものとしてそれに耳を澄まし続けている。この不透明な混沌をすこしでも透けて見えるようにすること。また、からだ(脳心身のすべて)で起こっていることが透けて見えるようなからだになることがわたしの課題だ。

―――

若い頃は、ただ混沌としてしか感じられなかったものも、いまでは少しだけ透明になって、多次元かつ非二元の生命共振と捉えるようになった。そう呼び替えることができるようになったことが何十年かの苦闘の少しの生長だ。底知れぬ闇であることは今も変わりないが。それが命のクオリアの多次元=非二元共振であるという正体が定かになって、つきあい方も深まった。この書の後の章では、ヒマラヤ20年の中で明らかになった、この非二元多次元のからだの闇を少しずつ解いていく実践的な方法が網羅されている。

共振塾におけるわたしの産婆としての主な仕事は塾生が自分のからだの闇の混沌に気づき、それに耳を傾け続けるという生き方に導くことだ。それこそ命の無限の創造性と固有性を開く最大の宝庫だと信じているからだ。16歳でこの言葉に出会った時は、まさか自分が踊り手になろうなどとは夢にも思わなかった。だが、無意識では気づいていた。人生のあらゆる時期にからだの闇の中に躍りだそうとしている何ものかが潜み、蠢いていることをうっすらと感じていた。一度出会えば二度と忘れることのない、そして生涯の間いのちを導き続けてくれる宿命的な出会いというものはあるものだ。

 

混沌、非二元、リゾーム

7年目の3.11フクシマディだ。あの日多くの人が混沌の中に突き落とされた。生き方が根本的に変わった人もいるだろう。毎年3月3月上旬に新学期を迎える共振塾では毎年第1週目にフクシマの災害のクオリアをつい追体験する。あの日何万もの人が味わったと同じように、何が起こったかさえ分からないからだの闇の混沌に真っ逆さまに落ちていく。そして、かすかな生命共振に耳を澄ます。太平洋の海底でいまも漏れた放射能に侵されて奇形化している小さな命になりこむ。

この混沌とはいのちにとっていったい何なのか?

土方巽はこの混沌をからだの闇と呼び、その闇を毟り続けて次々と舞踏を生んだ。古代仏教では、無(Nothingness)や空(Emptiness)、道教ではタオ(Tao)と呼ばれた。ヨガの行者の一人が、非二元と呼んだ。ギリシャ・ローマ世界ではウロボロス、中世錬金術ではユニテやプリマ・マテリア(始原のもの)とみなされた。それらはすべて、なにがしかの色や味や価値がつけられ、各文化の深層における共同幻想になっている。この混沌を表す非二元というもっとも中性的かつ普遍的な言葉に触れたのは、20年前にヒマラヤに来てからだ。それ以来、ヒマラヤで非二元のからだの闇の旅を続けてきた。十年以上続けているうちに、非二元とは、からだの闇の生命共振クオリアそのものだ、ということが腑に落ちてきた。

 

非二元多次元クオリアの雲(クラウド)をまとう

ありとあるクオリアを思い出し、からだのまわりにクオリアの雲のように漂わせる。そのクオリア・クラウドと、いまここの動きのクオリアが出会って<共振創発>による新しいクオリアが生まれる。後に出てくる「けむり虫の歩行」や「からだのくもらし方」とは、からだを極々微細に震わせながら、からだのまわりの幾重もの層に多数多様な「クオリアの雲(クラウド)」をまとって歩くことでもある。(第10章十体の10「砕動風」参照)

 

 

 

 

 

 

生命共振ジャーナル
 読者の皆さまへ

共振塾サイトを訪れていただいてありがとうございます。春からの新学期開講を予定していましたが、残念ながら現在インド及び共振塾が位置するヒマーチャル・プラデーシュ州でコロナウイルスが増加しています。共振塾の定例舞踏コース再開はコロナが落ち着くまで見合わせます
でも、このような人間関係から隔絶される状態は、からだの闇に耳を澄ます、またとない機会でもあります。下記に最新刊の『舞踏革命 実技編』のPDFのリンクを付けました。ご自由にダウンロードして、毎日の瞑動の仕方を読み自習してくださることをお願いします。お会いできるのを楽しみにしています。
 
 
からだの闇を掘る
 

土方巽があるときぽつんと、「軋むからだって、どんなんだろうねェ」と問わず語りに言った、と元藤曄子夫人が書いている。

 

土方は寝床の中でいつも骨を鳴らして、軋むからだのクオリアを探っていたという。

 

舞踏家とは、24 時間からだの闇に坑道を掘り続ける稼業だ。わたしも長い間、この軋みのクオリア坑道を掘り続けてきた。なぜこれにこだわってきたのか、言葉ではうまく言えない。ただ、通りすぎるわけには行かなかった。

 

振り返れば自分の踊りのほとんどすべてが、一言で言えばこの軋みのクオリアから生まれてきた。踊りはいつも、ごくごくかすかな軋みの感覚から生まれる。

 

軋みと一言で言っても、その内容は無限の微細なバリエーションがある。しかも、それらはもっともかすかな、不分明なクオリアなので、中々言葉では捉えにくい。

 

それはいのちにとって、外界とうまく共振できないクオリアの総称だ。寒気や怖気や圧迫や束縛など、何かとうまく共振できないとき、生命に軋みの

 

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感覚を覚える。いのちが歪む感覚といってもいい。

 

背中にゾクッと走る悪寒、

 

皮膚がアルマジロのように変質していく妄想、死んだ友達に、行くな!と叫んでいる、

 

突然体がつらくなるのだが、何が辛いのかさっぱり分からない、息子を空に放り上げて受けそこねて死なしてしまう夢、超自我の命令にいのちがけで抵抗する

 

踊りはいつも、いのちががどこかで軋む、かすかなクオリアからはじまる。何かと上手く共振できないクオリアは生命にとってもっとも重要なクオリアだ。それを敏感に捉えられないと、直ちに死をもたらすからだ。

 

軋みは、いのちにとってのっぴきならない根源的な経験である。それは、いのちが自らを歪ませ変形させることと引き換えに、かろうじて生き延びる行為だからだ。そして、人間レベルで軋みを捉えれば、もっと複雑になる。

 

からだの闇の自全(自分の全体)には、じつにさまざまな要素や傾向が渦巻いている。詳しくは実技ガイドの「自全瞑想」の項をご覧いただきたいが、自我や超自我や影やアニマなどの多くの元型たちが多次元的に重層している。それらの要素は互いには見知らぬ者同士で、それらの間はいつも軋んでいる。意識や自我にとって、下意識のサブボディはすべて見しらぬよそ者であり、存在など認めていないものばかりだ。

 

自我意識が見知らぬサブボディに感じるクオリアは、激しく否定するエッジクオリアだ。不快で堪らなくて、直ちに消えて欲しいと感じる。そして、それがもっとややこしいのは、軋みはそれらの間にあるだけではなく、それらの要素や傾向は、すべてそれぞれ別個の自己像と世界像がセットになった配置を持っていることだ。

 

軋みはそれらの要素と世界との間でも、しょっちゅう生じている。それらの要素も世界も、どちらも絶えず流動しているから、絶え間なく矛盾や軋轢が生じる。軋みのクオリアはそれらすべてが多次元的に重層し、かつ非決定の状態にある事によって生じている。

 

軋みをうまく一言で捉えられないのは、この複雑さによっている。いのちはいつもこの多次元かつ非二元の中にいるから、軋みがどこからくるか、分からないのだ。

 

ギギっとか、ムギュとか、ミシッとか、擬態語や擬声語などを駆使すればかなり近づく。だが、数え上げればキリがないほどおびただしくある。

 

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モゾ、ゾクッ、ジリッ、ピキッ、ゴワッ、モワー、グニュ、ヌメー、メソー、ベキッ、グムー、などなどだ。

 

日本人同士でもうまく伝わるか伝わらないかの、ぎりぎりにある微妙なクオリアだから、これらオノマトペが圧倒的に貧しい英語ではとても伝えきれるものではない。

 

外国の生徒が多い共振塾で、今までこの軋みのクオリアをうまく扱えなかったのは、言葉の壁にぶつかっていたこともあった。

 

2010 年になって、言葉で伝えるのではなく、コーボディの群れの体験の中で、からだごとその世界に持っていく方法が見つかって、ようやくはじめて軋みのクオリアを伝えることができるようになった。

 

土方はこの超複雑なものを一生かけて探り、からだで表わそうとした。最後の最後に、からだの闇から取り出した死んだ姉さんの秘密は、土方のいのちにとって最大の軋みだった。なぜ大好きな姉さんが、東北から都会に女として供出され、死なねばならなかったのか。無数の秘密に重層的に包まれたその謎を踊ろうとすれば、その多次元そのものを踊るしかないのだ。

 

「雨の中で悪事を計画する少女

 

はくせいにされた春

 

気化した飴職人または武者絵のキリスト背後の世界

 

X による還元と再生

 

と、かれの最後の踊りの舞踏譜である「『静かな家』ソロのための覚書き」

 

が、何百行にも及ぶ複雑な要素を重層させたものであることはそれによっている。

 

「これくらい重層しないと『森の顔』一つさえでてこない

 

土方の踊りは、もちろん顔だけではなく、からだ全体が多次元を重層してゆらぎ、しかも絶えず還元と再生を繰り返して姿をくらましている。何ものによっても捉えられない、たった一つの秘密と化す以外なかったのだ。わたしはそれに巣窟体という名をつけた。

 

それでようやく土方が何を踊っていたのかが、くっきりと捉えられるようになった。20 歳ではじめて土方の踊りに触れて、衝撃を受けてから 40 年たった今、ようやく土方の軋みの深みに共振できるようになってきた。何十年

 

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かかってもいのちにとって解かねばならない謎は、どんなに解きがたくともやがては解けるときがくるのだ。

 

土方にとっても、わたしにとっても、生きるとは無数の軋みを受け取ることであった。秋田で育った土方が 20 歳で東京に出てきたとき、味わったのは、金属棒で脳みそをかき回されるような体感だった。冷たい都会の人間関係にいのちが軋み、習おうとしたバレエの、立とうとして立てない感覚にからだが軋んだ。

 

普通の人は、そういう劣等感を克服して世界に自分を合わせようとする努力の中に、人生を消尽してしまう。創造家は、いのちの軋みをいつまでも忘れない。そして長い年月をかけて、生きるために必要な軋み返しの術を編み出す。

 

創造するとは、受け取ったいのちの軋みを、踊りに昇華して打ち返すいのちの行為なのだ。生きることがいのちにとって軋むことであれば、創造とはいつも軋み返しなのだ。

 

受け取った軋みのすべてを精密に味わえば、それが無限の多次元を重層してやってくるものであるかぎり、それを打ち返す創造もまた、それ以上に重層的非決定にある解けない秘密になる以外ない。舞踏がいつも非決定のゆらぎの中に身をくらますのは、逃れることのできない宿命なのだ。

 

きみのいのちにとって最も根源的な軋みのクオリアを探せ。いのちがゆすぶられてやまないような、必然の踊りはそこから生まれる。

 

 

 

 

 

 

 世界生命共振
 
 
 

Doushin Butoh Experience: One Day Butoh Workshop with Gadu Doushin

 

*** In compliance with CDC guidelines regarding coronavirus prevention, we are continuing our Doushin Butoh Experience on Zoom. ***

 

This one day Butoh workshop is for those want a first-time experience of Doushin Butoh. 

The essence of Doushin Butoh is “resonance,” that is experience beyond idea or concept that can only be felt. In this class, the students are guided in simple repetitive movements that we call “conditioning.” As students you will be guided into a movement meditation and experience the connection between your body, mind and the universe.
 

 This workshop requires no previous dance experience.  Anyone who would like to explore his or her hidden creative potentials is welcome! 

When:  Tuesday, April 20th, 12:30 - 2:00pm          


Where:  Zoom (You will receive login information after you register)

Tuition:  $20

To Register, please go to: https://doushinbutoh.com

If you have any questions, please Contact Us.

 

からだの闇を掘る
 
Hijikata Tatsumi / Hosotan 


18   人間概念の拡張

 

土方は、かれの晩年新しい生命の舞踏を担う舞踏家を育てるためのワークショップのために創った「寸法の歩行」や、「虫の歩行」のテキストに、次代の舞踏家への遺言をこめていた。

 

小さな細胞生命に成りこんで、「寸法の歩行」が要請する条件をからだに染み透らせてみる。すると、ここではもはや物理的な世界に属するからだではなく、その背後の幾多の他界、異次元を荷い、異界と共振するからだになる

 

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くぐつ

ことが要請されていることが分かる。これまで探求してきた傀儡体のあらゆ

 

る要素がこめられている。

 

そればかりではない。

 

土方が行おうとした革命は、現代の狭苦しい人間概念を大幅に拡張することにあった。未来の人間がもつべき世界像=自己像がここに盛り込まれている。

 

「寸法の歩行」

 

  寸法になって歩行する

 

ロ 天界と地界の間を歩くのではなく移行するハ ガラスの目玉 額に一つ目をつける

 

はや

  見る速度より 映る速度の方が迅い

 

  足裏にカミソリの刃

 

  頭上に水盤

 

  蜘蛛の糸で関節が吊られている

 

  歩きたいという願いが先行して

 

形が後から追いすがる

 

リ 歩みの痕跡が前方にも後方にも吊り下がっているハ ガラスの目玉 額に一つ目をつけるホ 足裏にカミソリの刃

 

  頭上に水盤

 

  奥歯の森 からだの空洞に糸

 

  既に眼は見ることを止め

 

足は歩むことを止めるだろう

 

そこに在ることが歩む眼 歩む足となるだろうオ 歩みが途切れ途切れの不連続を要請し

 

空間の拡がりを促す

 

「イ」の、寸法が変わらないからだとは、死せる傀儡そのものである。「ロ」は、人間として歩くのではない。背後の世界、天界、地界、からだの闇の異界とともに移行する。この世とあの世を媒介する傀儡として移行す

 

112


る。

 

「ハ」の、ガラスの目玉もまた、傀儡のものである。そして、額のもう一つの目はこの世だけではなく、生命の属する多数多様な異界を透明に見通す第三の目である。それは皮膚や、その外に広がる秘膜各層の目のシンボルでもある。

 

「ト」の、蜘蛛の糸で関節が吊られているとは、異界の何ものかの力によって動かされる傀儡になることだ。一本一本の蜘蛛糸の動きを通じて他界と共振する。

 

「チ」は、自分の意思ではない。歩きたいという願いは、からだから離れたところにある。抜けた魂を取り戻そうと、その願いに必死に追いすがろうとする。

 

「リ」は、すでにこの時空には属していない。時を越えて、前方や後方に過去に歩いた痕跡がぶら下がっている。これはまさしく生命のクオリアの属する非時非空の世界だ。

 

「ヌ」は、奥歯の森。森とはすでに失われた東北の山奥や屋久島などにのみ残存する原生林の森だ。無限の生命が時を越えて折り重なり、重層する死と生命の森だ。その森とからだの空洞が蜘蛛の糸で共振している。

 

「オ」は、時空は連続していない。無限の時空がつながり、途切れる多数多次元の世界だ。

 

寸法の歩行が要請するのは、これら多数の異界を引っさげ、それに突き動かされて移動するからだだ。これが土方が残した、舞踏家のための世界像=自己像の条件だ。なぜそんなものを、現代に生きる人々に見せつけなければならないのか?

 

 

重層された異界をまとう世界像=自己像

 

きみの世界イメージが、四次元時空のこの現実世界ならば、きみの自己は日常体である。いのちからはぐれて、散々な目にあっているのにそれに気づくこともない。

 

きみの世界像がこの世ではない異界と交感していれば、きみの自己は現代の人間が縛られている桎梏を超えて異次元にひろがる。

 

世界像と自己像は一体化しているものだ。

 

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世界像と切り離された自己像(アイデンティティ)などありえない。だが、多くの西洋思想や心理学者や科学者は、世界像から独立したアイデンティティがあるかのように取り扱っている。その実は、無意識裡にありきたりの世界像にもたれているだけなのだ。

 

ハイデガーが「世界内存在」という概念を提起したのは、ずいぶん前のことだ。わたしの世界=自己像という考え方も、かれから示唆を受けた。だが、かれには人類が何万年もの間、アニミズム的世界観をつうじて、無数の異界と交感してきた生命クオリアの多次元的な世界を配慮しえていなかった。

 

現代生物学者の生命の定義が、単に物質過程だけに囚われていることも、生物学者が生命の非物質過程を解離していることを示している。

 

誰が考えても、生命が物質的次元だけに関わっているのでないことは明らかなのに、それは科学のテリトリーではないと、自ら狭い枠にひきこもっている。

 

どの分野の知も、生命の多次元的な全体を捉えようとしない。世界から切り離された自己、生命から切り離された人間、人類史から切り離された知、無意識から切り離された意識、解離され断片化した共同幻想の支配、それが現代なのだ。

 

生命の舞踏を志向した土方は、そのことに気づいていた。だからこそ、生死の異界のあいだで震えている舞踏体となることで、生命のほんとうの姿を示そうとしたのだ。

 

死の世界をまとうこと。

 

わたしたちの第一の秘膜である皮膚の表皮細胞も、死せる細胞である。わたしたちは死をまとい、死に守られて生きている。生命にとって死ほど身近なものはない。宇宙のすべては死の世界である。いつも生死の境で震えているのが生命の実態だ。

 

だが、そのことを忘れ、未知の世界への畏怖を忘れて久しい。まるで人間だけが存在しているかのように錯覚している。しかも現代の社会からは、死者、病者、狂者、障害者、犯罪者は、社会の外の病院や刑務者に隔離し、健康な人間だけが社会的存在を許されている。

 

あたかも健康な人間だけが世界を支配し、思い通りに変更できるという思い上がりが、この世に蔓延している。

 

奴隷制に支えられていた古代ギリシャ世界で、奴隷を排除した市民だけで 114


世界=人間像を構想し、その狭い「市民=人間」だけによる統治を目論見たのが、民主主義という幻想だ。その民主主義国家という共同幻想は、今なお最善の共同幻想として君臨している。

 

「人間=物質的世界観=民主主義国家」が三位一体となった人間元型が世界を支配している。それらが現代の人間から、生命の無限の創造性を疎外している。この三位一体の現代の共同幻想構造を根底から覆さないかぎり、これらの狭い枠組から解放されることはない。

 

土方は生命の舞踏を通じて、人間概念を大きく拡張しようとした。

 

 

「人間の条件をすべて捨てる。これだけは間違わないでください」

 

「人間はまだ、これから来る未知の秩序に、百万分の一も触れていない」

 

なのに、一体いつまで、こんな狭い幻の監獄で窒息寸前になっているのを我慢しているんだい?

 

舞踏家が現代に投げかけるのはその問いだ。

 

 

 

ヒマラヤ共振日記
 世界生命共振
 
舞踏とは? | Gadu Doushin
 
 

Beginning Doushin Butoh Workshop

 

*** In compliance with CDC guidelines regarding coronavirus prevention, we are continuing our Beginning Doushin Butoh Workshop on Zoom. ***

 

Beginning Doushin Butoh Workshop is designed as a pre-requisite for Doushin Butoh Workshop in order to learn the basic physical methods of Subbody Butoh Method and basic meditation techniques of Spring Forest Qigong. ​​​​​​​​​

This workshop will focus on the essential aspects of Doushin Butoh:

·  Quiet down the daily consciousness and listen to the subtle body signals

·  Go beyond our physical, psychological and social bounds in order to create movements that are novel and unique to the individual body

·  Resonate with other bodies

·  Go into meditative state using Spring Forest Qigong techniques 

Doushin Butoh Workshop is a group process and this workshop requires no previous dance experience.  Anyone who would like to explore his or her hidden creative potentials is welcome! 

When:  Thursdays 6:30 - 8:00pm          


2021 Schedule (dates are subject to change)

Spring Term: 
4/1, 4/8, 4/22, 4/29, 5/6, 5/13, 5/20, 5/27

Where:  Zoom (You will receive login information after you register)

Tuition:  $135

If you have any questions, please Contact Us.

 

 
生命共振ジャーナル
 
 

コロナの沈静化まで、共振塾再開を待機

インド、そしてヒマチャル州でも、再びコロナウイルス感染者が増加してきました。共振塾はこれが沈静化するまで、再開を延期することにしました。

ただ、今の時期はからだの闇に耳を澄ます習慣をつくる絶好の時期です。

舞踏革命実技編のPDFへのリンクを添付します。

再開までの時期、実技編の第4章調体を読み進み、ご自分で毎朝瞑動をしながら、からだの闇に耳を澄ます習慣を創り上げてください。

では再開を楽しみにしています。

生命共振芸術センター




 

からだの闇を掘る
 
Kazuo Ohno Butoh Soundtrack The Electereo 


大野一雄と土方巽





最後に大野さんにお会いしたのは、1997 年ごろの大阪公演だ。公演後大野さんは会場の出口に裸で立ち、観客に挨拶してくれていた。
 

日本を離れようとしていたわたしは、おそらくこれが最後だろうという気持ちで、大野さんのからだを抱きしめた。子供のように小さいからだだった。今日はそれから 15 年、大野さんも今ごろは冥界でクラゲとなって、旧戦友たちと泳いでいるだろう。

 

大野さんにまつわる、幾つかの思いを垂れ流す。

 


大野一雄のボトム

 

大野一雄は、不幸な誤解にさらされてきた。

 

好意ある追従という誤解に。

 

大野一雄さんの写真の中から、あえて一般に流布されている、両手を上げて空に広がっている写真以外のものを集めた。

 

どうか、これらをいのちの目でとくと味わって欲しい。大野さんのあの独特の極めポーズだけが世界に流布し、あたかもそれが大野さんの舞踏スタイルでもあるかのような誤解がひろがっていることに、長い間強い危惧を抱いてきた。西洋の大野さん系の舞踏家から影響を受けた人々の舞踏スタイルも、多かれ少なかれ、その流布された写真ポーズか

 ら影響を受けている。

 

それを見るたび、身を切られるように辛くなる。

 

 

何と文化は伝わりにくいものか、と。

 

それはたしかに、大野さんの踊りの中の花の一つには違いないだろう。だが、花が花だけで花になることはありえない。花は目には見えない暗闇の中の、秘密や謎に支えられてはじめて花となるのだ。大野さんは踊りの中で、膝から下の世界を模索し、死者と

 

対話し、生死のエッジとま向かう中から、最適の瞬間をつかんであのポーズをとったのだ。

 

134


大野一雄の息子の義人さんはいう。

 

「『膝から下の世界』という世界を一雄はもう一つ持っている。そこにもう一つの宇宙がある。

 

『膝から下の世界』というのは大事です。モダンダンスなんかでは、上に、重力に逆らってというふうな思いが強いでしょう。一雄の場合は、本人がそう感じたとき、反対に落下します。その時の落下する速度は凄いです。あっという間に床に行ってます」(『大野一雄 魂の糧』)

 

だが、写真家にとって、うつむいて膝から下の世界をまさぐっているような図は、おそらく絵にならないと判断されたのだろう。謎や秘密に触れているみすぼらしい姿の写真など数えるほどしか撮られていない。

 

その写真家の美意識や判断が、大野さんの舞踏の世界を歪め、上滑りの「BUTOH」のイメージを世界にまき散らしてしまった。

 

大野一雄の舞踏のもっとも深い花と謎と秘密は、そこにあるというのに見過ごされてしまう

 

こととなった。

 

その誤ったイメージに毒された、西洋圏の舞踏家や生徒に数多く出会った。そのとんでもない悲しい誤解を解くために、大野さんの写真の中から、両手を上にあげていない写真だけを探して上に紹介した。

 

ほとんど無視されて撮られていないから、見付け出すのに苦労した。

 

幸い手持ちの資料の中の、池上直哉氏の膨大な写真の中から、わずかながら集めることができた。感謝します。

 

見やすい大きい花と違って、謎も秘密も目には見えない。それに触れたいのちが、微細に震えているだけだからだ。

 

135


ただ、日常意識を止め、思考をやめたときにだけ、生命が震えるように何か見えないものと共振していることが、感じ取れる。

 

そして、ほんとうの花もその心の目にだけ映る。いや「心」というと、まだ人間の枠内を離れることができない。心でさえなく、いのちになって大野さんの舞踏世界の奥底を感じてください。

 

人間の持ち物をすべて投げ捨てないと、触れられない世界がこの世にはあるのです。

 

形と魂をめぐる伝統的な誤解

 

よく大野さんと土方の違いを説明するのに、「形が魂に追いすがる」と、「魂が形に追いすがる」という言葉が引用される。多くの西洋の友人は、それを真に受けている。

 

だが、それは頭のいい批評家がでっち上げた物語にすぎない。大野さんも土方も、どちらも上の両者を往還して踊っていた。

 

片道通行などあるわけがないのは、からだで踊ろうとしたものならばすぐに分かる。フィジカルな外クオリアと、メンタルな内クオリアが、一つに融け合ってはじめて動きが踊りに昇華する。

 

大野さんがニューギニアから引き上げてくる船上で、多くの戦友が飢えや疲労でいのちを落とし、海の藻屑と消えていったとき、かれらを踊ろうと心に決め、クラゲの踊りを繰り返した。

 

それを 21 歳の土方が見て衝撃を受け、「劇薬ダンス」と名付けた逸話はよく知られている。

 

それ以後 2 人の共振は、物質的なからだと目に見えない異界を往還して踊るという一点で結びついたのだ。

 

共振とはどちらからともなく起こるもので、主体と客体の違いなどない。

 

土方が突然、衰弱体舞踏に転換していった 70 年代は、2 人はもっとも遠くで共振していいた。その間、土方は 1974 年の『静かな家』で、気化と物質化を往還する衰弱体技法として仕上げ、その自在に変容し往還するものを<死者>と呼んだ。

 

1980 年代になって、大野一雄が「ラ・アルヘンティーナ」と「わたしのお母さん」という二つの代表作の振り付けを土方に頼んだのは、大野さん自身が自分に必要なものとは何かを、土方がよく知っていることを知尽していた

 

136


からだ。

 

土方が大野さんの代表作である二つの踊りに持ち込んだものを一言でいえば、ボトムである。

 

大野さんはもともと天性の即興ダンサーで、クラゲの踊りを踊らせたらいつまでも踊れる人であることを、土方はよく知っていた。

 

その大野さんの天性の踊りを、もっとも引き立てるものとは何か。それこそがボトムなのだ。

 

アルヘンティーナの冒頭、豪華なドレスをまとう大野さんを観客席に座らせ、首がカクカク動く傀儡の動きで立ち上がらせたのも、それがもっとも対照的にクラゲの踊りを引き立てるものであったからだ。

 

その後も、各章の繋ぎ目ごとに静止や棒杭だのというボトムを効果的に挿入した。

 

とりわけ、グランドピアノを運び入れ、その前に身じろぎもしない大野さんを立たせたのは、後半の鳥の踊りなどの大野さんの踊りをもっとも支えるものこそ、思い切り長い静止であることをよく知っていたからだ。

 

ともあれ、舞踏は土方と大野さんという稀代の共振からはじまった。それだけは覚えていていい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ヒマラヤ共振日記
 世界生命共振
 
Kazuo Ohno mother flv 
からだの闇を掘る
 
 
 
Hijikata Tatsumi Hosotan part 2 (1972) 土方巽 
疱瘡譚 Part 2 癩1 
からだの闇を掘る
 
 

2021年2月19日

 

時代の証言集
『きみが死んだあとで』出版!

 

映画『きみが死んだあとで』がまもなく全国上映される。
それに伴って映画の中で行われた、わたしを含む8人の山崎博昭に
関わる友人たちのインタビューが書き起こされて書物として発行されるこ
とになった。このほど映画監督の代島氏から、著者校正のための原稿が送
られてきた。それを掲載します。映画と本のなかでわたしは当時の名前、
岡龍二で登場している。

 

 

護送車のバックミラーに写った顔を見たら憑かれた顔で

「これが二十歳の俺なんやなあ」って。

 

岡 龍二さん

(大手前高校の同学年)

 

十三番目に撮影したのが岡龍二さんだった。大手前高校時代に山﨑博昭さんも参加した「マルクス主義研究会」の中心メンバーは全 員撮影したかった。岩脇正人さん、佐々木幹郎さん、北本修二さん、向千衣子さん、三田誠広さん、黒瀬準さん、そして岡龍二さん。岡 さんはインド北部のダラムサラで舞踏学校・共振塾を主宰していた。

ぼくとカメラマンの加藤さんは2019年 4 月中旬、ニューデリーへ飛んだ。ニューデリーーダラムサラ間の移動にはもっと時間

がかかった。険しい山岳部を抜ける深夜バスに揺れること 10 時間、ぼくらはほとんど一睡もできずに朝陽を浴びたダラムサラのバス停に着いた。ダライ・ラマ 14 世が暮らす亡命チベット人の街には、日本とは違う「気」が流れていた。

ヒマラヤ山脈をのぞむ岡さんの舞踏学校兼自宅の建物は「ハウルの動
く城」を思わせた。そして、岡さん本人は城を動かす火の悪 魔・
カルシファーのような不思議な、そして魅力的なひとだった。
岡さんを撮影する前に、ぼくは複数の高校同級生から岡さんにま
つわるエピソードを聞いていた。それはすべて「貧乏物語」だった。

「京大を受験するときに受験料が払えなかった。だから、
友だちみんなでカンパした」とか「電車をキセル(無賃乗車)
して駅員に捕まった」とか。父が消えてからは、母親が女手ひ
とつで男の子三人を育てたという。岡さんはその長男だった。

1969年の『アサヒグラフ』に掲載された原稿で、
岡さんは高校時代の山﨑さんをこう描写している。

《デモがあったあくる日、奨学金を受取りに行った学生部の
窓口の前で偶然出会ったぼくらは、お互いの機動隊に蹴られた
足の傷やアザを見せ合いながら、「昨日は酷かったなあ」といっ
て話し始めた。

 

「やっぱり貧乏ってことかなあ」と、もらったばかりの三枚の千円札
を恨めしそうに眺めながら闘いの動機を語り始めた君に、僕は共感し
てしまった。》

岡さんはいまも山﨑さんに共感しながら、「山﨑博昭の記憶」を

踊りつづけている。

 

全文を読む

生命共振ジャーナル
 
宇宙| スムリティ
 
コンディショニング#4運搬密度
16 February, 2021

Dear Friends 

The Butoh Course will resume on Monday, 8th March!

Lets listen to the Life and dance together! 

Subbody Resonance Butoh Course 

When: [Spring semester] 8th March - 28th May,2021

[Summer semester] 7th June – 28th August,

[Autumn semester] 6th September – 26th November

[Winter semester] 6th December – 25th February 2022

Monday – Friday

10:00-17:00

[Duration] One day, One week, One month, One semester and One year course are available

[Where] Life Resonance Art center

Jogiwara village, Macleodganj, Dharamsala, Himachal Pradesh, India


 



Read more "Sinking into the darkness"

 

生命共振ジャーナル
 
シャクティスムリティ
 

Dear Dancing friends

 



How is your dancing spirit? Is it still alive?

I guess everybody is facing hardship.

Recently, fortunately, it is calming down in India and Himachal Pradesh a little bit.

We don’t know what will happen next, the third wave will come or won’t, nobody knows.

We decide to resume regular Butoh course in this chance as the following.

Please activate your dancing spirit and dance together in this opportunity at Himalaya.

 

Subbody Resonance Butoh Course

 

When: [Spring semester] 8th March - 28th May,2021

[Summer semester] 7th June – 28th August,

[Autumn semester] 6th September – 26th November

[Winter semester] 6th December – 25th February 2022

Monday – Friday

10:00-17:00

[Duration] One day, One week, One month, One semester and One year course are available

[Where] Life Resonance Art center

Jogiwara village, Macleodganj, Dharamsala, Himachal Pradesh, India

[Tuition; Foreigner]

One day          1,200rs

One week        5,400rs

One month      19,000rs

One semester  51,000rs

One year       180,000rs

(Indian people are discounted 40% from the above)

[Tution: Indian]

One day               720rs

One week          3,240rs

One month      11,400rs

One semester  30,000rs

One year       100,000rs

 

[Reservation for Foriegner]

(Early reservation is discounted 20% from the above in the case of one semester and one year course).

Reservation for one semester: 40,000rs

Reservation for one year course: 144,000rs

 

[Resvation for Indian]

Reservation for one semester: 24,000rs

Reservation for one year course: 80,000rs

 

Send the fee to the following bank account

Bank Name : State Bank of India,

Branch : Mcleodganj

Account Holder Name :  Ryuji Oka

Account Number :  31687887679

Bank Code : 04250

Swift Code : SBiNiN BB 676

IFSE/ NEFT/ RTGS : SBIN  0004250

MICR Code : 17600 2009

The address of the bank is

State Bank of India, Mcloedganj,

Teh. Dharamsala, Distt. Kangra, H.P. India. pin 176215

The address of the Receiving person is

Ryuji Oka,

Village Jogiwara, Post Office McleodGanj,

Dharamsala, Distt. Kangra, H.P. India. Pin 176219

 

[Acommodation and meal]

The tuition above is only for the class, it does not include accommodation or meal.

You can stay at the guest house near the school. The fee is around 6,000-12,000rs per month.

You can cook by yourself for the lunch at school kichen or use cheap restraint in the village.

 

Hope to see you soon!

Life Resonance Art Center

 

p.s.

Attached the newest PDF of the Practice Guide of Butoh Revolution for your study. Enjoy it!

 

 

舞踏革命 リゾーム リー

印刷版・電子版とも、アマゾンでお求めいただけます。

印刷版 3456円 (574ページ)

アマゾン出版 ペーパーバック版へは、ここをクリック

電子版 1800円

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この二十年、ヒマラヤで書き続けてきた舞踏論のすべてを一冊に凝縮しました。

「舞踏は、土方巽によって、日本で誕生した。本書は、今や世界的になったその「舞踏」の本質を追究し、自らインドのダラムサラで学校を開いて実践し続けるLee(リゾーム・リー)が、その本質に「生命の共振」があることを発見し、真実、舞踏こそが人類を解放し得る方法であることを示している。その意味で、まさに本書は「革命の書」である
。」

この度、アマゾンでお手軽にお読みいただけるようになりました。 



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