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第16章 衰弱体の内的必然を探る


土方による衰弱体の収集

自分の中にもっともか弱い生死すれすれの生命の共振をさぐる。
それが衰弱体にいたる坑口であり、からだのむしり方である。
衰弱体を形だけ学んでも自分の中に衰弱体の必然がなければ
形骸にすぎない。
からだの闇をむしりにむしり、誰にも見向きもされず、
ひっそりと死のほとりにたたずんでいるかすかな傾向に耳を傾ける。
ほとんど身動きできないクオリア、
長年縮こまって自由を失ったクオリア、
不自由なからだで這い出そうとするクオリア、
ひと目に触れたらただちにしぼんでしまいそうな命、
そういう祖型的なクオリアは、すべての細胞の奥深く記憶されている。
40億年の生命史で命が出会った苦難は並大抵のものではない。
それら思い出せない深層記憶を掘り出す。
それを踊ることではじめて、あらゆる命と共振する命の舞踏になる。
自我は決して障害者や不具者と共振できない。
劣ったもの醜いものとして自分の外に解離し、
自分をそれとは関係しない安全圏に置く。
その自我を消さねばならない。
自我は自分がすべてを決する主体だという幻想にとらわれている。
その幻想を消すのだ。
そうしてはじめて、この世のあらゆる不幸と共振できる。

土方は1968年の伝説的なソロ「日本人と土方巽」、
後に「肉体の叛乱」と名付けれられた舞踏を踊った後
2年間一切の活動を停止した。
そして午前中はひとり練習場の二階にこもり、
彼の死んだ姉と同じ着物を着、髪を長く伸ばして
姉と共振し続けた。
彼の人生を何千回と襲った姉をめぐる悪夢を
踊るべく時が近づいていた。
土方は語っている。

「私は私の身体の中に一人の姉を住まわしているんです。
私が舞踏作品を作るべく熱中しますと、
私の体の中の暗黒をむしって彼女はそれを必要以上に食べてしまうんですよ。
彼女が私の中で立ち上がると、私は思わず座り込んでしまう。
私が転ぶことは彼女が転ぶことである、
というかかわりあい以上のものが、そこにはありましてね。
そしてこう言うんですね。
「お前が踊りだの表現だのって無我夢中になってやってるけれど、
表現できるものは、何か表現しないことによって現れてくるんじゃないのかい。」
といってそっと消えてゆく。
だから教師なんですね。
死者は私の舞踏教師なんです。」

表現しないことによって現れてくるもの。
生命のかすかな共振だ。
自我や自己を脱いだときにだけ、
生命があらゆる境界を超えて、生きとし生けるものと、
そして死者とも、あらゆる不幸とも共振していることに気づく。
土方はこの世のあらゆる衰弱体を収集した。


らい病、
疱瘡、
寝たきり老人、
赤剥けの犬、
死にたがっている猫、
そして、水俣だ。


1972年、京大西部講堂での舞踏公演では、
「すさめだま」の最後に床に敷き詰めた戸板の下から、
舞踏手たちが水俣病の人々のかじかんだ肢体で
むくむくと立ち現れてきた。
その瞬間の衝撃は未だに忘れることができない。
それは、高度成長に向かう華やかな日本の
裏面を目の当たりに見せるものだった。
水俣問題は大きな社会問題であったにもかかわらず、
あらゆるモダンダンス、モダンアートの誰一人として
それに共振するものはいなかった。
ただ土方一人が衰弱体舞踏を創発することによって
共振してみせたのだ。
どんな醜く歪んだからだでさえ、最適の序破急を発見しさえすれば
かつてない美に転化しうることを目の当たりにした。

生命は水銀やカドミウムなどの重金属とはうまく共振できない。
それらが強い催奇形性を持つからだ。
3.11の福島原発事故以降、おびただしい放射能が
大気と太平洋にばら撒かれた。
放射能が持つ催奇形性は重金属の比ではない。
いま、太平洋の海底では無数の生命体の細胞が
突然変異によって奇形化している。
想像力を全開して、その悲惨と共振せよ。
それが生命と共振する舞踏家の使命だ。
いや、もちろん自我や自己に囚われた踊りを深めるのもいい。
生命史全体から見れば、生命とうまく共振できない
自我や自己も凝り固まった「人間」という奇形の一つだからだ。
あらゆる不具や奇形も死者も悲惨も美に転化しうる。
土方の言う「癇の花」とはそういうことだ。
癇とはうまく共振できないクオリアの総称である。

衰弱体の内的必然を探る


共振塾ではこの十数年間、灰柱の歩行、寸法の歩行、そして虫の歩行などを通して、土方の衰弱体への変成技法を学んできた。
近年ではさらに、「静かな家」や「病める舞姫」の共同研究を続けている。
衰弱体は単なる身体技法ではない。
生命の必然として衰弱体にならなければならない契機が自分の中に見つからない限り形だけ習っても形だけに終わる。
もちろん日本の伝統芸能にはまず形から学んで、
その型がからだに滲み込む中でその必然を体得するという
時間がかかる方法があることは知っている。
だがそれは心身の変成とはなんであり、いかに起こるのかが
師自身にさえつかめていなかった時代の話だ。
そんなときはただ師のたどった道をそっくり辿り直す以外に道はない。
だが、土方なき今、誰ひとりとして衰弱体を教えることのできる舞踏家などいなくなった。
土方も衰弱体は誰にも教えることができなかった。
振り写しをしてもらった芦川羊子は衰弱体の内的必然を捉えたのか、捉えなかったのか、
「死を理解するにはわたしは若すぎた」と後年語っている。
日本の第二世代以降の舞踏の世界でも、虫の歩行が衰弱体への変成のテキストであると読みといて実践した舞踏家には出会ったことがない。
自分の中に衰弱体の必然を掘り続けなければ、
例えば『虫の歩行』のような衰弱体への変成のテキストを手にしても
痒さが昂進していたたまれなくなるというような皮相な踊りしかつくれない。
物質的な粗大なからだへの囚われから脱却しなければという内的必然を見出さない限り、それが衰弱体のテキストであることすら読み取ることができない。

衰弱体にかぎらず、心身の変成の過程を本人がその内的必然を握りしめてたどることが変成を真のものとする唯一の鍵である。
どんなものであれ、いのちの内的必然など、いわゆる学校の教師から生徒へ教えられるようなものでは決してない。
各自が自分で探るしかないものだ。
共振塾には教師などいない。
わたしは産婆であることに徹してきた。
各自が自分のいのちに耳をすます術を身に着け、
各自の内的必然性の探求を助けることだけがサブボディの産婆の仕事だ。
そんなことはこれまでに誰もやったことがない。
だが、土方が衰弱体を見出してから40年たった今は、
土方がたった一人で潜ったからだの闇で起こる出来事のもつ沈理が
かなり明らかになってきた。
それは日常世界の三次元的論理や二元論的判断とは根本的に異なる論理であるが、その異なる論理をつかみ出す仕事が進んでいる。
それを沈理と呼んでいち早く探求し始めたのが土方巽だ。

「自他の分化以前の沈理の出会いの関係の場へ下降せよ」
(未発表草稿)


ほぼ同時代に人間の終焉を予言したフーコーや、ドゥルーズ・ガタリが発見したリゾームになるという生き方は、土方の言う自他分化以前の関係の場、別の言葉で言えば、非二元世界へ降りていく道である。
そこでは個と群れが混然一体化し、自我や自己が消し飛んでしまう。
自他が混然一体化する集合的無意識の元型を探ったユングと
そのの弟子、ミンデルのプロセス指向心理学、
アメリカの催眠療法の一人者だったエリクソンの弟子ロッシの精神生物学、
近代以前の未開社会の沈理を探ったレヴィ・ストロースと、その弟子中沢新一の対称性人類学など
各方面からからだの闇の沈理の特性が明らかにされてきた。
それは現代物理学の超ひも理論が解明しつつあるひも共振の論理と関連している。
ひももまた、三次元や四次元の低次元論理ではなく、11次元という多次元で共振している、根本的に異なる論理をもつものだからだ。
宇宙の謎の解明と生命の謎の解明は共振して進んでいる。
あらゆるジャンルの枠に囚われず、縦横無尽に闊歩できる真の自由な生命だけがその全世界的な共振を感じることができる。
もう古い伝統に縛られている時代ではないのだ。

失敗を恐れず、前人未踏のからだの闇で自分の舞踏の内的必然を探りるのがサブボディ舞踏技法であり、それを促すのが産婆の仕事だ。
からだの闇のかすかなかすかな気配に耳を澄ます。
どんなサボボディが自分のそして他の生徒のからだの闇で産声をあげようとしているか。
そのかすかな兆候に耳をかたむけ、最善のタイミングでそれをつかむよううながす。
一瞬でもタイミングを誤れば生まれかけのサブボディやコーボディが水に流れてしまう。
スリリングな危機に満ちた仕事だ。
自分で知っているだけでも数十に上るサブボディ・コーボディが
生まれることなく目の前で水に流れていった。
気付かなかったものまでいれればおそらくこれまでに幾千幾万のサボボディを
知らずに水に流してきたことだろう。
わたしはこれまでに流れた累々たるサブボディの水子たちと共に暮らしている。

毎日かかさず、自分と塾生たちのからだの闇にさまざまな種類のはしごをかけて、その階段を降りていく。
うまく行けば幾体もの面白いサブボディが生まれでてくる。
うまくいかなければそのうち幾体かはは出てこれないまま闇の海に沈む。
足下の芝生の草の小さな細胞生命と共振できる繊細さを身につけるために
もっともか弱い体になる必要がある。
自分を人間だとうぬぼれて粗大な動きをし続けているかぎり
足下で踏み潰されている草の細胞生命と共振することなどできない。
自分のからだに起こっているもっとも微細な震えに共振できるよう
微細さのレベルをチューニングすること。
並大抵の訓練ではない。すぐに出来ることでもない。
わたくしごとを言えば、わたしは23歳で土方の舞踏公演を見てから、
衰弱体の必然が自分のからだに落ちてくるまで、35年かかっている。
それを身につけることができるまでにはさらにそれから数年かかっている。
それを若い生徒にわずか一年やそこらで身につけさせようとすること自体
無理なことなのかもしれない。
毎日ほとんど不可能な課題を出す。
だが塾生たちは必死にそれを試みようとしている。
類まれな生命共振が生まれているのだ。


なぜ衰弱体になる必要があるのか?

―3.11生命共振記念日に

(これは2015年3月に書かれたものだ)

強くありたいという自我の習癖を脱ぎ捨て、
限りなく弱くなること。
衰弱したいのちになること。
弱くなればなるほど、
強い自我がまたぎ越してきた、
弱り切ったいのち、侵され憔悴しきったいのち、
壊れかけたいのち、死に瀕しているいのち・・・
らの、微細にふるえる癇の花に気づくことができる。
自分もまた、おなじく微細に震えているいるからだ。
そう、「自分」の強さと、共振力が反比例していることに気がつく。
そして、世界中の悲惨が国家や自他をこえて、
ひとつにつながっていることに。
生きとし生けるものがひとつのいのちであることに、
からだが目をさます。

土方巽も、1968年の伝説的なソロ、
「土方巽と日本人ー反乱する肉体」を踊り終えて、
周囲は賞賛の嵐が吹き荒れ、門下生が日本中から詰め寄せてくる中、
はっと気がついた。
こんな強い英雄的な踊りをしている限り、
からだの闇に棲む死んだ姉さんは、振り向いてもくれないことに。
夢枕に立った姉さんのささやきが聞こえたのだ。

「くにおちゃん(くにおは土方の幼名)、
お前が踊りだの表現だの無我夢中になってやっているけれど、
表現できるものは、何か表現しないことによってあらわれてくるんじゃないのかい。」


そういってそっと消えていった。

「ぐったりしたこころ持ちにならなければ、
人の行き交いはつかめぬものらしい。」


『病める舞姫』に記された一行は、
その土方の人生の転回を語っている。

強い舞踏から、衰弱体舞踏へ。
自分を表現しようとすることから、
表現しないことによってはじめてあらわれてくる
生きとし生けるものの、死に瀕する「癇の花」との共振へ。

誰にも転回はある。
3.11がその転回になった人も多い。
思い出そう。
もっとも悲惨な目にあったときのいのちの震えを。
あらゆるいのちが微細にしかし限りなく多彩に震えていることへの気づきを。
わたしたちが掘り抜くべき未踏の坑道の入り口がそこに開いている。
その坑口を降りるか、またぎ越すかはあなた次第だ。

だが、毎年の3月11日は、
その坑口の存在に気づかせてくれる
今に生きるいのちの共振記念日なのだ。



 
第3部 病める舞姫
 
この稿を舞踏論最終章に付加しました。

アマゾンでご購入いただけます。

 

第318章 石牟礼道子と土方巽

石牟礼道子 1927年3月11日熊本県天草生まれ
土方巽    1928年3月9日秋田県生まれ

わずか一歳違いの二人は、熊本と秋田、紀元後に渡来した弥生人によって、ともに南と北に追いやられた縄文のアニミズムの民の末裔である。
土方巽に捧げる『舞踏論』最終原稿に取り組んでいる最中、石牟礼道子の訃報に接した。
瞬間、同時代に生きたこの二人の生に通底するものが閃光のように輝いた。
それは水俣病に冒されたいのちを<全部わたしのものです>と書き記した石牟礼と、
<魂が引き裂かれ、人間の条件をことごとく失った病める舞姫に混融・一体化されてしまう土方少年>とに、根源的に共通するいのちの共振の奇跡である。

『苦海浄土 わが水俣病』

1956年、熊本県水俣市ではじめて水俣病が発見される。化学工場「チッソ」の工場から海へ流れ出る廃液に含まれるメチル水銀による公害である。だが、日本窒素は長年に渡って因果関係を否定し続ける。
石牟礼道子は、詩歌を好む、はにかみがちな無名の主婦だったが、
1958年、熊本出身の詩人谷川雁が主催する『サークル村』に参加。
日本近代がまたぎ越そうとする底辺へ降りていくことを唱える谷川に深く触発された石牟礼は、近代化の影で身悶えする水俣の底辺の民への聞き書きを開始する。
1960年、『サークル村』に『奇病』を発表、のちの『苦海浄土』の最初の一篇となった。
1968年、押し出されるようにして、仲間とともに「水俣病対策市民会議」を作り、患者への支援に乗り出す。(石牟礼さんは当時のわたしにとってあこがれの人だった。)
同年、日本の学生叛乱がピークを迎える中、土方巽は伝説的なソロ「肉体の叛乱」を東京で公演。その後数年の沈黙に入る。
(わたしは20歳だった。反戦デモと大学闘争。一年に二度逮捕された。それから50年があっという間に過ぎた。)
1969年、『苦海浄土 わが水俣病』を出版。



「ある家では、うら若いきりょうよしが、全身紐のようにねじれて縁の下にころげ落ち、一人では起き上がれない事態になり、失禁も月のものも隠しおおせない家々はほかにもざらにあった。」

「猫たちの妙な死に方が始まっていた。部落中の猫たちが死にたえて、いくら町あたりからもらってきて、魚をやって養いをよくしても、あの踊りをやりだしたら必ず死ぬ。」

「そしてあんた、だれでん聞いてみなっせ。漁師ならだれでん見とるけん。百間の(日本窒素の)排水口からですな、原色の、黒や、赤や、青色の、何か油のごたる塊りが、座ぶとんくらいの大きさになって、流れてくる。」

「銭は1銭もいらん。そのかわり、会社のえらか衆の、上から順々に、水銀母液ば飲んでもらおう。上から順々に、42人死んでもらう。奥さんがたにも飲んでもらう。胎児性の生まれるように。そのあと順々に69人、水俣病になってもらう。あと100人ぐらい潜在患者になってもらう。それでよか」

「目もみえん、耳もきこえん、ものもいいきらん、食べきらん。人間じゃなかごたる声で泣いて、はねくりかえります。ああもう死んで、いま三人とも地獄におっとじゃろかいねえ、とおもいよりました。いつ死んだけ?ここはもう地獄じゃろと-」

もの言えぬ生霊、死霊となった患者たちのいのちの声の「依り代」となった石牟礼のことばは、怨念に満ち、苦しみによじれ返っていく。

「そのときまでわたくしは水俣川の下流のほとりに住みついているただの貧しい一主婦であり、安南、ジャワや唐、天竺をおもう詩を天にむけてつぶやき、同じ天にむけて泡を吹いてあそぶちいさなちいさな蟹たちを相手に、不知火海の干潟を眺め暮らしていれば、いささか気が重いが、この国の女性年齢に従い七、八十年の生涯を終わることができるであろうと考えていた。」

「安らかに眠って下さい、などという言葉は、しばしば、生者たちの欺瞞のために使われる。
このときこの人の死につつあったまなざしは、まさに魂魄(こんぱく)この世にとどまり、けっして安らかになど往生しきれぬまなざしであったのである。
この日はことに自分が人間であることにわたしは自分が人間であることの嫌悪感に、耐えがたかった。
この人のかなしげな山羊のような、魚のような瞳と流木じみた姿態と、けっして往生できない魂魄は、この日から全部わたくしの中に移り住んだ。
わたくしの死者たちは、終わらない死へむけてどんどん老いてゆく。そして、木の葉とともに舞い落ちてくる。それは全部わたくしのものである。」

患者たちの魂魄は、霊媒である石牟礼のいのちをも侵食し、<全部わたくしのもの>になった。

だが、長期にわたる水俣病闘争を続ける中で、ある時期から患者たちの声のトーンが変化しはじめる。

「私たちは許すことにした。全部許す。
日本という国も、チッソも、差別した人も許す。
許さないと、苦しくてたまらない。
みんなの代わりに私たちが病んでいる。許す。」

それは、「許さないと、苦しくてたまらない」地獄の境地を長年さまよったいのちが見つけた必然の浄化の境地だったろう。
石牟礼は記す。

「水俣病をめぐる状況の中で、あらゆる宗教は死んだ。」

水俣の民と石牟礼を救ったのは、アニミズムとプレアニミズムの、すべてを受け入れるといういのちの最古の叡智だった。

「荘厳されているような気持ちでございました。」

現地の言葉で天からもたらされる「恵み」と「災厄」を「のさり」と呼び、海から獲れる魚も、ばら撒かれた毒物も「のさり」として人々は理解した。

土方はそれを『静かな家』で「赤い神さま」と呼んだ。『病める舞姫』では『空気中に棲む見えない大きな生きもの」と書いた。

石牟礼の筆も、怨念の代弁から、生死の境にある水俣のいのちの美をすくい取ることに重きを置きはじめる。



「中村千鶴・十三歳、胎児性水俣病。炎のような怜悧さに生まれつきながら、水俣病によって、人間の属性を、言葉を発する機能も身動きする機能も、全部溶かし去られ、怜悧さの精となり、さえざえと生き残ったかとさえ思われるほど、この少女のうつくしさ。
 水俣病の胎児性の子どもたちが、なにゆえ、非常にうつくしい容貌であるかと、子どもたちに逢う人びとはいう。それは通俗的な容貌の美醜に対する問いばかりでもない。
 松永久美子をはじめとして、手足や身体のいちじるしい変形に反比例して、なにゆえこの子たちの表情が、全人間的な訴えを持ち、その表情のまま、人のこころの中に極限のやわらかさで、移り入ってしまうのだろうか。」

苦しみのどん底で、人知れずいのちの浄化が始まる。
石牟礼のことばは、水俣の民のいのちの美しさを歌う詩に結晶する。

世の中の人が決して美とは認めない歪んだ肢体や、不自由な心のなかに、かつてない美を発見し続ける。それは、からだでそれを発明する舞踏にも引けを取らない筆の舞踏だった。

「すこしもこなれない日本資本主義とやらをなんとなくのみくだす。わが下層細民たちの、心の底にある唄をのみくだす。それから、故郷を。
それらはごつごつ咽喉にひっかかる。それから、足尾鉱毒事件について調べだす。谷中村農民のひとり、ひとりの最期について思いをめぐらせる。それらをいっしょくたにして更に丸ごとのみこみ、それから...茫々として、わたくし自身が年月と化す。」

「あねさん、魚は天のくれらすもんでござす。天のくれらすもんを、ただで、わが要ると思うしことって、その日を暮らす。これより上の栄華のどこにゆけばあろうかい。」

土方もまた最愛の姉を、戦争を遂行する日本国家の秘密の国娼政策によって奪われ、死んだ姉をからだの闇に長年飼い続けるなかで、積年の口にできぬ怨念を、絶後の美に転化した。「魂が引き裂かれ、人間の条件をことごとく無くした病める舞姫に混融・同化されていく、生命共振の奇跡を書き記した。
<全部わたくしのもの>と言い切った石牟礼と同じ体験を共有した。



日本経済が高度成長を謳歌していた当時、日本中のモダンダンスがいわゆる美しいお遊戯を踊っているなか、ひとり土方だけが、 水俣病のねじれ曲がった肢体を踊りにとり入れ、前代未聞の衰弱体を創発した背景には、このいのちの共振の共有があったのだ。
ふたりとも深くアニミズムとプレアニミズム、そしてそれを突き抜ける未来の生命共振的なこころの持ち主だった。
土方が水俣病のからだを踊ったということは、かれが水俣を利用したとか、真似したということとはぜんぜん違う。
石牟礼が、水俣の人々と一つとなったように、土方もまた強い生命共振によって彼らと一つになったのだ。それが生命共振の奇跡である。

今世紀になっていよいよ加速する情報化の洪水に見舞われる現代において、もっとも失われつつあるのが、このプリミティブないのちの共振である。
情報は決して共振しない。
情報に冒された自我も共振しない。
だが、サブボディ舞踏は、どれだけ情報化が進もうとも、いのちの根源である生命共振クオリアに耳を澄まし、そこから踊る。
生命共振は離れたものを共振によってひとつにする。共振には主体も客体もない。どちらからともなく自然に起こる。それがからだの闇のクオリアが属する生命共振原理なのだ。
わたしたちは、ことばや情報の二元的なツリー状の階層秩序と、からだの闇のリゾーム状に変容流動する非二元かつ多次元クオリアの双方を自在に往還するツリーリゾーム技法を身につけ未来を切り開く。
土方も石牟礼さんもその先駆者なのだ。


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第15回国際ヒマラヤ舞踏祭 2017

 
居場所/マルガリータ
 
「ミルクの寡婦」パメラとコディー
 
もっと一緒に/ナレッシュ
 
 けむり虫の態変 リゾーム・リー
 
 赤兒のけむり虫 リゾーム・リー
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 千のプラトー、右は河出文庫版
 
ジル・ドゥルーズ=フェリックス・ガタリ

千のプラトー

1968年、フランスの哲学者ジル・ドゥルーズとドイツの精神科医フェリックス・ガタリは、
これまでの近代知を支えていた3次元階層秩序的なツリー状の認識・行動に代わり、
任意に分離、連結し、多次元を変容流動するリゾーム的な知と生存の様式を提示した。
ドゥルーズ = ガタリの 『千のプラトー』は、もっとも重要な舞踏テキストのひとつだ。
その本の完全本は1980年に出版された。
だが、第1章「リゾーム」は1968年頃に書かれ、すぐに日本語にも翻訳された。わたしは1970年代にそれを読んだ。なぜ、日本から遠く離れた彼らが書いた本が舞踏の書になるのか。その秘密をお伝えしたい。

1968年の生命共振

彼らがこの本を書いた年、1968年はフランス、ドイツ、イタリア、スペイン、アメリカ、日本、そして世界中のスチューデントパワーによる世界革命の年であり、何千万もの若い学生たちが古い階層社会を変えようと立ち上がった。
それは地球上の国境を越えて起こった生命共振の奇跡だった。土方巽とドゥルーズ=ガタリの間で奇跡的な共時性が起こったのも、その地球規模の普遍的な生命共振に基づいたものだった。彼らはほぼ同じことを同時に書き、あるいは踊った。
<リゾーム>とは、当時の学生の運動が孕んでいた新旧入り混じった混沌の中から、
ドゥルーズ=ガタリが、根源的に新しいクオリアを取り出し、
未来の人間の萌芽形態として結晶化したものだ。
当時のわずかな数世代だけが、この奇跡的な生命共振を経験した。そして忘れられた。

<なり込み>と<生成変化>

2000年に日本からヒマラヤに移住したとき、万冊の蔵書を処分し、たった五冊だけをヒマラヤに帯同した。そのうちの一冊がこの書だった。『千のプラトー』をわたしは20年以上に渡って熟読してきた。
こんにちの若い読者には主に、第1,2,10章を読むことをお勧めする。
ドゥルーズ = ガタリはこの本を一緒に書いたが、上記3章以外の他の章はおそらく、そのうちの1人によって書かれ、もう1人はそれをチェックしたにとどまる。
これらの3つの章だけは、彼らが非常に深いやりとりを通じて一つのいのちになって書かれた。
密度が他の章とくらべて圧倒的に深く、新しい動きを見つけたいのちが、
輝きを放ちながら躍動している。
そのキーワードは、
<生成変化>である。それは舞踏の根本である<なり込み>とまったく同一である。


リゾームになれ!
たったひとつの秘密になれ!


第1章 
<リゾーム>は、近未来の人間の変容を予言した本書の精髄だ。
第2章 
<狼になる>はそれを具体的に深化させた。
第10章 
<強度になる。動物になる。知覚できないものになる>は、それをさらに全面展開している。

そこにはリゾームになる多様な道筋、多様体になること、女性になること、子供になること、動物になること、分子状のものになること、知覚できないものになることなどが書かれている。
知覚できないものとは,ギリシャ語で<キメラ>という。
土方のいう、無限に変容する死者に生成変化することだ。
これらの章における<生成変化=Becoming>は、土方が同時期に実践していた舞踏における<成込み>と軌を一にしている。
土方巽の「静かな家」とドルーズ=ガタリの「千のプラトー」を読み比べればそこに起こっている境界を超えた奇跡的な世界同時生命共振のさまが目の当たりによみがえるだろう。


わたしはヒマラヤで、サブボディ共振舞踏とその実践的な展開である<共振リゾーム>を探求してきた。
そうだ。<共振リゾーム>という根源的に自由な共創体験をつうじていつか近い将来、地球的な規模で世界同時に生命共振が起こる奇跡の瞬間を待ち受けている。



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 生命共振としてのクオリア


リゾーム・リー

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 なぜわたしたちは、あたたかいとか、うれしいとか、
こわいという感覚を共有しているのだろうか。

この、あたたかさ、うれしさ、こわさなどの感じをクオリアという。

クオリアは人間だけではなく、動物も植物も、単細胞生物もふくめ、
あらゆる生命が外界や細胞記憶と共振することによって生みだされます。

クオリアは細胞生命が何ものかと関わるときに
細胞の変化とともに共振的に生成する。

それが『生命共振としてのクオリア』という
この書が提出する世界でも独自な視点だ。

この独自な視点は、著者リゾーム・リーが、
この20年間北インドのヒマラヤ・ダラムサラにこもり、日常的な意識を止め、
からだの闇(下意識や集団的無意識領域を指す)に耳を澄まし、
感じられるかすかなクオリアをからだの動きとして増幅する、
独自のサブボディ共振舞踏技法を見つけ、深める中で掴み取られたものだ。

クオリアは、生命が40億年間の生命史を通じて
細胞内に蓄積してきた生命の遺産である。

この生命遺産としてのクオリアにアクセスし、自由なクオリア共振を解放することで、
生命が持つ無限の創造力を解放することができる。

著者がヒマラヤに設立した共振塾という国際的な舞踏学校で、
この12年間に千人以上の生徒がサブボディ技法を学び、
世界でただ一人のユニークな舞踏者として活動を繰り広げている。

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